一番長い日 前編
ショートランド暦460年1月22日、夜。
「……ちょっと2人で話がしたいんだ。いいか?」
セリフィアに声をかけられて、ラクリマはのろのろと顔をあげた。相手の耳に届くか届かないかの小さな声で「はい」と言って立ち上がった。セリフィアは無表情のまま、黙って背を向け表に出ていく。ラクリマはそのあとを追って歩いた。
午後から降りだした雨は、しのつく小雨に変わっていた。雲のフィルタを通して、姿は見えねど半月がぼんやりと光を投げかけている。その月の光すら冷たいようだった。
セリフィアは宿の裏手から、川を見下ろせる場所まで歩いた。後ろからラクリマがついてくるのを、何度か確認した。
二人きりになって、彼は話し始めた。
「ラクリマは、何故ここに来た? そして、何故ここにいる?」
ラクリマはぼんやりとセリフィアを見ていた。何故ここにいるかは、今は考えたくなかった。ここにいる理由……それは「彼」を支援するためだった。自分が見捨てた「彼」を。
セリフィアは続けた。いつもと違って多くを語った。
「俺は、強くなるために、父と兄を探すためにここに来た。しかし、強くなりたいならここでなくてもいいし、父や兄もここにはいない。だが、俺はまだ、ここにいる。理由は自分でもよくわからない。
「俺は剣を振ることしかできないから、神の御心を伺い知ることなどできない。だが、それでも俺がここに来たこと、そしてまだここにいることには何かしらの意味があると思っている。それが何かは、正直よくわからない。だから、俺は自分のできることをやる。わからないなら答えを探し、見つけるだけだ。それは、俺だけに言えることじゃないだろう?」
セリフィアは一つ、息を吐いた。
「……長い割にわかりにくいけど、結局言いたいことは……ラクリマは笑っていたほうが似合うと思うってことなんだ。……ごめんな、こんなところに呼び出して。それじゃあ」
彼はそれだけ言い終えると、いつもの無表情に戻り、踵を返して部屋へ戻っていった。
ラクリマはしばらく濡れそぼつままに雨の中を佇んでいた。
(泣いてはいけない。私に泣く資格なんかもうないんだから)
セリフィアの優しさは、今の彼女には痛かった。罵られたほうがまだ楽だった。
すぐそばを流れる川の音が暗い誘惑を投げかけてきたが、これ以上皆に迷惑を、心配をかけるわけにはいかないと、涙を堪えて彼女は部屋へ帰った。
部屋に戻ったセリフィアは、今度はアルトに話しかけた。
「…すまんがつきあってくれ。……もうこんな目にあうのは嫌なんでな……」
アルトは読んでいた本を閉じ、顔を上げて答えた。
「僕でいいのなら構いませんよ」
アルトは他の皆よりいち早く立ち直っていた。厳しい現状を把握し、今は苦痛でしかない事実を認識したあとは、ショックこそ受けたものの、前向きに頭を切り換えていた。それなら、なおのこと立ち止まっていられない、と。
セリフィアはアルトを相手に、戦術の相談を始めた。聞きつけたGとヴァイオラもすぐに話に参加した。Gは髪をひっつめ、むっつり顔でよく喋った。
ハイブにはホールドパーソン〔対人金縛り〕の呪文が効かないことや、火気に弱いので火種を持ち歩くべきであることなど、現在わかっている情報を確認しあい、手持ちの呪文でどうやって対抗していくかを語らった。また、そうした戦略とは別に、全員が、武器の訓練──ウェポンマスタリーの必要性を感じていた。自分たちの武技の水準は村人に毛が生えた程度でしかなく、敵に対抗するどころか自らの命を守るのもおぼつかないとわかったからだ。一刻も早く、戦闘について専門技能の訓練を受ける必要があった。
戦闘技能訓練を修得するためには、とにもかくにもフィルシムの道場へ行くことが必要で、さらに今の技量に見合った訓練となると、おそらく一人頭500gp〔gp…金貨〕が必要だろう。資金をどう工面するかは問題だが、差しあたってフィルシムへ行くことになりそうだという、そこはかとない予感がその場を満たした。
ラクリマは終始みんなの話に耳を傾けてはいたが、一言も口にしなかった。9時ごろになって、彼女は「すみません、先に休んでいいですか」と断り、席を立った。
本当は眠りたくない。きっとまた悪夢を見るから。
そう思いながら、彼女はすぐに眠りに落ちた。
1月23日。
声が、聞こえた。……ああ、また夢か、もううんざりだなぁ、頭の中のこの声。まどろみの中でGは思った。と、突然、別な何かが彼女の心に流れ込んできた。
「本当によろしいのですか。彼女は記憶すら失っているのですよ。自分が何のために世界に降りたのか、わかってもいないのに、そんな重要な任務を背負わせて」
「記憶がないからこそ、公正に判断できるのではないかな。人間だ、獣人だと色眼鏡で見ることなく、正しき道を選んでくれるのではないのではなかろうか」
「しかし、あまりにもむごすぎます。彼女の肩にすべての獣人の…いや、この世界すべての生物の未来をかけるのは」
