7 残酷な現実
2月2日。
場所が修道院だけに朝早くから起こされた。規律の緩やかなところらしく、寝床の始末と清掃以外に大した労働は課されなかったが、セロ村にいたときよりもゆうに二時間は早い時刻に朝食を詰め込まなければならなかった。カインは食堂でそれとなくラクリマの姿を探したが、彼女は見あたらなかった。
セリフィアは食事もそこそこに、物干し竿のような長剣を担いでいそいそと出かけていった。今日から10フィートソードの訓練が始まるのだ。その前に、パシエンス修道院に100gpの寄進をしていった。何も強制されないからこそ余計に、タダ飯喰らいにはなりたくなかった。
Gも、セリフィアとは別口に、「お世話になります〜」と言って100gpを差し出した。お陰でパシエンス修道院は突然潤ったようだ。
Gは、今日は修道院でお祈りと労働をするつもりだとヴァイオラたちに告げた。言葉通り、彼女は本堂でお祈りを捧げた。祈りを終えて、あらためて堂内を見まわすと、天井や壁は古い画で埋め尽くされていた。正面のヴォールトに描かれたエオリス神らしき像の画が、とりわけて美しかった。だが、どの画もところどころ絵の具が落剥していた。
「きれいでしょう」と、そばにいた女性が気さくに話しかけてきた。Gがぶんぶん首を振って肯くと、
「この建物はフィルシム市内でもかなり古い部類に入るようです。建て増ししたり修繕したりはしてますが」
Gは、へぇとかほぅとか半分上の空で答えた。エオリス神の画の背後の青に、彼女は気を取られていた。空より深い青だった。女性はそれに気づかず、言葉を続けた。
「もっと古い建物もあります。塀の外に出た先にあるシンプルな小さい礼拝堂ですが、中の壁画はここより美しいかもしれません。一面、背景が青で覆われて」
「青」と聞いてGがもの欲しそうな顔をすると、それを察して、女性は「残念ながら今日は中を見られませんが」と付け加えた。
「ひとり、篭もっていますから。でもお篭もりのひとがいなければ、明日でもいつでも、好きなときに入って見られますよ」
ちょうどよかったので、Gはこの女性に手伝えることがないか尋ねた。それから別の女性のところへ連れて行かれ、そのあとは一日労働に精出した。大枚の寄進をした上に労働を申し出たので「お若いのに心がけのよいこと」と感心されたが、ガラナークでは当たり前のことだったからまさか誉められているとはわからず、とんちんかんな受け答えをしてしまった。
最初は台所で芋の皮むきを頼まれたが、皮を剥いているというよりも実を削っているような出来栄えと、今にも指を切りそうに危うい手つきとが原因で、その持ち場は早々にお払い箱になってしまった。次に洗濯の手伝いを頼まれ、女たちが洗濯板を使う様子を見ながら、真似してゴシゴシと衣類をこすった。ときどき力が入りすぎて、2〜3枚、僧服の端を破いてしまった。「いいよ、乾いたあとで繕ってもらうからさ」と言われてGは慌てた。「だっ、だめですっ、私、縫い物ってできないんです!」必死で弁解した。あとで繕うように言った女はGの必死ぶりがおかしかったのか、笑って「いいよ、あたしがやっておくよ」と言ってくれた。
最後に、子供たちの中に放り込まれた。子守をするように言われたが、何をすれば子守になるのかわからなかった。Gは、こんなにたくさんの子供を見るのは初めてかもしれないと思った。
(なんでこんなに子供がいるのかなぁ)
半分は孤児で、残り半分は通いで来ている女たちの子供だった。それにしても、五月蠅かった。虫を捕まえて見せに来る男の子や、独占しそうな勢いでおしゃべりをしかけてくる女の子、無言で体当たりしてくる子もいれば遠巻きに見ているだけの子もいた。子守しているんだかされているんだかわからない状態で、Gは夕食の時間まで過ごした。
ヴァイオラはカインを連れて、朝からロウニリス司祭に会いに出かけた。アルトが一緒に行きたいというので、ついて来させた。
