7 G
1月16日。
「ふわあああぁぁ」
Gは大きく伸びをしながら起きあがった。と、ベッドサイドにラクリマが鎮座ましましているのを発見して、
「おはようございます。どうしたんですか、ラクリマさん?」
「おはようございます。あの……Gさん、もう気分は平気ですか?」
そう言われて思い出した。自分は昨晩、激痛に意識を失ったのだ。それからずっと……夢を見ていた。奇妙な夢を。
他の面々も起きだして、とりあえず朝食を摂りに一階へ降りた。セリフィアは今日も爽快な顔つきで、「いい気分だ」と魅力的な笑顔を振りまいていた。
「もうすっかり大丈夫なのか?」
皆にかわるがわる聞かれ、Gは照れくさそうに答えた。
「もうすっかり大丈夫ですよぉ。全然痛くないし。ただなんか……すごい変な夢を見ちゃって……」
「夢?」レスタトは身を乗り出した。「夢って…まさか御神託ですか?」
「違うと思いますよぉ」Gはきっぱり否定した。「でもすごく変な夢でした……。いろいろ見ちゃって……」
「どんな夢だったんだ?」
ヴァイオラも興味を持った。この際、夢でもいい。何でもいいから手がかりになるものがほしかった。
「う〜ん……あんまりよく覚えてないんですけどぉ……」
Gはぽつりぽつりと語りだした。
さまざまな人間が現れ、さまざまな場面が繰り広げられたようだった。あるときは、御神託が正当なものと認められ支度金を受け取って旅立つ少年がいたし、そうかと思えば魔術師のうろつき回る実験室で、ガラス管の中の赤子がカッと目を見開く場面もあった。
もっとイメージだけが迫ってくることもあった。ハイブへの憎しみばかりがはっきりと感じられ、そのまま目の前のハイブブルードに向かってゆくような、憎悪のイメージの海に溺れそうだったこともあった。
あるいはまた、お裁縫の時間をさぼって、怒られ物置に閉じこめられられる少女の夢があった。だれかに「明日の舞踏の時間はさぼったら承知しませんよ」と釘を差されていた。
女遊びに飽きたとごちる美形戦士がいたかと思えば、整った女顔でいじめられる少年が登場した。少年が、自分を修道院に連れ帰った女性を偽善者だと思ったことまで感じられた。
あるいはまた、戦士に斬りかかる青年がいた。空中に浮かび、弓で魔術師かだれかに射かけるシーフの夢もあった。それから男女の夢。「お願い、連れて行って」「じゃあ、泣き虫はおやめ」というようなやりとりだけが印象に残っていた。
Gの話を聞いて、皆、途方に暮れた。だが、「神託を受けた少年」だの「お裁縫をさぼった少女」だの「女遊びに飽きた美形戦士」だのが登場したことで、数名が思い当たるふしがあり、どうやらこれは同じ宿に泊まっていた人間の過去を覗き見たのではないか、ということになった。
過去、なんだろうか。確かに、断続的に見た夢の数々を一つずつ思い起こしてみると、もしかしたらここにいる何人かの過去だったのかも知れない、と、Gは思った。それでも、そう言えるだけの自信がなかった。あんなにはっきり見えていたのに、今では靄がかかってしまって、何もかもが不明瞭だった。ただ、見てはいけないもの、だれかが心の奥底にしまっておいたものを見てしまった感じだけが明瞭さを損なわずにいた。
(……これもエオリス神の御はからいなんだろうか)
レスタトは、とりとめなく語るGを見つめながら、答の出ない問いを問うてみた。とりあえず彼女の夢は御神託ではなさそうだ。だが、どうして自分はここでこんな不思議な少女と出会ったのだろう? これが御神託と無関係なわけがない。やはり彼女は――。
「Gさん、かわいそう……そんな、他人の過去を見せられて……」
そう言って隣でラクリマが泣くのも気に留めず、レスタトはひたすらGを見つめていた。君はだれだ。君は――――君が、天使なんだろう…?
「それじゃ俺は川に行ってくる」
朝食の後で、セリフィアはうきうきと立ち上がった。
「なんかセリフィアさん、楽しそうですね」
Gがそう言うと、セリフィアは白い歯を見せて笑った。
「Gも元気になってよかった。健康が一番さ」
「……セリフィアさん、かっこいい〜」
なぜだかこちらも嬉しそうなGに軽く手を振り、セリフィアは気分良く川辺へ素振りに出かけた。リールや村の人にも明るく爽やかに挨拶し、リールに贈るために「花を買おうかな」などと思ってみたりした。
嬉々として去るセリフィアを見送って、ヴァイオラとレスタトは顔を見合わせた。月は沈んだ。Gも元に戻った。それなのになぜセリフィアは元に戻らないのだろう?
