その言葉は無くても、想いは理解してもらえる。
拙作【「愛してる」って言わないので婚約破棄されました。】が、コミカライズされることが決まりました。ありがとうございます。それを記念して番外編です。
ライアネットーに愛してると言って欲しい、と言われたけれど言わなかったパールミルアの心情です。
アンソロジーコミックについては活動報告にて。
次期伯爵夫人として、お母様から色々と心得を教えてもらったり、未婚と既婚で開催するお茶会の違いをレクチャーしてもらったり、と気づいたら、ベルノと婚約してから一年半が経っていた。
「ミルア」
「ベルノ、どうしたの?」
「少し休憩しないか。ニルギリのミルクティーを淹れてもらったから」
母から伯爵夫人としての執務を教えてもらっていた私は、空気の入れ替えで窓を開けドアを細く開けていた執務室のドアを軽く叩く音に返事をし、呼びかけに振り向いた。もうすぐ十五歳の誕生日を迎えるベルノは、婚約した当初より背丈が頭一つ分伸びた。婚約した頃は私よりやや背が高いくらいだったのに、今は見上げないと視線が合わなくて、ちょっとだけ悔しい気持ちもある。
義弟として長く過ごした日々があるので、ベルノのことは信頼しているが、婚約してから私の反応を確認しながらも急速に距離を縮めてきた彼のことを、いつからか義弟ではなく一人の男性として意識するようになった。
義理とはいえ、婚約者も居た私に、ベルノは礼儀正しい弟としての距離感をずっと保っていてくれた。家族らしい距離感でいて男性として意識したことなど、ライアネットー様と婚約していた頃は全く無かった。だから婚約してからの急速さは、当初私の心に困惑を齎した。
「ねぇベルノ。距離感も近いのは婚約者になったからとは聞いているわ。でも、その、ちょっと急に近過ぎると思うの」
「ミルアは、ずっと弟として見てきたからね。一人の男として見てもらいたい、と思ってしまったけど、性急過ぎたかな」
困惑した様子の私に苦笑するベルノ。それから義理の姉と弟として接していた頃のようにニコッと笑って手を繋いできた。
「急に、なに?」
驚いたけれど振り払うことはしない。でも理由は尋ねる。
「ミルア、こうして手を繋いでどう思う? 嫌?」
「嫌じゃない」
「家族で弟だったからね。ずっと。でも、男としてではなくても、人として家族として好きでは居てくれるでしょう」
「それは、うん」
「結婚するということは、改めて家族になるわけだけど、こうして手を繋ぐ。肩を抱く。だけじゃなくて、抱きしめて口付けてっていう触れ合いもある。ライアネットー様が出ない茶会にエスコートはしていたけれど、これから先は夜会もあるからダンスをする。つまりもっと密着する。それは、どう思う?」
ベルノと踊ったことはある。
ライアネットー様との婚約期間中、彼とのダンスの練習が出来ない時はベルノと練習していたから。
でも、改めて婚約者として、と具体的な触れ合いを示されてからダンスの話をされて想像したら、顔が熱くなった。
大勢の方々の前でベルノと踊る?
それはなんだか、嬉しいけど恥ずかしくて、でも嫌な気持ちにはならない。ベルノに伝えたら、すごく嬉しそうな顔をしてくれた。
でも、そうなのよね。これから先は姉と弟としての触れ合い以上のものになるのだわ。ライアネットー様とは手の甲へと口付けはされたことがあったけれど、唇への口付けは無かった。でも、ベルノとはその可能性もあるのよね。
具体的に想像してみて、嫌では無かった。
嬉しくて恥ずかしくて、でもきっと幸せになれそうな気がする。この気持ちがなんなのか、まだハッキリしないけれど、きっとそのうち分かるようになる。
「ベルノ、ゆっくりこの気持ちと向き合いたいわ」
私の言葉に、ベルノは嬉しそうに「うん」と頷く。それから一年近く経って、私は穏やかに日々を過ごしながらも陽だまりのような温かさを運んでくれるベルノを男性として思える相手であることに気づいて、ベルノに告げた。それから半年。
こうして忙しい合間を縫って二人の時間を持つけれど、穏やかな日々が本当に心地良い。我が国では男女共に成人年齢が十八歳。私はベルノの三歳年上なのでベルノが十八歳を迎えたら結婚することに。私が十六歳で婚約破棄を経験し、少しして十三歳のベルノと婚約して一年半。まだあと三年は結婚式まで間がある。
今は伯爵夫人としてお母様から色々教わりながら、結婚式の準備も行っていて、忙しいのに夢見心地でもあるようなそんな状況。
「ミルア、大丈夫? ぼんやりしてる」
