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 西の空が紫色に見えるくらいには、陽が落ち込んでいた。

 昼間はじわりと汗ばむくらいの暑さだったけど、夕方になるとやはりまだ少し冷える。

「うー……上着欲しくなるなぁ」

 思わず身を縮める。それほど寒がりとは思わないけど、温度差を感じると、どうも大げさになってしまうみたいだ。

 ちなみに、我が校の制服はセーラー服ではなく、ブレザータイプで、赤と緑に黒のラインの入ったチェックのスカートとそれにあわせたネクタイかリボンを合わせ、ブラウスの襟は男子と女子とで微妙にデザインが違う。

 ベストは麻色の地味なデザインだけど夏用と冬用で二着あり、夏でもそれなりに快適に過ごせるけど、夏も本格的になる頃にはほとんどの生徒は登下校にしか着用していないと思う。

 このベスト、夏用のものは通気性を重視しているため、防寒具としては役に立たない。

 私みたいにどうせ暑くなるからと、夏用のベストを着てくると、寒暖の差に対応しきれなくなったりもするのである。

 だいたい衣替えはまだ一月ほど先なので、これは完全に私の判断ミスである。

「陽が落ちると、まだ寒いな。平気か?」

 肘をかき抱く私を見かねたらしい、隣を歩く香月が足を止めてこちらをのぞきこんでくる。

「ああ、うん、平気。歩いてれば気にならなくなると思う」

「そうか」

「香月は……平気?」

「体調を崩すほどじゃない」

 ああ、香月らしい。暑いとか寒いとか、そういう判断よりも、調子を崩すかどうかの判断のほうが重要みたいだ。

 突き詰めればそういう問題なんだろうけど、なんというか、香月のものの考え方は合理的だと思う。

 きくまでもないことだったかもしれない。でも、あえて訊いてみたのは、香月とうまく会話できないからだと思う。

 最近、香月とうまく話していられる自信が無い。考えてみれば、昔からちゃんと噛み合った会話をしていた記憶はあんまり無いけど、それでも意思の疎通はちゃんと出来ていたと思うし、それこそ、喋っていなくたって心地よい沈黙がそこにあったはずだった。

 だけど、今の私たちの間にあるざらざらした沈黙は、この居心地の悪さはなんなのだろう。

 そう感じているのは、私だけなのだろうか。もしも、香月も同じように感じているなら……少し、申し訳ないな。

「補習、香月達は……えと、どういう授業なの?」

 香月の横を少し先導しつつ、詰まりそうになりながらなんとか話を切り出してみる。

 正直、香月のクラスの話をしても、私にわかる内容とは思えない。でも、早く何か話をしないと、このままずっとこの沈黙が続いてしまいそうで嫌だった。

「……いつもの同じだな。少し前倒し気味で進めてくるから、連休明けの予習にもなる。あと、学期末試験を想定したペーパーテストもやったかな……それもだいたい変わりないか……」

