じゃあ、自分で作ってみる。
元ネタの作品は読んでいない。少し前にテレビドラマ化した際、職場で少し話題になっていたので内容を少し聞き齧った程度である。
モラハラ気味の夫とその妻の日常生活のやりとりを通じて、現代社会の諸問題に鋭くメスを入れる社会派ドラマに違いない。よく知らないけど。
日々の食事から派生して、ジェンダーやら文化歴史学やら、政治、経済、宗教といった風にどんどん話が大きくなっていくのだろう。話題になる作品というのは大体がそんな印象である。
身近な問題を起点にして、安直に世の中を見通した気分にさせてくれる作品は重宝される。あれやこれやのタイトルが頭に浮かんだらそれが正解である。
大前提として、他人に作ってもらった料理に文句を言うのは潔くない。これは外食の場合も同様である。店側としても、特定の個人に来てもらうために営業をしているわけではない。責任はその店を選んだ客の側にある。
したがって、お金を払って不味い料理を口にした場合、その怒りは店を選んだ自分自身の迂闊さに向けるのが正しい。他人に誘われて行った場合はどうか。そんな不味い店を選ぶ人間と付き合いを持った自分を責めるが良い。他人を見る目がなかったのだと反省しよう。
食事をすること、何かを口にすることは人間の生命維持において大変重要な位置を占める事柄である。人間の体は食べてきたものによって形作られていると言っても過言ではない。
親の庇護の元にある子供時代は別として、成人後、何を食べるかは自分の責任において決めることになる。大袈裟に言えば、自分の責任で選んだ一回一回の食事が人生の行き先を決めるのである。食事にはそれくらいの覚悟が求められるのだ。
結婚したら家族で同じ料理を食べないとダメという決まりはない。親が責任を持つ子供は別として、夫と妻が同じテーブルで別々の食事をしても何らおかしなことはない。配偶者の作った料理が口に合わないというのであれば、自分で作るなり、既製品を買ってくれば良いのである。同じ食事をすることが家族の条件ということにはなるまい。
子供は家庭の味で育ちながら、成長するにつれて自分にとって最適な食事のメソッドを確立していく。食事の習慣は長い月日をかけて培われていくものであり、成人後に一緒になった人間同士が付け焼き刃で擦り合わせることに無理があるのだ。
自炊を通じて特に実感することだが、自分に舌にあった料理とは何をおいても自分で作った料理なのである。美味かどうかは二の次だ。祝い事で豪勢な食事を楽しんだ翌日に体調不良になった経験はないだろうか。体に悪影響を及ぼさない、安心できる料理は自分で作ったものを置いて他にないのである。自分の体と一番付き合いが長いのは自分自身なのだから、自分のために料理を作るということから逃げるのは得策ではない。
文句があるなら自分で作ってみろと言われ、じゃあ自分で作ってやると返すのは売り言葉に買い言葉みたいで品がないが、一度恥を忍んで自分で作ってみると良い。お互いストレスから解放されて、円満にことが運ぶ可能性もゼロではない。
食事に限った話ではないが、用意されたものに文句を言うのは後ろ向きな姿勢だ。文句を言って相手をやり込めることで一時的な快感を覚えることはできるかもしれないが、問題の根本的な解決には繋がらないだろう。
文句に費やす時間を、自分自身が良いと思えるものを用意する時間に当てた方が建設的である。自分でやってみることで初めて相手の苦労が分かると言う教科書的なことを言いたいのではなく、他人任せにせず自分でやった方が案外簡単に解決する問題もあると言いたいのだ。
簡単な解決策を自分の思い込みで見えないところに追いやっていないか、ちょっと深呼吸して周りを眺めてみるのも良いことである。終わり




