俺は、水と結婚した。
気がついたら、あいつのことを好きになっていた。
いつからだったのかと聞かれても、正直よく分からない。
ただ、最初にあいつを見た時のことだけは、今でもよく覚えている。
あれは、学院の実習だった――
俺の生まれ育った国――ヴァルリディア王国は国民を大切な人材と考え、身分関係なく、貴族も平民もみんな主要都市にある学院に通う。
貴族にとっては社交の場でもあるらしく、多くの貴族令嬢にとっては勉学や技術を身につけることよりも、婚姻相手を見つける場だった。
俺たち平民でも、もちろん結婚相手を探す大事な場所ではあるけれど、それ以上に自分に合った職を見つけ食い扶持を得るために通っているやつらがほとんどだ。
まあ、女の子は結婚相手探しに勤しんでいる子もそれなりに多かったけどな。
そんな多くの若者たちが通う学院には、上等部の3年生から現場実習がある。
3年生は1回、4年生と5年生は2回行われる。
3、4年生の時の実習は本命の職種を目指す学院生もいれば、俺のように本命ではないけど、本命に関わりのある場所の実習を受ける学院生もいて様々。
ただ、5年生で行った実習先でそのまま卒業後に就職する人が半数。たかが実習と侮れない。
そんな比較的自由の利く、4年生の1回目の実習先に、俺は鍛冶工房を選んでいた。
その工房で、一つ下……3年生の男子実習生だったアベルと知り合った。
俺にとっては二度目の現場実習で、あいつにとっては初めての実習。
それまでは学院で話すどころか出会ったことすらない。
それも、王都にあるユスティリア学院じゃあ仕方のないことだ。
王都ということもあって、国内の領地を治める貴族の令息令嬢たちがこの学院に集まる。そのおかげで、国内にある学院の中でも最も学生数が多いらしい。
王都から出ることなんて滅多にないからよく知らねぇんだけどな。
実習の初日で初めて会ったあいつは、礼儀正しくはあるけど、口数が少なく表情の変化もあまりない。
正直、顔が整っているだけで、それ以外特段気になることなんてなにもなかった。
それなのに、なぜか目に入って、逸らせなくなった。
実習先はそこそこの大きさの鍛冶工房だったからか、大きな炉があった。
もちろん、学院生がいきなり炉の前に立たせてもらえるわけじゃない。
一ヶ月の実習期間が終わる頃に、体験のために鉄釘を打たせてもらった、そんな話を鍛冶工房を実習先に選んでいた先輩から聞いていた。
それ以外は基本、職人見習いに混ざって、掃除や道具の準備に食事や洗濯を手伝うだけだと。
実際、今朝、この工房の親方から受けた説明もだいたいそういった内容だった。
だから当然、実習初日に炉に近づけるはずもなく――
なのに、あいつは少し離れた場所から、炉の火をじっと見ていた。
まるで、火の中に何か答えがあるみたいに。
瞬きも、身じろぎもせず。ただ、じっと。
そんなあいつに、声をかけようとした時に気がついた。
琥珀色の瞳が、燃え盛る炎のように輝き、時折映る炎の灯りのせいか、あいつの瞳が黄金に輝いているように見える瞬間があった。
俺は、そんなあいつから目を離せなくなった――
正直、変な奴だと思った。
それが、最初の印象。
その後、実習期間中に何度か話す機会があった。
話してみても、やっぱり変な奴だった。
口数は多くない。
人に興味があるのかないのか、よく分からない。
こっちが話しかければ礼儀正しく返してくるが、話が終われば、それ以上こちらに関心を示すこともない。
けれど、鉄や鍛冶の話になると、ほんの少しだけ目の色が変わる。
その変化が、なんとなく面白かった。
変な奴。
でも、面白い奴。
それが、俺の中でのあいつの評価だった。
その時は、それだけだった。
……たぶん。
学院に通っている間、俺は勉学や実習には真面目に取り組んでいた。
だが、それはそれとして。
俺は女の子と付き合うのも好きだった。
付き合って、別れて、また付き合って……
そんなことを繰り返していた。
別にその女の子たちのことが嫌だったわけじゃない。
むしろ好きだった。
だけど、いつも長続きはしない。
学院を卒業してからも、しばらくはそんな調子だった。
卒業後は5年生の時の現場実習先に選んでいた井戸ポンプ専門の工房に入り、見習いとして働き始めた。
職人たちに怒鳴られながらも、仕事を必死に覚えていった。
覚えて失敗して、また覚え直してを繰り返しつつ、その合間に、女の子と付き合ってはそして別れる、も繰り返していた。
