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1 月下の来訪

 悲鳴をあげながら、その若い神官は森の中を駆けぬけていた。顔には恐怖が張り付いており、半ば正気ではないようだった。

「助けて…! だれか助けて……!」

 褐色の肌をした木々と、凍り付きそうな大気ばかりが絶叫を飲み込んだ。

 涙で前がよく見えなかった。足下はこの辺りにしては痩せた土地なのだろう、半ば岩場といってもよく、露出し絡み合う岩と松の木の根とに何度か(つまず)かされた。そのうえ、冬とはいえ、青さを損なわないアカマツのくねった枝や針のような葉が、唐突に目の前に現れてはその逃避を妨げた。

 その中で彼女はひたすら逃げていた。背後に迫る恐怖から。真っ黒に塗りつぶされた自分自身の恐怖心から。

 さりながら胸にはひとつの疑問が去来していた。

(どうして……なぜあなたの(しもべ)をお助けくださらないのですか…!)




†  †  †  




 1月16日の夕刻。

 セロ村にある宿屋「森の女神」亭の若主人ガギーソンは、ここ一ヶ月ほど逗留している冒険者の一人につかまっていた。

「頼めないかな。悪い話じゃないと思うけど」

 別館の10人部屋を借り切らせて欲しいというのが彼女――ヴァイオラの申し出だった。

 ヴァイオラのいる一団は、現在、セロ村の警護に雇われていた。宿泊代・食費は村持ちである。現在は二階の6人部屋に滞在しているが、長逗留になるため、寝るだけの客室ではなくて、生活のできる広い部屋がほしいということらしい。

 ガギーソンは頭の中でそろばんを弾いた。10人部屋に10人入れるより、二階の6人部屋にだれか泊まらせるほうが上がりがいい。

「わかりました。お使いになってかまいません」

「ありがとう。仲間に言って、早速部屋を移らせてもらうよ」

 彼女はその足で仲間の元へ行き、部屋を移ることの賛同を得た。それから向かいの雑貨屋に生活用品を仕入れに行った。あれこれ選んでいると、仲間のラクリマが店に現れた。

「すみません、紙を売ってください」

「ああ、あるよ、羊皮紙とパピルスとどっちがいいかね?」

「ええと、じゃあパピルスのほうを」

 店の主人、トムJrはパピルスを手渡しながら言った。「あんた、ラクリマさんだね?」

「えっ。ど、どうして名前をご存知なんですか?」

「そりゃあ、あんたたちは有名だからさ」

「どう有名なのかな?」

「あ、ヴァイオラさん……」

 向こうでカーテンを選んでいたヴァイオラが会話に割って入った。

「まぁ、悪くない評価だよ。猟師たちには評判がいいし、木こり組合のガットやヘイズとも仲がいいだろう?」

「酒飲みに悪い奴はいないからね」

 ヴァイオラはニッと笑ってみせた。ラクリマは彼女に近づいて、

「何してるんですか?」

「部屋を住み心地よくしようと思ってね。…こっちの色とそっちの色とどっちがいい?」

 ヴァイオラはラクリマの前にカーテンを2種類差し出した。「こっちが好きです」

 すると後ろで扉が開いて、やはり同じ仲間のレスタトとGが店に入ってきた。レスタトはやや憮然とした面持ちで、「羊皮紙がほしいのですが、おいくらですか」と尋ねた。

「1枚8gpだね」

 羊皮紙の値段の高さに、レスタトは一瞬めまいを覚えた。それからGを少し睨むようにしたが、Gは視線を避けてとっととヴァイオラたちのほうへ寄っていってしまった。

(Gのせいで余計な出費が……)

 宿で手紙を書いていたとき、彼女にインクをこぼされたのだ。そうはいっても仕方ないので、レスタトは新たな羊皮紙を買い求めた。

「ちょうどいい、みんな、運ぶの手伝って」

 ヴァイオラの買い物も終わり、一同は大量の什器を新しい部屋に運び込んだ。ふて寝していたセリフィアを叩き起こし、部屋の大改装を施した。もっともそれは、カーペットを敷き、カーテンで部屋を3つに区切り、クッションやらチェストやらを置くだけのことで、半刻ほどで片がついた。



