8 手配
3月22日、朝。
一同が「青龍」亭で食事していると、警備隊隊長のルブトン=フレージュが入ってきた。
「おう、いたいた。お前らが戻ってきたって聞いてな」
ルブトンは気さくに声をかけ、すぐそばの席に腰を下ろした。
「その後、アレがらみの情報はないか?」
ルブトンの「アレ」とは「ユートピア教」のことらしかった。ヴァイオラは答えて言った。
「ないねぇ。とりあえずスルフト村でコアをひとつ潰したけど」
「そうか……」
「そっちこそ、どうなの?」
「下っ端は何人か捕まえたんだが、大物がいつの間にか消えちまってな。エドウィナも最近見ないし……」
「ああ、エドウィナは倒しちゃった」
ヴァイオラは素っ気なく言ってのけた。
「倒した!?」
「隊商の護衛中に『兄さんを助けてくれなかった』とかなんとか因縁つけて襲ってきたから。セロ村へ行く街道脇に埋めてあるよ」
「……道理で見ないわけだ。そうだったか」
ルブトンはそう言って暫し考え込んだ。やがて再び口を開いて、
「実はな、フィルシムでもアレがらみの事件は最近減ってきてるんだ。それよりも食糧事情の悪化が問題になっていて、俺もアレがらみの担当を外されそうなんだ。ここで捜査を縮小するのはヤバイと思うんだが、何しろなりを潜めちまってるもんでなぁ……」
ヴァイオラはそれに対して、「まぁ、すっかりいなくなってるわけじゃないと思うけど、次の活動の中心地はクダヒみたいだからね」とだけ、伝えておいた。
「そうか……お前らが何か情報を掴んでいれば、それを使って捜査縮小を止めようと思っていたんだが」
ルブトンは心から残念そうに口にした。
「ところでお前ら、パシエンス修道院に知り合いがいたよな?」
「パシエンスがどうかしたか」
セリフィアが割って入った。
「言い忘れてたが、昨晩火事で全焼したぞ」
「早く言えっ!!」「なんでそれを先に言わないんだっ!!」
Gとカインの二重唱に、ルブトンは思わず身を引いた。ヴァイオラは猛スピードで食べだした。セリフィアは食事もそこそこに立とうとしたが、「ちゃんと食べないともったいないし、食べておかないといざってときに力も出ないよ」とヴァイオラに諭されて、やはり早食いを始めた。アルトは「だ、大丈夫でしょうか、ラクリマさん」と、おろおろしながら、見た目とは裏腹に手早く食事を終えた。
ルブトンが呆れかえって見守る中、一同は5分で食事を終え、修道院に駆けつける仕度を整えた。
日の光が目に痛かった。
いつもだったら朝食もとっくに済んでいる時間だった。やっと最後の火が消え、火消しの一団は睡眠を取るためにおのおのの家へ帰っていった。
「ラクリマ、顔がまっくろだ」
起き出してきたアシェルが彼女にまとわりつきながら言った。確かにそうだろう、手も顔も、黒く煤けていた。だれもきれいな顔のままでなどいられなかった。
「アシェルも鼻の頭が黒くなってますよ、ほらここ」
ラクリマは笑顔をつくって返した。
「ラクリマ、手も見せてみろよ。うっわ、まっくろ!!」
別の子どもがそう言って囃した。ラクリマは彼にも笑顔を向けたあと、眠い目をあちらに向けた。向こうではサラとクレマン院長とが、今後のことを相談しているようだった。彼らも彼女と同じく一睡もしていないはずだが、どこにそんな力があるのか、一向に眠そうな気配を見せていなかった。
(これからどうなるんだろう……)
「おなかすいたな~」「腹減った~」
子どもたちの食事をねだる声が聞こえてきたが、ラクリマは上の空だった。もはや起きているだけで精一杯だったのだ。彼女を見限って、アシェルは「サラねえちゃん~、朝ご飯はぁ?」と向こうへ駆けていってしまった。
ラクリマはゆるゆると立ち上がり、太陽を見上げた。
