2 村の事情
4月2日、夕刻。隊商はセロ村に到着した。
門では、ガルモートの仲間の戦士グレーヴスが警備に当たっていた。ちょうどそこへ「交替だぞ」とスマックがやってきた。
「おう、お前ら、久しぶりだな」
スマックから声がかかると同時に、川原のほうから歌声が聞こえてきた。リールだった。
双つの神の御子たちよ
何を求めて何処を彷徨う
崇高なる信念を持つ者よ
数奇なる運命を持ちたる神の子よ
強大なる魔力を持ちたる魔国の者よ
凶運を持って生まれし神国の忌み子よ
光と闇の二つの心を持って生まれし古の者よ
誇り高き神の眼を持って生まれし『審判』の子よ
何を見てどう選択する
すべては神の御心のままに
すべては生の為すがままに
歌い終わるや、リールはぱたりとその場に倒れた。
「リールさん?」
ラクリマが駆けていった。他は、いつものように寝てしまったのだろうと思っていたが、ラクリマが戻ってこないところをみると様子が違うらしい。
「どうしたんだ、ラクリマさん」
Gは入村の手続きを他の面々に任せて、ラクリマのほうへ寄っていった。
「なんだか、ひどい疲労状態なんです」
ラクリマはそう答えながら、リールにそっと治癒の呪文を唱えた。リールの額から汗がひき、安らかな寝息が聞こえるようになった。
「このままだれかにキャスリーンお婆さんの家まで運んでもらわないと……」
「私がやろう」
Gはリールを背負い上げた。
向こうの様子からリールが本当に倒れているらしいことがわかって、ヴァイオラは、
(神の声を代理で告げたので、消耗しちゃったんだな……。それにしても、まるで名指しされたような歌だったな)
と、思った。
入村の手続きが全員終わったところで、ヴァイオラはガサラックたちに「村長の館へ行くので一緒に来てください」と声をかけた。柄の悪い4人組は、スマックと交替したグレーヴスが面倒を見そうな気配だったし、自分たちとは関わりがないので放っておいた。グルバディたちはスマックから村の規約を渡され、目を通しているところだった。
Gとラクリマはリールを送ってキャスリーンの家へ向かうことになり、あとの4人は先に「森の女神」亭に入って待っていることになった。
久方ぶりのセロ村に一同は足を踏み入れた。
途端に、アルトの動きが止まった。
(なんだ、この魔力は……)
アルト――いや、アルトの中でもう一人が、むくりと頭をもたげたようだった。『彼』は正面をじっと見据えた。視線の先には村長の屋敷がある。『彼』はさらにその下方へ目を移した。
(どこかから魔力を感じる。どこだ……地下……か……?)
1分にも満たない時間だったが、ヴァイオラとカインは早ばやと異変に気づいた。カインは咄嗟に指輪を確認した。まだ白かった。
全然動こうとしないアルトを見て、ラクリマもおかしいと感じたらしかった。彼女はアルトに近寄って、「具合が悪いんですか?」と様子を診た。が、とりたてて悪いところはないようで、ますます首を傾げた。
「おい、アルト、行くぞ」
セリフィアは素知らぬ顔で声をかけた。それでも、知らず、きつめの物言いになっていた。
アルトはハッと我に返った。気弱そうに、両目がおろおろと泳いだ。ヴァイオラは内心ホッとした。だが油断はできない。
「……よく目を離さないでおく」
カインが、小声で話しかけてきた。
「うん、そうして」
ヴァイオラも小声で返した。厳しい表情で、「かなり不味い状態だ。目を離さないで」
アルトはもとのアルトに戻っていた。が、頭の裏側で彼はぼんやりと思っていた。
(そういえば、村の地下に迷宮があるんだった……)
それはアルト自身の好奇心だったのか、それとも『彼』のものだったのか、判然としないまま、彼は、地下の迷宮について今度調べてみたいと思うようになっていた。
アルトがまだ村長の家から目を離せずにいるようなのを見て、カインは静かに言った。
「アルト、とりあえず今はおとなしくしておけ。単独行動はしないようにな」
「はい」
アルトはニコニコして答えた。こうして見る限り、『彼』の気配はどこにもなく、いつもの彼のようだった。
少年ならびに青年たち4人は「女神」亭に入っていった。ちょうどバーナードの一団が夕食をとっていた。が、バーナード本人とブリジッタ、二人の息子カーレンの姿はなかった。
ジャロスがこちらを振り向いて言った。
「なんだ、男だけか」
「他の方々だったら、もう少ししてから来ると思いますよ」
アルトは気を悪くしたふうもなく、ニコニコと答えた。それから、奥から出てきたガギーソンに挨拶して、「またお世話になります」と頭を下げた。
一同はいつものように離れの大部屋に入って、荷を下ろした。