神殿では昨晩の倍近く待たされて、やっとロウニリス司祭の部屋へ通された。ロウニリス司祭は一人、書記官を伴っていた。ヴァイオラがカインを紹介すると、カインは跪いて礼を取り、自分の口からもきちんと名乗りを上げた。こういうところは坊ちゃんよりもずいぶんまともなようだ、と、半ば無意識のうちにヴァイオラはカインとレスタトを較べていた。
もっとも、レスタトが尊大だったのは生まれのせいで、仮に大司祭が相手ともなれば彼も同じように振る舞ったかもしれない。
一番最初に、ヴァイオラはスチュアーのことについて触れ、クダヒの神殿に死亡の報告をしたいこと、遺族に遺品を届けたいがどうしたらよいかということを相談した。ロウニリス司祭がそれについては自分たちがあとでとりはからうと言ってくれたので、スチュアーの遺品はすべてここで手渡した。
本題に入ることとなり、ロウニリス司祭は言った。
「では詳しい話を聞かせてもらうとしよう。その前に、書記官が同席するのは構わないかね?」
ヴァイオラもカインも異存はなかった。カインが事情を語り出すと同時に、書記官のペン先がよどみなく走りだした。
カインは、自分たちのグループが、ある冒険者たちの遺品の回収を頼まれて遺跡へ行ったこと、そこがハイブコアになっていて、仲間は全滅してしまったこと、自分はハイブから逃れようとして川に落ち、九死に一生を得たことなどを淡々と語った。
また、ロウニリス司祭の質問にもほとんどよどみなく答えた。自分たちがその仕事を請け負ったのは、仲間の女盗賊が──ファラという名前らしく、あとでロッツ君に知らないか訊いてみようとヴァイオラは思った──盗賊ギルドから持ってきた話だからだと述べた。
カインの口からはっきりと、フィルシムの盗賊ギルドがハイブコア拡大に一役買っている証左を耳に得て、ロウニリス司祭は顔をしかめた。もはやその苦々しい表情を隠そうともしなかった。
「盗賊ギルドのルートは早急に調べないとまずいな…」
「私のほうでも調べてはいますが…」
「いや、こちらで調査しよう。三人とも、足労であった」
ロウニリス司祭はそう言って会見の終了したことを告げた。
「今ひとつ」と、ヴァイオラはロウニリス司祭に尋ねた。「今後、また何か情報を得た場合にはこちらへうかがいますが、大司祭様はご多忙でいらっしゃいましょう。どなたか、代理で話をさせていただける方はいらっしゃいませんか?」
「あいにく…」ロウニリス司祭はさらに苦い顔をした。「そういう者は今、おらぬでな。済まぬが直接私に報告してもらいたい。早朝か深夜にしてもらえればなお有り難い」
昨日、それを言ってくれれば今日も朝早くに来たのに、と、ヴァイオラは思いながら言った。
「最後にもうひとつ、確認させていただきたいのですが、セロ村に派遣されるはずだった方たちは、魔法の物品を持っていましたか?」
ロウニリス司祭はちょっと考えて、「みな、業物と言われる水準の鎧は身につけていたはずだ。各自1つか2つのマジックアイテムは持っていただろう。それだけ実力のある一団だったのだからな」と答えた。それから、付け足しで彼らのリーダーの名前がラルヴァン=ボールドウィンだったことを教えてくれた。
ヴァイオラは話を聞いて、バーナードたちに襲われたわけではなさそうだと、安堵した。バーナードたちに対する不信が、先日からどうしても拭えずにいたのだ。彼らが帰ってきたとき、新たなマジックアイテムは革鎧一つだけだった。これで、たぶん…おそらく十中八九は彼らではないと言えるだろう。
三人は丁寧に礼を取ってからロウニリス司祭の部屋を辞去した。
「では私は回りたいところがありますので」
カインはそう言って二人と別れた。戦闘訓練をしている道場を見に行き、特に他にすることもなくパシエンス修道院に戻った。時間が余ってしまったので、祈りをあげる格好をして教会の建物に入ったり、水を汲む手伝いをしがてら台所に入ったり食堂に入ったりして、さりげなくラクリマを探したが、相変わらず院内に彼女の姿は見えなかった。
ヴァイオラは、アルトを連れたまま、隊商ギルドと冒険者ギルドを回った。
