9 持つべきものは友
アルトはひとりで先に「青龍」亭へやってきた。扉を抜けて中に入りばな、だれかとぶつかった。それが宿の親父だったので、「すみません、すみません」と謝りながら、空いている部屋があるか腰を低くして尋ねた。
「ああ、あるぜ」宿の親父は小柄なアルトを見下ろして言った。「何人だ?」
「えっ、えっと…」アルトは頭の中でざっと勘定し、「5人です」と答えた。
「5〜6人用の部屋がある。一人一泊1gpだ。食事は別料金」
宿の親父はぬっと右手を突きだした。
「全額前払いだ」
「えっ…」
アルトは咄嗟に暗算した。これから戦闘訓練の道場に2週間通うから、14泊×5人で70gp…自分の懐に幾らあるか思い出したが、とても足りなかった。
(どうしよう、どうしよう)
と、おろおろしているところへ、扉が開いて、「どうしたの、ちび」と声がかかった。
「あっ、ヴァイオラさん〜、先払いって言われて…」
アルトが言い終わる前に、1階酒場のテーブルから声が飛んできた。
「ヴァイオラだって!?」
3人の男が立ち上がってこちらを見ていた。ヴァイオラはそちらに顔を振り向け、叫んだ。
「トール!!」
喜んで駆け寄り、一人を力一杯抱きしめた。トールはクダヒのストリートキッズのリーダーで、ヴァイオラの親友だった。彼は仲間内の呼び名で彼女を呼んだ。
「久しぶりだな、ヴァーイ!」
「久しぶり! こんなところで会えるなんて!」
ヴァイオラはもう一人の顔を見て驚いたように、「ルーじゃないの、どうしたの」と口にした。ルーと呼ばれた男は「久しぶり」と小さく言って、元の席に座り直した。彼、ルーウィンリーク=クロイツフェルトは、クダヒの神学校での同期生だ。常にトップの成績で、先生方の御おぼえ目出度き根っからの「優等生」だった。親しくはなかったが、お互いのことはよく覚えていた。
「ヨカナン・トルゥ=ヴァイオラ!!」
いきなり、正式な呼び名で呼ばれてヴァイオラは3人目の男を振り返った。見たことも聞いたこともない顔だった。
「…どちらさまで?」
「君が振った君の婚約者だっ!!」
「はぁあ!?」
自称・婚約者が怒声を張り上げている脇で、ルーウィンリークが吹き出した。トールは声を上げてげらげらと笑った。ヴァイオラには何が何だかさっぱりわからなかった。
「どうしたんですかぁ、ヴァイオラさん?」
折悪しく、Gやセリフィアやカインも到着していた。
「婚約者って何ですかぁ?」
Gが目をきらきらさせながら尋ねてくるのを押さえて、ヴァイオラは「とにかく、申し訳ないが部屋を取りますので、話はあとで」と自称・婚約者をなだめ、宿の親父に前金で宿代を支払った。その横で、
「相変わらず子守りしてんの? いつまで経っても変わらないな」
と、トールが笑いながら言った。図星を指されたようで、ヴァイオラは苦笑して返した。「あとでね、トール」
部屋に落ち着いたあと、ヴァイオラはひとりで宿の階段を降りた。トールたちはまだ先ほどのテーブルで食事していた。すぐ隣のテーブルにカインがいたが、彼のことはあえて気に留めずにトールたちに近づき、先ほどの見知らぬ男にきちんと礼を取って名乗った。
「私がヴァイオラです。あなたは…?」
「ガウアー・ベヴィス=アベラードだ」
青年はむすっとしたまま、自分も名乗りをあげた。
「失礼ですが、私の婚約者というお話はいったい……?」
「言葉の通りだ。見事に振られたが」
いつどこで私が見たこともないあなたを振れるのよ、と、心の中で返すヴァイオラに、ガウアーは一枚の羊皮紙を取り出して見せた。それは彼女の父親が彼の父親ととりかわした、正式な婚約の証書だった。ヴァイオラが呆れてモノも言えずに証書を返したところで、横からトールが話に入ってきた。彼はガウアーの肩に手をかけ、笑いながら話した。
