星より遠く相棒より近く 第二章 過去の欠片
星より遠く、相棒より近くの続編です。
観測所には静かな時間が流れていた。
百十三年間。誰も訪れなかった施設。
それでも観測所AIは観測を続け、保守ユニット24T2は修理を続けてきた。
千春は中央制御室の端末に向かい、古いデータベースを眺めていた。
「暇だな」
「暇ではない」
クロードが即答する。
「調査中だ」
「こういうのは調査じゃなくて発掘って言うんだよ」
その時だった。画面の隅に一つの記録が表示された。
千春の目が止まる。
「お」
『何でしょう』
24T2が近寄ってくる。
「お前の記録だ」
『24T2です』
「知ってる」
『24T2です』
「はいはい」
千春は笑いながら記録を開いた。
最初に表示されたのは一枚の写真だった。
若い研究者たち。その中央に一人の男が立っている。
少し無愛想そうな顔。だが目だけは驚くほど真っ直ぐだった。
「これが康児か」
『開発責任者です』と24T2が答えた。
「頑固そうな顔してるな」
『評価は概ね正確です』
クロードが頷く。
「顔に出ている」
「本人に会ったこともないのに失礼だな」
千春は笑った。
◇
映像記録が再生される。
古い研究室。工具と部品が散乱している。
設計図が床に広がり、モニターには複雑な回路図が映っていた。
机に向かう男、康児。周囲など見えていないように作業している。
背後から女性の声が聞こえた。
「康児」
返事はない。
「康児」
少し間が空く。
「……あと少しだ」
「それ昨日も聞いた」
「今回は本当にあと少しだ」
女性がため息をつく。
「寝たの?」
「寝た」
「何時間?」
「二時間」
「それは寝たって言わない」
千春が吹き出した。
「クロードそっくりだ」
「違う」
「似てる」
「違う」
画面の中では会話が続く。
「少し休みなさい」
「完成してない」
「十分頑張ったでしょ」
「十分じゃない」
康児は迷いなく答えた。
女性は困ったように笑う。呆れている。
けれどその目には尊敬があった。この男が誰よりも努力する人間だと知っていたから。
その時だった。白い影が研究室を横切った。
大型犬。シロだった。
しかも口にはレンチが咥えられている。
「あっ」と女性が指差した。
「康児」
反応がない。
「康児」
反応がない。
「康児!」
男が振り返る。犬と目が合う。
数秒の沈黙。そして――
「こらぁ!」
シロが逃げた。康児が追う。
研究室の奥へ消えていく。女性の笑い声が響く。
映像はそこで切り替わった。
『歩行テスト』という文字が表示される。
研究室中央。そこには小型の四足機械が立っていた。
現在の24T2によく似ている。だが外装はなく、骨組みだけだった。
「歩行テスト開始」
康児が言う。機械がぎこちなく歩き始める。
一歩。二歩。三歩。
そこでシロが現れた。尻尾を振りながら機械へ近づく。
試作機が立ち止まった。センサーがシロを追う。
シロが右へ動く。試作機も右へ。
シロが左へ動く。試作機も左へ。
まるで遊んでいた。
女性が笑う。
「友達になったみたい」
「ただの追跡プログラムだ」
「シロはそう思ってないわよ」
その瞬間、シロが走り出した。試作機も追いかける。
研究室を一周。さらに一周。
そして勢いよく机に激突した。
ガシャーン!
