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4 爪痕

 1月26日。

 ヴァイオラが坊ちゃん塚から戻ったとき、バーナードたちは木こりに同道するための準備をしているところだった。

「よろしくお願いします」とヴァイオラが頭を下げると、バーナードは「話は聞いた」とだけ答えた。

(聞きしに勝る無愛想だな…)

 そこへジャロスが「よう」と声をかけてきた。

「昨晩のうちに話をしておいたから」彼は明るく続けた。「心配するな」

 ヴァイオラは礼を言って、出立準備の整った仲間の中に入っていった。ラクリマがスコルに向かって丁寧に礼を取ったのが見えた。その脇で、ロッツがバーナードのことをじっと見つめているのに気がついた。

「どうしたんですか、ロッツさん?」

 ラクリマが訊ねた。彼女も同じことに気づいたらしい。ロッツは、

「グッナード=ロジャスの息子さんですよね。初めてお目にかかりやした」

と、言った。

「どういうこと? 知ってるの?」

 ロッツが気まずそうな気配を見せたので、ヴァイオラはこれ以上ここで聞くのをやめた。

 村の門にはスマックがいた。警備隊のうちで一番親しかった彼は、「早く帰ってこいよ」と気持ちよく送り出してくれた。

 去り際、ヴァイオラは少し離れた倉庫の陰に、小さな人影を見つけた。キャスリーン婆さんだった。視線をたどった先にはラクリマがいた。彼女を見送りにきたらしかった。ラクリマも先ほどからキャスリーンに見られているのに気づいていた。だがどうしてもこちらから声をかけに行くことができずにいた。

(ごめんなさい、お婆さん。どうかお元気で…)

 彼女はもうセロ村に戻らないつもりだった。だから、キャスリーンからの信頼を裏切るようで、胸が申し訳なさでいっぱいだったのだ。それでもやはり知らぬ顔はできず、最後に深々と頭を下げた。

 一同が村を出てしばらくしてやっと、ロッツが口を開いた。

「あんなところで話したらまずいでやんすよ」バーナードのことらしかった。「あれがグッナード=ロジャスの息子か……」それからいきなりセリフィアを向いて、「よく無事でしたね」と感心したように言った。

「バーナードについて何か知ってるの?」

 ロッツは、まだ後ろを気にしながら、ヴァイオラに答えた。

「父親はスカルシ村の10フィートソード使いでやんす。なぜだか父親が息子にその10フィートソードを伝えなくって、それで一時は大騒ぎだったみたいでさ。いやぁ、本当によく無事でしたよねぇ」

 ロッツはセリフィアに向かって、繰り返し言った。

(…悪い奴には思えなかったが)

 セリフィアはその話を聞きながら、少し意外な感じを受けていた。

「大騒ぎってどういうこと?」

「まあ…いろいろあったみたいで……ちょいと物騒な父子ゲンカでさね」

 そんな話をしながら小一時間も歩いたころ、街道に虎たちの姿が現れた。ラクリマはふっと別な気配を感じて森のほうを見やった。ヘルモークだった。彼は木陰からそっと皆を見守っていたが、すぐに姿を消してしまった。

 一同は虎に乗って、自分で歩けば2日かかる行程を踏破した。野営地で虎と別れ、キャンプを張った。夜も何のモンスターも現れず、初日は平穏に過ごした。



 1月27日。

 日中は何事もなかった。

 夕刻、野営地点で、一同は決して見たくなかったものを目にしなければならなかった。2台の荷馬車が、森へ突っ込んだようなかたちで街道からはずれ、放置してあった。

(まさか…!)