「あの、私、ちょっと午前中は寝ませてもらっていいですか?」
ラクリマはさすがに徹夜がこたえたらしく、レスタトにそう言った。あくびをかみ殺しつつ、二階へあがっていく彼女の後ろ姿を見ながら、Gはだれに聞くともなくたずねた。
「……もしかして、ラクリマさん、私のために起きててくれたんですか」
「まぁ、そんなところだね」
ヴァイオラはさりげなく返事して、それからレスタトを向いて言った。
「で? 今日は何をするのかな、坊ちゃん?」
レスタトは少しムッとしたようだったが、気を取り直して答えた。
「僕はあちらの、三階に泊まっている方々に、昨日の月の魔力について話を伺ってこようと思います。あなた方は何を?」
「私、ラクリマさんが起きるまでそばにいます」
と、Gが答えた。ヴァイオラは少し考えてから、
「私はまぁ、ヘルモーク氏の様子を見てくるかな。それじゃ、彼らに話を聞くのは坊ちゃんに任せたよ」
「それではあとで」
3人はそれぞれ別れた。
ヴァイオラはいったん部屋に戻った。部屋ではラクリマがすやすやと眠っていた。Gはそのそばに椅子を引いて座った。ちょうど昨晩と逆の構図だな、と、ヴァイオラは思った。
ヘルモークを訪ねる前にGの話を聞いてみたいと思って、ヴァイオラは話しかけた。
「昨日、背中を見たんだけど…」
聞くなり、明らかにGは動揺したようだった。
「自分の背中のことは知ってるの?」
知っているんだな、と、思いながらヴァイオラは尋ねた。Gは「えーと、えーと」と「えーと」を何回も繰り返したあとで言った。
「私、天使とかじゃないですからっ!」
ヴァイオラは何とはなしに違和感を覚えた。だがいつものことじゃないか、この娘が調子っぱずれなことを言うのは。そう思って質問を続けたのが間違いだった。深みにはまりそうな事実が次から次へと語られ、それらはヴァイオラをもってしても消化できそうになかった。おそらく酒を飲んでも軽くならないだろう。
Gの話はこうだった。彼女が「母さん」と呼んでいる人物に拾われたとき、彼女には羽根があったのだという。その後、治療を受けたら翼は消えて、それからあとは自分の意志でも出すことはできなかった。ただ、二階の窓から落ちそうになったときに偶然翼が出たが、羽ばたいたり飛んだりはできなかったという。
「飛べない翼なんて、みっともないだけです」
Gは言った。役に立たない翼を、彼女は自分で、ペーパーナイフで、一晩かかってむしり取ってしまったのだと。
「むしった!? むしったって、君……そ、そのむしった翼はどこに…?」
「わかりません。だって、むしり終わったら突然、目の前にハイブが現れて……吃驚しましたよぉ」
ヴァイオラは、吃驚してるのはこっちだと言いそうになったが、止めた。実は吃驚していないのかもしれない。そんな「吃驚」などというかわいらしい境地はとっくに過ぎ去ってしまった。呆れるとか、驚くとか、眩暈がするだとか、悲しむ怒る泣く笑う、そうした感情の平面を超越して、彼女はひたすら聞くだけだった。手に負えない、違和感だらけのGの話を。
Gはさらに語った。
「母さんは、私が鷹族じゃないかって言ってました。でも、翼があるのはバードマンって言って、鷹族の中でもすごく高位のレベルの人にしかないんですよ。私、そんなんじゃありません。だから鷹族じゃないと思います」
「………」
「だいたい、こんな白くて赤いのが鷹族なんて、そんなわけないじゃないですか。あ、母さんは黒いんですよ。格好いいでしょ? 翼は白いんですけどね」
どうやらその「母さん」にも翼があるようだ。翼、と聞いて、何かがヴァイオラの脳裏を掠めた。翼ある者……だれだったか、確かガラナークの……。
「お母さんはその、翼のことについて何も言ってなかったの? 何か話を聞けないのかな?」
「母さん、処刑されたんです…」
「!?」
「母さん、ハイブが出たあとで、自分なら止められたのに、自分の所為だって言ってたんです」
どうやらGを拾った「母さん」とは、ガラナーク王国でハイブ騒動の元凶として処刑された「黒衣の天使」、シルヴァ=ノースブラドらしかった。ヴァイオラの中で、警鐘が最大音量で鳴り響いた。だが遅すぎた。
「私がいけないんです。だって……だって私、母さんが恋人と一緒になるために、旦那さんを殺そうとしたんだと思ったんです。そしたら旦那さんと恋人が同じ人で……私、そんなことだとは思わなくて……だから、だから、メルに告げ口したら、あんなことに……」
Gは泣きながら告白した。
(自分の密告で母さんを殺してしまった)
