3 搦め手
「青龍」亭からパシエンス修道院までの道のりを、二人は黙って歩いた。
道場を出てからというもの、カインは少し落ち着きを欠いていた。ラクリマもそれに気づいていた。「どうかしましたか」と話しかけようと思うのだが、声にならないでいた。聞かなければ、聞かなければと思ううちに、修道院に着いてしまった。
「あの…」
ラクリマはカインを見上げた。上の空の彼に無言で見返され、身が竦んだ。このまま塩の柱になってしまいそうだ。
「あの、よかったら夕食もここで食べていきませんか?」
それだけやっと言った。カインは「いいんですか?」と確め、ラクリマと一緒に門の中に入った。彼としても、食事をしてからトーラファンの館へ送るためにわざわざ戻るのは面倒だなと思っていたし──彼のねぐらはここから10分ほどの、トーラファンの館とは別の方角にあった──何より食費が浮くのはありがたかった。
門をくぐった途端、ラクリマのところに小さい子どもが数名、駆けてきた。
「あっ、ラクリマのおねえちゃんだっ。おねえちゃん、おかえりなさぁい」
「ほらぁ、だからちがうって言っただろぉ?」
「だってほんとにそっくりだったんだよ。みまちがいなんかじゃないもん」
ラクリマが「どうしたんですか?」と尋ねると、子どもたちは口々に言った。
「こいつが昼間、ラクリマが北門へ歩いてくのを見たっていうからさぁ」
「だってほんとだもん。このあいだ帰ってきたときみたいに、重そうなヨロイを着てたの。ちゃんとそのペンダントもさげてたよ。だからてっきりおねえちゃんが家出しちゃうんだと思ったんだよ」
「だ~か~ら~、みまちがいだって。サラねえちゃんならともかく、ラクリマにひとりで出てくドキョウがあるわけないだろぉ?」
「だってほんとうにおねえちゃんにそっくりだったんだってばぁ」
「おいっ、それはいつどこで見たんだっ!」
突然、カインが子どもに詰め寄って怒鳴った。
「ラクリマにそっくりだったって言ったのかっ!?」
「ふ…え…うえええええん!!」
子どもは脅えて泣き出した。ラクリマは慌ててその子を庇った。
「やめてください、カインさん! どうなさったんですか!」
「頼む、もう一回話を聞かせてくれ!」
「カインさん!!」
カインは我に返った。
「ダン、ガドが何を見たか、もう一度説明してくれる?」
ラクリマはガドをあやしながらもう一人の、やや年かさの子どもに頼んだ。
「だからさ、大通りでラクリマそっくりのひとを見たんだって」
「いつだ」
「にいちゃん、さっきからシツレーだぜ。ま、教えてやるけどさ。昼頃だよ。ラクリマとおんなじヨロイで、こーゆーのもさげてたって。」言いながら、子どもはラクリマの聖章に手を伸ばした。「パンパンにふくれた背負いぶくろを背負って、北門のほうへ早足で歩いてったって。こいつ、ひきとめようとして走ってったんだけど、人ごみでみうしなっちゃったんだ。でも全部ガドが言ってることだかんなぁ。おいらは絶対、みまちがいだと思うな。」
「ほんとだもん!」
ガドと呼ばれた子どもは泣きながら反論した。
カインは懐から1枚の羊皮紙を取り出し、軽く目を走らせた。紙片は主の手から滑り落ち、ラクリマの目の前の地面に横たわった。ラクリマはそれを拾って読んだ。
「…お前の昔の仲間を預かっている……って、大変じゃないですか、カインさん!」
続きはこうだった。「その者は『お前に会いたい』と言っていた。どういうことだかわかるな。その者は生きているということだ。」最後に、治安の悪さで有名な貧民街の裏通りを指定して、「今晩、一人で来い。そうすれば会わせてやろう。さもなければ……」。
手紙の末尾には、どす黒く変色した血の斑点がついていた。
「これ、どこで?」
「道場で、帰りに渡されました。盗賊風の、印象の薄い男が届けにきたと受付は言っていたが…」
「心当たりが…?」
カインはゆるゆると首を振って、ラクリマを見つめて言った。
「ありません。が、実は、昔の仲間たちの中に、あなたによく似た少女がいました。その子が見たのは、もしかするとジェラルディンかも……いや、生きていれば、だが……」
「生きているかもしれないんですね」
「ええ、可能性はゼロじゃない」
そして俺はそれを信じたい。だがもし生きているとすると、あの呼び出しは……。
カインはラクリマの手にある羊皮紙を見た。ラクリマは心配そうに尋ねた。
「…どうなさるんですか。まさかひとりで行ったりしませんよね?」
「だが、『ひとりで来い』と書いてある…」
「だっ、ダメです! ひとりで行ったりしたら…!」
「………」
