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6 悲しみの日

 1月21日。

 出発して早々、アルトが戦闘の跡らしきものを見つけた。

「ここに何かありますね」

 彼はその場にしゃがみ込んで分析した。

「この跡を見ると、ちょうど一人の人間が大勢の相手に囲まれて襲われたみたいに見えます」

「……ハイブじゃないか」

 セリフィアがその名を口にすると、アルトは肯いた。

「ハイブですね、きっと……」

「どういうことだっ!!」

 いきなりジェイがアルトにつかみかかった。

「止せ!」レスタトは二人の間に割って入った。「こんなところで争って何になるんだ! ダグさんを探すほうが先だろう!」

 ジェイは充血した目を彼らから逸らし、「行くぞ!」と乱暴に言って歩き出した。

 しばらく行ったところで、また跡を見つけた。今度はセリフィアが見つけたのだが、やはり前の跡と同じように、一人対多数の戦闘跡だった。じわじわと、暗い予感が一行を包んだ。

 そこからさらに奥へ歩いていたとき、ふいに視界からジェイの姿が消えた。アカマツの根に足を取られて、うっかり転んだのだ。

「だ、大丈夫ですか?」

 ラクリマは彼に手をさしのべ――ふと、目の前のアカマツを見た。

 二本のアカマツがねじれ絡み合っている。その股の部分からは、白く雪を戴いたアリスト丘陵の山々が覗いていた。ラクリマは何かを思い出した。

(…山より高い木?)

「どうした?」

 ジェイの訝しげな声でラクリマは我に返った。

「ごっ、ごめんなさい。何でも……」言いながらジェイを立たせたあとで、彼女はヴァイオラにもの言いたげな視線を投げた。

「どうかした?」

「あれ、あの、山より高い木って、あれじゃ……」

 ラクリマの説明はまるで要領を得なかったが、ヴァイオラは彼女のいた位置に移動して先刻彼女が見ていた方角に目を向けた。そして彼女が何を言いたかったかを理解した。

「ああ……」

「どうかしやしたか、姐さん」

「ああ、ロッツ君。ちょうどいいや、ここのアカマツの位置を覚えておいてくれるかな」

「お安いご用でさ」

 ヴァイオラは隊列に戻ってつぶやいた。

「…山より高い木か。なるほどね」

「山より高い木があったんですか?」

 隣のGが小声で訊いてきた。

「ああ、さっきのところのアカマツがそうみたいだよ」

「こんなところにあるなんて。それじゃ、あの迷宮って本物かもしれませんね」

 その迷宮がハイブの巣でなければいいが、と、ヴァイオラは祈るように思った。



 また少し進んだところに、同じような戦闘の跡があった。だれともなく溜息がこぼれた。

 状況から見て、猟師達はいつもの通りに散開して獲物を追いこんでいたのだろう。だがそこへハイブが襲い掛かり……。

 容易に想い描かれるその光景に、ジェイはますます寡黙に、不機嫌になっていった。

 無言のうちに歩んでいた一行だったが、しばらくしてレスタトがふとしゃがみ込み、地面を確かめ始めた。どうやらここが最後の痕跡のようだが、検分しているレスタトの表情は暗い。そこから察するに想像はほぼ間違いなく現実となっているようだ。一行に重い雰囲気が漂い始めたそのときだった。ふ、と背後に気配を感じて何気なく振り返ったセリフィア目掛け、矢が飛来した。