ヴァイオラにはGの悲鳴が聞こえた気がした。ふと、彼女の背中の傷痕を思い出した。痛ましい翼の痕と、引き裂かれた心の痛みのイメージとが重なった。
「私、メルは母さんが好きなんだと思ってたんです……そしたらメルが好きだったのはミア様だったなんて……」
Gはヴァイオラの膝に突っ伏した。
「……メルって?」
「メルは大臣で、母さんは国王のおばさんです」
涙に暮れながら、Gはとぎれとぎれに答えた。メルとはガラナーク王国の財務大臣メルデル=アールブラウ、ミア様とは亡くなった前国王ヴィンデーミアートリクス=ノースブラドのことだった。シルヴァ=ノースブラドは彼女の双子の姉にあたる。
「母さんはみんなの前で悪人として処刑されたんです。ハイブを呼んだ張本人だって。だから私は……ハイブが憎い。ハイブを倒したいんです。母さんは悪くなかった。悪くなかったのに」
Gはますます激しく泣いた。ヴァイオラはぼんやりと彼女の背中を撫でながら、窓の外を眺めていたが、Gに目を戻すときっぱりした口調でこう言った。
「ジーさんが信じてるなら周りがどう思おうと関係ない、お母さんは無実だよ。それが真実でしょう。私はね、そう思う」
Gは面を上げるとちょっと目を瞠り、それから嬉しそうに「ハイ!」と答えた。
一方、レスタトはバーナードたちの部屋を訪れ、スコルと話をしていた。彼らは生憎、部屋で食事中だったが、スコルは別段いやな顔もせず、中座してレスタトにつきあった。
「どのようなことをお話ししましょうか」
スコルはおそろしく美しい、だれもが心奪われそうな声でそう言った。
レスタトは昨晩の月の魔力増大について通り一遍の質問をした。だが、あまり有用な情報は引き出せなかった。
「お役に立てる情報はありません。魔力は確かに感じましたが……過去の事例に照らし合わせて考えもしましたが、思い至ることはありませんでしたし……スピットにもお尋ねしましたが、彼もわからないようでした」
レスタトは礼儀正しく感謝を述べると、二階の部屋に戻った。ひとつノックして入ろうとすると、ヴァイオラが顔を出して、
「申し訳ないんだけどさ、今ちょっと取り込み中なんだ。もう少し外をぶらついててくれるかな?」
何が取りこみ中か聞く隙も与えられなかった。レスタトは仕方なく、一階でぼんやりして過ごした。
やがて部屋に戻っていいとのお許しが出た。レスタトはヴァイオラに、何を話していたのか尋ねた。
「まぁ、彼女の心の葛藤を、ちょっとね……」
ヴァイオラは飄々とかわした。レスタトはなおも食い下がった。どうしても知りたかったのだ。
「それで、彼女の身元はわかったんですか?」
ヴァイオラはその美しい顔をしかめてみせた。
「過去の悲しい思い出を聞いただけだよ。二階から落ちて痛くて恥ずかしかったこととか」
それが心の葛藤? レスタトは全く納得がいかなかった。
「他には何がわかったんですか? Gはいったい……」
「坊ちゃん」と、ヴァイオラはレスタトを遮った。「だれにだって簡単に触れられたくない悲しい思い出はあるだろう? 君がどうしても知りたいなら、ジーさんの信頼を得るんだね。話してもらえるまで待ちなさい。君だって他人には言えない傷とか、何かあるだろう。すぐに他人には話せない、そういうものがあるって、わかるだろう?」
「ありません」
今度はレスタトが、きっぱりと、ヴァイオラを遮った。ヴァイオラはそれを聞いて、化け物でも見るような目でレスタトを見た。
「話せないようなことなんてありませんよ、別に」
レスタトは怒ったように繰り返した。グィンレスターシアードだったら、確かに他人には言えないような弱みもたくさんある。だが自分は今「レスタト」なのだ。「神の代行者」である以上、そのような弱さはあってはならなかった。だから「ない」と応えた。
だが、そうした思惑は、口に出さないで相手に通じるはずもなかった。
ヴァイオラは黙った。レスタトには暫く話せない。いや、永久に話せないかもしれない。そう思うと、心が塞いだ。
「とりあえず、昨日も話したけど、月の魔力について問い合わせてもらえるんだろう?」
ヴァイオラは無理やりに心を奮い立たせ、Gの話題を切るためにそう言った。
「ええ、そうですね。ガラナーク大神殿と……実家に手紙を出しましょう。これから書きますよ」
レスタトは言いながらGを見た。涙のあとが認められた。泣いていたんだな、と、思った。が、今は明るい顔をしていた。
君はだれなんだ………キミハ、ボクノ、………。
その思いを振り切って、彼は羊皮紙を取り出そうと、自分の荷物へ歩み寄った。