間奏 渡る世間
3月22日、昼。
トーラファン邸からパシエンス修道院の焼け跡へ戻る道すがら、ヴァイオラはあることを思い出した。彼女は館へ引き返し、受け入れ態勢を整えるのを手伝う傍らさりげなく尋ねた。
「マウエッセン? とかの娘って、今、どうしているんですか?」
トーラファンの返答はあまり頼りにならないものだった。
「しばらくはラストン預かりになっていたな。でもラストン崩壊以降どうなったかは知らん。ハイブ騒動のときには、優秀な魔術師も多く犠牲になったからなぁ。生きていても不思議ではないし、死んでいても不思議ではない。そんなところかな」
ヴァイオラはクロム=ロンダートの嗜好についても尋ねてみたが、元同僚のくせにこれまた「知らない」と返され、得るところはなかった。
なんだか夢を見ていたらしい。
ラクリマは揺り起こされて、ぼろぼろと泣きながら目覚めた。Gの心配そうな顔が目の前にあった。
「……Gさん? カインさん? 私……?」
ぼんやり見回すうちに、自分がどこにいるかわかってきたようだった。慌てて飛び起きた。
「私、寝ちゃったんですか…!?」
「いいじゃないか。一晩中起きてたんだろう?」
Gは、「寝て何が悪い」といった口調で彼女を弁護した。それまで黙っていたカインが、
「トーラファンさんの屋敷に仮住まいするので、これから移動するそうだ」
言いながら、彼女を立たせてやった。
向こうでは大人たちが、何か拾っていくべきものがないかと、焼け跡を点検していた。少数の金属器や銀製のイコン枠と、石の柱以外はすべて洩らさず焼き尽くされているとわかったので、結局、その場で持ち出した身の回り品だけを持っていくようなことになった。
「悪いが『赤竜』亭に行くから、ここで別れよう」
Gは、トーラファンの館には行きたくなかったので、仲間に断った。セリフィアはすかさず「宿まで送っていこう」と申し出たが、「大丈夫だ。ひとりで帰れる」と、Gに断られた。
「そうか」
彼は振り返った先で目についた小石を蹴った。その様子を見て、ラクリマがやや遠慮がちに口を開いた。
「あの、こちらは大丈夫ですから、皆さん、どうかご自分のことをなさってください」
「いや、少しぐらい手伝わせてくれ。世話になったんだから」
カインがそう言うのを聞いて、セリフィアも気を取り直した。そうだ、ここにはとても世話になった。だから、自分も何かを返したいと思っていたじゃないか。
「じゃあ気をつけてな、G。あとで会おう。カイン、向こうを手伝おう」
セリフィアは、Gに声をかけてから院長やサラのいるほうへ歩き出した。Gはその彼の背中を何か言いたげに見ていたが、やがて足を宿のほうへと向けた。
アルトもこの時点で皆と別れて「青龍」亭へ帰った。トーラファンの館には近づかないほうがいいと、釘を刺されていたからだ。彼は宿に戻って、小魔法でドルトンに見せるはちみつを作り出した。そのあとは静かに部屋で過ごした。
修道院の引っ越しには半日かかった。荷物はたいしてなかったのだが、人間の移動そのものに時間がかかったのだった。それでも昼前には住み替えも終わり、ラクリマは午後から焼け跡へ後片付けに向かった。手伝いにきてくれた近所の人びとも交え、焼け崩れて瓦礫となり果てた煉瓦や石組みを、台車に積んでは捨てに行くという単純作業を繰り返した。
引っ越しと片付けを一通り手伝い終わり、セリフィアとカインは二人で宿へ戻った。
市中を無口な相棒と歩きながら、カインはスルフト村でのことを思い出していた。
(あのとき……他の人間は気づかなかったようだが、こいつは、ガサラックの仲間に殺意を向けた。彼がブルードリングになっていたから……ハイブに対する憎しみがそうさせたのかもしれない。だが――――)
ちょうどいい機会だから、と、カインは相方に話しかけた。
「最前から気になってはいたが……。助けられる術を持ちながら、被害者の家族の前でもなお、ああいう行動をとれるのなら構わん。だが、それは仮にもハイブに家族を奪われた者に相応しい態度とは到底思えないが」
セリフィアは面食らったようだった。
(助ける手段を持っている? 俺たちが?)
