2 転ばぬ先の杖
1月17日。
朝、起きてみるとセリフィアは元の三無男(無口・無表情・無愛想)に戻っていた。ラクリマも、皆には言わなかったが、聖章に宿っていた魔力がすっかりなくなっているのに気づいた。同時に、自分が「増えた」と思った呪文も消えているようだった。
皆の様子を観察していたレスタトとヴァイオラは、どうやらこの奇妙な現象が月齢に関わりあるらしいと見当をつけた。
Gはなんだかよく眠れなかったらしく、朝食の時間も寝ていたいというので、あとの4人で食堂へ行った。そこへヘルモークが現れた。
「ヘルモークさん!」
「大丈夫だったの?」
ヘルモークは澄ました顔で「大丈夫だよ」と答えた。「こっちは大変だったみたいだな」
ヴァイオラは簡単に留守中の出来事を説明した。昨晩の狼の襲撃の段になって、狼族が本当にこの辺りにいないのかどうか尋ねてみた。
「狼族はスカルシ村が縄張りなんだけど……こっちにはいないはずだがなぁ…もしかして、虎族の勢力が弱まっているから、というのはあるかもしれないけどなぁ」
その話のあとで彼女は、小声で「あとで時間をもらえますか。話したいことがあるんだけど」とヘルモークに訊ねた。
「また出かける用事があるから、少しだけならいいよ」
「少しで結構です。あとで伺います」
そんなふうに過ごしていると、ベルモートが昨晩の報奨金を持ってやってきた。レスタトは195gpを受け取った。一人30gpずつ分配し、残りの15gpは共用の財布に入れた。助力してくれたレイは、最初は「バーナードのほうからもらうから」と言って分配金を取ろうとしなかったが、最後には受け取ってくれた。
出発のため、猟師たちが集まり始めた。彼らの前でベルモートはレスタトに言った。
「実はその、お願いがあるんですが。昨晩みたいなことが今日もあるといけないので、今晩も村の警護をしてほしいんです」
「猟師さんたちの警護は?」
「それはその…後に延ばすということで…」
「冗談じゃない!!」
オロオロと話すベルモートに若い猟師が食ってかかった。
「俺たちだって今日出発しなけりゃ生活が、支払いがかかってるんだぜ! 村の警護は警備兵にやらせりゃいいだろ!」
「いやしかし……村のことも守ってもらわないと…その、村長が決めたことですし…」
「村長村長って、お前はなんなんだよっ! 自分で考えられないのかよ!」
「もうよせ」猟師頭のダグ=リードが割って入った。「いいだろう。俺たちだって戻るべき村がなくなったら困るんだ。家族を守ってもらうことも考えなきゃな」
「でもダグさん…!!」
ダグはいきりたつ若者たちを宥め、その場から皆を去らせた。ベルモートは明らかにほっとした表情で続けた。
「今日明日は昼は休みで、夜から警備に回ってください」
満月の時期が去ったから狼は来ない、などと言っても納得してもらえそうになかった。一同はとりあえず夜に向けて、昼間から寝ることにした。
皆が部屋に戻ったのを見計らい、ヴァイオラは一人でヘルモークについて行った。彼の自宅にあがって、単刀直入に切りだした。
「ジーさんのことは知ってますか」
ヘルモークは別段驚いた風もなく、答えた。
「今さら隠しても仕方ないなぁ。知ってるよ」
やはり、と、ヴァイオラは思った。
「ジーさんをハイブから助けたのは、あなただったんですね」
Gは皆に助けられる直前、ハイブに囲まれ、そこで白い虎に助けられたと言っていた。ヴァイオラはその白い虎がヘルモークではないかと、ずっと思っていたのだ。案の定、ヘルモークは首を縦に振った。
「ああ。彼女のことは僕もずっと気にしているんだ。とりあえず君たちに預けてよかったよ」
「ジーさんが鷹族だというのもご存じだったんですか」
「まあね」ヘルモークはあごをさすった。「あのときは辺りに白い羽が散乱していて、その中に彼女と、ハイブがいたんだ。彼女は…彼女の一族は獣人の中でも特異な存在だ。それに、あの様子からすると彼女は非常に格の高い鷹族かもしれないね。そういえば、昨日おとといは大丈夫だったのかい?」
「魔力に当てられて倒れてました」
「それで済んでよかったよ」と、ヘルモークは意味深長な台詞を吐いた。