「ラクリマさん!」
声が彼女を呼んだ。振り返った先に仲間たちの姿があった。Gが真っ先に駆け寄ってきた。
「ラクリマさん、大丈夫ですか!?」
ラクリマは笑顔を浮かべた。そのままぐらりとGのほうに倒れ込んだ。
「ラクリマさん!?」
ヴァイオラはすぐに彼女の様子を見て言った。
「ああ、大丈夫。寝てるだけだよ。……寝かせておきたいけど、いいのかな」
「構いませんよ」
いつの間にかすぐそばにサラが来ていた。簡単な挨拶のあとで、彼女も意識を失ったラクリマを診て、
「このまましばらく寝かせておきましょう。昨日は夜通し手伝わせてしまったから。すみませんが、向こうに運んでやってくださいますか。あそこなら、今、日が当たらないでしょう」
そう言って、向こうの塀ぎわを指さした。カインはGに腕を差し出し、
「代わろう」
と、ラクリマの身体を抱え上げた。「こちらへ」というサラのあとについて、彼女を運んだ。サラは小石を二つ三つ取り除けて、「ここなら何も当たらないだろうから…」と、彼女を横たえられる場所を示した。建物はすべて焼け落ちており、「屋根」であるとか「室内」であるとかいったものは皆無だった。柔らかい草の絨毯すらなく、カインは遠慮がちに焦土の上に彼女の身を置いた。
向こうから呼び声がして、サラは「ちょっと失礼しますね」と断り、声の主のほうへ去った。声の大きな、太めの中年女性との話が聞こえてきた。「子どもたちのご飯を用意したからさ。5人はひとまずうちで預かるよ」「いつもありがとう。助かります」「ビルハもすぐに戻ってくるからさ。あんたも適当に寝るか食べるかしないと、身体に障るよ」「ええ、そうします」
(ご飯も食べてないなんて……)
アルトは気の毒に思って、お腹を空かせた子どもたちの八つ当たりを甘んじて引き受けた。
修道院の敷地を調べて回っていたロッツが、ヴァイオラに報告しに戻ってきた。
「これは入念な火付けですね。見事なくらい、何も残ってませんや」
「やっぱりね」
「姐さん、あっしはこれからギルドへ行ってきやす。お嬢をお手伝いできないのは心苦しいですが……」
「頼んだよ。こっちのことは任せて」
ヴァイオラにぽんと肩を叩かれて、ロッツは去っていった。ヴァイオラはぐるりとそこらを見渡し、修道院の院長の姿を見つけると彼のところへ歩いていった。クレマン院長は、集まってきた近在の住人たちや信者の人びとと言葉を交わしているところだった。
「最近は食べ物が手に入らないから」「みんな心が荒んでるよねぇ」「こんな罰当たりなことをして、『すっきりした』なんて笑って見てるヤツがいるかと思うと腹立たしいよ」
人びとのそんな慰めや不満を、クレマンは穏やかにいちいち聞き届けていた。
ヴァイオラが挨拶すると、彼は周りの人びとに断りを言って、彼女のそばへやってきた。ヴァイオラは悔やみを述べたあとで、
「おそらくこの火事はユートピア教がらみでしょう」
と、明言した。クレマンは苦笑しながら、
「考えないようにしていたのですが」
と、言った。
「ところで、これからどちらに身を寄せられるおつもりですか?」
「まだ決まっていませんが、他の神殿に協力を仰ぐことになるでしょう」
ヴァイオラはここで提案を述べた。
「及ばずながら、皆さんの身を寄せるところについて、私はこれからトーラファンさんに相談に行こうかと思っているのですが…」
「ああ…!」
クレマンは得たりという表情になった。
「トーラファンか。……考えていなかったが、それはいいかもしれないな。あの館は無意味に広いし」
ヴァイオラは「そうですね」と笑った。
「サラ」と、クレマンはサラを呼んで言った。「私はこれから友人のトーラファンのところへ行ってくる。あとを頼む」「お気をつけて」
