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 4-4


 気がつけば、汗が滲むほど腕立て伏せを繰り返していた。

 放課後は生徒会室の片隅。いつものように応接スペースのテーブルを壁際に寄せてストレッチと筋トレに勤しんでいたところ。

 日課と化している一連の運動は、集まりの悪い生徒会の面々がやってくる前までには終わっているものであり、きちんと数字を設けて行う限りは、そう時間を要するようなものではない。

 今日の自分は、なにかおかしいらしい。今朝から調子が狂いっぱなしだ。

 集中力が散漫というか、頭が余計なことを考えようとするというか、どう思考を切り替えようとしても、気がつけば呆けたように考えることを止めていた。

 まるで意識を掠め取られたように、授業がいつの間にか終わっていた。

 授業内容はほぼ記憶に無く、しかし習慣付いていたらしい体はちゃんとノートをとっていた。不思議なことにまるで覚えが無かった。

 鞄からタオルを引っ張り出して汗ばんだ顔を拭いつつ、応接用テーブルを元の位置に戻すあたりで、両腕の筋肉が張っているのを感じる。

 スクワットと腹筋をしていた辺りまでは覚えているし、どれだけの回数をこなしたかも数えているのだが、腕立てを何回やったかは覚えていなかった。

 時間の経過から逆算すると、おそらく三倍近くこなしていることになるが……なるほど、それなら確かに腕に疲労が残るのも納得できる。

 ダメだな。まともじゃない。

 思わず頭を掻く。

 こんな状態で生徒会の雑務をこなせるだろうか。いささか不安を覚える。この分では、仕事はこなせても、目ざとい会長からお小言を貰う羽目になるだろう。

 それですむなら、まだいい。

 だが、この状態を明日に引き摺らないとも限らない。

 気を抜くと、すぐに小羽の姿が思い浮かんでしまう。

 厳島にからかわれて、思わず目が合って、頬を染めて恥らう小羽の顔が脳裏に浮かんで、それ以外考えられなくなる。

 時間があれば、それこそ時間のあるだけ、眺めていたかもしれない。

 芸術品を嗜む審美眼というものを理解できたためしがないのだが、長時間同じものを眺めて飽きの来ない現象というものはあるのかもしれない。

 事務机に腰を預けて腕の筋肉を揉み解しつつ、ぼんやりと考える。

 自分の考え方というものは、大概に古いものだという実感はある。

 それは父親譲りのものだとは思うが、それが自分自身という感覚があると、影響を受けた一部という考え方のほうが勝る。

 自分のような未熟者が、父親たる器に値するとは到底思えないし、そもそも父親の全てを理解できていると考えるのは大した思い上がりだ。

 だからこそ、思う。

 自分一人で自立できるまでは、自分以外を支えることなどできない。

 自分の面倒を見切れる程度にならねば、他の誰かを想う資格など無い。

 人並みに恋すること、劣情に駆られること。それは決して罪ではないとは思う。

 だが、自分には御し得ないことに思えてならないのだ。

「はろー、カズっちゃんいるー?」

 生徒会室の戸が唐突に開いた。普通はノックくらいしそうなものだが、能天気な声を上げつつ入室してきた人物が誰かわかった時点で、疑問は泡と消えた。

「ノックくらいしろ、厳島」

「あ、いたいた。ちょっとききたいんだけどさー」

「人の話をきけよ」

 といっても無駄であろうことは、だいたいいままでの付き合いで理解していた。

 案の定、こちらの話に反応する素振りなどまるで見せず、厳島小雪は生徒会室の中を見回し、臆することなくずかずかと部屋の中に入ってきた。

「他の人たちはいないわけ?」

「見ての通りだ。始まるのが遅いところなんだ」

「ふーん」

 自分で話を振ってきた割に、さして興味もなさそうに書類の詰まれた事務机などに視線を投げて、近くにあった応接用ソファの背に寄りかかる。

「……なにか用か?」

「んー、コハどこに居るか訊きに来たんだけど、一緒じゃなかったんだねー」

 からかうような笑みを浮かべるその横顔が、少し癪に障るところだが、そんな安い挑発にいちいち目くじらを立てても仕方ない。

 厳島は人をからかいはするが、悪し様に言うことはしない。

 成績で人を判断するわけではないが、実はかなり賢いしたたかさを持っていると思う。

「生徒会の所属じゃないからな。この時間は、帰ってるか図書室じゃないのか? というか、携帯あるだろ」

「そうなんだけどねー。帰る途中にコハに用あったんだけど、靴のこってたしだったら携帯使うこともないかなーって思ってさ」

 いや、そこは使えばいいだろう携帯。

