7 レスタトの選択
レスタトはハイブに担がれていた。体はどこも動かせなかったが、目だけは働いていた。彼は必死で視線を動かし、現状を把握しようとした。彼と、セリフィアとGとジェイは3人のハイブの肩に担がれていた。妙なめぐりあわせでちょうどダグがジェイを担当しており、Gとセリフィアは若い猟師だったモノの両肩に収まっていた。残り3人の仲間たちは乱雑にくくられ、一番大柄な、若い猟師のなれの果てが文句も言わずに一人でそれを引きずっていた。ハイブたちの扱い方からも、生命の気配が皆無なことからも、3人がすでに死体と成り果てていることは確実と思われた。
担がれながら、レスタトは何度も手を動かそうとした。だが、小指一本すら彼の自由にはならなかった。
ハイブたちは黙々と歩いている。この先にハイブコアがあるに違いない。ハイブコアで自分たちを待ち受ける運命を考えると、レスタトは全身が凍るような思いがした。死んでしまったヴァイオラたちは食糧に、そしてレスタトたち4人は、幼虫の苗床になるのだ。
吐き気がした。だがもちろん、吐くこともできなかった。
拷問のような数時間が過ぎて、彼らは目的地に到着したようだった。
コアは、迷宮の広間のような部屋にあった。うち捨てられ時間が経っているようで、埃臭さとカビ臭さが同居している。中には全く明かりがなく、広さや細部はよくわからなかった。
ハイブは全部で20匹前後のようだった。
よく見ると、彼らの中に、サムスンらしき鎧を身に付けたモノもいた。
(……死んでしまったのか)
あまり好感のもてる相手ではなかった。だが、彼らの運命を、最期を悼む気持ちが心の底から自然にわき上がってきた。もはや他人事ではなかったからだ。
(ちくしょう…!!)
レスタトは心の中で叫んだ。
(こんなところで終わるのか! 御神託は…御神託も果たさずに終わるのか!)
ハイブがGの身体を移動させようとしているのが見えた。レスタトの全身からさっと血の気が引いた。
(だめだ…! Gを…彼女を殺させるわけにはいかない! 彼女は神のみ使いなのだから! 彼女がいなければ、僕の御神託は――!!)
レスタトは凶暴に祈った。声はなくとも祈りは捧げられる。
――ああ、母なるエオリスよ。汝が僕の言葉を聞き届けたまえ。
(ああ、G! 愛しくも憎らしい僕の天使! その胸に刻むがいい、自分のために命を落とす者がいることを! そう、僕が死ぬのは他のだれでもない――君を救うためなんだ!)
そうして身体中に、謳うように、祈りを響かせる。
――我が祈りを聞き届けたまえ。
――我は今ここに願い奉る。
――我が命を、魂を、我がすべてを捧げ願い奉る――
(何だ、今になって僕は何を震えている)
口ではなく意志だけで紡ぐ言葉ですら、迷いに震えることに彼は気づいた。そのまま祈りが途切れそうになる。彼は自らを叱咤した。
(今さら迷うな! 「レスタト=エンドーヴァー」!! なんのためにEND OVERを名乗ったと思っている!!)
自分は世界の滅びを止める者、終わらせる者ではないか。その自分が無意味に終わってはならない。自分の存在がだれにも顧みられず無意味に終わること、それが一番我慢ならないことではなかったか。「やはりあの神託はただの思いこみだった」――そんな薄汚い言葉をガラナークのあいつらが、自分より劣るあいつらが口にする……いや、最悪なのは、何もなかったようにされることだ――そのことを思った途端、腸が煮えくり返った。
怒りで恐怖に抗うようにして、彼は必死で祈祷を続けた。
――癒したまえ。救いたまえ。我が同胞たる彼の者達を。
――運びたまえ。導きたまえ。彼の者達を安息の場所へと。
――損なわれることのないよう、喪われることのないよう。
――彼の者達に汝が祝福を与えたまえ。
――彼の者達に汝が奇跡を授けたまえ。
少年は最期の祈りを身体中に響かせた。
――我が願いを、どうか聞き届けたまえ!!
