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 目にじわりと熱さのようなものを感じて、思わず瞼を開けた。

 どこだろうここは。

 視界の端から端まで、濃いオレンジ色に染まっている。まだ周囲の明るさに目が慣れていないみたいだ。

 強すぎる色合いに徐々に慣れていくにつれ、それがオレンジに染まった白ないしピンクであることが理解できる。

 これは、カーテン、シーツ、なんと言うんだろう。私が寝ているベッドを囲うように白い間仕切りが引かれていて、そこに西日が差し込み世界をオレンジ色に染め上げていた。

 ああ、ここがどこだかわかった。自分の着ているものがまだ制服であることを確認して、ようやくここが保健室だということに気づく。

 でもおかしいな。いつここに来て寝付いたのか、それが思い出せない。

 だって今日は、朝からちゃんと補習に出ていた筈だ。

 確かにここ数日はあんまりよく眠れなかったし、授業もあんまり耳に入ってこなかったけど……

「ん、ああ、起きたようだね」

「えっ?」

 上体を起こしてぼんやりと窓の外に視界を移したあたりで、すぐ近くから声をかけられ、思わず体が跳ねた。

「なんだ、びっくりするじゃないか」

 あわてて声のしたほうを見てみると、ベッドのすぐ隣の丸椅子にいつから居たのか、ものすごい美人が腰掛けていた。

 抗議するような声色なのに、こちらをまったく見ておらず、手にした文庫本に目を落としたままなので、冗談のように聞こえるけどびっくりしたのはこちらのほうだ。

「……あ、あの、すいません。気がつかなくて」

「うむ、よく言われる。こちらこそ、いきなり声をかけてすまなかったね」

 本を読む手を止めず、ちらりと横目でこちらを確認したきり、すぐに視線を戻す。

 なんか、変な人だなぁ。

 西日の中で本を読む姿がとても絵になるせいだろうか。姿勢を変えないまま喋るおかげで、まるで絵画と喋ってるみたいだ。

 黒くてでもきらきらする艶がある長い髪と白い肌。遠目だと日本人形みたいだと思ってたけど、顔つきは鼻が高くて口が大きくて目元は刃物を思わせるみたいに鋭い。

 こんな人がすぐ近くに居たのに、まったく気づかなかった。この人は幽霊か何かなんだろうか。

 いや、ちがう。私はこの人を知っている。

「……あの、生徒会長さんですよね?」

「うむ。そういう君はうちの宇野津君の幼馴染くんだね」

「あ、ええと……山埜井小羽です」

「知ってるよ」

 遠まわしな言い方をするから、自分から名乗るべきなのかと思ったけど、生徒会長こと長篠宮亜尋の言葉はそっけない。

 何度か全校生徒の前などで喋るところを見たことはあったけど、この人はだいたいこういう感じだったと思う。

 どんなことを喋っていても、あまり表情が変わらない。それは知っていた。

 けど、なんだろう。人と喋っているのに、この無関心さは、ちょっとところではなく変だと思う。

「あの……」

「ああ、君は、補習授業中に気を失ったのだとさ。それでクラスの者に保健室まで運ばれてきたというわけ。後で礼を言っておくといいよ」

「……は、はぁ」

 私が何かを言う前に、会長は文庫本にそのまま書いてあるんじゃないかっていうくらい淀みなく、私の身に起こったことを教えてくれた。

「不養生はよくないな。学校に来る用事があるのだから、連休とはいえ気を抜いて体調管理を怠ってはだめだよ。それにまぁ、なんだね。風邪をおして出てくるほど補習は楽しくないだろう」