「満月のとき、ジーさんは非常に痛がっていました。あの痛みは、神の奇跡で治るんでしょうか」
「痛がっていた……どこが?」
「背中の、翼の付け根です」
ヘルモークは、ああ、という顔をした。
「その痛みはキュアオール〔すべてを癒す〕で治ると思うよ。もっとも、彼女の場合、内面的な要因が大きそうに見えるんだけどね」
ヴァイオラが少し逡巡していると、今度はヘルモークのほうから水を向けてきた。
「それだけでいいの? 訊いてくれれば何でも答えるよ?」
「私一人で背負うには重すぎます。これ以上は結構です」
「坊ちゃんにも一緒に背負わせたらいいんじゃない」
「坊ちゃんにはまだ無理です」
「無理か……ま、僕はまた一週間ほど出かけるから、彼女のことはよろしく頼むよ」
「よろしくって……何か気をつけたほうがいいこととか、ないんですか?」
「そうだなぁ…」ヘルモークは少し考えて言った。「新月も気をつけたほうがいいかもしれない」
ヴァイオラは気が滅入った。満月に新月……前後1日ずついれて、2週間に一度、それぞれ3日間の危険日がやってくるということか。
「せめて、あの痛みをなんとかできないんでしょうか」
「ああ、獣人は満月のときに変身を抑える薬草を使うんだ。キャスリーン婆さんが持ってるんじゃないかなぁ」
次の課題はその薬草を手に入れることらしかった。
昼になってラクリマが起きだすと、レスタトのベッドが空だった。セリフィアはまだ寝ている。Gも……。
ラクリマはそっとGのベッドに寄った。目覚めそうな気配はなかった。ぐっすり眠っているひとを起こすのはかわいそうなので、そのままそっと離れ、宿を出ようとした。
「ラッキー?」
声がかかった方を振り向くと、ヴァイオラがいた。
「どこか行くの?」
「キャスリーンお婆さんの家に行こうと思って。腰を揉んであげるって約束したんです」
ちょうどいい、と、ヴァイオラは先刻聞いた薬草の話をした。
「どうやら新月もまずいらしいんだ。だから、キャスリーン婆さんのところへ行くなら、その薬草をもらってほしい」
ラクリマはうなずいた。
「わかりました。お願いしてみます」
「私もついてっていいかな」
「ええ、もちろん」
二人は村の中央の通りを歩きだした。どうしたことか、いつもと違って人っ子一人いなかった。二人とも違和感を覚えつつ歩いていたが、やがてヴァイオラが、ああと言った。
「ラッキー、今は葬儀の最中じゃないかな」
「あっ」
すっかり忘れていたが、今日は、昨晩亡くなった木こりの葬儀を行っているはずだった。村人たちは皆そちらへ出払っているのだろう。もちろん、キャスリーン婆さんも参列していないわけがなかった。夕方に出直そうと、二人は宿へ引き返した。
レスタトは川辺にいた。もう一度リールに会いたいと思ってやってきたのだ。
彼はこの間聞いた歌について、彼女と話をしたかった。
が、案に相違してリールはいなかった。レスタトは気づかなかったが、リールも木こりの葬儀に泣き女として参列していたのだ。代わりに、バーナードの妻ブリジッタが、その息子カーレンと遊ぶ姿が認められた。
(少し待つか……)
レスタトは川原に座り込んだ。カーレンにもブリジッタにも話しかけようとは思わなかった。ぼんやりと川面を眺めながら、神託について、Gについて一人で思いを馳せた。
(御神託は正しい。だとするとGは天使だ。でも彼女は……)
ふと気づくとずいぶんな時間が経っているようだった。そういえば、と、彼は思った。
(こんなふうに何もしないで過ごすのは初めてかもしれない。アンプールにいたときはいつも何かをしていたから……)
日が傾いてその姿を地平に沈めようというころ、川原に新たな客がやってきた。セリフィアだ。彼はレスタトの姿を認めたものの、こちらも声を掛けるでもなく、素振りを始めた。
そしてやっとリールが現れた。レスタトは腰を上げた。
(来たな。どうやって声を掛けるかな……)
そのリールはカーレンと遊びだした。出遅れたと思った。
(邪魔しちゃ悪いかな……)