仕事には熱中できても、どうにも、付き合う女の子たちに本気になれなかった。
自分でも、理由がよく分からなかった。
女の子と一緒にいる時間は楽しい。
綺麗だと思うこともある。
可愛いと思うこともある。
けれど、どこかで線を引いていた。
その頃から、俺は水にのめり込んでいった。
もともと興味のあった水だけど、井戸の構造や水の流れ、地層、水圧、弁の形……ほんの少しの違いで、水の出方が変わる。
同じ井戸でも、設置する場所や深さによって状態が変わる。
それがとにかく面白かった。
仕事だからやっている、という感覚が薄れていった。
もっと知りたい。
もっと上手くなりたい。
もっと効率のいい仕組みを作りたい。
そう思うようになった。
いつの間にか、女の子と付き合うことより、水のことを考えている時間の方が長くなっていた。
まあ、それでもまだ、俺は普通の男だったと思う。
……この頃までは。
俺が工房に入って数年がたったある日。
俺は他の見習いたちよりも短い期間で職人へとなれた、その年だった。
ベテラン職人に付き添って、依頼先の井戸のメンテナンスに行った。
そこで、数年ぶりにあいつに会った。
「……アベル?」
振り返ったあいつは、最後に会った時には残っていた幼さもなくなり、すっかり大人の男になっていた。
けれど、目は変わっていなかった。
落ち着いた琥珀色の瞳。
昔、炉の火を見ていた時と同じ目だった。
「ああ。ローデルか」
「久しぶりだな」
「……そうだな」
再会の言葉としては、ずいぶん素っ気ない。
それは以前もそうだった、火が絡んだ話をしていない時のあいつは、ずいぶん静かだったのを思い浮かべる。
変わらないあいつが、俺は妙に嬉しかった。
その後、仕事仲間から聞いた話によると、あいつは俺と同じ頃に見習いから職人になったらしい。
俺だって早い方だったのに、学年が一つ下だったあいつは、俺よりも更に1年早く職人になったことになる。
しかも、あいつが入った工房は王都でも有名な工房だった。
親方がドワーフ。
その親方についていくのがどれだけ大変か、職人街では知らない者はいない。
そんな場所で、アベルは鍛冶を学んでいた。
しかも、見習いから職人に上がるのに他より年数がかかると言われているその工房で。
「……へぇ」
その話を聞いた俺は、自然と口角が上がる。
悔しさを感じる中に、妙に嬉しい気持ちも湧き起こる。
「俺も負けてらんねぇな」
それから、ますます水の研究にのめり込んだ。
新しいポンプを試し、弁を変え、失敗し、また作る。
水の流れを調べることにも手を抜かなかったし、先輩職人から教わることはもれなく覚えようと、聞いて忘れないうちに蝋板の手帳に書き残した。
少し高かったけど、持ち運べるからすごく便利だ。
そんな毎日を過ごした。
そして、アベルの居場所が分かってからは、時々あいつに声を掛けた。
「飯、食わねぇ?」
「……ああ」
「飲みに行くか?」
「……行く」
誘う時は、たったそれだけ。
大した話をするわけでもない。
飯の話をしたり。
酒を飲んだり。
たまに昔の学院の話をしたり。
それだけだった。
……いや、俺は水の、あいつは火と鉄の話になると、お互い止まらなかった。
気がつけば、それが何年も続いていた。
その頃には、女の子と会うことがすっかりなくなっていた。
仕方ない。
俺は水に熱中しちまうし、一緒に食事に行った工房の先輩にも、俺が水の話をすると、呆れ半分めんどくささ半分といった風で聞いているのに、あいつは黙って相槌を打って……
あいつが火と鉄の話をする間、話を聞きながら、輝くあいつの瞳をじっと見るだけで楽しんでいる俺。
そんな時間を過ごした俺は、あいつが……アベルが好きだと自覚するのにそう時間はかからなかった。
30歳になる頃、後輩の若手職人は次々と結婚し、子どもにも恵まれていく。
未だ身を固めず、工房の住み込み部屋を利用していた奴らは、そのほとんどが結婚を機にその部屋から出ていく。
30手前になってもその部屋を利用している俺は、周りから見れば十分に結婚適齢期を過ぎつつある年齢だったからか、周りからせっつかれることが増えた。
「ローデル、いい加減嫁を取れ」
工房の親方に何度言われたことか。
それでも適当に流す俺に、とうとう見合い話も持ち込まれた。
たまに女性から言い寄られることもあった。
けれど、俺はやっぱり適当に笑って流した。