 だれもが予想のはずれることを期待したが、紛れもなくそれはロビィたちの隊商の馬車だった。馬車の周囲には戦闘の跡が残り、見覚えのある粘液質の分泌物がそこかしこに認められた。

「ハイブだ……」

 全員、胸が潰れそうな思いがした。

 どこにも死体はなかった。餌として、あるいは苗床として連れ去られたに違いない。馬車の中を検めたところ、積荷のほとんどはそのままだったが、一緒に積んであったはずの食糧がひとつもなかった。獣の類に食い荒らされた様子もなく、こんな手前で食糧を使い切るはずは万が一にもないことから、ハイブたちに持って行かれたとしか考えられなかった。

 ハイブたちがこんなところまで出てきている…。まさかコアが分裂を……?

 コアの増設も不安だったが、それ以上にハイブたちに知恵がついているらしいことが恐ろしかった。この襲撃はおそらく偶然ではない。ダグ=リードたちの知識を得て、日程を合わせて隊商を待ち伏せしたのだ。

 ヴァイオラの指示で、一同は残っている荷物から遺品となるものを回収した。遺族がいれば遺族に届ける心づもりだった。ヴァイオラが見たところ、ツェーレンの持っていた魔法の剣は見あたらなかった。スチュアーのバックパックからは、ヴァイオラやラクリマが彼に預けた手紙がでてきた。亡きレスタトが彼に依託した書簡もあって、いっそう暗い気持ちになった。設営後、一同はほとんど無言のうちに食事を済ませた。昨晩決めたと同じ順番で夜直に立った。

 セリフィアとアルトが1直目を無事に終え、2直目のヴァイオラとGに交替して一刻ほど経ったころ、火影の向こうに人影が現れた。ツェーレンだった。2本の足で歩いているものの、彼はすでにこの世の人ではなかった。

「よう、ヴァイオラじゃないか。どうしたんだ、こんなところで」

 ツェーレンの幽霊は焚き火に近寄りながら、いつものように楽しげに語りかけてきた。

「お久しぶり」

 ヴァイオラは努めて明るく返事した。ツェーレンはすっかり火のそばに寄って、笑顔で言った。

「いい酒あるんだ。俺のバックパック、あるか? 中に特別な奴が入ってるんだ。一杯やろうや」

 ヴァイオラがバックパックの中を探すと、確かに佳さそうな酒が入っていた。

「ヴァイオラさん、他のみんなも起こしましょうよ」

 Gの提案で、寝ていた残り4人も起こされた。

「ツェーレンさん!?」

「よう」

 半分透けていたので、彼が何であるかはだれからも一目でわかってしまった。「生きていたのか」と聞く人間はだれもいなかった。ツェーレンは、だが、生前と変わらぬ調子で語った。

「ロビィやスチュアーには悪いことをした」

「ツェーレンさんのせいじゃありませんよ!」

 Gはむきになって言った。

「俺がもうちょっと注意してれば…」

「…みんな、どうなったんですか。殺されたんですか、それとも…」

「ロビィとスチュアーは死んではいなかった。麻痺しちまっていたな」

 ロビィとスチュアーの二人のハイブ化は確実になった。あと二人の護衛は、ツェーレンが死ぬまで生きていたので、その後どうなったかはわからないと、彼は言った。

「最後に、ジェイを逃がそうとして…うまく逃げたかなぁ、あいつ。あいつが走っていくのを見たあとプッツリでな。ジェイの安否だけが心配だよ」

 ツェーレンはそう言って空を仰いだ。それから唐突に視線を戻し、「どうだ、いい酒だろ」と言った。

「滅多にお目にかかれない酒ですからね、ありがたく頂戴してますよ。タダだと思うと美味さもひとしおです」

 ヴァイオラの返事に、ツェーレンは笑った。彼の前にも杯が置かれていたが、幽霊である彼にはそれを持つことができなかった。

「ツェーレン、ハイブはどのくらいいましたか」

「そうさな。6匹…いや、8匹ぐらいいたか」

「ばったり出くわしたんですか、それとも…」

「あいつらは待ち伏せてた」

 ツェーレンはきっぱりと言い切った。

「俺たちが夜営の準備で気を抜く瞬間を待っていやがったんだ」

「………」

「死んじまった俺が言うのも何だが、お前たちも、気をつけろよ」

「ええ、肝に銘じます」

 ヴァイオラの横で、セリフィアもしっかりと肯いてみせた。

「そうだ、頼みがあるんだが」

「何なりと」

「ロビィの婚約者が隊商ギルドにいるんだ。彼女にロビィのことを伝えてやってくれ。あと、スチュアーのことも神殿に連絡してやってくれないか。あいつ…あんなに帰りたがってたのに、とうとう連れ帰ってやれなかったなぁ」

