1 森の中へ
北の大地、深い森の中、前方には雪を被った山脈
見上げれば、降り始める、白き雪
翼をもがれた天使が、大空を飛ぶことを忘れ大地に横たわる
雪はすべてを覆い隠す
深き森の北の端、魔導師たちの夢の跡
いにしえより旅人たちで賑わう村
深きところ、浅きところで人々の生業に寄生する
静かに、徐々に、しかし、確実に
心に光を持ちし者たち
かの地で、真実を見つけるだろう
それが、正しき『道』?
それともまがいものの『道』?
それらを見る『眼』はきっとそなたたちの中にある
《第一の御神託》より
セロ村に到着して一夜明けた12月21日、起き出したゴードンが部屋の窓を開け放った。昨日一日降っていた雪はやんだようだった。村の屋根という屋根は白く雪化粧しており、早起きの村人たちは道の雪かきに精を出していた。
「真っ白だぁ」と叫んだ彼に、宿の正面で雪かきしていたウェイトレス、マルガリータが元気よく「おはようございます!」と挨拶してきた。
それらの声に起こされてか、はたまた外気の冷たさに触れたせいか、ヴァイオラも起き出した。彼女は手早く身支度を済ませ、一階へ下りた。同室のGはまだ眠っていた。どうやら夜遅くまで帰ってこない3人を待って起きていたらしい。ゴードンはGの寝台の前でちょっと考えるように頭を傾げてから、起こさないままにして、自分も階下へ下りていった。
ヴァイオラはこの宿のもう一人のウェイトレス、ヘレンに朝の挨拶をし、食堂の椅子に座った。ヘレンは「今すぐにお持ちしますね」と言って、奥で調理している宿の主人ガギーソンのところへ朝食の皿を取りに行った。ヴァイオラが周囲を見回すと、自分以外にヘルモークとツェーレンとが朝食を食べにきていた。
食事が運び出されたとき、宿の扉が開いた。自警団の青年に連れられ、レスタト、セリフィア、ラクリマの3名が入ってきた。昨夜、セリフィアが引き起こした喧嘩沙汰の取り調べを受けていたのだ。セリフィアは騒動を起こした罰として、これから2週間相当の強制労働に従事しなければならないことになっていた。
スマックという名の自警団の青年は、ヘルモークの姿を見つけると「お預けしますよ」と言って3名の身柄を彼に引き渡した。どうやらヘルモークの口利きで、特例として、強制労働には執行猶予がついたらしい。おかげで、レスタトたちは昨日ディライト兄弟から受けたカート探索の依頼を先にできることになった。
そのディライト兄弟も階段を下りてきて、一同に「よろしくお願いします」と念を押した。
出発前、ヘルモークはレスタトだけに聞こえるように釘を差した。「俺の面子を潰すなよ」
一同はヘルモークと一緒にカート探索に出かけた。昨日降り積もった雪で轍の跡が隠れてしまって判然としない。だがレスタトやラクリマが運良く跡を見つけ、少々のロスはあったものの、方角は失わずに進むことができた。もっとも一同はこの周辺の地理に不案内で、どこからどこまでがロスだったのかはヘルモークのみ知ることだった。
そのヘルモークは何一つ口を出さず、助力どころか道案内もせずに、ただついてきているだけだった。こうしてみると、案内ではなく、単に強制労働をしに村へ帰るかどうかを監視しているだけのようでもあった。
森へ入って5時間後、日が傾いてきたので、ここらで夜営をしようということになった。車座になって夕食をとりながら、ヘルモークは「こっちの方向へ行くとスカルシ村だなぁ」と呟いた。フィルシム出身のラクリマはスカルシ村の名を聞いたことがあった。が、同じくフィルシム出身でありながらヴァイオラが「確かチーズの名産地だよね」と誤った情報を口にしたため、全く自信がなくなり、考え込んでしまった。Gはフィルシム出身者ではないが、スカルシ村については耳にしたことがあり、「チーズじゃなくて、傭兵で有名じゃなかった…?」と思ったものの、それを口にはしなかった。
夜直は3交替で行うことにした。1直目がヴァイオラとレスタト、2直目がセリフィアとG、3直目がラクリマとゴードンという配分になった。