ふと気づくと、彼らはセロ村の入り口に座り込んでいた。
夜だった。半月が皓々と6人を照らしていた。
目の前には驚いた顔の男が立っていた。
男の名前がグリニードだったことを、ヴァイオラはようやく思い出した。
だがわからない。なぜここにいる?
「どうしてここに?」
そのまま疑問が口をついて出た。
「それを聞きたいのはこちらだ。君たちは…いきなりここに現れたんだ。一体、何があったんだ?」
グリニードに聞き返され、ヴァイオラは一つ一つを思い出そうとした。そのとき、残り香が彼女を捕らえた。神の力の残り香が。
閃いた。デスウィッシュ〔魂の祈り〕……だれかがその存在を犠牲にして、自分たちを生還させたのだ。それもただの犠牲ではない。単に死ぬだけでは済まない、魂が消滅し二度と転生もできなくなるその選択は、生命への、そして神に対する最大の冒涜であるのに――!!
「夢じゃ…ないですよね?」
Gは言いながら自分の身体を見下ろした。服も鎧も血まみれだ。だが、身体には傷一つついていない。
「だれかが神の奇跡を願ったんだ」
ヴァイオラは怒りで声が震えそうになるのを押し殺し、告げた。だれかが、と言ったが、十中八九、レスタトに違いなかった。なんという愚かなことを…!
彼女は声に出さなかったが、今いない二人のどちらかが――そしておそらくラクリマではない――自己犠牲によって自分たちを生かして戻したのだと、その場の全員が理解した。音もなく、熱い瞋りが底の底から沸き上がってくるようだった。悲しみも喜びも、あって然るべき感情のもろもろはすべてその瞋りに覆われ、まるで盲目になったみたいだった。
「信じられない!」とうとう、Gが怒りに任せて叫んだ。「こんなことされるなんて!」
ヴァイオラはグリニードに向き直り、今は何日かと尋ねた。
「1月21日だ」と、彼は答えた。後ろでジェイが「俺は助かったのか……」と呟いた。
まずなすべきことをなさねばならなかった。ヴァイオラは、ここから1日半の距離のところでハイブ化したダグたちに出会ったことを報告した。
「村長に報告に行ってくる。悪いが、戻るまで代わりにここで見張っていてくれ」
グリニードが出ていってすぐ、ジェイがゆらゆらと立ち上がった。
「俺は……帰る……」
彼はふらつきながら自分の家に向かって歩きだした。だれも止めなかった。皆、自分の感情の手綱をとるので手一杯だったのだ。
「……ヴァイオラ、俺たちはどうすればいいんだ?」
重苦しい沈黙のあとで、セリフィアが口を開いた。
「とりあえず、逃げ延びたはずのラッキーを森に探しに行かなければ」
「そうですよ、早く探しに行かなくちゃ!」
今にも飛び出して行きそうなGをヴァイオラは止めた。
「もう夜だよ。今から行っても危ないだけだ。明日にしよう」
Gは不満そうな顔をした。ヴァイオラは静かに言った。
「今の私たちの生命は、だれかの命の代償のうえにある。粗末にはできないんだ。それを忘れちゃいけない」
Gは泣きたいような怒ったような顔で叫んだ。
「わかってます。わかってますよ。でもイヤだ! こんなの…こんなの、押しつけじゃないですか! 勝手に死んで!」
彼女の憤激は他の皆にもよくわかった。だれもが、どうしてもレスタトの死を素直に悼むことができなかった。もっとも、今の時点ではまだ、レスタトがそうしたと断定することはできなかった。
グリニードが戻ってきた。
「宿に戻って休んでくれ。見たところ、ラクリマという女性と、レスタトという男性がいないようだが、もし彼らが現れたらすぐに知らせるから」
一同は重い足取りで「森の女神」亭へ戻った。離れの大部屋に入る前に、ヴァイオラはどかどかと本館の一階にあがりこみ、起きだしてきたガギーソンに風呂を沸かして欲しいと告げた。不機嫌を隠そうともしなかった。ガギーソンは何も言わず、何も聞かずに風呂の用意を始めた。