一緒に遊ぼうという考えは起きなかった。自分は子どもなんかと遊べない――そう思いこんでいた。本当は遊び方を知らなかったのだ。遊んだことがなかったから。話しかけることもできなかった。どうやって輪に入ればいいかを知らなかったから。どうしたらいいかわからないまま、レスタトは立ちつくしていた。
レスタトはリールに話しかけるチャンスが訪れるのをただ待った。だがリールとカーレンの遊びは終わらなかった。
やがて、とっぷり日が暮れて、リールもカーレンも帰ってしまった。レスタトは仕方なくセリフィアに声をかけ、二人で宿の大部屋に戻った。
一方、夕刻になってヴァイオラとラクリマはキャスリーン婆さんの家を訪ねようとしていた。宿を出たところ、通りでトムJrに呼び止められた。
「ああ、あんたたち、そろそろロビィの隊商が来るころだからさ、ほしいものとかあったら言っといてくれよ」
「わかりました。ありがとうございます」
ヴァイオラは、頼んだ武器がやっと手に入るな、と、思った。
家に着いてドアをノックすると、キャスリーンは迷惑そうな顔をしたものの、拒むでもなく「まぁ、おあがり」と二人を中に入れた。ラクリマは早速マッサージにとりかかった。
「お婆さん、このへんはどうですか?」
「ああ、いいねぇ。……あんたはヨソモノにしちゃ割とまともな子のようだね」
ひと通りマッサージを終えたあとで、ラクリマは獣人の使う薬草について話を切り出した。
「ああ、あるよ。さて、どこだったかね……」
キャスリーンは薬壜やら壺やらがぎっしり詰まった棚を開け、いくつか手前の壜を除けて、奥から何やら取り出した。
「これだね。満月の前後の日も服ませたほうがいいね」
「新月は大丈夫なんですか」
それまで黙って見ていたヴァイオラが割って入った。
「新月は、元気がなくなるかもしれんが、魔力に当てられることはないじゃろう」
「元気がなくなる…」
「鬱になるかもしれんの」
「それを治す薬はないんですか?」
ヴァイオラはなおも尋ねた。キャスリーンは片方の眉をちらと上げて言った。
「あんたが聞いとるのは、麻薬のことかの?」
「いえ、麻薬というわけでは……ただ、獣人が気鬱によく使うような薬があれば」
「それは麻薬になるね」
キャスリーンはそう言って渋い顔をした。
「私は勧めないね。そんな不自然なことをしてもかえって体を損なうだけじゃないかね。新月のほうはお前さん方がなんとかおし」
「……そうですね。とにかく痛みさえ何とかなれば。処方はどうするんですか?」
キャスリーンはラクリマを向いて、
「満月の出る前夜、月の出る直前に飲ませておやり。あまり早く飲ませると明け方に薬が切れてしまうかもしれないからね」
「はい。あの、どれだけ譲っていただけますか?」
「3月分くらいあったらほしいんだけど」
キャスリーンは「まさか」というように手を振った。「獣人たちが出てってしまったからね。最近は採ってないんだよ」言いながら薬包の数を数えて、「6つだからちょうどふた月分だね」と言った。ヴァイオラはレスタトから預かった現金の残りで6包全部を買い求めた。
キャスリーンはラクリマに「この薬を作る薬草は、こういう形でこういうところに生えやすいから」といった薬草の情報を与えた。ラクリマはその話を熱心に聞いたあとで彼女に、
「本当は猟師さんと一緒に森に行ったら、この間教えていただいた薬草を探そうと思っていたんですけど、だめになっちゃいました。残念です。せっかくお婆さんに教えていただいたのに……」
「まぁ、何かを身につけるっていうのは一朝一夕じゃできないからね、気長にやることだよ」
二人がそんな四方山話をしているのを見て、ヴァイオラは先に失礼しようと腰を浮かせた。そこにノックの音がした。キャスリーンがドアを開けると、リールとカーレン、その後ろにブリジッタが立っていた。
リールは元気良く、「ただいま〜。おともだちができたの〜」と入ってきた。「おともだち」というのはカーレンのことらしかった。彼女は少年としっかり手を繋いでいた。
「おや、ブリジッタ、どうしたね」
ブリジッタが「実はお願いがあって…」と口にしたので、ヴァイオラとラクリマは気を利かせて、「それでは私たちはここで失礼します」と暇を告げた。
宿へ戻り、皆で夕食を取ってから巡回警備に出たが、予測通り何も出ないで終わった。




