3-2
3-2
窓の外を見ると、あいにくの天気だった。
朝、家を出るあたりから雲行きが怪しかったので、確認するまでもなかったかもしれない。
真綿を敷き詰めたみたいな雲が、今にもごろごろと機嫌悪げに喚いて泣き出しそうな感じだ。
傘を持ってくるべきだったかもしれないなぁ。
そんなことをなんとなく考えて、机に向き直る。
世間ではゴールデンウィーク真っ盛りの筈だけど、私は学校に来ている。
前にも説明したけど、ゴールデンウィーク中は希望者を中心に補習授業が行われる。
進学クラスの理数クラスに引っ張られる形で普通クラスにも採用されたイベントだけど、多数の生徒から不満が巻き起こった背景があり、希望者のみという中途半端な参加様式となっている。
どちらにせよ学校に来て補習を受けている時点で、私にとってはどちらでもいいわけだけども……
そんなこんなでございまして、第一日目の補習授業は、いきなりのペーパーテストで、少し、いやかなり憂鬱だったりする。
それだけならまだよかったかもしれない。
教卓をちらりと見やると、そこに教官の姿はない。
なんと、担当教諭どのは、あらかじめ用意しておいた答案用紙を配り終えると、概要を説明してさっさと教室から出て行ってしまった。
じつはこの補習授業、先生達もあんまり乗り気じゃないんだろうか。
そして、世間的にお休みな状況と、やる気の感じられない補習授業と来てしまえば、教室内の学習態度も残念な具合になってしまうわけで。
最初こそおとなしく授業を受ける姿勢だった教室内も、たった数分で雑談と笑い声に飲まれてしまった。
これでは休み時間と変わらない。
もっと教える側にやる気があれば、少しは違ったかもしれないけど、こうなってしまってはまともに勉強する人間は居なくなるだろう。
そう考えると、私は異端なのかもしれない。
黙々と答案用紙を埋めていく作業は、独特の緊張感があると思う。
それが可能だったのは、私の周辺によく話す友達が居なかったからだろう。
ただ、それもすぐに挫折してしまった。やっぱり、テストというのは、まわりの空気が伴ってこそ緊張感を保てるんだと思う。
こう周りが騒がしいと、あんまり集中できない。
やっぱり、香月のクラスなんかだと違うんだろうなぁ。
窓の外を見て気分転換してしまう辺り、もう家で勉強しているのとほとんど変わらない。
なんだかなぁ、と思いつつ、この状況なら仕方ないかもしれない、とも思う。
これは先生も悪いと思う。せっかく学びに来ているのだから、きちんと相手をしてくれるのがお仕事だと思う。
別にいつもこうではないのだけど、ある程度意欲を持って来ている生徒に対してこの仕打ちはちょっとあんまりなんじゃないかな。
こういうことを考えてしまうから、あまり集中できないのだろう。
香月ならどうするだろう。
きっと彼なら、周りがどうあっても、ペースを崩すことはない。自分のやることをこなして、いつも通りを貫くことだろう。
それは融通の利かないということにもなるかもしれない。でも、そういう誠実さこそが、きっと誰しもに評価されていると思う。
そう、とっても頑固なんだ。スノオと会えば、いつも同じやり取りをする。
スノオは自分の名前が気に入ってるから、香月にもそう呼んでもらいたいんだけど、香月は最初に苗字で呼んだ頃から変わってない。
それでいつも喧嘩になりそうになるのに、不思議と悪い空気にならない。お互いにわかっててやってるのかもしれない。
だって、私やスノオと話すときは、優しい顔をしている。スノオはいつも仏頂面してるっていうけど、私にしかわからないのかなぁ?
「なぁ、山埜井、ちょっといい?」
ふと、机に肘をついてぼんやりしていると、後ろから何か硬いもので肩をつつかれた。
後ろから手が届くのは、たぶん、一条君しかいない。
振り向いてみると、とうの一条君はシャープペン片手になにやら机に向かって渋い顔をしていた。
「どうしたの?」
「うん、これなんだけどさ」
シャープペンで指し示したのは、ペーパーテストの問題のようだ。
見れば、一条由樹と書かれた答案用紙には、いくつか落書きが散見されるものの、努力と善戦の形跡が見て取れる。
そして指し示された問題は、私もまだ解いていない部分である。
驚いた。私が一人せっせと問題を解いていたよりも先に進んでいるということもそうだけど、こういう雰囲気で真っ先に騒ぎそうな一条君が、真面目に取り組んでいることに驚いた。
「ここ、解き方わかる?」
「ええと……ちょっと待ってね、たしか似たような例題が、教科書に……」
自分の机に向き直って教科書を引っ張り出す。
こういうペーパーテストだと、なんだかズルをしてるみたいで、なんとなく教科書を参照するのは控えていたけど、人に訊かれたからには確実に近いほうがいいと思うので、自分ルールはひとまず置いておくことにした。
というか、果たして教科書を検索した結果、件の例題は見つかったけど、これってまるっきり同じ問題じゃないのかな。
もしかして、と他の問題も調べてみると、やっぱりあちこち似通っている。これ、大丈夫なんだろうか。
ひょっとして、わざとこういう風にして、適当にノルマを達成するためだけに、作られたテストだったりするのだろうか。
なんだかますます嫌な気分になってしまうけど、ひとまず一条君のほうをまずは解決しなくては。
「あったよ、これ……たぶん、まったく同じ問題だと思う」
「え、マジで? ラッキーだな」
「……そ、そうだね」
ひょっとして、気づかないでずっと今まで黙々と解いていたのだろうか。
人のことは言えないし、多分に失礼な言い方だけど、一条君にしては珍しい。
「一条君、真面目に解いてるんだね……」
「ん? ああ、まぁ、その、たまにはいいっしょ?」
答案用紙に向かって口元にシャープペンの頭を添えつつ気難しそうに首を傾げる姿は真剣そのものだ。きっとさっき私の肩を叩いたのは、このシャープペンだろう。
たまになにがいいのかよく理解は出来なかったけど、ところどころ真っ黒な炭汚れを残す答案用紙は、なんだか一条君に似つかわしくない。
でも炭汚れの原因は、たぶん、用紙の隅っこに描かれたテディベアのデッサンだと思う。けっこうかわいい。
落書きはあちらこちらにあるけど、問題自体はかなり真面目に取り組んでいるみたいだ。
あんまり集中力が長続きしないのかもしれない。でもこれはこれで、すごいと思ってしまう。
「じゃあ、頑張って」
「あ、教科書は?」
「いいよ、たぶん、また必要になると思うから」
「あ、ああ、ありがとう」
「落書きしないでね」
「しないって、たぶん」
ちょっと不安だ。けど、あのテディベアならいいかも。
思わず口の端が緩むのを感じて、自分の机に向き直る。なんだかやる気が出てきた。
たぶん、もしかしなくてもこのテストは教科書の例題から出題されているものがほとんどだと思う。
わざわざ考えなくても解ける問題。それでも、なんとなくちゃんとプロセスを解いていく気分になっていた。
自分のノートを見ればわかることでもあるんだけど、それはちゃんと解いてからにしよう。
そういえば……香月のノートには、あんなふうな落書きはなかったなぁ。
一条君のノートを想像してみると、ちょっと楽しい光景が思い浮かんでしまう。
なるほど、たまにはこういう風に真面目に取り組んでみるのも、いいかもしれない。