セリフィアの脳裏を苦い思い出が過ぎった。あの、レスタトを失った戦闘……自分の無力さを嫌というほど思い知った、そのときの。
少し考えてから、彼は口を開いた。そして今度はカインが驚く番だった。
「助けられる可能性、か。俺はまだそこまで自分の腕を誇ることはできないな。できたてのコアでさえ、我々の損害は予想以上だったんだ。助けることを最優先に考えれば必ず他にしわ寄せが来る。俺は救助よりも二次被害を出さないこと、いってしまえば敵を全滅させることを優先させる。その中で助けられたら、助けてもいいぐらいの気持ちでしかない」
カインは唖然とした。単に憎しみに目がくらんでいたと、見境いがつかなくなってしまっていたと言われたほうが、よほどよかった。
助けられたら、と言うが、決着のついたあの状況下にあって、ブルードリングに殺意を向けたのは、だれあろうお前じゃないか、セリフィア。その彼の言葉が続く。
「これはだれを目の前にしても変わらん。……あの姿を見ると、人に戻る可能性よりもハイブへの憎悪が先にたつというのが本音だがな。ついでに言ってしまえば、俺は仮に戻ったとして普通に暮らしていけるかどうかにも疑問をもっている。その傷跡は神の力をもってしても完全に消し去ることはできないのだ。周りは勿論、本人の正気がいつまで維持できるか…という点でな。それだったら、いっそのこと人としての姿の記憶の中で死を迎えさせるというのも悪くないと思っている。これは俺個人の考え方なのでだれかに強いるつもりはないが」
カインは自分の語るべき言葉を探した。
セリフィアの言うことは一見筋が通って聞こえる。だが違うのだ。
足りないのだ、決定的に、何かが。
何か……そう、周囲の者の心を思いやるということが。どう言い表そうと、彼はただ自分のためにブルードリングを殺すに過ぎない。少なくとも傍目からはそうとしか見えない。
(それにお前は勘違いをしているよ)
殺すことほど簡単なことは無い。
本当に辛いのは、生きていたいのに、生きねばならないのに死んでいくことだ。
「……酔狂だな。見ず知らずの他人の命にまで責任を持つつもりか? 心がくじけたならそこでそいつは終わりだ。放っておけばいずれ死ぬ。それをアンタが殺してやるのはアンタなりの優しさなりかもしれないけどな、そいつの家族もそう思ってくれるのか? ……恨まれ、罵られるのがせいぜいだろうよ」
セリフィアは聞きながら思った。
(責任というなら助けるのだって同じだ。それに相手の家族がどう思おうが俺には関係ない)
「セリフィア。アンタは自分が持っている力の強さを自覚すべきだ。アンタの剣が並外れた凶器だってことを、今のアンタの立場ってものを自覚すべきなんだ」
セリフィアはさらに困惑した。
10フィートソード――これがどうだというんだろう。必要とあらば人間は果物ナイフでだって相手を殺す。殺意の、殺人衝動の激しさは、凶器の大小には左右されない。
「アンタは紛れもなく主戦力で、決定力だ。戦術の基本がアンタとその剣にあることはわかるよな? そのアンタが、だ。子供じみた言動で仲間の立場や心証を悪くしてどうする? 仲間内ならどんなことを言っても別に構わない。でもな、周囲の耳目があるところであんなことを言ってみろ、それを聞いた連中はどう思う? ヴァイオラみたいに懐の広い奴は稀有なんだぜ? 本当に守りたいものがあるなら、本当に守る気があるなら、不必要なトラブルは起こすな。つまらん恨みは買うな。どこのだれが敵で味方かわからないこのときに、無意味に敵を増やすんじゃない」
カインから見れば、セリフィアは気に入らないことを腕ずくで解決しようとする子どものようなものだった。暴力には暴力が連鎖する。剣を抜けば相手も抜くし、そうすれば流血沙汰だ、その結果に何の意味がある? ましてやユートピア教に狙われているこの状況下で、自ら敵を作るなど論外だ。危険な状況を作り出さないこともまた、「守る」ということ。そんな簡単なことが何故わからない!