「彼女が、世界の中で、何を見、何を感じ、何を為すか。それが重要なんじゃよ。結果がすべてではない。仮令それが最悪の結果になったとしても、それすらも神は大いなる高みで、御覧になっているのであろう。我々は神の『見る目』となって、世界のすべてを見届ける義務があるのじゃ」
「それでは、あんまりです」
「ぬしの言いたいことは、わかる。しかし、すべては神の御心じゃて。『審判』さえもな」
心地よい声だった。どこかで聞いたことのある、懐かしい響き。しかし、すべてはまどろみの中へと消えていった。
仲間の死。それが『審判』にどういう関わりをもたらすのか。それすらも『見られて』いるのかも知れない……。
次の瞬間、Gは飛び起きていた。まだ夜中というべき時間だった。慌てて布団にくるまったが眠ることができず、夜明けをまんじりともせずに待った。明け方というにはまだ暗い時分、隣でラクリマが起きたようだった。神殿へ行くのだろうか、身支度を整えている。
(話しかけたい……)
Gは切実にそう思った。だが、できなかった。この間、ヴァイオラに喋ってしまったこと──ガラナークのシルヴァ=ノースブラドが彼女の「母さん」だということ──それですら、「知っている」というだけでヴァイオラに何らかの危害が及ばないとも限らないのだ。これ以上、大切な仲間を巻き込みたくなかった。少なくとも、何もわからない今は。
ラクリマは早々に支度を終え、部屋を出ていった。Gも床から起き出した。部屋をそっと抜け出して、宿の屋根のてっぺんに登った。ああ、もうすぐ朝日が昇る。地平の輪郭が、光を帯び始めていた。Gは冷たい空気を胸一杯に吸い込んだ。そして歌を歌った。
ラクリマは神殿へ入ろうとした。ひとの気配がする。
(ヴィセロさんかしら……)
朝から邪魔をしてしまうかしらと思ったが、どうしても祈りを捧げたかったので中に入った。祭壇のほうへ近づいていくと、ヴィセロが少し慌てたように立ち上がり、
「こんな時間に何の用ですか。もしかして邪悪なる試みをしようと…あぁ、オソロシや、おそろしや…」
そう言い置いて、彼女は自分の荷物を片づけ、去っていこうとした。
すれ違いざま、ラクリマはヴィセロの聖章を見た。フィルシムで一般に出回っている普通の聖章のようだった。ヴィセロは体中から「関わり合いになりたくない」という気配を立てて、足早に出ていってしまった。
(邪魔してしまったかな……ごめんなさい)
ラクリマは無言で彼女を見送ってから、祈り始めた。正式な死者への祈りのミサはまだあげられないので、鎮魂歌の一節を静かに歌った。レスタトと、ダグたちへの祈りを捧げ、そのあとはひとりでただ泣いた。十分な時間が過ぎたところで、涙を払って宿へ戻った。
先ほどから、隣人が立て続けに起き出していったのをヴァイオラも知っていた。二人とも出ていったあとで、彼女は身支度を簡単に済ませ、自らも表に出た。足が自然と河原へ向かう。適当な場所を見定め、彼女は石を積み始めた。じきにちょっとした石塚ができあがった。ヴァイオラはその塚を無言で眺めた。セロ村のハイブコアを倒し、彼の「神託」を果たすまでは、これから毎日、塚に石を積みにくるつもりだった。この「坊ちゃん塚」に。
レスタトの死を悼む気持ちはさらさらなかった。自分たちを生還させてくれたことに対する感謝も、どうやっても浮かんでこない。あるのは、ただ、怒りと憐れみ。生きることの意味を知らぬままに、半ば逃げるようにそれを捧げてしまった子どもへの。そしてそういう子どもを育てあげたガラナークの「神殿」や彼の「家」に対する──。
自分も、終に彼に教えるところがなかった。悔やんでも悔やみきれない。
声も出さずに、怒りの動力を溜め込む。
(待ってなさい。すぐに任務達成して、こんな塚、ぶっ壊して出ていくから)
そうしたら、あんたのこともあんたが押しつけた呪いも、きれいさっぱり忘れてあげる。
じっと、凍ったように佇んだあとで、彼女は踵を返した。塚に見送られて宿に戻った。
朝食もそうそうに、ロッツは盗賊ギルドに行くと言って席を立った。レスタトの素姓を調べるのだという。
「あっしのこの命、どこのどなたさんに頂いたものか、詳しく知らないなんて、あっしの哲学に反しやす。坊ちゃんの人となり、シーフの名にかけて、調べさせて頂きやす」
彼が出ていったあとで、Gはウェイトレスのヘレンに声をかけた。
「あ、すみません、お弁当を作ってくださいませんかー? 午後からお散歩に行くんです〜」
もくもくと朝食を食べていたセリフィアも顔を上げて、
「弁当追加でもう1つお願いします」
二人はそれぞれ弁当を受け取った。
セリフィアは河原へ向かった。彼がそこで素振りをしていると、ヴィセロとエリリアが川下のほうへ連れだって歩いていくのが目に入った。エリリアは泣いているようで、ヴィセロが慰めながら支えているようだ。
セリフィアは声をかけるべきかどうか迷ったが、このまま何もしないのも無視したようで決まりが悪いので、何か話そうと決めた。だが、たいして面識のないひとになんと声をかければいいものだろう?
