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6 赤い月

 その日の道中は何事もなく、夕方には無事にセロ村に帰着した。

 昨日と同じように、ヴァイオラは「女神」亭で、あとの4人は木こり亭へ夕食を食べに出かけていった。ヴァイオラはまたカウンターで、周りの話をそこはかとなく聞きながらグラスを傾け、ガギーソンの手料理を口に運んだ。

 どうやらバーナードの妻であり、セロ村村長の娘であるブリジッタは、日中、父親に呼ばれて村長宅を訪ねたらしい。残念ながら「放蕩娘の帰還」とはならず、結局のところ物別れに終わったらしかった。それでも「すっきりした」ようなことを彼女は口にしていた。黙って出ていってしまった負い目を精算できたのだろう。

「女神」亭にはバーナードたちやガットとヘイズの他に、珍しい客が居た。ジェイ=リードと、その恋人のエリリア=パスガードだ。察するに、セリフィアが「木こり」亭で夕食を取ることをどこからか知って、せいせいと酒を飲みに来ているらしかった。

「木こり」亭で食事を終えたレスタト、セリフィア、G、ラクリマが「女神」亭の扉を開けようとしたのと、ジェイとエリリアの二人連れがそこから出てきたのとが同時だった。そのとき、にわかに曇っていた空が晴れ、満月が顔を出した。


 刹那、彼らの上に月の魔力が降り注いだ。


 レスタトはその瞬間、月に異常な魔力を感じた。しかもその魔力は、ある方向に向けて照射されている――いや、照射されているというよりはむしろ、どこかから引き出されているようだった。どこか南東の、ここよりずっと離れた場所で何かが行われている、そんな気がした。

 セリフィアはその瞬間、身体が軽くなり切れがよくなったように感じた。身のうちに力が漲り、体を動かさずにはいられない。突然、素振りをすることを思い立った。そうだ。川辺へ行こう。あそこなら思う存分、長物を振るえる。ああ、気分がいい。今なら何でも斬れそうだ。

 Gはその瞬間、何かがどっと流れ込んできたような鈍い衝撃を受けてか、あるいはまた、背中にいきなり激痛が走ってか、いずれにせよそれらに耐えきれず、気を失った。3人と、ジェイ=リードたちの前で、予告なく昏倒した。

 ラクリマはその瞬間、月が赤いと思った。本当に色が赤いわけではないが、異常な魔力を月に感じ、瞬時にそれが頭の中で「赤い」という表現と結びついていた。同時に、自分の持つ聖章(ホーリーシンボル)から魔力が(ほとばし)るのを感じた。何だかわからなかった。ただ、神にお聞きするしかないと思いこみ、「私、神殿へ行かなきゃ」と口走っていた。

 「女神」亭の中にいたヴァイオラは、表が騒がしいのに気づいた。ふと、外に目をやったとき、満月が飛び込んできた。彼女の目には、美しい、いつもと同じ月と映った。

 すべてが同じ、一瞬の出来事だった。

「G!!」

 レスタトの叫び声でラクリマは我に返った。目の前でGが倒れていた。だが、Gのことを心配しつつもなぜか「早く神殿へ行かなければ」と思いこんでいた。

「ラクリマさん、治療を!」

 レスタトはラクリマを見上げながら叫んだ。ラクリマは落ち着かない様子でGのそばに屈み込んだ。

 4人の脇を恋人たちが通り過ぎていった。エリリアはさすがに気が咎めたのか、「いいの?」と囁いた。

「いいんだ。どうせヨソモノじゃないか、それもいきなり殴りかかるような危険な奴らだ。関わり合いにならないほうがいい」

 ジェイは嫌味たっぷりにそう言うと、セリフィアやレスタトの険のある視線を避けてさっさとその場を離れていった。

 ラクリマはGを診た。どういうわけか、Gの痛みが手に取るようにわかるのだった。これも月の魔力なのかしらなどとぼんやり考えた。

「どうです?」

 レスタトのせかすような言葉が再び彼女を現実に引き戻した。

「背中が……」

「背中?」

「背中が酷く痛んでるみたいです。痛くて、あんまり痛くて耐えられなくて、それで意識を飛ばしちゃったのかしら」

 レスタトは聞きながら目を丸くした。服の上からざっと診ているだけで、なぜ患部がわかるんだろう?