セリフィアは胡乱な目を向けた。彼は半ば聞いているようで聞いておらず、見ているようで見ていなかった。
(守る……? 守りたいものってなんだ。俺の家族はとうに失われた)
魔法以外の、自分の力で家族を守ること、それが戦士になった理由だったのに。
「いいか、セリフィア。アンタがその気になりさえすれば、そしてやり方さえ間違わなければほとんどの奴は殺せるんだよ。それだけの力がアンタにはある。だから自覚しろ! その剣の存在が、それを振るアンタがどれほど恐ろしいものか。他人にどう見られているのか」
あのとき――セリフィアが殺意を向けたとき、カインにはブルードリングがアルトーマスに見えた。カインとジェラルディンを救うために盾となった彼。それなのに殺すというのか。だから許せなかった。見過ごせなかった。オレノ目ノ前デ、仲間ヲ殺ソウトシタコイツヲ。
「そして決して忘れるな! 俺たちは壊せても、治せやしない。……アンタだけでも守ってやれよ。大切なものを……」
何を守れというのか。
「今さらだれに何を思われようと構うものか。俺はラストンに住んでいたんだぞ。守るものなんか――」
そう言って、セリフィアは少し口ごもった。歌の欠片を思い出した。
あの日は前日の陰鬱さを払うかのような暖かさだった。陽の光が背中を押した。立ち止まることは許されない。前に進まなきゃ。その思いだけで、川原で一心不乱に剣を振るった。聞こえてくるのは鉄塊が空を切る音だけ。
と、歌声が入り込んできた。穏やかな歌声。いつしかそれに耳を傾けていた。何かから解放された気がした。素振りを楽しめるだけの余裕が出てきていた。
……気がつくと歌声は聞こえなくなっていた。Gは眠っていた。起こしたくなかった。剣を止めて傍らに座った。かすかに吹く風が、目の前を覆う暗い霧を運び去っていた。
半分人間ではないと言われたときもそうだ。そう聞いても、ああ、そうなんだとしか思わなかった。どうでもよかった。だが、彼女は。――そのことを告げると、半分おそろいだと喜んでくれた。自分と同じことをこんなに喜んでくれた人はいなかった。嬉しかった。
セリフィアはやっと口を開いた。
「…そうだな。守りたいものを守れなくなるのは困る。これからは気をつけよう」
ここにいていいって、だれかに言ってもらえるのをただ待っていたって仕方ない。そう言ってもらえるような自分になろう。その人に――彼女にいつか、言ってもらいたいから。
セリフィアのしっかりした口調に、ようやくカインも落ち着いたようだった。カインはそっと剣の柄に、そこに下がる二房の遺髪に、触れた。今度こそ仲間を守ると、無言で誓った。
Gはパシエンス修道院から宿へ戻り、向かいの「赤竜」亭に入って昼ご飯を食べた。夕方になったら歌を歌って少しでも稼ぐつもりで、それまでの間はここで情報収集しようと聞き耳を立てた。特に、エイトナイトカーニバルの情報がどう普及しているかが知りたかった。
エイトナイトカーニバルの情報は「やや一人歩きの感あり」といった塩梅だった。以前より確実に廃れたようで、噂の根元はなくなったらしい。Gは安心して、「青龍」亭に帰ったらみんなに報告しようと思った。
夕方から彼女は歌を歌いだした。稼ぎはまずまずだった。
ふと、気づいた。奥のテーブルにセリフィアが座っている。手前にジョッキがあるが、彼が酒類を飲むわけがないからお茶か何かだろう。
(うわっ、恥ずかしい……)
Gはまずそう思い、自分の今の格好を見直した。彼女は、実入りがよくなるようにと、宿の主人から借りたドレスを着ていた。胸が広く開いており、下の裳にはひらひらとフリルが施されている。「女装」みたいで、彼に見られるのは恥ずかしかった。
(どうしてここにいるのかな。パシエンスのことがあったから、心配で迎えに来たのかな)
迎えといっても、道を挟んで真向かいの宿から宿に移動するだけなのだが。