 ラクリマの瞳から数日ぶりに大粒の涙がこぼれた。

(泣かないって決めたのに……神よ、赦したまえ。今は彼らのために泣かせてください)

 ヴァイオラはツェーレンを真っ直ぐに見て、

「必ず伝えます。だからどうか心配しないでください」

と、誓った。ツェーレンは、

「ありがとよ。じゃ、俺、そろそろ行くわ」

 言うや言わずやで、彼の姿はどんどん透けてゆき、光の欠片を放ってあっけなく消えてしまった。あとには静寂が残った。



 1月28日。

 この日から強行軍を開始した。フィルシムまではあと6日の距離だが、体力が続けば4日の行程に短縮できるはずだ。

 野営地を発つ前に、ここを通る人びとに注意を喚起してもらうために、荷馬車にハイブに襲われた跡である旨の貼り紙をしてから、一同は進んだ。胸に何やら重いつかえがあるようで、足取りも全然軽くならなかった。森から音がするたびにだれかしらハッとして振り返った。だが、この日は何にも出会うことなく、平穏のうちに暮れた。



 1月29日。

 ドルトンたちの隊商とすれ違った。

 ロビィの隊商がハイブに襲われ全滅した話には、さすがの彼らも神妙に聞き入った。

「待ち伏せてるかもしれないから、十分に気を付けてくださいね」

 Gがそう言うと、珍しくも「教えてくれてありがとう」と礼まで口にした。

「あの〜、ジェイ=リードさんにお会いになりませんでしたか?」

 アルトが尋ねた。

「ああ、ああ、会った。すれ違ったよ。昨日のことだ、な?」

 ドルトンはゴズトンに同意を求めた。ゴズトンは肯いた。

「ぼろぼろで酷いありさまだった。着替えを融通して、一緒にセロ村に戻らないかと誘ったんだが、断られてね。フィルシムへ一人で向かったよ」

「そうですか。ありがとうございます」

 ドルトンは礼を言われて少し怪訝な顔をしたが、嫌味の一つも口にすることなく、終始友好的だった。

 ドルトンの他には虫の大群としか遭わなかった。記憶力のいい人間は、以前、森でレスターが似たような虫の群を感知して「避けろ」と教えてくれたことを思い出し、また暗い気分に浸らなければならなかった。


 夜は暗かった。空を見上げると、月がなかった。

(新月の時期か…)

 ハッと気がついて、ヴァイオラはGを見た。案の定、異変が起きていた。Gはすっかり無口になり、自分からひとに話しかけないだけでなく、話しかけられるのも嫌なようだった。何をするにも億劫そうだ。

 セリフィアもご同様だった。最前から無口ではあるが、いやまして声を発せず、話しかけられて答えないこともしばしばだった。そしてやはり何をするにも億劫そうだった。

「どうしちゃったんでしょう、セリフィアさん…」

 ラクリマが言うのに、ヴァイオラは「知らなかったの?」と半ば呆れたように口にした。

「新月のせいだよ。ジーさんと一緒」

「え? セリフィアさんって人間ですよね? それなのに影響されるんですか?」

「そうらしいね。そういえばラッキーは?」

「私はなんともありません。この間だって、私は別に何も…」

「あの、すみません」と、アルトが二人の間に割って入った。「何のお話ですか?」

 ヴァイオラは、半月前にあった「月の魔力」の件をアルトに説明した。そして、「どうやら呪文を使う人間は多かれ少なかれ影響を受けたらしい」としめくくった。アルトも思い当たるふしがあるらしく、「そういえば…」などと言って空を見上げた。

