1 関所越え
ショートランド暦460年、3月23日の夕刻。
出し抜けにドルトン3人組が「青龍」亭に現れた。
ドルトンはつかつかとヴァイオラの前に歩み寄り、「出発は明日の朝だ」と言い放った。
「準備があるだろうから、出発時刻は一時間遅らせる」
「それはどうも」
ラッキーに知らせに行かないとな、と、思いながらヴァイオラは愛想笑いをしてみせた。
「ドルトンさん、これなんですが」
アルトが用意してあったはちみつをドルトンに見せた。
「ほう……」
ドルトンははちみつを受け取り、眺めたり香りを嗅いでみたり味見したりしたあとで、
「これはいい。上等なはちみつだ。これならお前らの護衛代の足しになりそうだ。……もっとないのか?」
「今はありません。それと、今後は現金で引き取ってほしいんですが」
ドルトンは冷ややかにアルトを見つめて言った。「手数料2割はもらうぞ」
ほどなく彼らは帰っていった。
ヴァイオラはロッツを連れて、トーラファンの館へ向かった。まず、パシエンスの院長に面会し、ジールのために紹介状を書いてもらった礼を述べた。また、ジールが紹介先の修道院へ移ったこと、しかし双方のためにそのことはまだサラに言わないでほしいことなどを告げた。院長はいずれの話にも穏やかに耳を傾け、「そうしましょう」と約束してくれた。
部屋にラクリマがいないようなので、ヴァイオラは「ラッキー」と呼びながら廊下を探して歩いた。少しして、階段から降りてくるラクリマを見つけた。
「ヴァイオラさん? どうしたんですか、こんな夜に?」
訝しげに寄ってきたラクリマに、ヴァイオラは明朝が出発になったことを告げた。ラクリマは少し驚いたようだったが、「わかりました。じゃあ、傷薬を仕入れてからみなさんのところへ行きます」と、肯いた。
明けて3月24日。
昨夜の言葉どおりに薬を仕入れてきたラクリマを加え、ガサラックたちと一緒に、一同は街の大門へ向かった。ドルトンたちはすでに到着し、積み荷の確認に余念がなかった。
「あっ! あの剣は!」
と、若鳥のような声があがったかと思うと、向こうから「セリフィアさーん!!」と、若者たちがセリフィア目掛けて駆け寄ってきた。だれかと思えば、以前、臨時雇いの夜警で一緒になった駆け出し冒険者のグルバディたちだった。
「グルバディ? どうしてここに?」
「名前を覚えてくれたんですねっ!」
「いや、そうじゃなくて……」
「相変わらずすごい剣ですね~、また振ってみせてくださいよ」
「こんなところで……」
(……よくよく男に好かれるコだな)
セリフィアが若者数名にじゃれつかれている様子を見て思いながら、ヴァイオラはドルトンに声をかけた。
「あの若い冒険者たちは?」
「セロ村のほうで新人冒険者の募集があったんだ。彼らも一緒に行く」
ドルトンの答えを聞いて、ヴァイオラはどうやらガルモートが自分たちを解雇しようとしているらしいと、即座に見積もった。
隊商はそれだけではなかった。
一台の馬車の後ろに、30代前半の片眼鏡をかけた男が腰掛け、書物を読んでいた。
「あちらは執政官の方ですか?」
ヴァイオラはまたドルトンに尋ねた。
「そうだ。フィルシムからセロ村へ行かれるヴァルバモルト=ヴァンレーリン様だ。失礼のないようにな」
「ではあっちは?」
ヴァイオラはまた別な方角を指した。あんまりお近づきになりたくない、見るからにゴロツキ風の目つきの悪い男たちが4名、こちらを眇めながら立っている。
「あれか。セロ村からフィルシムに猟師の募集があってな。それに応募してきた人間だ」
それじゃガサラックたちの立場はどうなるんだ、と、ヴァイオラは怒鳴りそうになったが、ドルトン相手に怒っても仕方ないので呑み込んだ。それにしても……思ったよりずっと酷い。ガルモートは勝手なことばかりしているようだ。自分たちの一方的な解雇といい(まだ推測だが今夜の酒を賭けたっていい)、セロ村の合議制が機能していないのはどういうことか。
4人の男たちの中から、代表らしい一人がこちらへやってくるのが見えた。男は二人に会釈し、ドルトンに「このひとは?」と直裁に訊いた。
「こちらはセロ村によくくる冒険者で、ヴァイオラさんだ。お前らの命を守ってくれるひとだから、粗相のないようにな」
ドルトンに言われて、男は興味深げな、それでいて心の奥底まで見通すような鋭い視線をヴァイオラに投げた。その後、急に愛想笑いを浮かべて――心の底から笑っているとは到底思えなかったが――もみ手をしながら、
「メーヴォル=ラルホルリッツです。よろしくお願いしますね」
と、酷く軽薄な感じで挨拶した。変な話だが、わざと軽薄に印象づけようとしたかのようだ。
ヴァイオラは軽く会釈するだけに留めた。
どうみたって彼らは街のゴロツキだ。やさぐれているし、革鎧も弓矢も持っていないから、猟の経験もなさそうだ。食い詰めて話に飛びついた口ではないのか。あるいはガルモートの息がかかった人間なのかも……?
