間奏 葬儀を終えて
ショートランド暦460年3月14日。
ジェラルディンの葬儀を終えて。
村の中は警戒警報が発動され、少しざわついた様子だった。正門は閉じられ、通用門のみの出入りとなっている。警備兵も倍増されているようだ。見る者が見れば、皆よく訓練されているのが一目でわかる。
村人たちの間では、
「なんだか、森で怪物が出たってよ」
「へ~、そりゃ大変だ。もうすぐ春だし、熊でも暴れたか?」
「さあな。ま、領主様が何とかしてくれるじゃろ」
といった会話が、そこかしこで交わされていた。
宿で皆にハイブコア退治の依頼の話をしたあと、ヴァイオラは村のはずれまで足を伸ばした。セリフィアも一緒だった。
実は先刻、スルフト村村長の館から帰る途中で、セリフィアから時間をもらえないかと頼まれていた。
「聞いてもらいたいことがあるんだ……」
そう口にしたときの青年の思い詰めた様子を、今も彼女は思い返していた。
十数分後、川を見下ろす崖の上に二人はいた。二人の他はだれもいなかった。
下を流れる川は、数百年の間同じ営みを繰り返してきたのだろう、今も今とて黙々と底を流れ、急流で岩肌を削っていた。川というよりは渓流というほうがふさわしいだろうその細い流れは、しかし雪解けの時期には水量を増し、激しい轟きを立てて流れるということだった。雷鳴のような轟音を伴うこの流れのことを、このあたりの人びとは畏れを込めて、古風にサンダークラップ・タラントと呼んでいた。
太陽は雷鳴川とは反対方向、西の方に傾いていた。とはいえ、まだ落日までは間がある。ずいぶんと日が延びたものだと背後を見やりながらヴァイオラは思った。
二人は崖上の柵を越え、川に面して並んで座った。柔らかい青草が春を告げるように萌えだしており、地面に直接座ってもさほど冷たいとは感じなかった。
セリフィアは暫く黙っていた。が、そのうちに口を開いて一気に喋りだした。
「俺はハイブへの憎しみから剣を振るってきた。それ自体は今も変わらない。けど、セロ村に来てからそれだけじゃなくなってきているのも感じてた。仲間を思う感情もあるし、だれかをいたわる気持ちもないわけじゃない。
「カインが目の前で恋人を失い、ラクリマはまるで生き写しのような人間が爆死している。二人がどれだけ辛いかは想像に難くない。……だが! 俺の感情を今支配しているのは二人へのいたわりでも思いやりでもなんでもなく! ハイブへの憎悪だ!
「村長の話を聞くまでは違ってた。少なからず二人を思ってた。けど今はどうしてもハイブへの憎悪が先にきてしまう。大事な人を失う辛さはよくわかるはずなのに。理性は二人を思いやっても感情が憎悪で埋め尽くされてしまう。
「俺はこの数ヶ月間で少しは変わってきたつもりだった。けどそれは表層だけだったのかもしれない。中は憎悪の塊のままだ。自分が人なのかどうかさえ疑わしくなってきたよ……。もしかしたら俺の血の半分は魔物か何かかもしれないとさえ思えてくる」
彼はやや自虐的な表情を浮かべて最後にこう言った。
「こんな本性、Gが知ったらどう思うだろうな……」
目は川底へ注がれており、決してヴァイオラを見なかった。
ヴァイオラはずっと黙って聞いていたが、ややあってぽつりと口にした。
「一緒に泣くだけが優しさじゃない」
思わず振り向いたセリフィアに、ヴァイオラは柔らかく微笑んだ。彼女は片手を伸ばして手のひらで彼の目を覆った。
「…考えなくていい。感じてごらん。その怒りはどうして生まれたのか。それはどこからやってきたの」
囁きに近い柔らかい口調だった。
セリフィアの唇が震えた。ほんの数秒、だが彼にとっては長い長い沈黙のあとで、セリフィアは一息吸い込むようにして話しだした。それはまるで子どものようにおぼつかなげだった。