「みんなにも相談しましょうよ。ね? 私、急いで仲間を呼んできますから」
カインは迷い続けていた。もし仮に、リューヴィルたちが生きているのなら……そして呼び出し状のいうとおり、だれかに捕まっているのなら……ここで俺が行かなければ、見殺しにすることにならないか……。
「ダン、お兄さんを食堂へご案内してくださいね。カインさん、夕飯を食べて待っててください。その間に私、『青龍』亭まで行ってきますから」
良い案も見つからず、カインは肯いた。ラクリマは子どもたちにカインの手を預け、「絶対に待っててくださいね」と念を押してから駆け出して行った。
食事中、「青龍」亭の扉が開いてセルレリアが入ってきた。
「やっぱりここだったの」
セルレリアはヴァイオラの姿を認め、会釈した。ヴァイオラは微笑み返した。
「お仕事?」
「ええ、おかげで今日は2件こなせるわ」
「気をつけて」
「ありがとう」
勝手知ったる場所柄と見えて、彼女は平気で宿の主人の前を通り抜け、階段を上り、2階の廊下に消えていった。
「そういえばセイ君」
彼女がすっかり見えなくなったのを確認してから、ヴァイオラはセリフィアに向き直った。
「セイ君は、『そういうの』って気にならないの?」
気分を損なうかと思ったが、セリフィアは怒るでもなく「少なくとも今は先にやることが…」と、淡白に答えて寄越した。
「だからって、彼女のカオを潰しちゃいけないよ」
ヴァイオラは諭すように言った。
「だって、暗殺者かも知れないじゃないですかー!」
「彼女は彼女で自分の仕事に誇りを持っているんだから、あんな対応をしたらそれこそ後で刺されるよ」
「…それはこまった…じゃあ、後で気をつけよう」
どうも話がずれている気がするな、と、ヴァイオラが思っているところへ、「ごちそーさまでしたっ! それじゃ私、お向かいに行ってきます~」と元気に、Gが立ち上がった。
「あ、あっしも出かけてきやす」ロッツもテーブルにナプキンを放り出すと、素早く出て行ってしまった。メンバーは一気に3人に減った。
「今日は仕事はどうするの?」
「これから行きます。できるときにやっておきたいから」
セリフィアもそう言って立ち上がった。彼は仕事道具──要するに武具防具──を取りに、階上へあがった。
部屋の扉に手をかけたところで、ふと、何かを感じた。血の匂いだ。扉を少し開けた。中は真っ暗で何も見えない。
(おかしい……)
部屋の中には、コンティニュアルライト〔絶えない明かり〕の魔法で光を放ちつづけるランタンを置いてあったはずだ。真っ暗になるはずがなかった。
セリフィアは咄嗟に、Gからもらった魔法で光るコインを取り出し、扉の隙間から中に投げ入れた。パッと部屋の中が明るくなり、血の匂いの元が見えた。
セルレリアの死体が、セリフィアのバックパックにもたれていた。両手剣のような強い武器でばっさりと袈裟懸けに斬られており、まだ血は止まっていなかった。
「きゃああああ!! だれかぁー! ひとごろしー!!」
タイミングよく、だれかが叫び声を上げた。あっという間にそこかしこの部屋から人が集まり、セリフィアはすっかり取り囲まれてしまった。
「なんか騒がしいね」
ヴァイオラは階上を見上げた。
「あ、ボク、見てきます」
アルトが席を立った。彼もまた階上へ消えたとき、扉が勢いよく開いてラクリマが転がり込んできた。
「た、たいへんです…!」
ラクリマは走ってきたらしく、息を切らしながらヴァイオラに寄って言った。
「どうしたの、ラッキー。カインは?」
「カインさんに…こんな手紙が…」
ヴァイオラはラクリマから羊皮紙を受け取った。彼女がそれを読む間もラクリマは切れ切れに喋りつづけた。
「あの…カインさんのお仲間に…私によく似たひとがいて…うちの子どもたちが今日…私にそっくりなひとが北へ向かうのを見たって…だからその手紙も…本当かも…」
ヴァイオラは眉をひそめた。
「で、カインはどうしてるの」
「カインさんには…修道院で待ってもらってます。…どうしましょう? できたらみなさんも…あちらへ来ていただけませんか?」
と、急にガヤガヤ騒ぐ音が大きくなり、階段から大勢の人間が降りてきた。その真中に、両手を縛められたセリフィアがいた。
「どうしたんですか、セリフィアさん!!」
ラクリマが悲鳴をあげた。
「俺たちの部屋でさっきの女のひとが死んでたんだ。もちろん、俺は何もしてない」
謀られた、と、ヴァイオラは瞬時に理解した。なんてこと。無辜の人間を、他人の命をそんなことに利用するなんて。だが、わかっていたじゃないか、ユートピア教がそういうやり方をするってことは…!