 戦士達が慌てて身構える間の牽制とばかりに矢を放つロッツの胸ぐらを掴み、ジェイが詰め寄った。

「何しやがる! 俺の親父だぞ!」

 そう、現れた四体のハイブのどれもが、その擦り切れた服装に、まだ名残を残していた。

 現実は最悪の形で現れたのだ。

「ちくしょう! 親父!!」

 思わず駆け寄ろうとするジェイを、涙をこぼしながらラクリマは懸命に止めた。

「いけません! あれはもうあなたのお父さんじゃありません!」

 ラクリマの言葉通り、ダグを含めた四人の猟師は完全にハイブ化し、ハイブブルードとなっていた。こうなっては救う手段はもう――ない。

 だが、父親の無残な姿を見せられたジェイにそんな道理の通用するはずもなかった。ラクリマを振りほどこうとしながら、かつて父だったモノに懸命に手を伸ばす。

「親父! 俺がわかるか? ジェイだ、あんたの息子のジェイだよ!」

 ジェイの懸命の呼びかけに、かつてダグであったハイブは――弓に矢を番えた。

 それが答えだった。

「ちくしょおおおお!!」

 慟哭に似た叫びを上げるジェイの傍らを、二人の戦士が駆け抜けた。戦士たちの脳裏からは既にジェイのことなど抜け落ちていた。

 ――すぐそこに、自分から大切なものを奪ったモノがいる――。

 セリフィアはGと二人、鬨の声をあげながらハイブ目掛けて突撃していった。


 だが、旗色は悪かった。

 さすがに元猟師だけあって弓の腕が立つ。アルトのスリープ〔眠り〕で寝かせたまではよかったが、それを活用しきる前に眠りから目覚めて立ちあがり、容赦なく弓を放ってくる。木々を背にしようにも元々ここは猟師達の安息所、森も開けていて全員が身を隠すことはもとより難しい。かといって接近戦を挑めば爪と牙の洗礼が待っている。少しずつ経験を積んで強くなってきた一行だったが、焦りが募るのは止めようもなかった。

「あまり無茶しないでくださいよ。今日は革鎧しか着けてないんですから」

 前線とも言うべき場所でレスタトはGに治癒呪文をかけながら注意した。事実、彼女も、いつもの装備ならどうということのない一撃に傷を受け、血を流してしまっていた。ダグたちに一刻も早く追いつこうと金属鎧を避け、身軽な革鎧で追っていたことがこんな形で(あだ)になろうとは、思いも寄らなかった。

「……わかってます」

 Gは小賢しく動き回るハイブ達から目を逸らさぬまま、ぶっきらぼうに答えた。

 と、後ろがひときわ騒がしくなったかと思うと、ジェイがこちらに走ってきた。あまりに暴れるのでロッツとラクリマが後方に下がらせていたのだが、二人の制止を振り切ってきたらしい。

「よりにもよってこんなときに!」

 レスタトは思わず舌打ちしながらもジェイを止めようとした。が、それよりも早くジェイはかつての父親のそばに駆け寄っていた。

「親父……どうして、どうしてだよ……っ!!」

 肩を掴み、涙を流しながらの懇願にも、だが「彼」が応じることはなかった。邪魔になった弓を放るや、両手の鉤爪を胴に食い込ませ、獰猛な牙で喰らいつく。

「……おや……おや……じ……ッ」

 込み上げてくる血に息を詰まらせながらそう呟き、息子は崩れ落ちた。

 どさり、という音が妙に重く響いた。

「……っのおおおおおぉっ!!」

 その光景を目の当たりにし、怒りで完全に我を見失ったセリフィアは剣を振るった。だが。

 ガキン。

 渾身の一撃がまたしてもハイブの硬い外殻に阻まれる。ただでさえ硬い外殻の上に革鎧を着込んでいる今回の敵に傷を負わせることは、常人離れした膂力(りょりょく)の持ち主であるセリフィアにとっても容易ではなかった。

「くっ……!」

 怒りのあまり力加減を誤ったか手に痺れが走り、一瞬動きが止まる。そして感情などに左右されないハイブはその好機を見逃さなかった。

 痛みと衝撃。

 自分の体に食い込んだ牙から冷たい痺れが伝わってくる。麻痺毒を注入されているのだとわかったが抗いきれない。膝から力が抜け、倒れ伏した。レスタトの声が聞こえた気もするが、剣を手から離さないようにするだけで精一杯だった。

 と、ふっと、体が解放感に満たされた。ラクリマが移動してきて、治癒呪文をかけてくれたのだ。屈辱を覚えながらも半身を起こし、周りを確認したセリフィアは、今まさに視界の先で、自分を庇ってくれていたレスタトがハイブに噛み付かれて倒れる光景を目にした。背筋を悪寒が(はし)りぬける。

(……このままで勝てるのか)

 そう思った瞬間、全身からどっと汗が噴き出す。傍らのラクリマがレスタトに駆けよっていったのにも気づかない程に、焦りと苛立ちがセリフィアの心を侵しはじめていた。

 そして、焦っていたのはセリフィアだけではなかった。もう一人の戦士であるGも焦りに囚われはじめていた。幾度斬りつけようとも相手を倒すことができず、ただ焦りだけが募っていく。そしてその焦りが攻撃の精度を落としていくことにさえ気づけない。

(何で……何で私はこんなに弱いんだ……っ!!)

 強く……強くありたかった。それなのに、現実は下っ端相手にこの体たらくとは……!

 ――もっと、もっと強くなりたかった。強くなってみんなを守って……。

 だが、そんな彼女の想いも虚しく、攻撃と牽制をすり抜けたハイブの牙が彼女の肩に食い込んだ。冷たさが伝染し、毒が体に回っていくのが自分でもわかった。

(だめだ!! みんな、逃げて……!! 私に構わず逃げて!!)