ベルノに声をかけられてハッとする。
「ごめんなさい、忙しかったから気を抜いたわ」
「いいけど。それだけ?」
「えっ?」
「ライアネットー様がナルミネア様と結婚したことが気にかかるのかなって」
「まさか。あの方のことは婚約破棄を突き付けられた時に、もう終わったわ。好きだったし、ベルノにも泣きついたけれど。愛してるって言わない私の気持ちは軽いもの、と判断したあの方とは結局相容れなかったのよ。だって、あの方、私がなぜその言葉を言わなかったのか、知ろうともしなかったのだから」
ライアネットー様から婚約破棄を突き付けられたのは、一年半前。直ぐにナルミネア様と婚約したけれど、私への有り得ない提案にライアネットー様のお父君である公爵様が激怒し、ライアネットー様に再教育を自らなさっていたとか。ナルミネア様への公爵夫人教育も、ライアネットー様のお母君がかなり厳しくなさっていたとも聞く。
公爵子息にして跡取りのはずのライアネットー様は、私への有り得ない提案をしてきたことでかなりお花畑思考でいらしたことが露呈した。その再教育が功を奏さない場合には、ライアネットー様から弟君へと跡取りの変更も辞さない覚悟だった、と公爵様の手紙が我が家に届いていた。
多少お花畑思考のライアネットー様だったけれど、まあ公爵子息という身分も相俟って傲慢さもあった人だけれど、元々は優秀な方だし、公爵様に厳しく叱責され教育されて、現実を知ったのだとか。
公爵様に言われる前に自分から跡取りを返上し、弟君のサポートに全力を尽くすことに決められた、とのこと。ナルミネア様も子爵の令嬢としての礼儀作法は出来ていても高位貴族、それも公爵夫人となるための礼儀作法や諸々の教育に疲労していたとかで、公爵夫人になれなくても良いとライアネットー様の判断に賛成された。
結果として、歳の離れた弟君が跡取りに変更。ライアネットー様とナルミネア様は弟君を全力でサポートすることに。弟君が成人するまであと十年くらい掛かるのではなかったかしら。その間は、公爵家の評価を取り戻すべくお二人で頑張るとのことで、派手な結婚式もしなかったとか。
伯爵家である我が家が公爵家と敵対しているわけにもいかないので、お父様がライアネットー様とナルミネア様との結婚式に参列された。その際に、跡取り変更の話を公爵様が招待客にお話されたとか。
あと、こっそりとライアネットー様から直接、お父様、そしてその場には居なかった私への謝罪をされたそうなので、お父様は受け入れたそう。私もお父様のその判断を受け入れたので、表面上は公爵家と我が家に遺恨はない。
そして、私自身も別にもうライアネットー様への気持ちは無いし、ナルミネア様とお幸せに、としか思ってないから気にかかってもいない。
ただ、そうね。
私がどれだけライアネットー様のことが好きで婚約者として彼の願いを叶えてきたのか、それを当然のように受け入れていたあの方は理解してなかった。それはショックでちょっとだけ引きずったわね。
「ライアネットー様から愛してるって言えって言われた時、どうしてそれが言えないか、理由は言わなかったの?」
「言えない理由がありますって言ったのだけど、それを聞こうとしてくれなかったのよ」
私は溜め息混じりに告げる。当時の、泣きたいのか苦笑したいのかよく分からない感情が蘇った。
私が婚約者のライアネットー様の願いをいつも叶えていたのは、彼が好きだったから。
それでも「大好き」と言えても「愛してる」とは言えなかった。言わなかった。言わない、と決めたのは私自身。でも言えない、という環境があったから。
それを説明しようにも聞いてもらえず、結局その言葉を言わない私はそんなにライアネットー様を思っていない、と判断されて婚約破棄された。
「義母様のこと、言えなかったの?」
「言えないのではなく、話す前から聞いてもらえなかったの」
ベルノは私が「愛してる」の言葉を口に出せない理由を知っているから、その言葉を言わなかったことで婚約破棄された、と知らされて慰めてくれた。でも詳しくは話してなかったから、私が言えない理由を伝えなかったのか、と尋ねてきた。
「義母様のことを話す前に聞いてもらえなかったのか」
ベルノが目を見開く。
まさか話を聞く気も無かったとは、と思っているのだと思う。
私が「愛してる」と言わない、言えない、その理由は、私の母が関係していた。
私の母は元侯爵令嬢で、国王陛下が王太子でもない第一王子だった頃、ある公爵子息と婚約していた。彼は次男だったけれど、その公爵家が持つ伯爵位を譲られて領地は持たずに第一王子殿下の側近になる予定の方だった。