暗澹たる前途への思いを断ち切るように、ヴァイオラは執政官に挨拶しに行った。
「はじめまして。セロ村までご一緒するヴァイオラです。よろしくお願いします」
丁寧に言って頭を下げた。相手は書物をぱたりと閉じると、片眼鏡をキュッとあげて「こちらこそよろしくお願いします」と、丁寧に返してきた。人品卑しからずといった感じで、ヴァイオラは少し安堵した。
「あっ!」
向こうでグルバディの仲間のシーフが素っ頓狂な声をあげた。
「ロッツのアニキ! ロッツのアニキじゃないですか! 無事だったんですか!?」
シャバクという名のそのシーフは、そう叫びながらロッツに迫った。
「あ? あ、いや、あっしはいつも無事ですよ。はっはっは」
ロッツは少々乾いた笑いを振りまいた。
「おい、もう出るぞ」
ゴズトンの不機嫌そうな声で、皆、荷馬車の前後について歩き出した。
夜、夜間警備の順番を決めた。第一直にヴァイオラ、アルト、ロッツ、第二直にセリフィアとカイン、第三直にラクリマとGが当たることになった。
セリフィアが二直と聞いて、グルバディは自分も二直をやりたがったが、仲間の女魔術師ベルテが「グルバディと一緒じゃなきゃイヤ」と駄々をこねるので、二直はしぶしぶ戦士のウォゼーとシーフのシャバクに任せ、自分はベルテと三直に回った。女僧侶のダーレアと戦士のケウィナーが、向こうのグループの一直だった。
夜営に入る前、ヴァイオラはガサラックにアドバイスした。
「あちらが執政官様だから、よしみを通じておくように」
ガサラックは「わかった」と肯きつつ、「それより、向こうが気になるんだが」と、メーヴォルたちをちらりと見た。ヴァイオラはドルトンに聞いたことを伝えたあとで、「確かにあれはまずいね。ただのゴロツキだ」と口にした。ガサラックはそれ以上何も言わなかった。
一直めの夜営中、ヴァイオラはアルトに向かって言った。
「アルト、これから日記を書きなさい」
「日記!?」
アルトは目を丸くした。どこからそんな話が湧いて出たのか、見当がつかなかった。
「そう、日記」
ヴァイオラは噛んで含めるように繰り返した。
「自分が思ったこと、何が好きか、昔どんなことがあったか、何でもいいから、アルトの思ったことを毎日書くの」
「……わかりました」
アルトは素直に提案を受け入れた。「提案」というにはやや強制力が働いていたようではあるが。
ヴァイオラの思惑は、そうやってアルトとしての思いを毎日書き記すことで、アルトの人格が明瞭なままでいればいいというところにあった。クロム=ロンダートを目覚めさせてはならない。
焚き火の向こうでは、ケウィナーとダーレアが話をしていた。男の声が頼りなげに言うのが聞こえた。
「も、もう、街から一日以上離れちまったよ……!」
呆れた、と、いうように女性の声が相手を叱咤した。
「当たり前でしょ! 私たちは冒険者になるのよ!?」
「………」
「………」
ヴァイオラはアルトと顔を見合わせた。
(大丈夫かね、あの若者たち……)
そのとき、闇の向こうに何かの気配と、悪寒を感じた。
(あの…あの足音は…)
「キャリオンクロウラーだ!!」
古い嫌な思い出とともにその名前を思い出し、ヴァイオラは咄嗟に叫んだ。
「敵襲だ! キャリオンクロウラー4体!」
ヴァイオラは叫びざま、百メートル向こうへライト〔光球〕の呪文を放った。3メートルもの体に何本もの触手を持つモンスターが、びっくりしてのびあがったのが見えた。やはりキャリオンクロウラー、腐肉喰らいの長虫だ。
アルトは小魔法の「ホイッスル」を使い、笛の音を響かせて他の人間を起こした。
そのあとは早かった。ラクリマがブレス〔祝福〕を唱えるのと同時に、グルバディのところの女魔術師ベルテがスリープ〔眠り〕を飛ばして2体を眠らせた。ロッツ、それからガサラックたちの射撃でもう一体が沈んだ。残る一体は、あわやというところまで接近してきたが、これまたガサラックとラムイレスの射撃によってあえなく死亡した。
「向こうの2体も止めを刺してきましたから」
セリフィアとカインが戻ってきたのを見て、ヴァイオラはドルトンにそう報告した。
「ああ。では夜直を続けてくれ」