一方、リールを背負ったGとラクリマとは、キャスリーンの家までやってきた。
「ごめんください」
ラクリマは扉をノックした。ガチャリとドアが開いて、
「はい」
ブリジッタが戸口に現れた。
「あ。間違えました、ごめんなさい…!」
ラクリマは咄嗟に扉を閉めた。
(……あら? でもお婆さんのお家って、確かここじゃ……)
「間違ってませんよ」と、ブリジッタがクスクス笑いながら、もう一度扉を開けてくれた。後ろからキャスリーンが顔をのぞかせた。
「おお、帰ってきたのかい」
「はい。あ、あの、リールさんが…あっ、ごめんなさい、ご挨拶もせずに。ただいま帰りました。それであの、さっき村の入り口で……」
戸口でラクリマとキャスリーンが言葉を交わしていると、いったん中に引っ込んだブリジッタが、バーナードとカーレンを伴って現れた。
「私たち、お邪魔でしょうから帰りますね」
3人が去ってから、Gはキャスリーンに向かって言った。
「リールが倒れたんだ。今は寝てるだけだけど。どこへ運べばいい?」
「ああ、済まないね。こっちへ…」言いながらキャスリーンはラクリマを振り返り、「あんたもあがってお行き」と家の中へ招き入れた。
リールをベッドに寝かせたあとで、キャスリーンは2人にお茶を煎れてくれた。
「バーナードさんたち、どうなさったんですか?」
ラクリマが尋ねると、キャスリーンは答えた。
「どうということもないんだよ。最近何だかよく来るんだよ。なんてことない、お喋りしかしないんだけれどね」
「そうだったんですか」
「………」
相づちを打つラクリマの傍ら、Gは黙って聞いていた。キャスリーンは続けて言った。
「おかげでずいぶんとブリジッタのことがわかったよ。バーナードはなかなかいい男だね」
Gは内心驚いたが、ここでも口はつぐんだままだった。
帰り際、ラクリマは「リールさん、さっきはひどくお疲れになってましたから、何かあったらいつでも呼んでください」と告げた。キャスリーンは暫し彼女を見つめたようだったが、
「夕方、突然出ていったからね、何かあるんじゃないかと思っていたよ。あんたたちが来るのかもしれないってね」
「私たちが……?」
ラクリマは不思議そうに聞き返した。Gも(この婆さん、どこまでわかってんだ?)と、不審に思った。その婆さんは、ぽんぽんとラクリマを叩きながら、「無事で何よりだよ」と親しみのこもった声で言った。それ以上を語る気はなさそうだった。
「またしばらくお世話になります」
2人はキャスリーンの家をあとにした。
ヴァイオラとガサラックたちは、第二応接室に通された。
(第一応接室は執政官殿をお通ししているらしいな)
ヴァイオラの予想どおり、第一応接室では執政官ヴァルバモルトがガルモートから丁重な応対を受けていた。
そんなことよりも、館に入って気になったことがあった。一つ目は、故アズベクト村長の護衛だった女戦士フェリアがいないこと、そして二つ目は、ガルモートの仲間の魔術師バグレスが書物を読みながら我が物顔で館内を歩き回っていたことである。特にバグレスが資料を読み漁っているようであるのには、穏やかでないものを感じた。
ヴァイオラはふと、先ほどのアルトの様子を思い出した。ここの地下には何かがある。バグレスも同じものを探しているのかもしれない。アルトだろうとバグレスだろうと「巻物」のことは決して知られないようにしなければならない、と、彼女は固く心に決めた。
扉が開いて、ベルモートが入ってきた。簡単に挨拶しがてら、4人にお茶を配った。村長候補のくせに相変わらず下働きのようだ。
「そういえば、フェリアさんの姿が見えないようですが」
ヴァイオラが尋ねると、ベルモートはなぜか嬉しそうな顔つきになった。
「本当は口止めされてるんですけどね」
言いながら彼は喋りたくて仕方ない様子だった。ヴァイオラはずずーっと茶を啜った。
「フェリアさんは契約では『村長の護衛』なんですが、それを強要しようとした兄を『私は村長候補の護衛ではありません』と叱って、出ていってしまったんです」
ははぁ、ガルモートはああいうのが好みか、と、推察しながらヴァイオラは「フェリアさんも大変ですねぇ」と相づちを打った。フェリアは大変かもしれないが、他の村娘たちにとっては安全で結構なことかもしれない。
ベルモートは楽しそうに話を続けた。
「出ていったといっても、この館を、なんですけどね。村には3年間逗留してくださるそうです。まだ契約は終わっていないということで」
ベルモートがそれでも話し足りないようなのを幸い、ヴァイオラは村の近況を尋ねた。