それからヴァイオラを振り返って、「よろしければ一緒に行きますか」と微笑んだ。ヴァイオラはヴァイオラで、セリフィアとGとアルトに魔術師の館へ行くことを告げ、クレマンと並んで修道院をあとにした。
「クレマン、久しぶりだな」
応接室に現れたトーラファンはそう挨拶してから、クレマンの煤けた顔を見て、
「しばらく見ないうちに男前になったな」
「もとからだ」
「修道院で何かあったのか?」
「火事で全焼した」
「ああ、そういえば昨日、赤かったな」
と、二人とも、これまでのイメージを覆すような話しぶりを展開した。ヴァイオラの存在はすでにあってなきがごとしだった。
「で? 今日は何の用だ?」
「ここを仮住まいとして貸してほしい」
「ふむ……見返りは?」
「見返りは、そうだな……」クレマンは考え考え、言葉を継いだ。「掃除洗濯……料理…は、彼女がやってるのか、それから蔵書の整理…どうせ手入れしてないんだろう? あとは……仕方ない、大盤振る舞いで、研究の手伝いもつけるので、どうだ?」
「やっとその気になってくれたか!」
トーラファンは子どものようにはしゃいだ。
「いやぁ、助かる! お前が手伝ってくれれば話が早い!」
クレマンは苦笑した。
「俺もそんなに暇なわけじゃないんだぞ。机の前にふんぞり返っているだけが院長なら、やりはしないさ」
「ああ、知ってる」
「お前の手伝いはとにかく時間が取られるから避けていたんだが……こうなってはやむを得まいな」
「そういうことだ。館は好きなように使ってくれ」
交渉は成立したらしかった。
「ああ、そういえば」
と、トーラファンがまた口を開いた。
「ガラナークが、今回のユートピア教騒動をきっかけに、邪教の神殿を潰しにかかってるぞ。お前のところは大丈夫か?」
クレマンはトーラファンに聞き返した。
「今のガラナークにそんな国力があるのか?」
「国力がないから他で何かやろうとするんじゃないか」
「ああ、表面だけ箔をつけようということだな」
やりとりを聞きながら、ヴァイオラは(そうそう、わかるわかる、無能な奴ほどそういうくだらないことをやるもんだよね)と心の中で肯いていた。特に考えたことはなかったが、どうやらパシエンス修道院は異端に属するらしい。フィルシムではさほど目立たなくても、ガラナークからすれば「邪教」扱いされるのは目に見えていた。院長の声が再び耳に入った。
「まぁ、それは何とかしてくれるんだろう?」
「この館にいる間は、な」
朝食の提供を引き受けてくれた信者の家に子どもたちを送り出したあとで、サラはいったんどこかに腰掛けて休もうと、瓦礫の中を歩いた。やるべきことは一通りやった。あとは院長が戻られるのを待ってからだ。
何気なく入ったそこは、もとは礼拝堂だった。天井はすべて落ち、青空ばかりが目に飛び込んできた。
堂内の椅子は木製だったので、すべて焼けてなくなっていた。後陣に入る手前には、貧乏な修道院には珍しく、継ぎ目のない高価な大理石の柱があり、この二本だけがにょきにょきと元気に天を衝いていた。後陣の基壇に彼女は腰掛けた。頬杖をついてあたりを見回した。礼拝堂の壁や天井を飾っていた美しいフレスコ画は無惨に焼け落ちていた。残った部分も、あるものは黒く煤け、またあるものは炎に赤く染まって、以前の美しさは見る影もなかった。
「あの、サラ、さん」
サラが振り返ると、ラクリマの仲間である娘が立っていた。ここのフレスコ画を気に入って見入っていた子だな、と、サラは立ち上がりながら思い出した。自分のせいではないが、壁画を守れなかったことを彼女に対して済まないように思った。
「はい、何でしょう?」
「あの……これ……寄付します」
