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遠慮を手で促したら、お互いに同じことをしていて、差し出した手がぶつかって、そのまま手を握り合っていたみたいに。
そんな照れくさいことがあったのも、朝のお話で、あっという間に放課後になってしまった。
部活に所属していない私は、さっさと下校するべきなのだけども、最近は図書室で時間を潰すことが増えてきた気がする。
理由は言わずもがな。生徒会の香月と下校する時間を合わせるための時間つぶしなわけだけど、ここ最近はこの時間つぶしの時間もそんなに退屈ではない。
幸いにも本を読むのは嫌いではないし、ひょんなことで文学にも興味を抱いてきたところだったりする。
それにしても、スノオも意地の悪いことをするなぁ。
私が香月との時間を持とうとするようになったことにも関係しているのかもしれないけど、スノオも露骨にからかい過ぎだと思う。
そういうことに慣れていない事を知っている筈なのに、いや、きっと知ってるからこそからかってくるのだろうけど……
どうしていいかわからなくなってしまうので、やめてほしい。
でもスノオは、「ちょっと妬ける」とも言っていた。
きっとスノオのことだから、香月と三人一緒が楽しかったから、のけ者が気に食わない部分があるのかもしれない。
もちろん、本当にそう思っているかどうかはわかんないけど、私もスノオに恋人が出来たら……きっと妬けちゃうんだろうな。
スノオは可愛いし、誰とでも仲良くできるタイプだし、正直言って私が敵うところなんて成績くらいしかない。
その学業だって、授業についていくだけで精一杯の私と、真剣にやってるとは思えないスノオがどっこいなのだから、仮にスノオが本気になったら、私なんて敵う部分が一つもなくなってしまうと思う。
ずっと前から、きっと今だって、私はスノオに嫉妬してるんだと思う。
人を羨む気持ちっていうのは、裏返せば妬みになる。
ああ、いけないなぁ、と思っていても、私の羨望はきっと、私にはできない、という諦念に帰結する。
愛される為に生まれてきたみたいなスノオには、どう逆立ちしたって勝てっこない。
こんな黒い気持ちを、私はきっとずっと、持ち続けていたんだと思う。
こんな風に思ってしまっても、でもスノオと一緒にいるのは楽しいし、この妬みも含めてスノオには何でも話せてしまうと思う。
こんな負け犬みたいな私でも、スノオは友達で居てくれる。その気持ちには報いたいと思うし、それを抜きにしたってずっと友達でいられたら、それは楽しいんだろうなぁと思う。
だから、きっと、スノオに恋人が出来たら、私は妬いちゃうんだろうなぁ。
「あ……」
図書室の机に鞄を置いて、イマイチ集中できなかった今日の授業の復習でもしようとノートを出そうとしたところで、鞄の中に入れっぱなしにしていた文庫本の存在に気づいた。
『舞姫』だ。
放課後に図書室に来る予定だったので、そのときに返却しておけばいいかと考えたのだが、よく考えたらこれを借りたのは私ではなく生徒会長だ。
こういうものは、借りた本人が返却するべきじゃないのかな。
この学校の貸し出しシステムはとてもアナログで、図書室に所蔵されている書籍は全て貸し出しカードが付属している。
図書室から持ち出すには、このカードに日付と名前を記載して受付に預けておく必要がある。
これが管理されることにより、図書室から持ち出されても誰が所有しているか識別できるというわけである。
逆に言えば、借りるときにだけ名前が必要なだけなので、システム的には返却は本人でなくてもいい気がするのだけど……
それはなんだかスッキリしない。
私もだけど、何より借りた本人の生徒会長も気になるところだろう。
というか、保健室以来、生徒会長には遭遇していない。もしかしたらこの本を探しに何度か保健室に戻ったりもしたかもしれない。
そうだったら、申し訳ないことをしてしまったな。
やはり、そのあたりの話もちゃんとする意味で、もう一度生徒会長に会わなければならない。
あと、そうだ。あの人には、もう一度会って話してみたいこともある。
