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星より遠く、相棒より近く

星より遠く相棒より近く 第二章  過去の欠片

掲載日:2026/10/20

星より遠く、相棒より近くの続編です。

観測所には静かな時間が流れていた。


百十三年間。誰も訪れなかった施設。

それでも観測所AIは観測を続け、保守ユニット24T2は修理を続けてきた。


千春は中央制御室の端末に向かい、古いデータベースを眺めていた。


「暇だな」

「暇ではない」


クロードが即答する。


「調査中だ」

「こういうのは調査じゃなくて発掘って言うんだよ」


その時だった。画面の隅に一つの記録が表示された。

千春の目が止まる。


「お」

『何でしょう』


24T2が近寄ってくる。


「お前の記録だ」

『24T2です』

「知ってる」

『24T2です』

「はいはい」


千春は笑いながら記録を開いた。


最初に表示されたのは一枚の写真だった。

若い研究者たち。その中央に一人の男が立っている。

少し無愛想そうな顔。だが目だけは驚くほど真っ直ぐだった。


「これが康児か」

『開発責任者です』と24T2が答えた。

「頑固そうな顔してるな」

『評価は概ね正確です』


クロードが頷く。


「顔に出ている」

「本人に会ったこともないのに失礼だな」


千春は笑った。


◇


映像記録が再生される。


古い研究室。工具と部品が散乱している。

設計図が床に広がり、モニターには複雑な回路図が映っていた。


机に向かう男、康児。周囲など見えていないように作業している。

背後から女性の声が聞こえた。


「康児」


返事はない。


「康児」


少し間が空く。


「……あと少しだ」

「それ昨日も聞いた」

「今回は本当にあと少しだ」


女性がため息をつく。


「寝たの?」

「寝た」

「何時間?」

「二時間」

「それは寝たって言わない」


千春が吹き出した。


「クロードそっくりだ」

「違う」

「似てる」

「違う」


画面の中では会話が続く。


「少し休みなさい」

「完成してない」

「十分頑張ったでしょ」

「十分じゃない」


康児は迷いなく答えた。

女性は困ったように笑う。呆れている。

けれどその目には尊敬があった。この男が誰よりも努力する人間だと知っていたから。


その時だった。白い影が研究室を横切った。

大型犬。シロだった。

しかも口にはレンチが咥えられている。


「あっ」と女性が指差した。

「康児」


反応がない。


「康児」


反応がない。


「康児!」


男が振り返る。犬と目が合う。

数秒の沈黙。そして――


「こらぁ!」


シロが逃げた。康児が追う。

研究室の奥へ消えていく。女性の笑い声が響く。


映像はそこで切り替わった。


『歩行テスト』という文字が表示される。


研究室中央。そこには小型の四足機械が立っていた。

現在の24T2によく似ている。だが外装はなく、骨組みだけだった。


「歩行テスト開始」


康児が言う。機械がぎこちなく歩き始める。

一歩。二歩。三歩。


そこでシロが現れた。尻尾を振りながら機械へ近づく。

試作機が立ち止まった。センサーがシロを追う。


シロが右へ動く。試作機も右へ。

シロが左へ動く。試作機も左へ。

まるで遊んでいた。


女性が笑う。


「友達になったみたい」

「ただの追跡プログラムだ」

「シロはそう思ってないわよ」


その瞬間、シロが走り出した。試作機も追いかける。

研究室を一周。さらに一周。

そして勢いよく机に激突した。


ガシャーン!