 とは思ったが、わざわざ言う必要も無いだろう。それをせずに、わざわざ生徒会室までやってきたのには、別の意図があったと考えるほうが妥当だろう。

「……それで、俺になにか用か?」

「んー、そろそろ、どうなのか訊きたくなった。っつーの?」

「具体的にたのむ」

「真剣に考える気になったのかなーってさ、前に言った事。ぶっちゃけさー、カズッちゃん気づいてるんでしょ? コハにどう思われてるか」

 ひどく優しげな顔をして、確かめるように問うそれは、問いではないように聞こえた。

 気づくという言葉に思うところはある。だが、そこに確信というものは永遠に訪れない。

 気持ちに質量は存在しない。目視も出来ない。感じることの出来るものは主観に過ぎず、おおよそ客観からすら正確な分量を推し量ることはできない。

 それを気づけというのは、あまりに不穏ではないのか。

 だから俺は、

「……関係ないだろ」

 と濁して答えるしかない。

 厳島はというと、意外なことに得心したように苦く笑むと、決心したように顔から笑みを消した。

「関係あるよ。だから言ってんでしょ?」

 あまり見ない表情をする厳島は意外ではあったが、それでも、彼女の言わせたがっているものに、彼女自身が関わることは微細としか言いようが無いだろう。

 厳島と小羽は仲が良い。おそらく、小羽のことを慮っての問いなのだろう。そこに確信は無いが、厳島が小羽を可愛がっていることはよくわかる。

 仮に彼女のお節介だとしても、そこまで厳島自身に関わりのあることなのだろうか。そうは思えない。

 面倒になってきた。

「面白がってるだけなんだろ、厳島は」

「……違うよ。からかってたのは、憂さ晴らし……的な?」

 自嘲するような淡い笑み。

 厳島の言い分は、核心を避けているためか、どうしても言いたくないことでもあるのか、もやがかったみたいに謎の部分が多い。

 なぜ、俺たちをからかって憂さ晴らしをする必要がでてくるのか。いや、どうして今この瞬間に、そんなことを言い始めるのか、まるでわからない。

「お前の言いたいことはさっぱりわからん」

「だろうね。考えもしないだろうからね」

 俯く厳島の顔から表情が消える。目を合わせないのは、まともに話し合うつもりが無いからなのだろうか。

 珍しく本当にケンカ腰の言い方をするからには、まだ何か言うことがあるのだろうか。

「アンタは、ずっと変わらないでいられると、ホントに思ってるわけ?」

 何のことを言っているのだろうか。これまでの話の繋がりから考えれば、俺と小羽のことを言っているのだろうか。

 ならば、答えは決まっている。

「……俺は変わらない。だから、このままだ」

「アンタはね。あたしが言ってるのは……」

「同じことだ。だから、このままだ」

 確かに。厳島が言いかけたのは、小羽のことだろう。小羽がどう思うか。それはわからない。

 だが、俺にはどうすることもできない。誰かを想う事は、俺にはまだ出来ない。

 だから、俺たちはまだこのままでいい。このままでいてほしい。それしかない。

「あの子の事、わかってるんだね。でもさ、変わるよ。あたしだって、それくらいは知ってるもん」

「何の話だ?」

 ソファに預けていた腰を持ち上げて厳島はまっすぐとこちらを見つめてきた。

 何を考えているのか、よくわからない目をしている。だが、そこに強い決意が据えられていることは感じ取れたと思う。

 だが、その前に誤解があることをまずは説いておくべきではないか。

 俺は小羽のことを解ってるわけではない。ただ、一方的に信じているだけだ。いや、信じたいだけに過ぎない。

 俺が信じても、小羽が信じたとおり思ってくれているとは限らない。だから、こんなにも、不安を覚えるのだ。

 それは、きちんと言っておくべきなのだろうか……

 だが、俺がそれを言うよりも先に、

「……好きだよ、カズキ」

 ひどく、柔らかな声で、かすかに震えていたようにも見えた厳島の唇から、その言葉はとてもはっきり聞こえた。

 はっきりといわれた割に、その言葉を理解するのに、ひどく時間を要したように思う。

 そして、それを理解するのとほぼ同じタイミングで、俺の後ろ、ちょうど生徒会室の戸の前で物音がした。

 誰かが走り去っていくような足音。気持ちはわかる。俺だって、こんな場面に遭遇したら気まずくて逃げたくなる。

「……誰かに聞かれちゃったね」

 頬を染めてはにかむ厳島の顔は、緊張感から開放された安堵のようなものがあった。

 その顔を、俺はどう答えたものか悩みながら、ぼんやりと眺めていた。




 4:末


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