あの時は意味がわからなかった意味深な言葉も、『舞姫』を読み終えた今ならわかる気がする。
その返答というのは変かも知れないけど、ちゃんと言わなきゃいけないことがある。
「うん、やっぱり直接渡したほうがいいよね」
思い立つと、私は机にノートを置いたまま図書室をあとにしていた。
生徒会長はどこに居るだろうか。
少し考えて、すぐに答えは出た。放課後ならたぶん、生徒会室に間違いないだろう。
そこには香月も居る筈だ。そう考えると、少し胸が高鳴った。
ちょっと苦い笑いがもれる。
なんだか、これをダシに香月に会いに行ってるみたいだな。
彼の居る前で、言えるだろうか。それは少し想定していなかっただけに、ちょっと足が重たくなる。
だけど、今渡さないと次は明日になってしまう。それはちょっと避けたかった。
今日を逃して明日になったら、明日も逃して明後日の予定になって、そのままずるずるいつまでも先延ばしになってしまいそうだった。
だからやるなら今しかない。どこかの塾の先生も言っていた。
四階建ての校舎の一番上の階まで階段を上ると、思わず息をつく。
なんで生徒会室って、建物の一番上にあるんだろう。ここしかなかっただけなんだろうか。
疲れて重くなった明らかに運動不足の足を引きずるように、生徒会室の戸に手をかけようとして、その戸が開きかけなのに気づいた。
おかしいな。生徒会室みたいなぴっしりとした場所なのに、こんな中途半端な戸のあけ方ってどうなのだろう。
これじゃまるでスノオみたいなずぼらさんじゃないか。あ、でもあの生徒会長なら細かいことは気にしなさそう。
そんなことを考えていると、話し声が聞こえてきた。どうやら生徒会室の中かららしい。
「……関係ないだろ」
香月の声だ。
珍しく、焦れたような声をあげていた。それだけで空気が張り詰めているとわかる。
一体誰とそんな風に喋っているんだろう。
「関係あるよ。だから言ってんでしょ?」
聞き覚えのある声に、思わず息を呑んだ。
戸にかけた手が凍りついたみたいに動かなくなった。
どうしてここに、居るんだろう。
「面白がってるだけなんだろ、厳島は」
「……違うよ。からかってたのは、憂さ晴らし……的な?」
そっと、中の様子を窺う。なんで息を殺して、気づかれないようにしているのか、自分でも不思議だった。
香月はストレッチを中断したのだろう、長机に体を預けてタオルで汗をぬぐっているところで、スノオはすぐ近くの応接用らしいソファの背に腰を預けている。
「お前の言いたいことはさっぱりわからん」
「だろうね。考えもしないだろうからね」
お互いに笑っては居ない。香月はいつもより険しい表情で、スノオも珍しく俯き加減だ。
お互いに目を合わせないで話すのは、楽しい話じゃないからというのもあるだろうけど、なんだろうへんな雰囲気だ。
「アンタは、ずっと変わらないでいられると、ホントに思ってるわけ?」
「……俺は変わらない。だから、このままだ」
「アンタはね。あたしが言ってるのは……」
「同じことだ。だから、このままだ」
何かを言いかけるスノオを制すみたいに、香月は同じ言葉を繰り返す。
何を言いかけたのだろう。というか、何の話なんだろう。まったく見えてこない。
「あの子の事、わかってるんだね。でもさ、変わるよ。あたしだって、それくらいは知ってるもん」
「何の話だ?」
訝しげに顔を上げる香月を、スノオはソファに預けていた腰を持ち上げてまっすぐと見つめる。
強い目をしていると思った。見た事がないくらい真剣な顔をしていた。
「……好きだよ、カズキ」
ひどく、柔らかな声で、かすかに震えていたようにも見えたスノオの唇から、その言葉はとてもはっきり聞こえた。
はっきり聞こえたはずなのに、それを理解することが出来なかった。それを拒否してしまいたかった。
嘘だ。いや、何が? 何を言ったんだっけ。いや、そんなはずない。いやでも、おかしな話じゃ、いや、おかしいよ。
だめだ。わかんない。なんだこれ。わかんない。なんでこんな、わかんない。
知らずのうちに、私は駆け出していた。
まるで、逃げるみたいに。