「ハイブは……ラストンを襲った。ラストンには母さんと弟が残っていた。大事な家族……。数少ない味方……。母さんはいつも俺をかばってくれた。俺が何をしても受け入れてくれた。魔法を使えなくても、だれかを殴っても。すべてを許して受け入れてくれた。母さんだけが。……ハイブが! ハイブさえいなければ母さんは……」
彼の頬を涙が伝った。
声を殺して彼は泣いていた。
ヴァイオラは身動ぎもせず、ただのそのさまを見守った。
しばらく泣かせてから、彼の激情が静まったころを見計らって彼女は言った。
「君は、本当に不器用なんだね」
と、両手で彼の頭を胸元へ抱え込んだ。
「ずうっと怖かったんでしょう? 大好きな人がいなくなってしまいそうで。せっかくそれを見ないように、考えないようにしていたのに、また思い知らされた。そうしたいろんな不安や怒りをハイブにぶつけただけのこと――」
子供をあやすような声で、ぎゅっと腕の中に抱きしめる。
「大丈夫、君は優しい良い子だよ」
セリフィアはさっきよりも激しく泣き出した。
ひとしきり泣いたあと、青年はすっくと立ち上がり、涙を拭った。照れくさそうにしていながら、その顔は晴れやかだった。
「ショーテスを出るとき、強くなるんだって誓ったんだ。もうだれも失わないように。ありがとう。もう大丈夫。今度こそ、だれも死なせない」
そう言って頭を下げ、柵を越えた。夕焼けがまぶしくて、青年はその場で一瞬立ちつくした。
ぽん、と、肩を叩かれ、彼は我に返った。やはり柵を越えたヴァイオラがすぐ後ろでニヤリと笑った。
「強くなるなら、まず酒を飲めるようにならないとね」
「えっ……」
ヴァイオラはセリフィアと無理矢理肩を組んで――ヴァイオラも背が高いが何しろセリフィアは2メートルの大男だ――半ば引きずるようにして帰途についた。正面には大地を朱に染める夕陽が大きな顔して陣取っていた。
宿屋の手前でヴァイオラは気がついた。そろそろ日没間近なので表にいる分にはさほど気にならないが、煌々たる宿の中に入ればセリフィアの目が赤いことは一発でばれるだろう。泣いていたと知れれば彼も気まずいに違いない。
「お子さまにはこれをあげよう」
彼女はすかさず懐からハッカ飴を取り出し、ポイとセリフィアの口に放り込んだ。
「それが無くなったら戻っておいで」
きょとんとしているセリフィアを振り返り、彼女は人の悪い笑みを浮かべて言い足した。
「ついでに顔も洗うといいよ」
それで自分はさっさと歩いて行ってしまった。
ヴァイオラとセリフィアが出ていってしまったあと、カインはずっと部屋の隅で武器の手入れをしていた。時折り、傍らに置かれた剣の柄頭に視線を注ぐが、また思い出したように武器の手入れに戻る、そればかりを繰り返していた。
「カインさん……ここ、座ってもいいですか?」
ラクリマは背後からそっと声をかけた。
カインはごく当たり前のように顔を上げ、じっとラクリマの目を見た。
拒まれる様子がなかったので、ラクリマは彼のそばに腰を下ろした。
「ジェラルディンさんのことは本当に……お気の毒でした…」
二人の間に幾ばくかの沈黙が横たわった。ラクリマは涙を堪え、次の言葉を口にした。
「カインさん、正直に仰ってください。…私の顔、見るの、辛いですか」
ゆっくりと、静かに彼女は語った。
「私……わけあって今、このパーティから離れることはできないと思うんですが、あなたの目に触れないようにすることはできると思います。だから、苦しかったら仰ってください。あなたに苦しんでほしくないから……私にできることをしますから」
カインはぼんやりとラクリマの声を耳にしていた。ジェラと同じ声……ジェラと同じ響き……。だが彼女はもうどこにもいない。
彼は少しの間、黙ったままでいた。時を思考に費やし、ようやく返答した。