「いや、ケッサクなんだぜ、ヴァーイ。こいつ、『オンナ』に振られて、自分を磨き直すために冒険者になったんだ」
ヴァイオラは「オンナって…?」と目で問うた。トールは「お前だ」と目で返した。
「仕方ないだろう、ガウアー。ヴァイオラは知らされていなかったんだろうから」
やや意地悪そうにルーウィンリークが言った。昔からちょっと鼻につく、嫌味なしゃべり方をする男だったけど、まだその気が残っているんだな、と、ヴァイオラは思った。だからてっきり先生方の推薦を得て、優等生らしくお堅い名誉ある職につくと思っていたのに、まさか冒険者になるとは(まだ彼の口から聞いてないけど十中八九、冒険者だろう)。意外に骨のある男。ヴァイオラはルーを見直した。ひとを見た目で判断しちゃいけない。
それにしても他の人間が知っていて、自分だけ事情を知らないのは気持ち悪かった。ヴァイオラは、詳しい事情を教えてほしいと、ガウアーに丁寧に頼んだ。
ガウアーやトール、ルーウィンリークらが代わる代わる説明してくれた話によれば、どうやらすべては自分の父親の謀りごとらしかった。相談なく、勝手に婚姻を進めようとしていたのだ。ガウアーの実家アベラード家は新興の貴族で、ヴァイオラも名前を聞いたことがある。賭けてもいい。絶対に、アベラード家の資産目当てだ。本人の知らぬところで結婚の準備は着々と進められていたが、彼女がクダヒから出ていってしまったことで、縁談がご破算になってしまった。ガウアーはそれを「振られた」と認識して──そこから先がなぜそうなるのか理解に苦しむのだが──オトコを磨くために冒険者になったのだという。
(なんてこと…)
ヴァイオラは天を仰いだ。もっともここでは黒光りする天井しか見えなかった。
だがすぐに気を取り直し、ガウアーの目を正面から受けとめて謝罪した。
「親が勝手に決めたこととは思いますが、あなたの心を傷つけたのなら、申し訳ありませんでした」
途端にガウアーはにっこり笑って、さきほどの証書をダガーで真っ二つに裂いて見せた。赦してくれたらしい。実は侠気のあるいい奴なのかも、と、思ったとき、視線を感じて階段のほうを振り返った。Gがいた。
Gは「こんな面白そうなこと、ラクリマさんに教えたらきっと喜んでくれる」と思って、ヴァイオラを追って、さっきからずっと階段で聞き耳を立てていた。聞こえてくる話に自分の想像力をミックスしながら、羊皮紙に「ヴァーさん新聞」を書きつづった。わくわくして思った。絶対、ラクリマさんに見せるんだ、喜んでくれるから。
「ジーさん、何してるの」
ヴァイオラは半分呆れ口調でGに語りかけた。ふと気づくと、カインのテーブルにアルトもちょこんと座っていた。全部聞かれたらしい。自分としたことが気づかなかったなんて。
Gは相変わらず、ヴァイオラから隠れているつもりで返事しなかった。
「ジーさん、そんなところにいないで降りておいで。丸見えだよ」
そう言われて、やっと腰を上げた。カインのことは気にくわなかったが、ヴァイオラのそばだったので、アルトと同じテーブルについた。テーブルの上に羊皮紙を広げ直し、まだペンを握っていた。
「そうそう、あっちのオトコが」と、トールがカインを指してヴァイオラに話しかけた。「仲間になりたいって言ってたぞ」
カインはそれを聞いて、いつ自分が、という訝しげな顔をした。
「違うのか? じゃああれか、いつもと同じで、綺麗なオンナに見惚れて、そばにいたくてついてきただけか?」
そうだとしてもそのオンナは私じゃないよ、と、ヴァイオラは思った。隣でGが、
「カインさんは私たちのイヤなひとに似ているので、嫌われてるんです」