もっとも、5分であろうと1分であろうとも、このフィルシムでは事故や事件が起きるには十分な時間だから、「どうして来たんですか」とは聞かずにおいた。
セリフィアはGの歌を聴きながら、ただそれが終わるのを大人しく待っていた。せっかく酒場にいるのだから情報収集でもしたらどうかという向きもあるだろうが、そもそも酒の臭いがだめな彼にしてみれば、酒場にじっとしているだけでも誉めてほしいくらいだった。それに、自分は他人からあまりよく思われないようだから、下手に手を出すよりは揉めごとを起こさないように静かにしていたほうがいいだろう。
Gが着替えて出てきたので、セリフィアは立ち上がって「一緒に帰ろう」と申し出た。Gは頷き、セリフィアと並んで「赤竜」亭を出た。宿に入る直前に、Gはセリフィアに尋ねた。
「明日もサラさんの手伝いですか?」
ラクリマは、夕方、トーラファンの館へ戻った。へとへとだった。夕食の準備をしなければならなかったが、その前に少しだけ、一人になりたいと思った。他に知っている場所がなかったので、以前に写本の仕事をしていた図書室に足を向けた。
図書室にはだれもいなかった。ラクリマはまるで目の前にトーラファンがいるかのように詫びを言ってから部屋に入り、半刻ほどぼんやりと過ごした。
(……夕食の支度を手伝わなきゃ)
腰を上げて図書室から出るや、フィーファリカとばったり出くわした。
ふと思いついたように、ラクリマはフィーファリカに尋ねた。
「フィーファリカさんは……ここにいて幸せですか?」
フィーファリカは満面の笑みを浮かべ、即答した。
「はい! ご主人様はとってもよくしてくださいますし、私のことを大切にしてくださいます。私はご主人様の元に生まれて幸せです」
ラクリマは知らず、ほっとしたような表情になった。
「そうですか。ありがとうございました」
それだけ言ってその場を離れた。
カインはセリフィアが「赤竜」亭に行ってしまったあと、近くの酒場に潜り込んで冒険者たちや町の人びとの話に耳を傾けた。
気になったのは、
「最近街道で狼族の奴をよく見かけるって」
「獣人っていなくなったんじゃないんだ」
「とんでもない。街道でよく襲われるんだと」
という会話と、
「ラストンは本格的にダメだな。壊滅したって話だぞ」
「だからか。商人ギルドが食糧の買い占めをしているって話もあるしな」
「宿の飯代もあがるし、やっていきづらいな」
という二つの会話だった。特に後者は、また生きにくくなるなと思って、聞きながら彼も顔をしかめた。
ヴァイオラは夕方、ロッツの報告を受けた。彼は盗賊ギルドでピタリとジールの行方を洗い出してきたのだった。彼女は彼を労い、明日、その近辺まで案内してくれるように頼んだ。
Gは夕食のときに、エイトナイトカーニバルの噂はもうフィルシムでは流れていないらしいと仲間に伝えた。それから部屋に戻り、考え考え一通の手紙を書いた。
3月23日。
Gとカイン、それにセリフィアは朝からパシエンス修道院跡へ出かけた。ラクリマや他の修道院の人びとはもう働いていた。Gとカインは彼らに合流して片づけを手伝い始めた。
ヴァイオラもパシエンスの院長に会いに行くため、焼け跡まで同道した。院長はトーラファンの館にいるらしく、ヴァイオラはロッツを連れてそこからトーラファン邸へ向かった。
セリフィアは、昨日、パシエンスのサラに許可を得たので、隅にある家庭菜園で麦と芋とを育てる準備にかかった。
昼になる少し前、Gはラクリマにサラ宛ての手紙を彼女に渡してほしいと頼んだ。ラクリマは快くそれを引き受け、ついでにGにブラスティングボタンを見せた。
「何かのときのために、覚えていたほうがいいかと思って」
ラクリマはセリフィアにもボタンを見せた。今朝方ロッツにも見せたので、このボタンを見ていないのは、あとはアルトだけになった。
Gは昼ごろ修道院を抜け出して、戦闘技能の訓練道場へ向かった。エリオットに会うためだった。
「わざわざ、連日私のところに来てくれるなんて、私のことが忘れられなくなったかな」