あいつの方も似たようなものだったらしい。
ある夜、いつものように酒を飲んでいた俺は、何気なく聞いてみた。
「なあ、アベル」
「なんだ」
「お前、結婚とか考えてねぇの?」
こいつが俺と同じように結婚していないことは知っていた。
というか、女の子と遊んでいた時期のある俺と違って、こいつには浮いた話が一切なかった。
女の子達に言い寄られているのは、何度か見かけたことがあるけど、誰かと付き合っている、といった話は一度も耳に入ってこなかった。
実際、こうして一緒に飲みに出かける時に聞いたこともあったが、返答は決まって「付き合ってほしいと言われたが、断った」だった。
だから、気になって、そもそもこいつは結婚のことをどう考えているのかを聞いてみた。
その返答がコレだ。
「……知らん」
「いや、知らんってなんだよ」
「考えたことがない」
「そうかよ」
それ以上、聞かなかった。
けれど、少しだけ安心した。
……何に安心したのかは、自分でも分かっている。
分かっていたが、考えないことにした。
30歳になるのを機に、俺は工房の住み込み部屋を出て、共同住宅の一室を借り、一人暮らしをはじめた。
ようやく独り立ちした気分だった。
仕事もそれなりに任せてもらえるようになった。
職人としても、少しずつ認めてもらえるようになった。
だから、自分の生活を始めようと思った。
……ところが。
一人の女に、ひどく悩まされた。
何度断っても諦めてくれない。
「俺には好きな奴がいるから、君とは付き合えない」
そう伝えてもダメだった。
しまいには待ち伏せされ、俺が借りていた部屋まで突き止められた。
何度断っても、それでも来る。
一度なんて、危うく部屋に入り込まれそうになった。
さすがに危機感を覚えた俺は、結局また工房の住み込み部屋に戻ることになった。
そして、その引っ越しの最中に彼女が現れ、叫んだ。
「本当は好きな人なんて、いないんじゃないですか!?」
その瞬間、俺の中で、何かがすっと消えた。
女性への憧れ。
恋愛への期待。
そういうものが、全部どうでもよくなった。
好きな奴なら、いる。
ずっと昔から。
けれど、それを誰かに話すつもりはない。
話せるわけもない。
だったら、もういい。
俺は俺の好きなものと生きていけばいい。それでいいじゃないか。
そう考えるようになった――
「結婚?」
その頃からだ。見合い話を持ち込まれたり、女性から言い寄られたりすると、俺は笑ってこう答えるようになった。
「ああ、俺、水と結婚したんだよね~」
冗談のつもりだった。
……半分くらいは。
周囲は最初こそ呆れていた。
言い寄ってきた女性は引いていたが……。
けれど、俺の周りには、俺が水の話を始めると止まらないことを知っている連中ばかりだった。
新しいポンプの話。
地下水の話。
水圧の話。
井戸の構造。
水質。
配管。
そんな話を延々としていれば……
「……そうか」
「まあ、ローデルだしな」
「水と結婚したんだろ」
と、妙に納得されるようになった。
俺としては複雑だったが、否定するのも面倒だった。
だから、そのままにした。
それから、さらに数年が経ち、35歳を越え、40歳へ向かっていた頃だった――
その日も、アベルと酒を飲んでいた。
何度目になるのか分からない、いつもの酒の席で、仕事の話をして、飯を食って酒を飲む。
そんな時間が、俺には昔から心地よかった。
いい感じにほろ酔い気分を味わっていた頃、あいつが口を開いた。
「ローデル」
「ん?」
「……お前が、水と結婚したっていう噂を聞いたんだが……」
「……ああ」
ついにこいつの耳にも入ったか。
いや、せまい職人街の中だ。むしろ遅い方なのかもしれない。
俺は苦笑した。
「まあ、そんなことも言ったなあ~」
軽い感じで、なんてことないように答える。
「そうか……」
すると、アベルはしばらく考えるように黙り込み、しばらくして口を開く。
「……どうやったら、俺も火と鉄と結婚できる?」
「…………は?」
あまりにも予想外すぎる問いかけに、俺の思考は停止して思わず聞き返す。
が、こいつは至って真面目な顔で、こう言った。
「お前が水と結婚したなら、俺もできるのかと思った」
「いや……」
俺は頭を抱えた。
違う。そういう話じゃない。
というか……
火と鉄、両方?
両方なのか?
……いや、そこじゃねぇ!
そこじゃねぇんだ、アベル!
俺が言いたいのは!