白髪紅瞳の娘――Gは、半分泣きそうな顔で、きれいな袋を差し出した。サラは受け取って中身を確かめた。ガーネットが7個入っている。彼らの総意なのだろう、と、彼女は理解した。サラは微笑んでその好意をありがたく受けた。
「ありがとう。とても助かります」
実を言えば、この宝石類――全部で700gp相当になる――は、Gが自分だけで出したものだった。Gはまだ泣き出しそうな顔で、
「こんなことになるなんて…」
と、呟くように言った。
「大丈夫ですよ。大丈夫だから、そんなに心配しないで」
この火事が、ラクリマたちが敵対している(らしい)ユートピア教の仕業であろうことは、サラもわかっていた。だがその原因を作った彼女たちを責める気は毛頭無かった。サラはGの手を取って、「本当にありがとう」と、繰り返し礼を述べ、彼女を慰めようとした。Gは、頭を下げてその場を去った。
次にやってきたのはセリフィアだった。
「サラさん」
彼は真剣な面もちで、袋を突きだした。
「これ、使ってください」
サラはとりあえず袋を手にして、内容を確かめた。金貨が百枚くらい入っているようだ。
彼女が何か言うより前に、セリフィアは喋りだした。
「子どもたちの食費にしてください。あと、修道院に畑はありますか?」
「え? ええ、ありますが」
「俺、ラストン育ちなので、ちょっとした魔法が使えるんです。少しなら、イモとか食べるものを1日で収穫までできると思います。魔法はお嫌かもしれませんが、よかったら食物の生産にも協力させてください」
「ありがとう、セリフィアさん」
サラは笑顔で応えた。が、金貨の入った袋は、彼の手に戻した。
「寄進は、先ほどお仲間の方から十分にいただきました。これはあなたが自分たちのために役立ててください。物価が高騰しているのはご存じでしょう? あなたたちにはあなたたちでやらねばならないことがあるはずです」
「でも、俺、ここのみんなの力になりたいんです」
「その気持ちだけで十分ですよ」
サラはそう言ったが、セリフィアが納得行かないような顔をしているので、
「それよりも、その魔法で食べ物を育てるほうに協力していただけますか? お金も助かりますが、畑の話は本当にありがたいことですから」
と、依頼した。
セリフィアはパッと表情を明るくして、「仲間と相談してやります」と言った。
どこを使ったらいいか尋ねられ、サラは、敷地内にあった小さい菜園の今の様子を思い出そうとした。確か、生えていた作物がすっかり焼けてなくなっていただけでなく、塀ぎわだったので、石積みの石が落ちてきて、すぐには使えない状態になっていたはずだ。
そのことをセリフィアに伝えたが、セリフィアはそこで構わないと答えた。「今日は無理かもしれないけど、明日には…」と、勇んで去っていった。
「……よかったね。いい仲間で」
サラは呟いた。ラクリマに向けた言葉だった。
彼女はもう一度、基壇に座った。もう少しだけ休みたい。
「ごめんね、寝かせてあげられなくて。もうちょっと頑張って」
ふと、彼女は自分のお腹に――お腹の中の子どもに話しかけた。この子が生まれてくるころには、ここに戻れるといい。またみんなの帰れる場所を作ろう。
しばらくして、向こうからざわめきが聞こえてきた。彼女は立ち上がった。扉のない礼拝堂を出ると、院長が戻ってきているのが見えた。表情からして話がうまくついたらしい。また忙しくなりそうだ。
「ラクリマさんを起こしてきますね~」
Gが駆けてゆくのが見えた。その先には、死んだように眠るラクリマと、そばで番をするカインの姿があった。ひとときひとときが、善意の積み重なりのようだった。それを祝福するように、太陽は惜しみなく焼け跡に光を降らせていた。