「…辛くない、といえば嘘だ。だが、顔が同じなのは別段君自身のせいじゃないし、それは仕方のないことだ。それほど気に病むことはない。それに苦しいのは俺だけじゃない。目の前で自分そっくりの人間に死なれた君も辛いはずだ。気持ちだけありがたく受け取っておくよ」
さも平気なように振舞いながら、カインが懸命に取り繕っているのが、ラクリマには手に取るようにわかった。痛ましかった。やや俯いた彼女の瞳から、涙があとからこぼれだした。
「……隠さないで本当のことを言ってください。隠さないでください、あなたの哀しみも」
カインは手を止め、床に視線を落とした。
一瞬躊躇い、言葉を発した。
「…哀しみよりも、今はただ憤りの方が強い。そして復讐でしかこの憤りは癒せないだろう。俺が本当に彼女の死を、仲間の死を嘆けるのは、すべてが終わってからだろう。……そう、すべてが終わってからだ」
自らに対する呪縛のようにそう呟いたあと、彼は拳をゆっくりと握り締めた。
「………」
ラクリマは束の間カインを見つめていたが、彼が自らの世界に没したのを感じ取ると、静かに立ち上がり、音を立てないようにしてその場を離れた。自分にできることは何であるかを考えながら。
ヴァイオラが宿に戻ったとき、部屋にはアルトとカインしかいなかった。カインは武器の手入れに余念が無かった。単純な作業をしていないと気が狂いそうなのだろう。アルトはいつものように大人しく読書に耽っていた。不在の二人の行き先については両名とも知らないようだった。さらに、ラクリマの行き先は部屋係から知れたものの、Gの行き先は全く不明だった。だが、この村は治安がいいから、フィルシムほど心配しなくていいだろう。
ヴァイオラは女性用の寝室でひとり、コミュニケーションスクロールを広げた。
《スルフトにてコア発見。明日討伐参加予定。クダヒにもコア搬入の可能性有り》
そう書き込んで、しばらくして開くと返事があった。
《了解。クダヒ方面にも注意を喚起する。健闘を祈る》
居間にひとの気配がした。物音から察するに、セリフィアが遅れて帰ってきたのだろう。
それから時をおかずにGも戻った。
「お帰り」
「ただいま」
ヴァイオラはことさらどこへ行ったか尋ねなかった。Gには時々ひとりで過ごすためにふらりと姿をくらます癖がある。
実際、Gはひとりになりたくて、宿を出てぶらぶら彷徨い、わりとすぐの裏路地に居場所を定めて時を過ごしていたのだった。裏路地は人気がなく、かといって危険なところでもないようで、彼女が黙然と考え事をするには都合が良かった。
滞在中の「百年紀」亭がもとから高台の斜面中腹に位置していたので、このあたりの路地は横は平坦な道だが、縦に走るそれらは階段状になっていた。Gのいる階段は他と較べても手狭な感じで、両側にはほどよく時代を経た壁が立ち並んでいた。階段は、壁と接する端っこにときどき草むしているようなところもあったが、手入れがいいのか綺麗な状態に保たれていた。Gはぺたりとそのうちの一段に座り込んだ。
短い間にいろいろとありすぎた。このままでは頭がパンクしてしまう。
ひとつひとつ、彼女は身近なことを考えては仕舞い込んでいった。アルトのことを考える段になって、彼女の思考は遅滞した。そもそも彼女は魔術師が怖かった。今は「母さん」から教わったことを思い出して、なおさらだった。
『持たざる者』と呼ばれる強力で邪悪な魔術師のこと……その魔術師が探している片目の女性と、刃に宝石を埋め込んだ、想像を絶する魔力をもった剣……このふたつのどちらであれ、関われば不幸になると、彼女の母は言った。
アルトは大丈夫。きっと違うから。
ぎゅっと肩を抱いて、彼女は自分に言い聞かせた。
魔法の剣も……きっと違う。そこまでの力はないって言ってたもの。きっと……大丈夫。
そのあとでもうひとつ、あることを考えているさなかにハッと気がついた。日暮れだ。