エリオットは嬉しそうに言った。冗談ではなく、本気でそう思っているようだったが、Gはそれも気にせず、エイトナイトカーニバルの迷宮について、この間より詳しく聞きたいと頼み込んだ。エリオットはGにうまく乗せられ、
「ホントは、ギルティに口止めされてるのだが、愛しのGのためならば、話そう」
そう言って語りだした。
エイトナイトカーニバルの迷宮では、8つの部屋の試練を受けなければならない。試練の順序は自由だ。力押しできるところもあれば頭脳労働が必要なところもある。あまり無理をせずに休養を取りながら進められるが、いったん外に出ると二度と中に戻れない。
8つの部屋のクリスタルを集めて所定の場所に置くと制覇したことになり、魔法の物品が手に入る仕掛けだ。アイテムの箱は16個あり、一カ所はすでに空いていた。エリオットたちも成功したので、今では二カ所が空いていることになる。
彼は親切にも簡単な地図まで描いてくれた。迷宮の入り口を探すには『石』を探すことだ、とも教えてくれた。だがこれ以上は契約に反すると、残念そうに告げた。
「これ以上はいかに君とはいえ話すことができない。ああ、何と悲しいことか」
エリオットは大仰に悲しんでみせた。ついで、Gの肩を抱き寄せようと手を伸ばした。
「エリオット!」
Gは彼を叱りつけ、その手をぴしゃりとはたいた。それから怒ったように、
「この間から気になってはいたのだが、ガラナークの成人男子が許可も得ずに女性に触れるとは節度がなさすぎる! 騎士にもなろうという立派な男子はもっと高潔でなければ。相手の身分がどれだけ低かろうと、自分にとってどれだけくだらなく思える存在であろうと、女神の形代に敬意を表してこそガラナークの騎士。フィルシム傭兵のようなマネをしてはいけない!」
一気にまくしたてた。
説教が終わったところで、エリオットが口を開いた。
「では、祖国ガラナークのためにも、君に認められる男になろう」
(……は?)
Gはエリオットが何を言ったのか、理解できなかった。
と、彼はいきなり跪いて、Gの手の甲に接吻した。それからにっこり微笑み、ゆうゆうと修行場のほうへと戻って行った。
(……通じてない。……絶対に通じてない)
残されたGは呆然と立ちつくした。
「今日はアルトさんはいらっしゃらないんでしょうか?」
ラクリマはセリフィアに尋ねた。
「ああ、なんか宿でやることがあるって言ってた」
「そうですか……」
ラクリマは礼を言ってセリフィアから離れた。アルトのことを聞いたのは、彼にも借用中のブラスティングボタンを見せようと思っていたからだ。ラクリマとしてはできるだけ早くトーラファンに返したかった。
昼の休憩時に、「私、ちょっと『青龍』亭まで往復してきます」とラクリマが修道院の仲間に断っているのをカインは聞きつけた。彼は武器を手に取り、背後から声をかけた。
「危ないから俺も行こう」
ラクリマは振り返った。ややためらうような気配を見せたが、「お願いします」と結局は好意に甘えることにした。
アルトは宿の部屋で熱心に本を読んでいた。ブラスティングボタンを見せられると、手に取って「これが…」と熱心に見つめた。
「貴重なものをありがとうございます」
アルトから丁寧にブラスティングボタンを返され、ラクリマはこれで今晩トーラファンに返却できると思ってほっとした。
修道院へ戻る道すがら、彼女は今度はカインにあることを尋ねた。直接の関わりはないのだが、ずっと気になっていたことだった。
「あの……気になってるんですけど……他のお仲間はどこにいらっしゃるんでしょう?」
彼女は少し遠慮するような口調で続けた。
「その……ジェラルディンさんは何かおっしゃってませんでした?」
カインは別にラクリマの言葉に傷つくふうもなく、ちょっと考え込む素振りを見せた。
「他の皆はフィルシムで静養中、とのことだったが……おそらくはジェラと同じように操られているだろう。本当にあいつら、今ごろどこに――……!?」