「申し開きは詰め所でするんだな」
宿屋常駐の警備兵がセリフィアを促した。
「その子は私たちの仲間なんです。後見に私もついていっていいですか」
ヴァイオラは警備員に尋ね、許可を得た。ラクリマと、あとから降りてきたアルトに「私も一緒に詰め所へ行ってくるから」と告げた。
「じゃ、じゃあ、こっちはどうすればいいんですか!?」
ラクリマは困り果てて聞いた。
「まずは」と、ヴァイオラは振り返って言った。「ジーさんに連絡して。今夜はみんな一緒に固まって大人しくしてたほうがいい。ロッツ君が戻るまでとりあえずここで待機してて」
アルトがしっかり肯いたのを見届けて、ヴァイオラは連行されるセリフィアのあとを追って出て行った。
「どうしよう…」
「ラクリマさん、まずはGさんにこのことを知らせに行きましょう」
アルトはきっぱりと言って、「青龍」亭から「赤竜」亭へ向かった。ラクリマもそのあとに従った。
「あれぇ、どうしたんですか?」
折りよく休憩中だったGは、歌姫の衣裳のまま二人に話しかけた。アルトはまず、セリフィアが捕縛されたことを話し、ヴァイオラから「全員で固まっているように」言われたことを告げた。Gはすぐさま了解し、「赤竜」亭の主に断って二人と共に「青龍」亭へ戻った。
「そういえば、どうしてラクリマさんもいるんですか? 帰りに何かあったんですか?」
Gに訊かれて、ラクリマはカインの呼び出し状の件を二人に語った。
「それでカインさんは?」
「修道院で待ってもらってるんです……それにしてもロッツさん、遅いですね」
ロッツはなかなか帰ってこなかった。いつもならとっくに宿に戻っている時刻だ。3人はそこはかとない不安を覚えた。
「……ああ、こんなに時間が経ってしまっては……私、一度戻らなきゃ。ごめんなさい、修道院に戻らせてください」
ロッツを待ちきれず、腰を浮かせるラクリマをGが引き留めた。
「ひとりは危ないですよ。ロッツさんには書置きをして、修道院には三人でカインさんを迎えに行きましょうよ」
「そのほうがいいですね」
アルトも賛成したので、三人はロッツ宛に書置きを残し、修道院へ向かうことにした。
詰め所ではセリフィアがひととおりの尋問を受け終わって、とりあえず地下の獄に繋がれたところだった。
夕方、セルレリアと言い争いをしていたという証言もあり、彼の立場はあまりよくなかった。さらに、セリフィアがラストン生まれであることは、取調官に芳しからぬ印象を与えた。ラストンの人間は小魔法を使えるため、その場で剣から血のくもりを取り除くことが簡単にできるからだ。
動機としては、「金目当て」が考えられるというのが取調官の意見だった。これはセリフィアが取り調べの最初に「俺には花代を払うだけの金がないから、彼女を断った」という説明をしたからだ。では取調官が本気でセリフィアを犯人と思っているかといえば、そういうわけでもなかった。要は、「殺った」という確証もないが、「殺らなかった」という確証が得られない以上は、重要参考人として留置するということらしかった。
ヴァイオラは詰め所の上官に、セリフィアと少し話がしたいと告げた。もちろん、許可されることではなかった。しかし彼女の麗しい笑顔と、握られた手に残った白金色のカタイもの──プラチナ貨の感触が上官の気を変えた。あとでばれたら知らぬ存ぜぬで通すことにして、彼は「面会させるように」と部下に命じた。
ヴァイオラが地下へ降りていくと、セリフィアは不機嫌な熊のように獄の中を歩き回り、ときに拳で壁を打ちつけていた。
(ちっとは成長したかと思ったけど、結局はまだコドモか…)
「セイ君」
ヴァイオラの呼びかけにセリフィアが振り返った。いつもの無愛想が兇悪な顔つきになっていた。
(これじゃ殺人犯扱いされても仕方ないわ…)
ヴァイオラはまず彼に落ち着くようにと諭した。反抗的な態度を見せれば、ますます釈放から遠ざかるからと。だが、その実、いい子にしていたからといって釈放されるとは限らなかった。一番手っ取り早い方法は保釈金を積むことだが、先ほど上官に尋ねたところ「一千gp」と言われた。そんな財産はどこにもない。