ドルトンが肯く向こうで、メーヴォルか、その仲間のだれかがつぶやいたようだった。
「けっ。いい子ぶって点数稼ぎしやがってよ」
ヴァイオラは何も言わずにその場を離れた。
(……躾の悪い子だこと)
あんなゴロツキに自分がどう言われようと堪えはしないが、彼らをしつけ直さなければならないベアード=ギルシェや猟師ギルドの面々が気の毒だった。
3月29日。
昼間、ネズミの大群が道を駆け抜けるのに出会った。
夜、例の場所に来た。ロビィの荷馬車はますます風化したようだった。嘆きの痕まで風化しそうだ。だがそうはするまい。
ヴァイオラはツェーレンに酒を供えた。グルバディらもセリフィアから説明を受け、神妙な顔で祈りを捧げていた。ドルトンたちもこの場では大人しかった。
3月30日。
セロ村まであと3日となった。
昼間、街道のど真ん中に大きな建造物が見えてきた。木で編んだ柵だ。いや、柵というよりも砦に近い。その前に巨大な狼が2体、いる。
「わっ、せこい!!」
ヴァイオラは思わず叫んでいた。彼女は思った。
(こんなことする力があるなら、自分たちの問題を何とかしたら?)
予想に違わず、そこは狼族の関所だった。いったい建設にどれだけの労力を費やしたのか。柵の真ん中には簡単な門があり、その上に立っている男が一行に向かって呼ばわった。
「私はジュダ! ここを通る者には、一人5gpの通行料を支払ってもらう。払わなければ我々の糧となってもらう」
呆れてモノも言えなかった。とりわけ、同じ獣人であるGは心から怒りを覚えていた。
(誇り高い獣人族が人間の真似事とは情けない!)
それも長所を真似するならともかく、短所の、卑しい部分を真似するなんて……。
「どうする?」
一同は顔を見合わせた。
ヴァイオラはまずドルトンにどうするつもりか意向を尋ねた。彼らは払うつもりだった。
「あの若い冒険者たちと、フィルシムからの猟師希望者たちの分までは私が支払う。だがお前たちの分まではもてない。自分で支払ってくれ」
ドルトンは突っけんどんに言った。
ヴァイオラは仲間の元に戻り、払うかどうするか相談した。ここで奴らに戦いを仕掛けてもいいが、何しろ今は大人数だし、荷物もある。それに、と、ヴァイオラは思った。
(これが獣人対人間の争いの引き金になったら困る)
ガサラックが困ったように言う声が耳に入った。
「5gpなんて大金、俺たちにはとても支払えない」
「君たちの分は私たちが支払っておく。猟師ギルド宛の貸しにしておくよ」
ヴァイオラはそう言ってガサラックたちを安心させた。
「払うのか? 賢明だな」
狼族の獣人は蔑むように一同を見渡した。だれも何も答えず、ただ黙々と門を通り抜けた。
「あいつだ」
と、いきなりセリフィアが、門の後方に控えるダイアウルフたちの一体を指して言った。
「ガーウくん?」
ヴァイオラが呼びかけると、そのダイアウルフはビクッと身をすくめた。あまりに怯えた様子をしているので、「今日のところは見逃しておいてあげるよ」と言って通過した。
Gは大きくてふさふさなガーウのことを気に入っていたので、敵対せずに済んで安心した。怒りを鎮めて考えるうち、(虎族はいないし、いっそ、狼族がセロ村に越してきて一緒に生活できたらいいのに……)と思うようになった。だがこの考えはだれにも話さなかった。
それにしても……こんな高額な関税がかかるようでは、セロ村に隊商が来られなくなってしまう。何か手を打たなければならないだろう。
この日の夜から、新月期に入った。鬱期の到来である。Gもセリフィアもむっつりとして、ほとんど喋らなくなった。このあと村へ着くまで、怪物に襲われなかったのは幸いだった。
4月1日。
この日は年に一度の夜日だった。一日中、太陽も月もその姿を見せず、暗闇の中で過ごさなければならない日である。女神エオリスの恩恵がない日と見なされているため、ショートランドの人間には忌み嫌われる日であった。
魔法と松明の灯りを両用して移動した。弔いのように、一行は闇を縫って黙々と進んだ。
朝と晩には祈りを捧げる時間を取った。ドルトンですら、この日ばかりは香木を焚き、真面目な顔でお祈りをした。