俺がずっと好きなのは――
「……はぁ」
口から出たのは、盛大なため息だった。
「なんだ?」
「なんでもねぇよ」
今さら、言えるわけがない。
何年経ったと思ってる。
俺はジョッキを傾けた。
酒が喉を通っていく。
隣ではアベルが、本気で火と鉄との結婚について考えている。
……こいつは、本当に変な奴だ。
昔から。
そして、たぶん俺は、そんなところが好きなんだろう。
それから、また時間が流れ、俺たちは45歳になった。
俺も、アベルも独身だった。
俺は相変わらずポンプを作っている。
水のことを考えて、新しい仕組みを試している。
今は先輩が工房を引き継ぎ、その人の右腕のような立ち位置になっていた。
アベルは先代の親方から受け継いだ技術を守りながら、今ではあの工房を背負っている。
先代の親方だったドワーフは、その寿命を迎え、アベルは、その技術を継承した。
周りからは、「お前なら当然だ」と言われているらしい。
だけどあいつ自身は、「俺なんか、まだまだだ」と言っているそうだ。
昔から変わらない。
そして、俺は今でも、アベルに声を掛ける。
「飯、食いに行かねえ?」
「……ああ」
「今日は飲むか?」
「飲む」
たぶん、これからも変わらない。
俺はアベルが好きだというこの気持ちも。
それに今さら、どうこうしたいとは思わない。
告白するつもりもない。
結婚したいと言うつもりもない。
ただ、時々一緒に飯を食って。
酒を飲んで。
仕事の話をして。
あいつが火と鉄の前で、昔と変わらない目をしているのを眺めて――
それだけでいい。
俺は、水が好きで――アベルが好きだ。
それだけで、十分だった。
お読みいただき、ありがとうございました!
《あとがきと云う名のなっがいひとりごと》
今回、なろう初の…と言っていいのかわかりませんが、短編作品です!
いや、短編集作ってるやつが何言ってるっていう話ですが笑
本当は、短編集にぶち込もうかと思ってましたが、流石に…BLだったので……片思いだけど。
短編集に入れた『魔道ランプ』とは違うからなぁ、と思って、独立の短編作品にしました。
遅くなりましたが、こちらの短編は連載作品の『AIと一緒に異世界で薬膳喫茶をオープンしてみました』に出てくる鍛冶職人アベルと、本編には結局出る予定が立っていない井戸ポンプ職人のローデルの片思い話でした。
ローデルさん、アベルより先に生まれてたキャラなんだけどね……。
彼のキャラ誕生秘話(?)を暴露しますと、彼は実は…
本編の【第9話「動き出すもの」】に登場した井戸ポンプ工房の親方、トルヴァンのキャラデザが全く浮かばず、苦肉の策でAIにキャラデザをお願いしたところ、なぜか「チャラい」キャラを生成され……水の変態ローデルが爆誕しました笑
そして、トルヴァンのイメージデザインは未だに出来てません…。なんてこった。
AI……難しいですよね。未だに上手く使えません。
というか、トルヴァン親方のキャラデザがAIで上手くいかないのは、私の中で明確なイメージが出来てないからですね、きっと。
でもそのおかげで、ローデルが生まれました(笑)
あと、こんだけ濃いキャラなのに本編で出る余地が今のところ見当たらないので、「そのうち短編集に上げる話ができるでしょ〜」なんて、のんびりしてたら…
まさかの、活動報告に【薬膳喫茶物語通信 Vol.6】を投稿した翌日に降ってきました。
ローデル×アベルが。なんてこった。
いままで接点なんて全く考えてなかったぞ。
なんだったら、半分くらいローデルの存在を忘れ去ってたよ……
そしてそんなBLが降った2日後にはプロットが仕上がっているっていう……ちょっとおかしくない??どういうペース???
と思っていたら、あっという間に本文が完成し……
本編もちゃんと進めてる。
ほんと、本来の遅筆はどこいった??
この世界の物語を書き始めて何度思ったか分かりません。
***
《簡単なキャラ設定》
※こちらはAI生成画像です。※
❖ローデル❖
個人識別名:マリヌス=ローデル(Marinus-Rode)
年齢:45歳(ヴァルリディア王国歴493年雪解けの月生まれ/12番目の月)
身長:184cm
体重:78kg
職業:井戸ポンプ職人
所属工房:ハンスポンプ工房
立ち位置:トルヴァン親方の右腕
特徴:水と井戸の話をさせたら何時間でも話す変わり者。
***
❖アベル❖
個人識別名:エルマー=アベル(Elmar-Abel)
年齢:45歳(ヴァルリディア王国歴494年水の月生まれ/1番目の月)
身長:178cm
体重:79kg
職業:鍛冶職人(鍛冶工房親方)
所属工房:黒鉄炉工房
立ち位置:ドワーフ技術を継承した異例の人族鍛冶職人
特徴:火と鉄の話をさせたら何時間でも話す変わり者。
***
ローデルのイメージ画像……右下がだまし絵になってるからどうしようかと思ったけど、AI画像の不思議という事で、あえてそのまま載せました(笑)
まあ、こんな感じでというだけでなので。
ローデルはキャラデザ変更するかもしれないししないかもしれない…。
描いたらまた何処かに載せますね。
こんなところまでお目通し下さり、ありがとうございました!