やにわに、彼はハッとした表情を見せた。
「そう言えばジェラが言っていた。『ファザードさんの世話になっている』と。ファザードとはもしや……」
最後はほとんど独白だった。それを聞き咎めたラクリマは、
「ファザードさんって……? どなたかお知り合いですか?」
カインは簡単に説明した。どうやらジェラルディンにハイブを運ばせた一団の代表らしい。
「……ロッツさんに聞くか、ヴァイオラさんに相談したほうがよくありませんか?」
「………」
カインは考え込んだまま、答えなかった。それでこの話はここで途切れた。
ヴァイオラはロッツを連れてトーラファン邸へ行き、クレマン院長に会ってある頼み事をした。それから変装して貧民街へ向かった。
ロッツの情報どおり、その路地には目的の女性、ジールがいた。ひどくやつれた様子で、疲れ切っている。他にも数人の親子連れがいたが、彼女は他と離れて座っていた。そばに2歳ぐらいの彼女の子供がおり、日がさんさんと当たる中を一人で元気に遊んでいる。よく母親に叱られていたが、小言の半分は八つ当たりに近かった。
「では、あっしはここで失礼させていただきやす」
ロッツは小声で囁いた。すっとヴァイオラのそばから離れ、そのまま姿を消した。
ヴァイオラは二人にさりげなく近づいていった。子どもに笑顔を向け、あめ玉をやって機嫌をとり、一緒に遊び始めた。
最初のうちは見ているようで見ていなかったジールだったが、見かけない女性が娘に近づいていることに気づき、楽しそうに遊んでいた娘の腕を引っ張って引き離した。娘は痛そうな顔をしたが、慣れているのか泣きはしなかった。
「あんた、私の子になんか用?」
彼女はそう言ってヴァイオラを睨みつけた。
「あら、ジールじゃない久しぶり! ほら、私よ、ヴァイオラ!」
ヴァイオラは明るく切り出した。
(ヴァイオラ? そんな知り合いいたかしら……)
ジールの顔に戸惑いが浮かぶのを彼女は見逃さなかった。
「やだ、忘れちゃったの? ほら、あそこの店で」
と、ロッツに聞いていた酒場の名を出して、
「ホント久しぶりよね。あなたも元気みたいじゃない?」
にこにこしながら娘の頭を撫でつつ、畳みかけた。
「最近どうしてたのよ。あのあとずっと見かけなかったから気になってねー。いい天気だし、ちょっと散歩でもしない? あっちでさっき美味しそうな匂いがしてたわよ」
ひたすら親しそうにしながらぐいぐいとリードをとった。
ジールは相変わらず訝しがっているものの、知っている店の名前が出てきて多少警戒を解いたのか、ヴァイオラに押し切られるかたちになった。娘のほうはそんな母親の姿を怖れと不安の入り交じった表情で伺っているようだ。
ヴァイオラは二人を近くの広場に誘い、くず肉の屋台で串焼きを自分とジールに買った。子どもにはミートボールの付け合わせに売られていたトウモロコシパンを買ってやった。
適当な場所を見繕って並んで座り、それらをパクつきながらしばらく雑談した。その中で子どもの名前はアズというのだとわかった。
しばらくして、ジールはまた疑いを蒸し返してきた。
「ところで、あんただれだっけ? なじみの客じゃないし、女のひとにこんなに優しくされる覚えはないけど」
「あはは、やだなぁ」
ヴァイオラはぱたぱたと手を振り、
「そんな小さいこと、気にしないでよ。私は気にしないからさー」
と、笑顔でジールの肩を叩いた。だが相手の表情は晴れなかった。彼女本来の性格なのか、このところの荒んだ生活のせいなのか、ジールはすっかり疑心暗鬼になっているようだった。彼女は再び口を開いた。「何が目的? もしかして人買い?」
ヴァイオラはふいに真面目な顔になり、ジールの目を真っ向から見返した。
「私は……そう、あなたにとっての道しるべ、かな」
アズの頭を撫で、ちょっと笑ってみせた。