 同日夕刻。

 フィルシムからセロ村へ至る街道沿いで隊商が一つ、野営を張っていた。

 その中に、若い魔術師が一人いた。

 若い魔術師はぼんやりと夕日を眺めながら、昨日今日のことを思い起こしていた。

 昨晩は月が赤く輝いていた。あんな赤い月は初めてだった。しかも月から魔力が引き出されているように感じた。歴史的にいって、こうした事象が何度か起こったことは知っていた。まさか自分がそれを目撃するとは思わなかったが。

 同じ隊商にいる神官のスチュアーは何も感じていないようだったが、謎の女性ヴィセロは月のほうを気にして、ずっとイライラしていた。彼女は「セロ村で何か起こっているかもしれない」と口走って、若い魔術師を不安にさせた。彼がこれから行くのはそのセロ村なのだ。

 今日も今日とて体が重かった。そのうえ、終日監視されているかのような感覚が消えない。

 他の人たちは平気なんだろうか? そう思って、隊商の護衛隊長ツェーレンに「体は重くないんですか?」と尋ねたが、特にそんなことはないらしい。

 と、ヴィセロが「あなたも!」と割って入った。彼女は続けた。「これはセロ村の大いなる禍の前兆です! ああ、早く行かなくては!」

 さすがに不安を隠しきれなくなって、若い魔術師はこの隊商のリーダーであるロビィ=カスタノフに、セロ村に何があるのかと尋ねてみた。ロビィによれば、

「あそこは『冒険者の村』だ。今もかわいい女性のいる一団が逗留中だ。何なら紹介してもいい」

とのことだった。結局、よくわからなかった。

 あのとき、あの見知らぬ魔術師は、「キミの力が必要なんだ」と断言した。だから、自分は必要とされているのだと思って、セロ村へ行くことにしたのだ。だが何故自分が必要なのか、自分の何の力が必要なのかは、結局わからずじまいだった。あとは実際に行くしかなさそうだ、と、若い魔術師は思った。



 夜になって、いつものようにヴァイオラ以外のメンバーは「森の木こり」亭へ夕食を食べに行った。警備に立っている中年男レイビルに「こんばんは」と挨拶したが、レイビルは不機嫌そうに「ふん」と鼻を鳴らしただけだった。

 一方、ヴァイオラは「森の女神」亭でひとりカウンターに座っていたが、別グループの戦士ジャロスが隣に腰掛け、話しかけてきたので、適当に相手しながら彼の奢りで高価な酒の味を楽しんだ。

 「森の木こり」亭での夕食が終わり、セリフィアは直接離れにある新しい部屋へ、レスタトとGとラクリマは「森の女神」亭の一階へ向かった。3人が「女神」亭の扉をあけてヴァイオラと目を合わせたかどうかというときに、後ろからレイビルが駆けこんできた。