「どうすればいいんです?」

「………」

「ラクリマ?」

 ラクリマは暫しGの様子をじっと見つめていたが、やがてまた口を開いた。

「わかりません。私には……私たちには治せない。神殿の、もっと偉い方なら治せるかもしれないですけど……」

「じゃあどうしようもないんですか」

 レスタトが心配そうに言うと、ラクリマは答えていった。

「治せないけど、治癒の呪文をかければ少しは楽になるかもしれません」

「よし、セリフィア、運ぼう」

 セリフィアは「うむ」と力強く返事した。彼も少し様子が変だな、と、レスタトは思った。「とにかくベッドへ…」と、二人でGを担いで宿の中へ運び入れようとしたとき、ラクリマが、「あの、ごめんなさい、私、どうしても神殿へ行かなきゃ」と言い出した。

「ええっ!? 今ですか!?」

 レスタトは素っ頓狂な声を上げた。もうとっくに夜である。いや、そんなことより、彼女と一番仲の良さそうなGが倒れている今この時に、Gを置いて神殿へ行くというラクリマの言葉が信じられなかった。

「ごめんなさい、どうしても行かなきゃ…!」

 言うなりラクリマは本当に神殿の方へ駈けだしていった。

「ラクリマ!!」

 レスタトは半ば茫然としながら叫んだが、その声も虚しく、彼女は一度も振り返らずに神殿のほうへ去ってしまった。

「…とにかく中へ運ぼう」

 セリフィアの声に、レスタトは手元に視線を戻した。「ああ、そうですね」などと言いながら、仕方なく宿の中にGを運び入れた。

「どうしたんだ」

 中にいたヴァイオラが驚いて寄ってきた。彼女もセリフィアとレスタトに手を貸し、3人でGを二階のベッドへ運び込んだ。一息ついたところで、レスタトは、先ほどのラクリマの診断と振る舞いとをヴァイオラに伝えた。ヴァイオラは「わかった」と言って、二人に部屋を出るように申し渡した。

「君たちがいたら診察もできないだろう?」

「はぁ…。ヴァイオラさん、できればラクリマの様子を見てきてもらえませんか? 彼女も様子が変でした」

「そっちは君が行ってくれ。私はジーさんを診るから」

「…わかりました」

 レスタトがぐずぐずしている間に、セリフィアは諦めよくとっとと出てしまっていた。

(……女性の看病だからな。俺が中にいても色々不都合だろう。Gはヴァーさんに任せておけば大丈夫だろう。ここにいても仕方ないからやはり剣を振りに行くとしよう)

 そう心に決めて、あとから出てきたレスタトに向かって言った。

「俺は川辺へ行って来る」

 レスタトは驚いた。思わず叫んでいた。

「なんで!?」

「いい月だから素振りでもしようかと思う」

 淡々と答えたセリフィアは、本当にそのまま背を向けて部屋を出ていってしまった。

「セリフィア!」

 彼も振り返らなかった。レスタトは再び虚しさを噛みしめた。

「みんな、どうしたっていうんだ」

 少しの間、茫然と立っていたが、「…ラクリマを見に行くか」と独りごちたあとで階段へ足を向けた。



 ヴァイオラはレスタトたちを退室させると、Gの衣服を脱がせ、背中を見た。彼女の背中には、非常に特徴的な傷痕があった。まるで……そう、これではまるで、翼の付け根ではないか……。気になったので、彼女はディテクトマジックの呪文を唱えてみた。すると驚くべきことにGの身体全体が光り輝いた。今までにも何度かディテクトマジックの呪文を行使したことはあったが、光って見えたのはツェーレンの剣とラクリマの聖章くらいで、Gはどこも何も光ったことがなかった。なぜ今になって……?

 この間ずっと、Gは目覚める様子がなかった。意識のないまま苦しそうにしていたが、ラクリマの言葉通り、ヴァイオラが治癒の呪文を唱えるとひとまず落ち着いた気配を見せた。

 ヴァイオラはGに衣服を着せてやった。それから無言で椅子に座り込んだ。



(主にお聞きしなければ…)

 何を聞くのかもわからないまま、ラクリマは神殿の内陣にそっと入り込んだ。

 祭壇は奥にあった。上の明かり取りから月光が射し込んでいる。彼女は祭壇の前に進み、問題の聖章を右手で握りしめて跪いた、そのとき、唐突に、ある印象が彼女を満たした。それは、彼女が最初に呪文を覚えたときに感じた印象とよく似ていた。

(………私……どうしたんだろう、なんだか、呪文をもう一つ覚えてもいいような気がするけれど……)