「道しるべってね、おおまかな行き先が書いてあるでしょ。人はそれを見て自分の行きたいほうへ歩いていくわけ。――道しるべはただそこにあるだけで、その道を行くかどうかは歩く人が選ぶべきこと」
手にした串で地面にY字を書きながら、
「こっちの道は今まで通り、アズを育てながら貧民街での生活。で、こっちは私が指し示す道、ちっこい修道院に下働きとして、アズと一緒に住み込みで生活」
ジールに目を戻し、尋ねた。
「どっちの道を進む?」
少しの間があった。
ジールは何とも言えない表情を浮かべつつ、やっと口を開いた。
「修道院が、勧誘を行わなければいけないほど人手不足になるとは思えないけど……別に今の生活に満足しているわけではないけど、あんたのメリットは? あんたの話に無条件で飛びつくほど、馬鹿じゃないわよ」
言葉は悪いが、瞳は真摯そのものだった。自分の真意を探ろうとしているのだと、ヴァイオラは思った。彼女は、「自分の身内がとある人に恩を受けたが、その人はずっとジールが幸せに暮らしているか気にしていたので、恩を返す意味でもちょっとお節介をした」と簡単に説明した。また、本当はもっとゆっくり知り合いになってから話をもちかけたかったが、自分がもうすぐこの街を離れなければならないので急いだことも言い足した。
ジールはヴァイオラの話をとりあえず信じたようだった。
「今の生活よりはましになるでしょ。いいわ、行ってみる」
と、頷いた。
ヴァイオラはジールを伴って斡旋先の小修道院へ向かった。面通しを済ませ、娘のアズをその場に預けてから元の住処へ荷物を取りに行き、再び修道院に戻ったころには、すっかり日も暮れようという時分になっていた。そこまで見届けたところでヴァイオラは手紙を取り出し、ジールに渡した。
「気が向いたら読んでみて」
手紙にはセロ村の近況と、「ジールを気にかけていた人」がサラで、パシエンス修道院にいることなどが書いてあった。
ヴァイオラはサラのことは言わなかった。話をすればジールは引け目を感じずにはいないだろう。それよりは心身共に落ち着いて、自分から会いにいく決心がついたらそのときに会いに行けばいい。サラにもこの件はしばらく話さないつもりだった。
あとはジール本人に任せることにして、ヴァイオラはいったん宿に引き上げることにした。クレマン院長に礼を言いに行くのに、だれかを供に連れていこうと考えたからだ。
今朝方、ヴァイオラが「どこかの修道院関係で、住み込みの母子を雇ってくれるところはないですか」と頼んだとき、クレマン院長は何故とも聞かずに答えた。
「来るもの拒まず、去るもの追わず、ですけれどね」
生活は厳しいし、溶け込む努力もそれなりに必要で、肌が合うかどうかは本人次第ですよ、と言われたが、それでも頼んで紹介してもらった、それがさっきの小修道院だった。
ヴァイオラは「青龍」亭に戻った。2階へ階段をあがっていこうとしたとき、上からエステラが泣きながら降りてきた。ヴァイオラにも気づかず、そのまま宿を出ていった。階段を上りきると、部屋の扉の前に、得も言われぬ表情で立ちつくすセリフィアが見えた。
(何をやってるやら)
何をやってお嬢さんを泣かせたものか、あとで聞こうと思いながら、彼女は部屋に入った。
ヴァイオラが帰る半刻ほど前、エステラが宿の部屋を訪ねてきた。
不在のはずでは、と、驚くセリフィアとアルトに彼女が説明したことには、先日応対した店の丁稚は新米で、暦を見間違えて「いない」と言ったらしい。実際にはエステラはあのとき、ちょうどセリフィアに頼まれたものを仕入れに行っていたという話だった。
エステラはセリフィアに近づき、他の人間に聞かれぬよう声を潜めて、あるものを差し出した。
「セリフィアさんに頼まれたモノを持ってきました。これは私が初めて最初から最後まで自分の力で仕入れました。お気に召すかどうか……」