と、きっぱり言った。カインはそれを聞きながら、アルトの話とずいぶん違うな、と、思った。アルトに聞いた限りでは、レスタトという自分のそっくりさんは彼らの命の恩人だったのに。
「……昔っからお前のまわりには変な奴が集まると思っていたが、変わらないな」
ルーウィンリークが口を開いた。別に嫌味で言ったわけではなさそうだった。
ヴァイオラは「まあね」と彼に笑って返したあとで、「みんなは元気?」とトールに話しかけた。
「ああ、元気だ」トールは答えた。「キーロゥが孤児院を作りたいって言いだして。それで資金集めに俺も冒険者になったんだ」
ああ、なるほど、と、合点がいった。懐かしい名前…。キーロゥもストリートキッズの仲間だ。孤児院を本気で作りたいとは、彼らしい。
「じゃあ、ここにいるのはみんな冒険の…?」
「そうだ。仲間だ」と、トールではなくガウアーが答えた。「紹介しておこう。トールとルーは知っているから、必要ないな。こっちがリーンティア=ロールバレラ」
ガウアーは同じテーブルに座る戦士姿の女性を指して言った。
「彼女のお母上は有名な竜騎士だ。彼女も冒険しながらドラゴンを探しているんだ。居所を知っていたら教えてくれ」
ドラゴンじゃなくてワイバーンならこの間飛んでいたけど、と、アルトは思った。
「こっちはテラル=ボレル。ほら、クダヒのそばに魔術師の塔が一つあるだろ」
ヴァイオラは久しぶりにクダヒのことを思い出した。確かに塔があった。ガウアーは見るからに魔術師風の、若い男性の紹介を続けた。
「テラルは、俺がそこへ直に行って、弟子を一人貸してくれってかけあったのさ。それで仲間に入ってもらった」
どのメンバーも、胡散臭いところのない、まっとうな冒険者のようで、ヴァイオラはトールのために安堵した。もっとも、そういう厄介な人間がいるような集団に、トールほどの目利きが参加するわけないか。
「そうだ、トール、あなたたち、今度はどこへ冒険しに行くの? まさか、エイトナイトカーニバルじゃないでしょうね」
ヴァイオラは突然不安を覚えて尋ねた。
「ああ、そんな話もあったな」
ガウアーが言った。ルーウィンリークが訝しげに、「そこは何か問題あるのか?」と聞き返してきたので、ヴァイオラはセロ村やハイブコアのことをざっと語った。
「だから、セロ村方面へは行かないほうがいい。エイトナイトカーニバルなんて論外」
ガウアーは別に気を害した様子もなく、ヴァイオラの言葉をそのまま信じたようだった。ルーウィンリークや他のメンバーと一言二言を交わしたあとで、
「もともと北へ行くつもりはあまりなかったんだ。それならやっぱり南東へ行ってみるか」
と、呟くように言った。
ヴァイオラたちが真面目な話をする横で、Gは着々と「ヴァーさん新聞」を書き進めた。だんだん眠くなってきて、字体が崩れ始めたところへ、扉が開いてロッツが入ってきた。
「姐さん…あっ! トールの兄貴!!」
ヴァイオラに話しかけようとして、ロッツも驚きの声を上げた。もともと、ヴァイオラはトールに紹介してもらって、ロッツと知り合ったのだ。
「よう、久しぶりだな、ロッツ」
トールもロッツとの再会を喜んだ。少し雑談したあとでロッツはヴァイオラに向き直った。
「姐さん、例の話をばらまいてたギルド員が捕まりました。ストリート上がりのバカン=スースリーゼって奴なんですがね、こいつが中心になってやってたらしいです。ついさっき、ユートピア教徒の疑いでしょっぴかれやした」
ロッツはここでカインのほうを向いて、
「坊ちゃん…カインさんのハイブコアに対しても、フィルシムの騎士団が動きました。明朝、討伐隊が出るようでやんすよ」
と、律儀に報告した。
「あっしはこれからもう一度ギルドへ行きます。バカン絡みで司直の手が入るんで、その関係でまた情報が入りそうでしてね」