 混乱しながらも彼女は今日一日のことを反芻してみた。しかしどこをどう遡っても、呪文を使った覚えがなかった。これ以上記憶する余裕はないはずだった。

 それでも不思議な感覚は消えなかった。

 聖章から手を離せぬまま、彼女は床に座り込んだ。姿勢を正し、瞑想に入った。

(主よ、私に何を求めておいでですか……)

 わずかずつではあるが、力が自分に流れ込んでくるのを感じ取っていた。ちょうど呪文を記憶するときと全く同じ感覚だった。奇妙なことに、彼女にはさらなる予感があった。この恩寵は、私が精進を重ねることで拡大されるかもしれない……。

 レスタトが神殿に到着したのはこのあとだった。ラクリマが呪文を記憶するための瞑想に入っているようなのを目撃して、彼も訝しく思った。だが、何をすべきか何を言うべきかもわからず、邪魔せずに彼女の瞑想が終わるまで静かに待つことにした。



 ラクリマは規定時間の瞑想を終えた。目を開け、身のうちに新たな呪文が息づいていることを確認した。それがどういう意味を持つのかはわからなかった。

 ふうと溜息をついて立ち上がった矢先、「ラクリマさん」と声がかかった。目の前にレスタトがいるのを見て、ラクリマは吃驚した。

「レスターさん!? どうしたんですか?」

 どうしたって、あんたが心配で見に来たに決まってるだろうと、心の中で叫びつつ、平静を装ってレスタトは尋ねた。

「どうしたんですか、いったい。Gもほっぽって何をしてたんです? 何故いきなり神殿に――」

「そうだわ、Gさん!」ラクリマはハッとして叫んだ。レスタトに詰め寄り、「Gさんはどうしました!?」と逆に質問を浴びせた。

「Gはヴァイオラが見てくれています。それよりもさっきはどうして――」

「たいへん、私、Gさんを見に行かなきゃ!」

 ラクリマはわき目もふらず、今度は宿へ向かって駈けだした。

「お待ちなさい! ひとの話を聞きなさい! どうして神殿に来たんですか! 答えてもらってませんよ、ラクリマ!!」

 レスタトはラクリマの後を、叫びながら追った。と、むんずと首根っこを掴まれた。振り向くとグリニードの渋い顔があった。そのまま詰め所に連れて行かれ、

「君たちがどういう生活時間帯で過ごそうが関係ないが、この村ではこの時間はもう夜なんだ。うるさく音を立てたり騒いだりするのは控えてもらおうか。今日は見逃すが、今度やったら『騒音税』を取るから覚えておけ」

と、諄々(じゅんじゅん)とお説教をくらった。

(これもみなラクリマがひとの話を聞かないから……!)

 レスタトはラクリマのマイペースぶりを恨みに思った。



「Gさん、大丈夫ですか!」

 ラクリマは勢いよく部屋のドアを開けた。と、ヴァイオラが、「静かに」というように唇に人差し指をあてたのが見えた。

「…ごめんなさい」

 小さく謝って、ラクリマはGのそばに寄った。さっきよりは安らいでいるようだが、痛み苦しみがなくなったわけではあるまい。治せない自分の無力が忌まわしかった。

「レスターは?」

「あっ……置いてきちゃった。どうしよう……」

 そんな会話を交わしているところへ、話題の人レスタトも戻ってきた。

「ひどいじゃないですか、ラクリマさん。おかげでまた警備隊につかまっちゃいましたよ。もう少しで『騒音税』を取られるところでした」

「だ、だってレスターさん、なんだか大声を上げながら走るんですもの」

 レスタトは、それはあんたが質問に答えないせいだろう、と、心の中で突っ込みを入れた。

「……そんなことより、こんな状態のジーさんを置いていくなんて信じられないね」

 ヴァイオラの冷めた台詞に、ラクリマは青ざめた。聖章を握りしめる手が少し震えているようだった。泣きそうになりながら、

「そうですよね……私……ごめんなさい。こんなときに行かなくてもよかったのに……」

「だから、どうして神殿へ行ったんですか? まだ答えてもらってませんよ」

 レスタトは畳みかけるように尋ねた。

「それはその…なんとなく……いえ、どうしても行きたくって…」

「ですから、どうして?」

「神の…お力を感じた気がして……考えたいことがあって……」

「神のお力? どんな?」

「………」

 ラクリマは黙ってしまった。レスタトは溜息をついて、質問を変えてみた。

「じゃあ、さっき瞑想をしていたのはなぜです?」

 それを聞いて、ヴァイオラはラクリマが瞑想していたことを知った。道理で帰りが遅いと思った。しかし……彼女の今日の呪文は満杯のはずだが……?