彼は、「いろいろありました」と前置きして、ハイブについて猟師ギルドとヘルモークが調査したところ、どうも村の北側が危険で、南側は安全らしいとわかったことを告げた。木こりも猟師も、今は南側でばかり仕事をしているとのことだった。
それに、と、ベルモートは言った。「今までは無償でバーナードさんが護衛についてくださいましたから、みんな無事でした」彼は、「あのひと、強いですね!!」と、さも感動したような声を上げた。バーナードたちの村内での評価は非常に高いらしかった。
「兄もいろいろ改革しようとしてるみたいですが……」
ベルモートは言いよどんで、話題を変えた。
「カウリーさんもいい方ですね。スコルさんも立派な方ですが、あの方はガラナーク方式でなじめないところがあって……その点、カウリーさんはフィルシム方式ですし、気さくですし。あんな気さくな方だとは思いませんでした」
どうやらカウリーはセロ村でのポジションを着実に固めているらしかった。
(……厄介だな)
ヴァイオラの思惑には無頓着に、ベルモートは話を続けた。
「バグレスさんは書庫でずっと探しものをしているんです。ついでに整理もしてくださってるようですが。何があるんでしょうかね。たいしたものはないと思うんですが」
やっぱり、と、ヴァイオラは自分の危惧が的はずれでなかったことを確認した。しかし今はどうすることもできそうにない。
「グレーヴスさんも、レイビルさんのあとをよく務めてます。二、三人、女性に声をかけてフラレたみたいですけどね」
ベルモートはちょっと笑いながら言った。そのとき、扉が開いて、ガルモートが猟師ギルドのギルド長ベアード=ギルシェとともに入ってきた。
ガルモートは、左頬に見事なもみじの痕を残していた。フェリアに平手をくらったのだろう、だれが見ても一目でわかる鮮やかなアザだった。ヴァイオラは笑いをかみ殺した。
「ご苦労……ん? 一人減ってるな」
ガルモートはガサラックたちを見回して言った。
「スルフト村から親書を預かっております」
ヴァイオラはガルモートを素通りして、ベアードにカークランド村長からの親書を手渡した。ベアードは目を通したあとで、それをガルモートに渡した。
「……なるほど。無事に着いたのはよかった。キミもご苦労だったな」
ガルモートは偉ぶりながら言った。ヴァイオラが、「関所があるのはご存じだと思いますが…」と言うと、
「知っている。だが、キミらの分はキミらで負担してくれ」
と、けんもほろろな答えを返してきた。
「我々の分は自分で負担していますが、彼らの――」ヴァイオラはガサラックたちに視線を向けた。「彼らの分を立て替えてあります」
「むろん、それは猟師ギルドでお支払いする」
ベアードが簡潔に答えた。
ガルモートはむぅと口の中で唸ったようだった。それから気を取り直して、
「君たちの食事は『木こり』亭に用意した。護衛の金だが、支払いは明日に……明日、話があるのでもう一度来てくれ」
いよいよ解雇かと思いつつ、ヴァイオラは承諾した。
「ところで、フィルシムに猟師の募集をかけたのは、いったいどなたですか」
ヴァイオラは硬い声で、アドバイザーとしての威厳を示しながら尋ねた。
「私だ」
予想どおり、ガルモートが答えた。「君たちが帰ってこないとまずいと思ってな」
「それは前村長の遺志にかなり反しているようですが」
ヴァイオラは冷ややかな視線をガルモートに向けた。
「合議制で決められたのなら仕方ないですね」
「………ああ、了承はとった」
やや決まり悪そうに返答するガルモートの横で、ベアードが忌々しげに「あとからだがな」と呟いたのが聞こえた。
ガルモートはゴホンゴホンと咳払いして、「とにかく、ご苦労だった。今日のところは宿でゆっくり休んでくれ」と会見をうち切った。
館を出るとき、ベアードも帰るというので、ヴァイオラは表で彼と少し立ち話をした。
「ガルモートさんを抑えるのは大変ですか」
ベアードは苦い笑いを口元に浮かべた。
「悪い奴ではないんだが……」
「そうかもしれませんが、それは為政者としては通りません」
ベアードが深いため息をつくのが聞こえた。ヴァイオラは話を変えた。
「フィルシムで募集した4人には気をつけてもらったほうがいいかもしれません。どう見てもただのゴロツキですから」
「ああ、私が直々に見るよ。まったく……こんな老人を引っ張りだしおって……」
ベアードはそう言って顔をゆがめた。目の端にうっすらと涙がにじんだようだった。
「……お察しします。何かあれば力になりますから、言ってください」
ヴァイオラは彼をなぐさめると、別れて「森の女神」亭に帰った。ガサラックたちも新居に入るのは明日からということで、いったん「森の木こり」亭に戻った。