「そ、そうなんだ……」

 予想してはいたけど、やっぱり私のクラスとは、授業の概要からして違うみたいだ。

 だいたい、まだ五月も始まったばかりなのに、学期末の試験を想定しているあたりがよくわからない。

 とにかく、ペーパーテストがあったということは理解できた。なんだ、私のクラスとやってることは同じじゃないか。

「うちのクラスも、ペーパーテストやったよ。っていっても、たぶん、香月のクラスとはやってる理由が違うと思うけど」

「そうなのか。まぁ、教える側は、そのほうが楽だろうからな。採点の手間も、生徒に自分でやらせれば、回答例みたいなものを作るだけでいいしな」

「あ、確かに、そうだったなぁ……うーん、やっぱり先生のほうも楽したいのかなぁ」

「それだけじゃないと思うぞ。なんだかんだいっても、テストに慣れておくのも必要だと思うし、自分で答え合わせすることを習慣付けておくと、勉強の効率も上がる」

「……香月は、ポジティブだなぁ」

「そうか?」

 真面目くさった顔のまま首を傾げる香月は、本当にただ実直なだけなのかもしれない。

 ただ、私がネガティブな考え方をするだけなのかもしれない。と思いかけてしまう。

 今回に関しては、先生が楽したいだけなんじゃないかと思うのだけど。

「普通はさ、補習始まっていきなりペーパーテストって言われたら、やる気なくすと思うよ……うちのクラスがそうだったし」

「そういうもんか。ああ、普段がそうじゃなけりゃ、確かに俺もやる気なくすかもしれないな」

「ふふ、みんな、先生が居ないのをいいことに、遊び始めたからホントに真面目に補習してる人なんてあんまり居なかったよ。あ、私はちゃんとやってたんだけどね」

「……大丈夫なのか、そのクラス」

「真面目にやってる人も居たよ。すぐ後ろの、一条君とか。あ、一条君、知ってるよ……ね?」

 ふと、香月がいきなり足を止めたので、不自然なところで言葉が切れてしまった。

「ああ……前は一緒のクラスだったな」

 すぐに歩き出した香月の声が少し低くなったような気がしたけど、どうやら一条君のことを思い出していただけみたいだ。

 あれだけ目立つ性格だったし、香月もすぐに思い出したみたいだった。

「ちょっと意外だよね。一条君、お調子者って言うか……ああいう自習みたいなときにはまっさきに遊び始めそうなのに、ちゃんと答案埋めてたんだよ」

「……勉強しないと、自分もやばいと思ったのかもな」

「うーん、スノオとか一条君は、得意科目以外、ちょっと危ないからね……」

 私も人のことは言えたものじゃないけど……そんなことは口に出さなくても、香月なら知ってることだろう。

 言おうとして、思わず口をつぐんでしまったのは、一瞬だけ香月の眼鏡の奥に見えた目が、冷めた様に見えてしまったからだろうか。

「……香月、あのさ……」

「ん?」

 いつの間にか、足を止めていた。

 香月はその数歩先で振り向いてくる。

 たった数歩。それだけのはずなのに、もやの様な隔たりを覚えて、口が思ったとおりに動いてくれない。

 口にしようと思ったことが、なかなか言葉に出来ない。

「……香月は、ゴールデンウィーク、どうする?」

「どうって、補習だろ? 塾もあるけど」

「最終日までずっと?」

「そのつもりだけど……それがどうかした?」

 どうしよう。言ってしまうべきだろうか。このまま有耶無耶にできるのは、ここまでだ。ここから先を言ってしまえば、選ばせることになる。

 香月の予定を知った上で、言うということは、つまりそういうことになるだろう。

 それでも、今言ってしまわないと、本当に何もなくなってしまいそうで……今ここにある、感じている距離感が永久に埋まらなくなってしまいそうで、怖い。

「その、さ。最終日、補習終わったら……その、付き合って欲しいなって……」

「今日みたいにか?」

「いや、ちがくて……」

 間を詰めて来るみたいな香月の言葉に、圧倒される。そんな意図は無いんだろうけど、私が遠まわしに言うのが明確さを欠いているため、香月はそれを確認しているのだと思う。

 今日みたいなのとは違う。

 補習が終わって、生徒会にも顔を出す香月を待って、学習塾へ向かう香月と一緒に下校するだけの、ほんの一瞬の時間じゃない。

 私が付き合って欲しいというのは、そんな短い時間ではない。

「ちょっと……寄り道に、付き合って欲しいんだ」

 恥ずかしくてぼかしてしまったけど、つまり結局のところ何が言いたかったかというと、デートがしたいのだ。

 補習終わりの時間は、学生という身分にしてみれば、そんなに長いものではないと思う。

 でも下校から学習塾へ移動するまでの香月の時間と比べれば、はるかに長い。

 それだけの時間を香月と共有することは、難易度の高いことなのかもしれないけど、私には必要だ。

 そうしないと、心の中にもやもやと連なる、香月との距離が永遠に埋まらないような気さえするのだ。

「……塾が、ある」

「うん……知ってる」

 苦い顔をしている。その香月の顔を見るだけで、自分の嫌な部分を自覚してしまう。

 ああ、わがままいってるなぁ。それとわかってても、言わずには居られなかった。

 たぶん、これは、

「……後で、連絡する。今はちょっと、難しい」

「あ……うん、ごめんね」

 どうにか、笑えていたと思う。

 踵を返す香月の後姿を追えないまま、私はしばらくの間、放心したみたいに香月の背中を眺めていた。

 笑っているのか、困っているのか自分ではよくわからない顔をしたまま。

 ……最低だ。知ってたのに、相手の事情を知っていたのに、自分勝手にもほどがある。

 目頭が熱くなる。悔しいと思うのはどうしてだろう。悲しいと思うのはどうしてだろう。

 そんな資格なんてないのに。

 どうにか足を踏み出すと、ぽつぽつとアスファルトに黒い染みが穿たれはじめた。

 雨が降るらしい。そういえば、昼頃は晴れ間が見えていたので忘れていたけど、それまでずっといつ雨が降ってもおかしくないほど雲が出ていたのを思い出す。

 やっぱり、降っちゃったか。

 そんなことをぼんやりと思いつつ、家路へと、重い足を引きずる。

 前かがみの背中に、ぽつぽつ冷たいものが当たる。

 もっと激しく降ってもいいのに。

 そうすれば、誰にもこんな惨めな顔を見せずに済むのに。




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