1直目のとき、レスタトはヴァイオラにヘルモークにどうやってガイドを頼んだのかを尋ねた。ヴァイオラは「誠意を持って頼んだだけ」と答えた。レスタトはその返答に不満足のようだったが、それよりも最前から気になっていることとして、「だが彼は何もしてくれないようだが…?」と重ねて尋ね、そこでようやく「基本的には自分たちの力でやれ」という風変わりな条件を知らされた。
「どうしてもっと早く言ってくれないんです」
「言う前に騒ぎが起きたからだよ」
こんなふうに仲良く言い合いができるくらい、この晩の夜直は平和だった。
翌12月22日。
この日は快晴だった。雪は表面が一度溶けてしみ込み、そのまま夜間に凍ったようで、道は昨日よりも危なっかしかった。
昼過ぎ、うち捨てられたカートを発見した。ボックス型の馬車で、二頭の馬は繋がれたまま放置されていた。そばには焚き火の跡があり、背負い袋などが置きっぱなしになっていた。
セリフィアとレスタトは焚き火の跡へ近づき、バックパックを3つほど検分した。だいたいが新品に近い一般装備と保存食といった内容だった。二人は目を見合わせた。「…間違いないだろう。カートを持って出ていった5人組の荷物だ」
一方、ヴァイオラはカートの中を覗きに行きたがるラクリマを引っ張って、馬の様子を見に行った。馬は空腹によって弱っているらしかった。ヴァイオラが馬具を外してやると、馬は近くの地面を探っては、残った草などを食べだした。ラクリマはそのあとでカートの中に入ってみたが、何も調べ出さないうちにいきなり転んでしまった。
カートの外ではヴァイオラが丹念に地面を調べ、いくつもの人外の足跡を発見していた。足跡は全部馬車から出ていっており、全部で20体分ほどあった。モンスターに詳しそうなセリフィアにも見てもらったところ、「ハイブとハイブマザーの跡だ」と断言した。さらに詳しく見てもらい、20匹のうちの半数はまっすぐ焚き火へ、残り半数はカートの周りで何かをしたらしいとわかった。
布教用品というからてっきり聖水や聖章などだと思っていたのに、カートに入っていたのはハイブの一隊……?
一同が得も言われぬ不安に包まれているとき、カートの中で転んだラクリマが表に出てきた。彼女はハイブの体液で汚れており、ひと目見て「中に奴らがいたな」とわかった。もう疑問の余地はなかった。前面がねとつく体液だらけで今にも泣きだしそうなラクリマを、Gは親切に拭いてやり、汚れをとってやった。
カートを持ち帰るか手ぶらで帰るか、レスタトとヴァイオラの間でまたしても意見が衝突した。ヴァイオラは「リーダーは君だ。坊ちゃんがカートを持ち帰るっていうんなら、私は構わないよ」と含みのある声で言った。レスタトはムッとした。目の前の女性を見ながら、これだからこの人は苦手だと思った。オトナとして振る舞い、彼のことはコドモとして扱うところや、自信に溢れた様子でテキパキと指示を出すところなどが、実家の女性たちを彷彿とさせた。苦手だ、と、もう一度思った。
それでも彼は「カートは証拠品として持ち帰る」と断言した。但し、持ち帰るとなると時間が問題だった。村には一刻も早く「ハイブが近辺に現れた」と報告しなければならない。
ここで、村への急報は、今まで何ひとつやらなかったガイドのヘルモークが請け負ってくれた。彼が虚空に向かって「そういうわけだから、よろしく頼む」と一言言うと、何かが走り去る気配がした。だがだれもその姿を見なかった。
ヴァイオラは馬を、Gは焚き火の周りに散らばる背負い袋を回収しに向かった、そのとき、森の向こうから何者かがやってくる気配がした。
一同が会いたくないと願っていた者たち……ハイブ化しつつある5人組の冒険者たちだ。装備品で辛うじて彼らだろうとわかるものの、昆虫のような硬い外皮に覆われた彼らは、もはや人間の残骸だった。その変わり果てた姿に、皆、戦慄を覚えた。
元冒険者たちは完全にハイブ化してはいなかった。現在は「ブルードリング」と呼ばれる幼虫の状態で、キュアディジーズ〔病気を癒す〕をかければ治るのだとGが言った。しかし、ここにもセロ村にも、キュアディジーズの呪文をかけ得るような高位の僧侶はいない。殺してやるしかない、と、一同は決意した。