それは胡蝶ランの株だった。セリフィアは喜んで代価を支払った。それから、両手剣を下取りに出したいこと、弓矢を一式購入したいことを告げた。彼女はどちらも了承し、普通の弓ならすぐに用意できるから今晩にも届けさせると、親切にも約束してくれた。
セリフィアは礼を言いつつエステラを送りがてら、部屋の外に出たところで内密の相談があると頼んだ。エステラはお付きのミットルジュ爺さんに1階で待つよう頼み、自分はセリフィアの言葉を待った。セリフィアは一つ深呼吸してから、「あなたに女性としてアドバイスを求めたい」と、話しだした。
「仮に、だ。特になんとも思ってない男から気持ちを伝えられたとして。あなたはどう思い、どう対処する? 率直な感想を聞かせてほしい。それは、仮令どうでもいいような男からでも伝えてもらったほうがよいものなのか? あるいは、いろいろやりにくくなると面倒だから黙っててもらったほうがよいものなのか?」
セリフィアの表情は真剣そのものだった。内容の真意はともかく、それだけは十分に伝わったはずだった。
彼は必死の面持ちでエステラの返答を待った。
だが結局、答は得られなかった。
彼女は少し驚いたあと、あからさまに困惑した顔を見せ、やがて大粒の涙を流し始めた。
「ごめんなさい。言われている意味がよくわからなくて。あなたの真摯な態度を見ていると、なんだかあの人を思い出してしまって……ごめんなさい」
と、涙を拭くや、そのまま足早に去ってしまった。
今度はセリフィアが困惑する番だった。彼は激しく困った顔をしてその場に立ちつくした。
(何も泣かなくてもいいのに……)
そうして戸惑いながら部屋に入ろうとしたところを、ヴァイオラに目撃されたのだった。
部屋にだいたい全員が揃ったので、みんなで「青龍」亭の1階に降りた。ヴァイオラもトーラファン邸へ行くのは食後で構わないだろうと思い、先に夕食をとることにした。
「これ、Gさんから渡してほしいって頼まれました」
ラクリマはトーラファン邸に帰ってすぐ、サラに手紙を渡した。それは紙を折り畳んで紐で結んだもので、外側にも「サラさんへ G」と書かれていた。
サラは(何だろう…)と訝しく思ったものの、それを顔には出さず、「ありがとう」と笑顔で受け取った。彼女はすでに食事を済ませていたので、自分にあてがわれた個室に戻り、手紙を開いてみた。
手紙にはかっちりした字で、こう書かれていた。
サラさんへ
私はラクリマさんの旅仲間のGといいます。
約束が嘘になってしまいました。
ラクリマさんを守れませんでした。
敵からラクリマさんの身体は守ったけど、私がラクリマさんの知りたくないような昔の事を考え無しに教えてしまって、そしたらラクリマさん笑ってました。
そのあと、後悔して謝ったら「なにがですか?」って聞かれました。
そういう風に辛い事を無かった風にしちゃう人が、ガラナークでは一番発狂しやすい人だから、とても心配です。ラクリマさん壊してしまったかも知れません。私が言った事はラクリマさんにとってとても辛い事だったみたいなんです。
私はラクリマさん大好きだけれど、私はラクリマさんの特別じゃないから、ヴァーさんが言うみたいに「クレリックたる者の試練」って信じて見まもるのが一番良いんだと思います。
でも、サラさんには、ちゃんと信頼している人には、どうしてもの時、弱みが見せられるんじゃないかと思うんです。私が言うのはおかしいですが、どうか、ラクリマさんを助けてください。どうかおねがいします。
G
読み終わって、彼女は(返事を書かなければ)と思った。だがすぐにはいい文面が思い浮かばなかった。夜中まで何度か推敲を重ねて、やっと返書を書き上げた。
明日の朝、ラクリマに渡してくれるよう頼もう、そう思いながら彼女は、目の前にいないラクリマに心で語りかけた。
(いい友だちを持って、よかったね)
彼女の負ったものが何でありどれだけ重いかは自分には測り知れないけれど、いい仲間がいれば、きっと大丈夫。きっと。
Gからの手紙をきちんとしまうと、サラは部屋の灯りを吹き消した。