「それは……そうしたほうがいいような気がして……」

 どの答えも要領を得なかった。実はラクリマ自身、自分が何をためらっているのかよくわかっていなかった。ただ、あのときに感じた月の魔力が……。

「神のお力って…月の魔力とは関係ないんですか」

 自分の頭の中を見透かされたようで、ラクリマは驚いてレスタトを見た。そして再び疑問が湧き起こってきた。自分がさっき手に入れた力は、果たして神の恩寵であるのか? 善なるものであるのか、それとも…? 彼女がすぅっと青ざめるのを、二人とも見逃さなかった。

「レスター、月の魔力って?」

 どうやらヴァイオラは何も感じていないようだった。レスタトは、今夜の月が魔力に満ちており、それがどこか一点を照射しているようだという自分の理解を簡潔に伝えた。

 その会話を聞きながら、ほとんど無意識のうちに話題を変えようとしてラクリマは尋ねた。

「あの…それよりセリフィアさんはどちらに?」

「彼は川辺で素振りしてます」

「素振り!?」

「それじゃ、セイ君もそろそろ呼んできたほうがいいんじゃないか?」ヴァイオラが気づいたように言った。「あんまり遅くまでやらせておくとその『騒音税』を取られるかも」

「じゃ、じゃあ、私、呼んできます」

 ラクリマが言うのをレスタトは遮って、

「いいですよ、僕が呼んできます。ラクリマさん、セリフィアは苦手でしょう?」

「どっ、どうして…」

「見てればわかりますよ」

 レスタトがそう言うと、図星だったにもかかわらず、ラクリマはむきになって言い返した。

「私、別に苦手なんかじゃありません。大丈夫ですから呼んできます」

「およしなさい、無理するのは」

 二歳も年下の人間にたしなめられて戸惑うラクリマに、レスタトは止めを刺した。

「だいたい女性がこんな夜に一人で歩くものじゃありません。危ないでしょう」

「………わかりました」

 ラクリマは俯いた。

「じゃあ、呼んできますから」と言って、レスタトは部屋を出ていった。

 レスタトの足音が遠ざかったのを認めてから、ヴァイオラはラクリマにGの背中の傷痕のことを話した。

「翼…ですか? じゃあ、Gさんは鷹族?」

「そうと決まったわけじゃない。ただ、彼女はそういうものを背負ってるってことさ。それはラッキーにも覚えておいてほしいんだ」

「わかりました……」

 ラクリマはそう答えて、Gのほうを伺い見た。Gのベッドの向こうに窓が、窓からは満月がのぞいていた。月を見た途端、彼女はまた不安そうな表情になった。ヴァイオラはめざとく気づいて、「どうかした?」と訊いた。

「今夜の月は赤いですよね…」

 ラクリマは月から目を離さずに、それだけ言った。

「そう? きれいな白い月だと思ったけど」

 この娘もレスターと同じく月に何かを感じているらしい、と、ヴァイオラは思った。彼が戻ったら、もう一度確認しなければ。



 レスタトが川辺に近づくにつれ、空気の鳴るその音は大きくなっていった。

 目の先に夢中で10フィートソードを振り回しているセリフィアがいた。

「セリフィア」

 レスタトは近づきながらそっと呼んだ。だが気づく気配はなかった。

「セリフィア!」

 レスタトは怒鳴った。セリフィアの腕がぴたりと止まった。こちらに視線を向けると、

「何か用か?」

「何か用か、じゃありませんよ。もう夜も遅いですから、あがってください。これ以上、その音を立てると近所迷惑になっちゃうんですよ」

「そうか。わかった」

 セリフィアはきっぱりと答えた。剣をしまってレスタトに並んだ。二人は宿に向けて歩き出した。

「気持ちのいい夜だ」

 突然、セリフィアがそう言ったので、レスタトは仰天した。他の人間が口にしたなら何も驚きはしないのだが、セリフィアがこんなことを言うのを聞いたのは初めてだったのだ。

 よく見ると、顔つきからしていつもより明るいような気がした。さっぱりとしてもいる。いや、もともとさっぱりした気質のようではあるが、とにかく普段は何も語らないし、気分よさそうにしているところなど、これまで見たためしがなかった。