 叫びたかった。だがもはや指一本動かすこともままならず、一声も立てられない。

 悔し涙さえ、流せなかった。


「ヴァイオラさん達を頼みます」

 Gが倒れ伏すのを目の当たりにしたレスタトは、立ちあがりながらラクリマにそう告げた。

「でもレスターさん、まだ傷が……」

 心配そうに自分を見上げながらのラクリマの言葉に、レスタトは笑顔で返した。

「大丈夫ですよ、僕は自分で治せますから」

 真っ赤な嘘だ。手持ちの呪文など使い切ってしまっている。

 それでもレスタトはそう言った。言わざるを得なかった。

 戦況は芳しくない。ともすれば覚悟を決めなくてはならないほどに。だが、仲間が、彼らが生き延びてさえくれれば、この戦いは――自分の存在は無駄にはならない。そのためにもだれかがここで奴らを足止めする必要がある。けれど、僧侶が一人でも人数が多いほうが生き残る可能性は上がるだろう。

 後ろ髪を引かれながらも後退していくラクリマの姿に、レスタトは内心呟いていた。

(生き残ってください……必ず)

 息を整え、手の中の戦槌(ウォーハンマー)を構え直す。顔を上げればもう目の前に、ハイブが迫っている。

「ふっ!」

 掛け声と共に戦槌を横殴りに振るった。槌の部分が胴を打ち据え、怪物に呻き声を上げさせる。槌を通して伝わってくる手応えに頬を緩めたのも束の間、レスタトを眩暈が襲った。

(血を流しすぎた……?)

 地面にそのまま倒れこみそうになるのをどうにか踏みとどまったまではよかったが、自分の顔のすぐ目の前で、かつて人間だったとは思えない、おぞましい生き物が口をカッと開いた。汚らわしい粘液が上下に糸を引いている。嫌悪感に身を翻す余裕さえなかった。

(神よ……!!)

 ハイブの牙がレスタトの体に再び食い込んだ。


(ここまで、か)

 先程から射撃の囮をかって出ていたヴァイオラは、状況からそう判断せざるを得なかった。Gが倒れ、レスタトが倒れた。自分もラクリマも呪文がつき、そして相手はまだ一匹も倒れていない。

「撤退しよう」

 セリフィアのそばまで後退して、ヴァイオラは彼とラクリマに告げた。セリフィアは悔しそうな顔をしたが、この窮状を理解できていないわけではなかった。剣を構えながらぼそりと口にした。

「ラクリマ、先に下がれ」

「えっ……」

 思わず反駁しかけたラクリマにヴァイオラが宥めるように言い足した。

「ラッキー、下がるんだ。私達も後から行く」

「は、はい」

 だが、ラクリマにそう言いはしたもののヴァイオラは最後までこの場を動かぬつもりだった。この結果は自分の責任でもある。最後まで見届けなければ、と、彼女は固く心に誓っていたのだ。

 そんなヴァイオラの思惑など露知らないラクリマが、言われた通りにアルト達のいる後方まで下がったのを認め、ほっとした時だった。鈍い物音と同時に掠れるような苦悶の声が聞こえてきた。(こうべ)を巡らせたヴァイオラの視界の中でセリフィアがゆっくりと倒れていく。意図せずに叫びが迸った。

「セリフィアーー!!」


 後方に控えていたアルトは、ダグの矢を受けて早々に倒れたロッツを手当てしていたが、手当ての甲斐なくロッツは昏倒してしまっていた。手の施しようがなく歯噛みしているところへラクリマが前方から駆けて戻ってきた。

「撤退しなさい、って、ヴァイオラさんが」

 確かにこの戦況が続けば全滅は時間の問題だと、アルトの冷静な部分が判断を下していた。

「大丈夫ですか……? ……私……ああ、呪文があれば……」

 ラクリマが思わず二人の傍らにしゃがみ込んだその時、今しがた離れてきたほうからヴァイオラの悲痛な叫びが聞こえてきた。ラクリマはぎょっとして振り向き、セリフィアの姿を見て蒼白になった。彼女の状態を気にしながらも、アルトはロッツを懸命に担ぎ上げて言った。