「まぁ、とにかく、あの二人はこれから3日間、『鬱』状態だから、私たちがちょっと注意してあげないとね」

 その当の二人のうちGのほうは、「おやすみ」も言わずにさっさと寝てしまっていた。

「…そうですね」

「わかりました」

 ラクリマとアルトは、Gを見ながらほぼ同時に返事を返した。



 1月30日。

 フィルシムまであと3日の距離になった。今日、明日とあと2日間を乗り切れば、明日の夕方にはフィルシムへ到着するだろう。

 Gとセリフィアは『鬱』のままだった。重苦しい雰囲気が一行を包んだ。だがとりあえず二人が、『鬱』ながら文句も言わずにせっせと歩いてくれるのは有り難かった。

 昼、ラクリマが空の彼方を気にするので、みんなでそちらに目を凝らしていたところ、大きな鳥のような生き物が徐々に近づいてくるのがわかった。近づくにつれてそれはどんどん大きくなり、「鳥」とは言えないサイズになった。

 ワイバーンだった。3匹連れだってやってきて、一同のすぐそばに舞い降りた。全員「あわや」と思ったが、何もしないでそのまま飛び立ち、向こうへ去っていった。みんなの口から、ほぅと溜息が漏れた。

 昼すぎ頃、本来7日目の野営地にあたる場所を通過した。

 その場で休憩を取ろうとしたとき、ラクリマとアルトが「戦闘の跡がある」と言い出した。他の人間には全くわからなかったが、どういうわけか二人は何かに気づいたらしかった。「そこ、足で踏まないでくださいね」などと断りながら二人であれこれ調べた末に、他の仲間にわかったことを報告した。

 曰く、9日か10日くらい前に、ここでかなり激しい戦闘があった。襲われた集団はフィルシムから来ており、ここで全滅したらしい。襲った側も襲われた側も、騎士程度の実力のようだ。ざっと見積もって6人対6人か、あるいは襲撃した側が1人2人多かったぐらいの人数だろう。襲撃者たちの中には、少なくともシーフ、魔術師、それから両手剣など殺傷力の大きな得物を使う戦士が一人はいたはずだ。魔術師がファイアーボール〔火の球〕を使った痕跡がある。また、シーフについて言えば、ここで行われた戦闘の痕跡をきれいさっぱり消そうとしたあとが認められた。

(まさか…襲われたのって、フィルシムから派遣された冒険者じゃ……)

 ヴァイオラは激しい困難を感じた。暗い話ばかりだ。さらに妙な疑念が頭をもたげた。両手剣…まさか……

「バーナードさんたちって強いですよね」

 抑揚に欠ける声で突然Gが喋った。ヴァイオラは振り返ってGを見た。彼女も同じことを考えたのだ。いや…まさか…だが……。

 一同は休憩を終えて、さらに先に進んだ。今日はここからまだ半日分の行程を踏破しなければならない。一刻も早くフィルシムに着くこと。それが今の自分たちにできる精一杯なのだから。


 夜、ヴァイオラとGが夜直をしているところへ、嬉しい客が現れた。真っ白なユニコーンだった。ユニコーンはGの方へ近寄り、Gとヴァイオラと交互に触れた。その瞬間、二人は清浄な空気で周りが満たされたように感じた。強行軍の疲れがすっかり癒されていた。

 やにわにユニコーンは森の奥に顔を振り向けた。束の間、何かを考えるようにしていると思ったら、視線を向けた方角へ去っていった。夜の闇は深く、森の黒はさらに濃かった。何があるのか見ようとしても人間の目では何もわからなかった。いわんや鳥目では何も見えないだろう、森の奥に潜む邪悪な不死者からGを守ろうとユニコーンが去っていったことなど。

 他に遭遇するものはなく、この日も終わった。


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