ヴァイオラから重々気をつけるようにと言い含められてから、ロッツはまた宿を出ていった。
「……また面倒事に巻き込まれてるみたいだな」
「まあね」
やや心配そうに聞くトールに、ヴァイオラは、心配しないでと笑ってみせた。隣のテーブルではGがもう限界で、睡魔にあらがえず、こっくりこっくりし始めていた。「ほら、ジーさん、もう寝るよ」とGを起こし、ヴァイオラは階段へ向かった。本当はもっとトールと語り合いたかったが、彼らが明日出立すると聞いて、遠慮することにしたのだ。最後に振り向いて、
「忠告はしたからね」
と、ガウアーたちに念を押すように言った。ガウアーが笑って応えた。
「俺たちには夢がある。その夢を潰すような真似はしないさ」
横でずっとやりとりを聞いていたカインは、その言葉に胸が痛んだ。怒りに叫び出したいような衝動に駆られた。
俺たちにも夢はあった。それを潰すような真似だって、するつもりは、しているつもりはなかったんだ……………。
追憶の波が押し寄せた。
† † †
簡単な仕事だと思っていた、俺たちには。いや簡単な仕事のはずだった。
冒険者として仲間を組んだ俺たちリューヴィル一行は、成功の階段を駆け上がり始めていたと思う。みな若かったけれど、リューヴィルを中心に、着実に連携を強めていた。
その依頼は、フィルシムの盗賊ギルド絡みだった。内容は「ある迷宮で行方不明となった駆け出し冒険者の遺品回収」というもの。有名な迷宮で、既に何もないといわれているが、よく駆け出しの冒険者が肝試し的な意味合いを込めて最初の冒険に利用するところだ。
報酬もそこそこだったので、俺たちは早速その迷宮に向かった。……だがまさかそこがハイブの巣になっているとは思いもしなかった。ハイブの作り出す匂いから発せられた魔法で、ファラとディートリッヒが眠らされ、同時にリューヴィルが麻痺毒に冒された。俺たちは一気に劣勢に立たされた。俺は、残りの仲間、アルトーマスとジェラルディンと共に逃げた。だが、足の速いハイブは、徐々にその差を詰めてきた。覚悟を決めたアルトーマスは、ハイブの前に立ちはだかり、
「カイン、妹を頼んだ」
あいつはそう言って、大剣でハイブをなぎはらい始めた。おっとりしていながら剣術に関しては腕のいい奴だった。だが、数の上での劣勢を跳ね返すことはできず、やがてハイブの波に飲み込まれていった。彼の姿を見たのはそれが最後だ。
俺は涙をのんで、ジェラルディンを護りながら、逃げた。必死に逃げた。しかし、その逃げ道すらハイブの罠だった。俺たちは崖の上に出た。遙か下は河。…もうダメか…そう思った瞬間、だれかが俺の身体を押した…。
『お願い、カイン。あなただけでも逃げて…』
その声を聞きながら俺は崖の下に落ちていった。そして気を失った……
† † †
気がつくと、ガウアーたちも部屋に引き揚げていた。カインは一人で考え込んだ。
トールとかいう青年がさっき言ったこと……ヴァイオラたちの仲間になること、それは確かに手だてかもしれない。あの連中はハイブと関わりが深いらしいから。大司祭とのコネクションもあり、ただの冒険者とは思えないところがあった。
本当は自分の手で、俺たちを陥れた奴を捕まえたかった。ハイブコアを潰すための人員を募集するようなら、それに志願したかった。だが、それに関しては自分の出る幕はないようだ。それなら……
それに、と、カインは思った。
(あそこには彼女がいるし……)
彼はまだ、ラクリマのことが気になって仕方ないでいた。どうしてあんなにジェラルディンに似ているのだろう? 本当にジェラと関係ないのだろうか? 確かめたい……。
一つの決意を抱いて、カインは自分のねぐらへ帰った。