まず隊商ギルドへ行った。中に入ってカウンターに歩いていく途中、カウンターの端で人待ち顔の娘が立っているのを目にした。
カウンターで、「何のご用でしょうか」というのに、ロビィの遺品の中から隊商の手形を取り出して見せ、彼らが全滅したと報告した。
「本当ですかっ!! ロビィは…ロビィは…!?」
突如、カウンターの端に立つ娘が、身を乗り出してきた。彼女の次の言葉は、彼女がロビィの婚約者だろうというヴァイオラとアルトの推察を裏付けた。
「私、エステラと申します。ロビィの婚約者です。ロビィは、教えてください、ロビィはどうなったんですか」
エステラは両手を胸の前で握りしめ、声を震わせながら聞いてきた。
「ロビィさんはお亡くなりになりました。こちらが遺品です」
ヴァイオラが最後まで言うより早く、彼女は声を上げ、ロビィのバックパックに取りすがって泣き崩れた。痛ましい光景だった。何度経験しようとも慣れるものではない。
隊商ギルドの受付が、「わざわざありがとうございます」と礼を言った。ヴァイオラは、「短い間でしたが、彼らにはお世話になりましたから」と静かに答えた。それから、セロ村の村長から頼まれたスルフト村村長宛の書簡を依託した。最後にエステラに声をかけ、彼女の家まで送ろうと申し出た。
遺品のバックパックをしっかり抱きかかえたまま、エステラは物も言わずに歩いていった。行き交う人々は、彼女の泣き腫らした目を見て、「何事だろう」と折々振り返った。やがて、商人街の奥まった一角、ほどなく貴族の居住区に入ろうというあたりの一軒の大店の前で、彼女は立ち止まった。振り返り、二人に「ありがとうございました」と弱々しい声で礼を言ってから中へ入っていった。中で番頭かだれかが「お嬢様」と声をかけるのが聞こえた。
ヴァイオラは踵を返した。少し行って、アルトがついてこないので後ろを見ると、彼はエステラが消えていった大店の入り口を何度も振り返り振り返りして歩いていた。アルトが自分のところまできたときに、ヴァイオラは言った。
「ああいうふうに女の子を泣かせちゃだめだよ」
アルトはちょっと吃驚したような顔をし、それから神妙な面もちになった。彼は、最初に自分がうっかりラクリマを泣かせてしまったことなど思い出しながら、(やっぱり女の子を泣かせちゃいけないんだ)と心の中で繰り返した。そして強く決意した。
(ボクは女の子を泣かせないように行動しよう。ヴァイオラさんが泣かないように、Gさんやラクリマさんが泣かないでいられるようにしてあげなきゃ)
ヴァイオラは次に冒険者ギルドへ向かった。ギルドの事務所は木賃宿の街区にあった。扉を押し開け、受付に進んでツェーレンが亡くなったことを告げた。
こちらは淡泊だった。受付は事務的にコトを処理し、「彼は天涯孤独の身でしたから、遺品を渡す相手はおりません。よろしかったらそちらでお持ちください」と告げた。ヴァイオラは書類にサインして、ツェーレンの荷物を丸ごと引き取った。ロビィのように恋人を泣かせるのも痛ましいが、逆に遺品を届ける相手がいないのも痛ましいものだ、と、サインしながら沈んだ気持ちで考えた。
このままパシエンス修道院へ戻ろうかと思ったが、思いついたことがあって、彼女はアルトを連れたままフィルシムの大門を訪れた。そこで門番に、10日前かそれより少し前にラルヴァン=ボールドウィンという冒険者一行が出立していないか、尋ねてみた。
確かに、ラルヴァンの名が記されていた。二人は日付を頭に入れた。1月20日だった。強行軍か何かでもしていない限り、あの場で戦闘があったのは1月21日だったことになる。
同じ日に、やはり同じくらいのレベルのパーティが出立しなかったかと門番に尋ねたが、一日に100組以上もの冒険者や商人、旅人らが出入りするので、そんなものは覚えていないと軽くあしらわれた。
「帰ろうか」
「そうですね」
二人がパシエンス修道院に帰り着いたのは、すでに日も暮れかけたころだった。