 こちらを見ないまま、たしなめているのか冗談なのかよくわからない事を言ってくる。

 なんだか生徒会長らしからぬ発言を聞いた気がするけど、この人もここに居るということはこの人も補習を受けている筈だよね。

 でも聞き様によっては、体調が悪いなら無理せず休めと言っている様にも感じ取れる。

「今日は、その……休めなかったので」

「ふむ……」

 視線を落とすと、生徒会長の読んでいた本を閉じるのが見えた。

 ふたたび顔を上げると、先ほどまで見向きもしていなかった顔が、こちらを向いていた。

 じい、と私の顔を見つめるその真っ黒な瞳が、吸い込まれそうなほど色が濃くて思わず見惚れてしまう。

 ほんとうに、この人はきれいだな。

 笑ったら破壊力は数倍に跳ね上がるんだろうな。あ、ちょっと頭悪い言い方かもしれない。

 そんなことを思ったからだろうか。その会長の顔がふと笑みを作った。

 対外的、模範的な営業スマイルではなく、口元だけ異様に吊り上る、ちょっと怖い笑顔だった。なんだろう。冗談のつもりなんだろうか。

「君は、かわいいなぁ」

「へ? いや、あの……いきなり、なんですか?」

 戦慄を覚えるほどの衝撃的な笑みに身を凍らせていたせいか、その言葉を理解するのに時間がかかった。

「いや、うむ。憧れるよ」

 笑いを納めると、会長は席を立った。

 いつもの鉄仮面のような無表情に戻り、もうこちらを見ることはしなかった。

 なんだろう。何かを言いかけたようにも聞こえるし、はぐらかされたのだろうか。この人は何を考えているのかわからない。

 そもそもどうして、私の傍に居たのだろうか。

「あの!」

「そろそろ、迎えが来る筈だ。またね、山埜井君」

 まったく会話が噛み合わないまま、会長はその長い黒髪を翻してカーテンの裾から出て行ってしまった。

 本当に、何だったのだろう。まるで掴みどころのない会話だったと思う。

 でも、彼女が笑いながら呟いた言葉が、まるで呪詛のように耳の奥に残っているような気がする。

 私が、かわいい? 思い違いだろう。いや、本来の意味で言ったのではないのかもしれない。何か、別の意図があったのだろうか。

 わからない。本当にもう、何を思ってそんなことを言ったのか、まるでわからない。へんな人だ。

 そういう結論で片付けるしかない。

 ああ、ここ数日、風邪気味なおかげで、頭がボーっとしているのだ。だから、へんな幻聴でも聞いたのかもしれない。

 そう思うことにしておこうと思う。

「はぁ……」

 なんだか、塊みたいな溜息が出た。ベッドから足を下ろすとちょうどいいところに上履きがあった。

 すぐ近くには、先ほどまで生徒会長が腰掛けていた丸椅子があり、ふと目に留まったのは、そこに置き忘れたらしい文庫本を見つけたからだ。

 図書室の登録票が付いているから、たぶん借りてきたものなのだろう。届けておくべきだろうか。

 そんなことを考えていると、保健室の引き戸が開く音がして、誰かが入ってくるのがわかった。

「小羽、起きてるか?」

 間仕切りの向こうから声をかけてきたのは香月だった。控えめだけど、ちゃんと聞こえるよう声をかけてくるのは、寝姿を見ないように気遣っての事だと思う。

 幼馴染相手でも、香月の気遣いは本当に誰に学んだのか紳士だと思う。

「起きてるよ。もう放課後?」

「ああ。荷物を持ってきた。入っていいか?」

「うん、ありがと」

 間仕切りをあけると、少し眉根の寄った香月の顔が思ったよりも近くにあった。

 ああ、心配してる顔だ。それほど体調は悪くないけど、倒れちゃったのなら、これくらいは心配してしまうのか。

 生真面目な幼馴染をここまで深刻な顔にさせてしまうことに、自分が情けなくなってしまう。

「もう平気だから……ごめんね、心配させて」

「それは、厳島が居るときにでも言ってくれ。あいつもかなり心配していたみたいだからな」

「そっか……うーん、残念だなぁ」

「何が?」

「だってさ。今日がゴールデンウィーク最終日。放課後付き合ってもらう約束だったのに……私がこんなでさ」

 荷物を受け取って肩を落とす。最近の不眠症の影響は間違いなく今日のためのものだった。

 だというのに、当日に気を失うほど体調を崩したのでは本末転倒だ。遠足前の子供だって寝坊程度で済むのに。

 今のこの状況からどこかに遊びにいくなんて、香月はしないだろう。

 きっと気を遣われて、すぐに家まで送ってくれるに違いない。

 今日は、頑張ろうと思ってたのになぁ。本当に情けない。

「……家までなら付き合うぞ」

「知ってる」

「なら、問題ないだろ」

「……知ってる」

 なんだかもう、これでいいような気がしてきた。

 香月がいつも通り過ぎて、思わず笑みがこぼれてしまう。

「ん、その本はいいのか?」

「え?」

 鞄の中身を確認して持ち直すと、香月が丸椅子に置かれている本を指差す。

 それは会長が置いていったものだ。

 説明するべきか。でも、それも面倒くさい。ただでさえ風邪気味なので、億劫さが勝ってしまう。

「あー、うん。私が返しておくよ」

 そう答えて、図書室に返すべきなのか、会長さんに直接渡すべきなのか、考えてしまう。

 ……どっちでもいいか。

 そう結論付けて、文庫本を手にとって鞄にしまう。

 どんな本なのだろう。タイトルをちらりと見たが、どんな内容なのかは読み取れない。

 『舞姫』作者は森鴎外。聞いたことはあるけど、内容までは知らない。

 返すまでの間、読んでみるのもいいかもしれない。

 そんなことを思いつつ、私たちは保健室を後にした。

 結局、香月は私を家まで送った後、ほんの少しだけ看病してくれた。

 彼なりに、付き合ってくれたのだろう。

 それはそれで、私としては幸せだった。




 3:末



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