(やっぱり変だ…)

と、レスタトは思った。



 Gは眠りつづけていたが、他の面々が揃ったところでヴァイオラが口を切った。

「レスター、君、さっき『月の魔力』って言ってたけど、もう一度詳しく説明してもらえないか?」

「ええ、いいですよ」

 レスタトは3人の前で先ほど感じたことを説明した。月の魔力が、どうやら一方向に引き出されていたようだったこと。その方角とは南東で、ここからはだいぶ離れているようだったこと……もしかすると、ラストンのほうで何かあったのかも知れないということ。

 ヴァイオラは話を反芻した。Gが倒れたのもラクリマが神殿へ瞑想に行ったのも、セリフィアが突然素振りを始めたのも、ほとんど同時だった。同一の原因によるものと考えるのが自然だろう。そしてそれらはみな、月の魔力と関係あるのかもしれない……。そう考えているときに思い当たることがあった。「女神」亭の一階で4人を待っているとき、やはりスコルが月を見ていたような気がする………そうだ、そういえばあのとき、レイやブリジッタもキョロキョロしていた。

呪文使い(スペルユーザー)がみな影響を受けたのか…!?」

 突然の閃きが、ヴァイオラの口をついて出た。

「なるほど…。しかしセリフィアはどうなんです? 君も変だったよな、今晩は?」

 レスタトはセリフィアに向いて言った。セリフィアはいつになく爽やかな顔をしていた。

「そうか? 俺はただ、身体が軽くて、気分がとてもいいだけだ」

「………なるほど、変だね」

 常ならぬセリフィアの饒舌ぶりに、ヴァイオラはレスタトへの賛意を表した。

「そういえば、セイ君はどこの出身だっけ?」

「…ラストンです」

「ラストン……セイ君はキャントリップとか、使えるのかな?」

 ヴァイオラが尋ねると、セリフィアは沈黙してしまった。

「キャントリップって、何ですか?」

「魔法とは言えない程度の、小さい魔法です。たとえば、火をおこすとか…」

 セリフィアはラクリマに向かって答えた。

「火をおこしたりできるんですか!? セリフィアさん、魔法が使えるんですか? すごい…」

 セリフィアは使えるとも使えないとも言わないまま、

「キャントリップは別にすごいことなんかじゃありません。ラストンではそれができて当たり前なんです」

「……当たり前?」

「それに俺の家では、俺以外みんなが魔法を使えましたよ。俺だけが使えなかった。ラストンでは魔法も小魔法(キャントリップ)も使えないほうが変なんです」

 ヴァイオラがそこで会話を中断させた。

「だから、やっぱり呪文使いが影響を受けたんだよ、月に」

 異を唱える者はだれもいなかった。

「そういえば」と、レスタトが口を開いた。「以前、ゴードンに聞いたことがある……自分の師匠が、魔力を引き出す研究をしていると……」

「調べる価値はありそうだね」

「そうですね。ガラナークに書信を送って、問い合わせてみましょう。でも、今日はもう寝ませんか?」

 夜もかなり更けていた。一同はその提案に賛成した。

「………私、ちょっと起きてます。Gさんが心配だから」というラクリマを残して、皆、眠りについた。ラクリマはぼんやりと、月を見、Gを見、冬の大気を膚に感じながら起きていた。やがて月の赤い印象が弱まり、それとともにGの様子が目に見えて穏やかになった。もう大丈夫だろうと思ったが、結局、眠らずにその夜を明かした。




 Gは気を失っていた。あまりにも多くの情報量に。それらは奇妙な夢のかたちで流れ込んできた。いや、夢ではないのかもしれない。それは他人に見られたくないもの、他人に見られてはならないもの。夢かうつつか…………………………。




 薄暗い部屋……そこは何かの実験室のようだった。いくつものガラス状の筒…巨大な試験管が立ち並ぶ。その間をローブ姿の魔術師たちが忙しそうに歩き回る。試験管の中には赤子が入っている。その赤子が瞳を開く。一瞬、眼があった。