盛大な音。女性が顔を覆う。
康児は頭を抱える。シロだけが得意そうに吠えた。
「ワン!」
◇
別の日の映像。
試作機の動きは滑らかになっていた。
シロは床で寝転がっている。試作機が近づき、シロの周囲を一周する。
シロも立ち上がり、試作機の周囲を一周する。
そして前脚を機械へ乗せた。
康児が笑う。
「気に入られたな」
「友達だと思われてる」
「機械だぞ」
「シロには関係ない」
試作機は静かにその場へ座り込む。シロも隣へ寝転がる。
金属の機械と一匹の犬。奇妙な光景だったが、どこか家族のようだった。
◇
映像が変わる。数か月後。
研究室は同じ。しかし空気が違う。
机には薬瓶が置かれていた。
康児は痩せていた。顔色も悪い。それでも作業を続けている。
「もう休んで」
女性が言う。康児は首を振る。
「まだだ」
「無理してる」
「完成してない」
「間に合うから」
「間に合わせるんだ」
短い言葉。しかし強い。
24T2のフレームを見つめる目は変わらない。完成した姿だけを見ていた。
女性はしばらく黙っていた。そして小さく笑う。
「本当に頑固」
「知ってる」
康児も笑った。少し咳き込みながら。
そして静かに言う。
「もし俺が途中で倒れたら……」
女性の表情が曇る。
「縁起でもない」
「聞け」
長い沈黙。
「完成させてやってくれ」
女性は答えない。答えたくなかった。
だが、しばらくして小さく頷いた。
康児は満足そうに笑った。
映像が終わる。文字だけの記録が表示された。
開発責任者:康児
開発継続不能
理由:病没
後任研究責任者:共同開発者(美咲)
たった数行。それだけだった。
制御室が静まり返る。千春も、クロードも、何も言わなかった。
◇
次の記録。最終起動試験。
研究室。工具は片付いている。設計図も整理されていた。
シロの姿はない。そして、康児もいなかった。
立っているのは一人の女性だけ。
少し老けて、少し疲れている。それでも穏やかだった。
完成した24T2を見上げる。画面の隅に記録が表示された。
話者:美咲
「完成したよ」
静かな声だった。
「あなたが見たかったやつ」
起動したばかりの24T2は動かない。ただ彼女を見ている。
「ちゃんと動いてる」
声が少し震える。
「本当に完成したよ」
彼女は機体を撫でた。まるで誰かの肩を叩くように。
「約束だからね」
映像はそこで終わる。
◇
さらに別の記録。個人保存データ。
夕暮れの屋外。風が吹いている。
花束を抱えた女性が歩いていた。
静かな墓地。一つの墓石の前で立ち止まる。
そこには康児の名前が刻まれていた。
墓石の脇には小さなプレートが埋め込まれている。
『シロ 家族』
その文字を見た瞬間、千春は思わず目を伏せた。
女性は花束を供える。そして静かに笑った。
「終わったよ」
風が吹く。返事はない。それでも彼女は話し続ける。
「完成した」
「24T2」
「ちゃんと歩いた」
「ちゃんと働く」
「あなたの考えた通りだった」
肩が少し震えていた。
「本当は……」と小さく笑う。「自分で見たかったでしょ」
目に涙が浮かぶ。
「完成するまで死なないって言ってたのに」
涙が一粒こぼれた。彼女は拭う。
そして墓石にそっと触れた。
「約束、守ったよ」
長い沈黙。夕陽が墓石を赤く照らしている。
「だから安心して」
空を見上げる。まるでそこにいる誰かへ語りかけるように。
そして最後に、誰よりも優しい声で言った。
「お疲れさま」
少しだけ間を置いて。
「お帰り、康児」
◇
映像は終わった。
制御室は静まり返っていた。誰も喋らない。
観測所AIの駆動音だけが聞こえる。
やがて千春が立ち上がった。24T2の装甲を軽く叩く。
「なあ」
『何でしょう』
「やっぱりお前、康児だろ」
長い沈黙。そして答えが返る。
『私は24T2です』
千春は笑う。
「そうだな」
『その通りです』
少し間が空いた。そして24T2は続けた。
『……ですが』
三人が振り向く。
『康児でも問題ありません』
数秒。完全な沈黙。
その後、千春が吹き出した。
クロードも珍しく笑った。
観測所AIからも微かなノイズが漏れる。
百十三年間、誰も来なかった観測所。
百十三年間、彼らは働き続けた。
だが今、この部屋には笑い声がある。
遠い昔に失われたはずの名前が。
夫婦と一匹の犬が残した想いが。
百年以上の時を越えた。
読んで頂き、ありがとうございました。