「ラクリマさん、今は逃げるしかないんです」

 だが、アルトを見やったラクリマはさらに青ざめ、恐怖の声をあげた。

「アルトさんっ……!」

 アルトのすぐ後ろ、本当にすぐ後ろにかつてダグだったモノが迫っていた。半ば覚悟を決めて肩に担いでいたロッツをそっと地面に下ろし、敵に目を据えたままアルトは叫んだ。

「逃げるんです、早く!!」

「でも……!!」

「このままじゃ全滅です! 全滅してもいいんですか!!」

 アルトのその懸命さを嘲笑うかのように、ハイブは「きしゅりっ」と人間らしさの欠片もない音を立てると、アルトの小柄な体を鋭利な爪で引き裂いた。

 鮮血が、びしゃっと音を立ててラクリマの顔面に飛んだ。

「いやあああああ!!」

「逃げて……! 早く……!!」

 アルトは必死で叫んだ。膝ががくがくと抜けそうだったが、何とか堪えた。寒気と、燃えるような痛みとが同時に襲ってきた。ハイブが、心なしか嬉しそうに爪をふりかざすのが見えた。咄嗟に地に転がって二撃目を避ける。

「あああああ! だれか……! だれか助けてぇえええ!!」

 目の端にラクリマが駆けてゆく姿が映った。少しほっとした。これで全滅は免れるだろう。素早く立ち上がり、彼自身も残りのすべての力をもって逃げようとした。だが素早いと思っていたのは自分だけで、その緩慢な動きに追いつくのはハイブにとって難しいことではなかった。

 駆け出そうとしたアルトの足が払われ、今度こそ地面に倒れ伏した。ここぞとばかりにハイブが襲い掛かってくる。

(みんな、役に立てなくてごめん…)

 敵の爪が再び肉を割り、そこから迸った血液が自らの顔を汚す。

(ラクリマさんだけでも、どうか……)

 醜悪な顔が眼前に迫り――アルトの意識は途切れた。


 背後でラクリマの気配が遠ざかっていくのを感じ、ヴァイオラは全滅だけは免れられたことを知った。

(と言ってもこの状況じゃ全滅そのものだけどね)

 しかし、彼女はだれも呪わなかった。だれも責めなかった。諦めではなく、運命でもなく、ただ事実を受け入れて、斃れた。赤い血が衣服を染め、冷たい大地に浸みこんでいく。

 ラクリマの気配と足音も絶え、残されたのはただ、ハイブブルード達の動き回る音だけだった。




†  †  †  




 恐怖に任せて、ラクリマは森の中を駆けた。一度も振り返らなかった。怖くて振り向けなかったのだ。

「きゃっ」

 足首がぐらりと裏返って、派手に転んだ。松かさを踏んで滑ったらしい。軽く捻ったのか、痛みですぐには立ちあがれなかった。ズキズキする足をさすりながら、彼女はようやく自分の周りを見る機会を得た。

 森は静かだった。不気味なくらい、静まり返っていた。自分の息遣い以外、何の音もしない。向こうで凄惨な戦闘があったことなど知らん顔だ。見上げると、アカマツの緑の葉先の合間から、うすぼんやりと星が見えた。もう日が沈みかけているのだろう。

「………」

 ラクリマはのろのろと立ちあがった。左足をやや引きずるようにして、前へ進んだ。村の方角はこちらでいいはずだ。もう少し歩こう。もう少し歩いたら、今日はもう休もう。そうやって自分に言い聞かせている声が、自分のものではないような気がした。歩く以外のことは何も考えたくなかった。

 1時間以上歩いただろうか。日はすでにとっぷりと暮れ、灯りを持っていても足下がおぼつかなくなってきたので、彼女は休むことにした。岩の当たらない、少しでも平らな部分を探して座り込んだ。

 1月の夜気は寒かったが、もはや火を起こす気力が無かった。それでも食事はした。保存食を取りだし、少量の水で流し込んだ。もともと味のいいものではないがいつにもまして不味かった。どうやって食べても、泥を詰めこんでいるようにしか思えなかった。

 彼女はマントを羽織り、アカマツの幹に背を預けた。木々の間にぽっかり空いた穴から、満天の星が覗いた。透明な大気をも震わせるように瞬くそれらの星々は美しかった。それを見て、彼女はようやく感情を取り戻したようだった。泣きたいと思った。

 だが、どうしたことか涙が出なかった。泉が涸れてしまったかのように、一滴も出てこないのだった。

 彼女は星々から目を背け、自分の膝に顔を埋めた。とたんに眠気と疲労とが雪崩を打って襲いかかってきた。もはや一瞬たりとも目を開けてはいられなかった。このまま眠るのは危険かもしれないなどという考えがちらりと頭の隅をかすめたが、すぐに睡魔の中に埋没してしまった。抗いようもなく、彼女は夢の世界へと落ちていった。


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