Gの腰掛けた段から3つほど上の段は、踊り場のように広々していて、左側に扉があった。その扉の上にかけられた灯り――他と違わずこれも魔法の灯りだった――に照らされて、Gは自分の影が階段にくっきり描かれているのを知った。
それで考え事を切り上げて帰ってきたのだった。
最後にラクリマが戻った。
彼女については、ヴァイオラは全く心配していなかった。ラクリマは午後の時間を利用して、若い狩人たちの疲労を癒しに行ったという話だったからだ。
帰るなり、「ごめんなさい、遅くなって。Gさん、ムーンフラワーを使いますから」と言いつつ、ラクリマは薬草の詰まった袋を取り上げて月花草を取り出した。彼女がGに月花草を処方する姿を見ながら、そういえば明日は満月なのだと、全員が思い出したようだった。
ムーンフラワーの処方が終わってから、ラクリマは先ほどガサラックに教えてもらった店で買った薬草を、それぞれ袋に仕分けて入れ直した。
(やさしそうなひとたちでよかった……)
ラクリマは昼にヴァイオラからハイブコアを退治する話を聞かされ、一緒に狩人も行くのだと知って、彼らの疲労を今日のうちに取り除いてあげられないかと考えた。だが軽率に呪文を使ったりすれば、それが善意からであっても問題になるだろうことはセロ村で経験済みだった。どうしようかと考え、結局、ここの部屋係に相談した。
「負傷されたり疲労している猟師さんがいらしたら、治しますので仰ってください」
「それはありがたき申し出ですね。早速神殿のほうに話を通してみましょう」
「あ、あの、それでもいいのですが、特に今日、森から帰られた狩人さんたちがかなりお疲れだという話を耳にしたので、できればそちらに伺いたいのですが……」
部屋係は「少々お待ちください」と、いったんその場を離れた。四半刻ほどして戻り、ラクリマに狩人たちの名前と家までの道順とを教えてくれた。
ラクリマはまず宿から一番近そうな家を訪ねた。たまたまそれはリーダーのガサラックの家だった。戸口に出てきた若い狩人は、見知らぬ神官の訪問に戸惑いを見せていたが、話をするうちにラクリマがヴァイオラ――昼間、カークランド村長の家で紹介された神官――の知り合いだということをわかってくれた。
ラクリマは、自分が狩人たち3人の怪我や疲労を治しにきたのだと断った。
ガサラックは驚いたようだった。ラクリマが呪文で疲労を癒すと、礼を言って感謝した。そのあとでちょっと曇った顔をしながら、「セロ村に行くときはよろしくお願いいたします」と丁寧に挨拶した。ラクリマも「こちらこそ、よろしくお願いします」と、深々と頭を下げた。
彼の家を出る前に、「あの、ブローウィンさんのお家は、ここから右に行って3つめの角を左に行けばいいんですよね?」と確認したところ、ガサラックは親切にもあと二人の家まで案内をかって出た。
ラクリマは残り二人の家も回った。ガサラックが案内してくれたおかげでずいぶん手間も省けたし、楽だった。ブローウィンもラムイレスも、ガサラックと同じようにびっくりしていた。皆、呪文の施しを受けるのは初めてのことらしい。彼らとも礼儀正しく別れて、ラクリマは最後にガサラックに「このあたりで薬草を売っているお店をご存じありませんか」と尋ね、店を教えてもらった。
結局、「ついでですから」とガサラックはその店にもついてきてくれた。ラクリマはそれを好意としてありがたく受けた。傷薬と、埃を被っていた月花草とを買い求めたあとも彼に送ってもらって、今しがた、宿に帰ってきたのだった。
一同は夕食の招きにあずかるべく、揃って村長の館へ出かけた。日はあとかたもなく地平に沈み、黄昏は夜に変わろうとしていた。村内は種々の人工の灯りに溢れ、それらはまるで太陽に取って代わろうとするかのように光度を競いあっていた。