「死人に証言してもらうことはできないんでしょうか」
出し抜けにセリフィアが聞いてきた。どうやら彼は僧侶が使う呪文「スピークウィズザデッド〔死者と話す〕」のことを考えているらしかった。
「セルレリアさんが犯人を目撃してるとは限らないよ」
「ええ……でも、体格が違うくらいわかるかもしれない…」
それはそうかもしれないな、と、ヴァイオラは思った。何しろこの坊主は身の丈2メートルの大男なのだ。背の高さを確認するだけでも足しになるかもしれない。
「で、だれに頼むの」
ヴァイオラもラクリマもまだその呪文は使えなかった。セリフィアは束の間、口を閉ざしていたが、やがて「サラさんにお願いできないでしょうか」と洩らした。確かにサラならその呪文も使えるだろう。だが無償奉仕してもらえるか、そもそも身重の女性に死体を見せるのはどうだろうか……。
他にいい案も浮かばなかったので、ヴァイオラはパシエンスのサラに呪文のことを頼んでみるとセリフィアに保証し、「くれぐれも短慮は慎むように」と釘を刺して階上に戻った。
3人が修道院に着いたとき、カインは不安げに、だが大人しく待っていた。
戻るまでにかなり時間がかかってしまったので、ひとりで指定場所へ出かけてしまったのではないかと、ラクリマは気が気ではなかった。それが杞憂だったと知って、ホッとした。
「他の人は?」
「セリフィアさんが捕まって、ヴァイオラさんは一緒に詰め所について行っちゃいました」
「…捕まった?」
アルトは事の次第を説明した。カインはそれを聞いて考え込んだ。
「カインさんはどうするつもりですか?」
Gが尋ねた。
「…俺は行きません」
カインは面をあげてきっぱり言った。ラクリマは吃驚してカインを見た。さっきは今にも飛び出していってしまいそうだったのに。
「い、いいんですか…?」
「俺は行かないことにします。話を聞く限り、罠としか思えない。それに…」カインは3人を見回すようにして言った。「俺のせいであんたたちに凶運を呼び込むわけにはいかない」
俺のせいでだれかが死ぬなんて、二度とごめんだ。もう騙されない。だれも死なせない。俺も死なない。恩と仇に報いるまでは。
「それじゃ問題ないですね。『青龍』亭に戻りましょう。ロッツさんが帰ってるかもしれないし」
Gの一声で、一同は再び「青龍」亭へ戻った。惨劇のあった部屋には入る気になれず、新しい部屋をわざわざ用意してもらうのも憚られて、4人は1階の酒場でまんじりともせずにロッツの帰りを待った。
真夜中になって、階上からひとりの女の子が降りてきた。金髪碧眼の美少女で、真冬だというのに半袖の白いワンピースしか着ていなかった。
アルトとGは咄嗟に彼女の正体を見定めようとしたが、人間であるらしいことくらいしかわからなかった。だが近寄らないほうがよさそうではある。周りの冒険者たちもそれを察してか、シンと静まりかえっていた。
美少女は宿の親父に「お世話になりました」と言って、そのまま軽い足取りで宿を出ていこうとした。
「あ、あの、危ないですよ」
「どこへ行くんだ」
ラクリマとカインがほぼ同時に少女に声をかけた。周囲が無言ながらどよめき立った。
肝心の少女は、二人の言葉など気に留めるふうもなく、今にも扉を出ていこうとした。
「ひとりで出歩くのは危ない…」
カインは彼女の肩に手をかけた。瞬間、彼の頭に危険信号が走った。と、同時に何かが体の芯を走り抜けたようだった。カインはそれに耐えた。
「大丈夫」
少女は振り向いてそれだけ言った。カインは手を放した。
「どうして大丈夫なんだ」
「大丈夫なの」
カインの背後からGが割って入った。
「あなたがセリフィアさんを陥れたんですか?」
「Gさん、いきなり何を!?」
ラクリマが声を上げたが、Gは剣の柄に手をかけたまま続けた。
「あなたがセリフィアさんを陥れたのなら、あなたは敵だ。ここで斬る」