「狼の襲撃だ!」

 今まで和んでいた食堂に緊張が走った。

「どっちからだ?」

 ジャロスのリーダー、バーナードが鋭く尋ねた。

「正門と東門の両方だ」

 正門というのは街道に出る南側の門で、東門は木こりたちが使う通用門だった。

「俺たちは正門へ行こう。お前たちは東門を頼む」

 バーナードはレスタトたちに言った。

「私、セリフィアさんを呼んできます」

 ラクリマはそう言って慌てて離れへ向かった。「私、盾を取ってきますっ!」「僕も」と、Gとレスタトもラクリマの後を追って出ていった。

「獣人、ってことはないの?」

 ヴァイオラがだれに訊くともなく尋ねた。昨日あたりから月の魔力が肥大しており、それを懸念しての発言だった。

「この辺には狼族はいない」

 レイビルがそっけなく答えたが、ヴァイオラはそれでも気がかりなようだった。仮に相手が獣人や眷属だとすると、通常の武器で攻撃しても効き目がない。

「戦力が気になるならレイをつけよう」

 バーナードの申し出にヴァイオラは感謝した。

「助かります」

「レイ、行ってやれ」

 レイと呼ばれた魔法使いはうなずいて、「行きましょうか」と、ヴァイオラと並んで歩きだした。レイビルも無言でついてきた。

「気をつけろよ」

 後ろからジャロスの声が飛んだ。ヴァイオラは顔だけ振り向けて微笑んだ。

「あなたたちもね」


 東門についた途端、柵の一部が破られ、襲いかかる狼に木こりのひとりが喉を食い破られて絶命するのが目に入った。駆け寄る暇もなかった。

「うわあああ!!」

 もう一人、前に出ていた木こりが恐怖に駆られてこちらへ逃げてくる。柵の前は警備兵のスマックがいるだけになった。

 木こりのほか、後方には猟師が弓を構えて控えていたが、守り神である柵に逆に邪魔されて、なかなか矢が当たらないようだった。何しろこの柵は高さが3メートルもあるのだ。

 戦士は前線へ、呪文使いは後方から援護する形でそれぞれ配置についた。

 レイはスリープ〔眠り〕をかけたあと、一同にヘイスト〔加速〕をかけてくれた。これは非常に効果的だった。それでも一同はかなりの苦戦を強いられた。

 戦いの最中、ヴァイオラは妙なことに気づいた。狼たちの目が、どうにもだれかを思い出させるのだ。そう、セリフィアだ。月の魔力で「無口な男」から「爽やかお兄さん」に変貌したあとの彼のように、瞳がきらきらしている感じがするのだ。

(彼らの襲撃にも月の魔力が関係あるのか?)

 何がしか確かめようとディテクトマジック〔魔法を見破る〕をかけたのが間違いだった。月あかりすべてが魔力を帯びており、その光の氾濫に目が焼けるかと思えた。だが、ヴァイオラは狼がすべて光ったのを見逃さなかった。セリフィアとGも。どういうことなんだろう。Gはわかるが、なぜセリフィアも? ヴァイオラは目を押さえ、戦線から少し退いた。

 前線ではレスタトが活躍していた。セリフィアはかなりのダメージを食らい、一度は後ろに引いたほどだった。柵の破れ口に数名しか立てなかったため、Gは背後から弓で支援した。

 レイのマジックミサイル〔魔法の矢〕の援護もあってもうあと数匹、というところで大型の狼、ダイアウルフ2頭が現れた。彼らは強かった。牙が折れてもなお、全身で攻撃してくる。取っ組み合いを仕掛けられたスマックは、もう少しで死ぬところだった。

 満身創痍になりながら、一同はやっと最後の狼を屠った。ヴァイオラは一匹でも生かしておいて、彼らが何を目指して来たのか知りたかったが、とてもそんな余裕はなかった。

 ようやく戦闘が終わったところへ、正門からバーナードたちがやってきた。

「大丈夫だったか」「まぁ何とか」「こちらは被害なしだ」

 ジャロスはヴァイオラの様子がおかしいのに目ざとく気づいた。

「どうした?」

「目が…魔力にあてられて…」

「それでは宿までお連れしよう」

 そう言って彼は手を差し出した。断る理由もないので、ヴァイオラは素直に手をゆだねた。その前に、と、薄目をあけてバーナードたちの様子を窺い見た。

 バーナードの両手持ちの剣と板金鎧、ジャロスの板金鎧と盾とかぶとと剣、ウィーリーのブーツ、それからブリジッタの指輪が光って見えた。スコルとレイは魔法的なものは何も身につけていないようだった。

(さすが、レベルが高いだけあって魔法の品が多い)

 ヴァイオラはラクリマにボーラの回収を頼むと、その場を離れた。他の人々もいくらか後始末をしてから、三々五々帰っていった。


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