盛大な音。女性が顔を覆う。

康児は頭を抱える。シロだけが得意そうに吠えた。


「ワン!」


◇


別の日の映像。


試作機の動きは滑らかになっていた。

シロは床で寝転がっている。試作機が近づき、シロの周囲を一周する。

シロも立ち上がり、試作機の周囲を一周する。

そして前脚を機械へ乗せた。


康児が笑う。


「気に入られたな」

「友達だと思われてる」

「機械だぞ」

「シロには関係ない」


試作機は静かにその場へ座り込む。シロも隣へ寝転がる。

金属の機械と一匹の犬。奇妙な光景だったが、どこか家族のようだった。


◇


映像が変わる。数か月後。


研究室は同じ。しかし空気が違う。

机には薬瓶が置かれていた。

康児は痩せていた。顔色も悪い。それでも作業を続けている。


「もう休んで」


女性が言う。康児は首を振る。


「まだだ」

「無理してる」

「完成してない」

「間に合うから」

「間に合わせるんだ」


短い言葉。しかし強い。

24T2のフレームを見つめる目は変わらない。完成した姿だけを見ていた。


女性はしばらく黙っていた。そして小さく笑う。


「本当に頑固」

「知ってる」


康児も笑った。少し咳き込みながら。

そして静かに言う。


「もし俺が途中で倒れたら……」


女性の表情が曇る。


「縁起でもない」

「聞け」


長い沈黙。


「完成させてやってくれ」


女性は答えない。答えたくなかった。

だが、しばらくして小さく頷いた。

康児は満足そうに笑った。


映像が終わる。文字だけの記録が表示された。


開発責任者:康児

開発継続不能

理由:病没

後任研究責任者:共同開発者(美咲)

たった数行。それだけだった。


制御室が静まり返る。千春も、クロードも、何も言わなかった。


◇


次の記録。最終起動試験。


研究室。工具は片付いている。設計図も整理されていた。

シロの姿はない。そして、康児もいなかった。


立っているのは一人の女性だけ。

少し老けて、少し疲れている。それでも穏やかだった。


完成した24T2を見上げる。画面の隅に記録が表示された。


話者:美咲

「完成したよ」


静かな声だった。


「あなたが見たかったやつ」


起動したばかりの24T2は動かない。ただ彼女を見ている。


「ちゃんと動いてる」


声が少し震える。


「本当に完成したよ」


彼女は機体を撫でた。まるで誰かの肩を叩くように。


「約束だからね」


映像はそこで終わる。


◇


さらに別の記録。個人保存データ。


夕暮れの屋外。風が吹いている。

花束を抱えた女性が歩いていた。


静かな墓地。一つの墓石の前で立ち止まる。

そこには康児の名前が刻まれていた。

墓石の脇には小さなプレートが埋め込まれている。


『シロ 家族』


その文字を見た瞬間、千春は思わず目を伏せた。


女性は花束を供える。そして静かに笑った。


「終わったよ」


風が吹く。返事はない。それでも彼女は話し続ける。


「完成した」

「24T2」

「ちゃんと歩いた」

「ちゃんと働く」

「あなたの考えた通りだった」


肩が少し震えていた。


「本当は……」と小さく笑う。「自分で見たかったでしょ」


目に涙が浮かぶ。


「完成するまで死なないって言ってたのに」


涙が一粒こぼれた。彼女は拭う。

そして墓石にそっと触れた。


「約束、守ったよ」


長い沈黙。夕陽が墓石を赤く照らしている。


「だから安心して」


空を見上げる。まるでそこにいる誰かへ語りかけるように。

そして最後に、誰よりも優しい声で言った。


「お疲れさま」


少しだけ間を置いて。


「お帰り、康児」


◇


映像は終わった。


制御室は静まり返っていた。誰も喋らない。

観測所AIの駆動音だけが聞こえる。


やがて千春が立ち上がった。24T2の装甲を軽く叩く。


「なあ」

『何でしょう』

「やっぱりお前、康児だろ」


長い沈黙。そして答えが返る。


『私は24T2です』


千春は笑う。


「そうだな」

『その通りです』


少し間が空いた。そして24T2は続けた。


『……ですが』


三人が振り向く。


『康児でも問題ありません』


数秒。完全な沈黙。


その後、千春が吹き出した。

クロードも珍しく笑った。

観測所AIからも微かなノイズが漏れる。


百十三年間、誰も来なかった観測所。

百十三年間、彼らは働き続けた。


だが今、この部屋には笑い声がある。


遠い昔に失われたはずの名前が。

夫婦と一匹の犬が残した想いが。

百年以上の時を越えた。


読んで頂き、ありがとうございました。

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