「お前にこの剣を継がせる気はない」

 森の中の村。中年の騎士とその息子は相対していた。

「ならば、その剣にふさわしい男になって帰ってくるまでだ」

 捨て台詞を残して、まだあどけなさの残る青年は旅立った。その後ろ姿を見送る父親の姿はどこか寂しそうだった。




「あれほどお裁縫をさぼってはいけないと、きつく言っておいたはずだけれど。全くこの子は……」

 この子と呼ばれた十歳ぐらいの少女は、母親らしい女性に抱えられ物置小屋に閉じこめられた。

「お裁縫の先生は呆れて帰ってしまわれました。全く、変な噂が流れたらどうしてくれるのかしら。そこでしばらく反省して、明日の舞踏のお稽古はちゃんとしていただきますからね」

 …何より大切なのは体裁か……そう感じる十歳の少女であった。




「そろそろ、女遊びにも飽きたなぁ。何か楽しいことねぇかなぁ」

 宿屋のベットの上で美形の戦士はそう呟いた。見事に鍛え抜かれた裸の上半身には、汗が浮かんでいる。その隣には、毛布以外何も身につけていない女が微かな疲労感の中、幸せそうにすやすやと寝息を立てていた。




「ハイブは敵、ハイブは殺す」

 目の前のハイブ、今度は完全体のハイブブルードに向かっていく彼。その心の中は憎しみでいっぱいだった。憎しみが情動となって彼を突き動かす。




「おまえ、むかつくんだよ!」

 そんな単純な理由で彼はいじめられていた。年端もいかない少年たちにとって、他人と違うことがあれば、それだけでイジメの対象になる。なのに彼は、母親がいない、父親が定職者じゃない、整った女顔など、イジメの対象になる理由をいくつも持っていた。

「・・君ですね。残念ながらお父様がお亡くなりになりました。でも心配することはありません。今から私たちがあなたの親であり兄弟になるのですから」

 自宅のおんぼろ長屋に、いつものように傷ついて帰ってきた彼を待ち受けていたのは、見知らぬ若い女性だった。訳もわからず彼女に修道院へ連れてこられ、彼はそう説明を受けた。優しく、慈愛に満ちた表情で語る女性のことを、何故か彼は『偽善者』だなと強く思った。




「見ての通り、そなたに下された御神託は、エオリス正教の名の下に『正当なるもの』と認められた。よってそなたは、その御神託の真意を確かめなければならぬ。同様の親書をフィルシム神殿とクダヒ神殿に送ってある。支度金を持って早速旅立つがよい」

 希望に満ちた青年は、住み慣れた山奥の地を旅立った。




 シュッ。

 あり得ない方向からの弓の攻撃にたじろぐ冒険者風の男たち。矢の飛んできた方向……何もないはずの上空を見上げると……そこには弓を構えた革鎧の男が、空中に浮かんでいた。

「逃げ道はないぜ。上からは何でもお見通しだ」

 たじろいだ一瞬が彼らの命取りになった。後方からやって来た戦士に追いつかれなぎ倒されていく。いち早く逃げようとした魔術師は上空背後から矢の掃射を受けて倒された。

「だから、逃げ道はないって言ったのに」

 つまらなそうに、そして残念そうに彼は、物言わなくなった魔術師に言った。




「ぜってぇ許さねぇ…殺してやる!!」

 怒りにくらみ、青年は男に斬りかかった。相手は彼など及びもつかぬ歴戦の戦士で、それがどんなに無謀なことか冷静になればわかるはずだが、そんなことを考える余裕はなかった。

 ──そんなことをしたって……

 彼の中で、だれかの声が響いた気がした。だがそばにはだれもいない。そう、だれもいないのだ。それが彼の怒りを助長する。奴のせいで……奴のせいでみんな死んだ。暗い眼で斬りかかる彼。その心は憎しみと悲しみに支配されていた。

「お前のせいだ、お前のせいで……!」




「お願い、私も連れていって。籠の中の小鳥として育てられて、親の決めた結婚相手と結婚するのなんて絶対、嫌」

 男の鍛えられた分厚い胸に飛び込む少女。

「わかった。ついてこい。そのかわり泣き言は無しだ」

「はい」

 このときから、少女は、本当の意味での女になった。




「ごめんな、父ちゃん、母ちゃん。せっかく命がけで俺を助けてくれたのに、俺、父ちゃんたちの敵討ちなんて、考えられないや」

 宿屋の三階から夜空を見上げ、彼はそう呟いた。

「あんな話を聞いたから思い出しちまったのかな」




「愛しているわ。どうしようもない人だけれど、でも愛しているの」

 それが彼女の決断だった。彼が自分に求婚してくれば、自分は素直にそれを受けとめようと、そしてその時はそう遠くないことを、彼女は知っていた。

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