そうして悩んでいる脇に、いつの間にかローブを洗いにアルトがやってきていた。
セリフィアにもアルトにも、エリリアは気がついていないようだった。が、ヴィセロが、ちらりと視線を飛ばし、敵意を向けてきた。それに気づいたのはセリフィアだけだった。彼はヴィセロの敵視を鮮やかに無視して、少し離れたところからエリリアに向かって言った。
「俺がこんなこと言うのもなんだが、ジェイは必ず戻ってくるだろう。戻ってきたら無茶しないよう、あんたがコントロールすればいい。大丈夫。時間が経つのは早いもんだ。それまでは…ほっといてやってくれ。何かしないと…自分が自分でいられなくなるような感覚に襲われるから」
それだけ言って、その場から少し離れて再び素振りを開始しようとした。
エリリアはちょっと驚いたふうに、セリフィアの言葉に反応して立ち止まった。何か言いかけようとしたが、ヴィセロが割って入り、
「あのような者の言うことを聞いてはなりません」
と、エリリアを強引に川の畔へ、つまりジェイとエリリアがよく逢瀬を楽しんでいた場所へ連れていってしまった。セリフィアのせっかくの言葉も、エリリアの心に届いたかどうか、定かではなかった。
アルトはそちらの二人には特に注意を払っていなかったようで、ひたすら洗濯に熱中した。
Gはトムの店へ買い物に行った。トムJrが愛想よく声をかけてきた。
「ハイ、いらっしゃい。今日は何をお探しでしょうか?」
Gは機嫌よさそうににっこりと挨拶した。
「こんにちは。あのぉ、銀の武器とかってありますか?」
「はいはい、ありますよ。ダガーと、普通の矢も石弓用の矢も、ある程度揃えられますよ。あと、普通の剣なら1本ありますが。それ以外の武器は、申し訳ございませんが、取り寄せになりますね」
トムJrはにこやかに答えた。
「お出ししましょうか?」
「あ、長剣がいいんですけど……その、高いですか? 買えないようなら触っちゃ悪いし…。私、お金あんまり持ってなくて…でも、買いたいんです! 何か、持ち物とかと交換じゃダメですか? えっと…宝石とかならあるんですけど…」
Gは言いながらぽろぽろと装飾品類を袋から出した。
「前に買い取れないって言われましたけど、とりあえずおつりなら要りませんから剣と交換して欲しいんです…。…自分のことくらいは、自分で何とかしないといけないんです」
トムJrは装飾品に目を走らせると、キラリと瞳を輝かせ、
「これは、良い品です。確かにこれらとなら交換できますが、それでも、400gpばかり、お釣りが必要なんです。…それぐらいなら、村長に掛け合ってみましょう」
と、店の奥に行き、袋に入った剣を取り出した。中には、美しく磨かれた銀の剣が一振り入っていた。
だが、トムJrが差し出したその剣を手にした途端、手のひらに鋭い痛みが走った。Gは思わず剣を取り落としていた。それを手放した後も、手のひらに不快感と発熱感、鈍い痛みが続いており、『これは危険だ』と本能が警鐘を鳴らしていた。
トムJrは、Gの様子に驚いたように、「大丈夫ですか」と心配そうに近づいてきた。
Gはぐっとこらえ、口をへの字にして「…だいじょーぶですっ!」と言ったが、涙がじわーっとにじむのを留めることはできなかった。試しに、自分の水袋に手を突っ込み、手袋代わりにして取り落とした剣を拾ってみた。だが、手袋代わりもあまり効果がなかった。発熱感や痛みなどの直接的な刺激は防げたものの、不快感は残り、玉のような汗が噴き出た。顔色まで悪いGを、トムJrは親切に制止した。
「あまり無理をなさらないほうがいいですよ。身体を壊しますよ」
結局、Gは銀の武器を諦めざるを得なかった。
「他に何か見ますか?」
気落ちしているGを慰めるためか、はたまたただの商魂か、彼女の反応を見ながらトムJrは次から次へと商品の紹介をしだした。Gはやっと口を開いて言った。
「…じゃあ、何か丈夫そうな紐とビーズか何か…見せて下さい」
彼女はあれこれ見せてもらって、革ひもと、石や木のビーズを購入した。
「どうも有り難うございました。綺麗なのが作れるといいですね」
「トムさん、ありがとうございました」
Gはにっこり微笑みかけ、品物を手に店を出た。お弁当を持って河原に向かった。