決意まではよかったが、かなりの苦戦を強いられた。早々にGが倒れ、また、レスタトが倒れた。レスタトは神の奇跡を振るって自らを救い得たが、Gはがむしゃらに戦い続けた挙げ句、地に伏してぴくりとも動かなくなってしまった。
手間取りながらようやく全員を倒したあとに残ったものは、ブルードリングの死骸と、かつて戦士だった男が遺した「騙された……あんなものを運んでたなんて……」という言葉――そして、血まみれのGの死体だった。ラクリマはGに駆け寄って治療を施そうとしたが、すでに彼女は事切れていた。
「こんなところで死ぬなんて……」と、茫然とする彼らに、ヘルモークが声をかけた。
「そいつを何とかしてやれるかもしれない」
「どういうこと? まさかジーさんを生き返らせてくれると…?」
「ああ、生き返らせてやれるかもしれない。だが、条件がある」
ヘルモークの条件は、セロ村近辺にできてしまったであろうハイブの巣を、レスタトたちが退治してほしい、というものだった。
「もちろん、今すぐなんてことは言わないが、どうだ?」
ヴァイオラはレスタトに「任せる」と言い、ハイブに個人的恨みを持つセリフィアは「約束すればいいじゃないか」という態度を取り、ラクリマは「お願い、Gさんを助けて」とレスタトに頼み込んだ。だが、若いレスタトの心はなかなか定まらなかった。ここで生き返らせたとして、再びハイブ退治に巻き込んでしまえば、Gは同様に死の危険にさらされる。そんなことがわかりきっていて、ハイブ退治の約束に縛られた状態で彼女を甦らせていいものかどうか……僕の神託の天使を。
ヴァイオラは「決まったら呼んで」と言い残して馬の世話をしに行ってしまった。それでもなお決心のつかないレスタトに対して、痺れを切らしたセリフィアは密かに小魔法を使い、レスタトを「うん」と頷かせてしまった。セリフィアは魔術師ではないが、ラストン出身であるためちょっとした小魔術――キャントリップが使えるのだ。
レスタトが「どうして頷いちゃったんだろう……」と悩んでいるのをよそ目に、一同はGの復活と引き換えにハイブ退治を約束した。
「それじゃあ、明日の夕方、村で会おう。ちゃんと帰れよ」
それだけ言って、ヘルモークはGの死体と共にいずこかへ去ってしまった。
やっと帰り支度に手を着けた。カートは置いていくことに方針を変え、冒険者たちの持ち物を馬に積んだ。セリフィアは「証拠にする」といって、ハイブ化した冒険者たちの首を5つとも落とし、大袋に詰めてこれも馬の背に提げた。
元冒険者たちは背負い袋の他にベルトポーチも携帯していた。そのうちの一つに巻物があり、開いてみるとこの周辺の地図で、セロ村からスカルシ村への道が描かれていた。ちょうど村からたどってきた経路に相当する。だが、こんな道はもともと存在しないはずだった。
セロ村へ向かって少し移動したあと、一同は夜営を張った。その夜、火に当たりながらヴァイオラがあることを話してくれた。実はフィルシムにハイブを持ち込んだ奴らがいるという情報が、以前からあった。そのハイブコアはフィルシム上層部が始末したという話だったが、今回のハイブたちは、その際に討ち漏らしたやつではないか、というのだ。
実はもう一つ、ヴァイオラは「ユートピア教が、トップが代替わりして蠢動している」という怪しげな情報も得ていた。だが、特に必要ないだろうと、ここでは話さなかった。
いずれにせよ、ディライト兄弟があの5人組を騙し、自分たちをも騙してハイブの餌にしようとしたことは疑いようがなかった。そういった人間が彼らの他にもいるとしたら…? 音を立てて燃え上がる炎を見ながら、一同は薄ら寒い思いを抱いた。
完き暗闇の中で、Gは目覚めた。目を開けてもどこも真っ暗で、それが閉ざされた空間だからなのか、あるいは黒い夜だからなのか、それもまるでわからなかった。
「……ここは? みっ、みんなはっ!?」
戦闘の記憶が蘇った。彼女は身を起こし、敵に対して構えようとした。と、すぐそばでヘルモークの声がした。
「うまく行ったみたいだな。とりあえず、見られたくないんで、もう一回寝てくれ」
言うなり、手刀で打たれたようだった。Gの意識は再び闇の底へと沈んでいった。