少女は「わからない」という顔をした。どうやら本当に、何を言われているのかわからないようだった。一同の気がゆるんだ折に、彼女はするりと出ていった。次にカインたちが扉を開けて表を見たときには、月明かりに浮かぶ彼女の輪郭は、すでにひとつ向こうの角にさしかかっていた。
一同はわけのわからない頭を抱えながら、酒場の席に戻った。そこかしこから、ひそひそ話が聞こえてきた。
「見たか。手で触ってたぞ、あいつ。よく無事だったな」
「俺はそんなことよりまず、彼女に声をかける神経が理解できん」
「どうせ見かけ通りの人間じゃない、大魔術師か、もっと厄介な奴だろ、彼女」
カインは気になって、少女がだれだったのか宿の親父に尋ねた。
「あれはアラファナさんといって、最上階のスイートに1ヶ月逗留されていたひとだよ」
ひそひそ話のいうように、ただの少女ではなかったらしい。カインは腑に落ちないながら、今さら肝が冷える思いを味わった。
待てど暮らせどロッツが帰ってこないので、一同は再び書き置きをして、ヴァイオラにこのことを報告しに行くことにした。
ヴァイオラは仮眠室で休んでいたが、本格的には寝ていなかったらしく、すぐに起きて現れた。アルトはロッツがまだ戻らないことを報告した。さすがのヴァイオラもそれには不安の色を隠せなかった。
「セリフィアさんはどんなですか?」
「ああ…まぁ、大人しくしてるんじゃないかな……壁に八つ当たりする以外は」
そんな会話を交わしているところへ、取調官が「まだ起きてたのか。今晩はもう寝たらどうだ」と現れた。そういう自分は外から帰ってきたらしく、彼の周りだけひんやりした空気が漂った。
「…何かあったんですか?」
「もう一件、コロシがあってな」と、取調官は眠そうにあくびした。「貧民街の方で、街の花が大きな包丁みたいな刃物でバッサリやられたんだ。」
カインはピンときて、その取調官を向いて「もしやその娼婦は、このひとに似ていませんでしたか?」と、ラクリマを指して言った。
「おお!?」
取調官はまじまじとラクリマを見た。
「あ、あんた、まさか姉妹か何かか?」
「いえ、私、肉親はいないんですけど……あの、迷子だったのでわからないんです」
ラクリマがそう言うと、取調官は「とにかく見てもらおう」とラクリマを死体置き場に連れて行こうとした。「俺もついてっていいですか」カインは同道を申し出て、許可された。
その無惨な死体は、ラクリマに似てはいた。だが「瓜二つ」といえるほどではなかった。カインはホッと胸をなで下ろした。やはりジェラルディンではなかった。北門へ向かったラクリマそっくりの人物は、ユートピア教の毒牙にはまだかかっていないと見える。生きているなら……もしも生きているなら、どこかで再び会えるだろう。それまでは……。
「おい、あんた、何してるんだ」
取調官の厳しい声で、カインは物思いを中断した。
「ごっ、ごめんなさい。他に致命傷がないかと思って」
ラクリマが素っ頓狂なことを言っているのが耳に入った。
「この切り傷以外に致命傷があるわけないだろう。おまえ、まさか証拠を隠滅しようとか…」
「ああ、すみません」と、カインは二人の間に入った。「彼女、自分によく似ているので動揺してしまったみたいです。あまりこういうのに慣れてない子なんです。勘弁してやっていただけませんか」
「…まぁ、仕方ないか。あんたもこういうところで妙な真似は控えるんだな」
ラクリマは「ごめんなさい」と何度も謝った。年下のカインに庇われた自分が情けなかった。
(行かなくてよかった)
カインは自分の判断が正しかったことを知った。
やはり呼び出しは罠だったのだ。自分がのこのこひとりで指定場所へいくと、ジェラルディン似の娼婦の死体が転がっており、発見と同時に「ひとごろしー!」と叫ばれ捕縛される段取りだったのだろう。
カインたちが詰め所を去るまえに、ヴァイオラはラクリマにサラへの依頼を言付けた。その件もあって、皆で一晩パシエンスに転がり込ませてもらおうという話になった。修道院に向かい、空いている大部屋に潜り込んだ。それからやっと安眠を貪った。