ライアネットー様の公爵家とは別の公爵家だ。筆頭の座には無いものの我が国に公爵家は五つ。その公爵家の次男とお母様との婚約は釣り合いが取れていた。政略でお母様と元婚約者様が六歳で婚約が成立。
お母様も側近候補の婚約者として王城に出入りしていた。それは第一王子殿下の婚約者と友人でもあったから。夫婦でお二人の治世を支えられれば、という大人の思惑があったのだと思う。
それにお母様のご実家がよく交流されていた家の令嬢は、後に宰相となる方との婚約が決まっていたのでお母様の政略的な令嬢の価値は良いものだった。
ところが、第一王子殿下の妹である王女殿下がお母様の元婚約者に一目惚れしてしまった。当時、王女殿下は国王夫妻の間に、遅くに生まれた子で、国王夫妻が望んでいた女児だった。可愛がられて甘やかされて我儘に育った王女殿下。
お母様と元婚約者が十七歳。王女殿下は十歳。少し年齢は離れているけれど王族や貴族ならおかしくない年齢差。
けれどお母様と婚約しているというのに、娘可愛さに父である当時の国王陛下が、ゴリ押ししてお母様との婚約を解消させて、王女殿下との婚約を成立。
この婚約は、兄に当たる第一王子殿下、このときは王太子位を授かっていたその方も、第二王子殿下もかなり反対したらしい。でも王妃殿下は国王陛下の意見を後押ししたとか。国王夫妻がソレでは、息子とはいえ臣下の二人ではどうしようもなく。
その当時の宰相様や何人かの大臣にいくつかの貴族家でも反対はあったらしいけれど、その意見も当然無視されて強行された。
このことが切っ掛けで後に国王夫妻は息子たちや心ある臣下と貴族家から見限られたのだとか。
さておき。
政略ながらも互いを思い合っていたお母様と元婚約者。引き裂かれてお母様はかなり憔悴されていたらしい。本来ならもう会えない人だったのだけれど、でもお母様はこっそりと元婚約者に会いに行ってしまったのだそう。
でも、そこで王女殿下と元婚約者との逢瀬を見てしまった。
お母様と元婚約者は思い合っていた、とお母様は思っていた。互いに「愛してる」と伝え合っていたのだとか。六歳から婚約し、十年以上婚約者として仲を深めてきて、恋愛の情も生まれていたのなら、その言葉を伝えあうこともあったのでしょう。
でも、ゴリ押しで引き裂かれたはずの元婚約者は、王女殿下に強請られて「愛してる」と簡単に愛を囁いていたのだとか。
元婚約者は十七歳。十歳の王女殿下に強請られたとはいえ、簡単に「愛してる」と言っている。その場面を見たお母様は「愛してる」という言葉の軽さを実感してしまったとか。
今ならば、十歳だが王女という身分の相手に、簡単に断ることは難しかったのだと理解は出来る、とこの話をしてくれたとき、お母様は仰った。それでも当時のお母様は「愛してる」の言葉がとても薄っぺらい言葉に思えてしまったらしい。それがショックでお母様は寝込んでしまわれたそう。
その後、お母様を心配してくださった第一王子殿下の婚約者様たちの支えでお母様は立ち直られ、現在、宰相夫人として活躍されているお母様の幼馴染の方から、お父様を紹介され、お母様はお父様と結婚。私が生まれた。
お父様は特筆したもののない普通の伯爵家に侯爵令嬢が嫁いでくれたなんて、と物凄いお母様を大切にしているし、お母様もそんなお父様と結婚して良かったと思っていらっしゃる。二人は傍目から見ても相思相愛。
でも、お母様はお父様に仰ったのだそう。
「絶対に愛してる、と言わないでください。もし言いたいと思ったら、あなたか私のどちらかが死ぬときに仰ってください」
と。
お父様はお母様の過去を全て聞いて、静かに受け入れられた。その約束をお父様は守っていらっしゃるらしい。
そして、お母様からこの話を十三歳の時に聞かされた私は、お母様から「愛してる」なんて簡単に言うものではないし、その言葉を簡単に信じず、言った相手の行動を見なさい、と言われた。言って欲しいと頼まれてもあなたは愛してると言わないでいてみて。それでも、相手があなたへの気持ちや行動が変わらない、思い合える関係が良いのよ、と。
その話をライアネットー様にする前に、ライアネットー様から「愛してる」と言え、と命じられましたから、お母様の話をしようと思ったのですが、話を聞いてももらえずに、婚約破棄されてしまいました。
今となっては、お母様の言うように、簡単に言わなくてよかった、と思っています。
もしかしたら、ライアネットー様にこの話をしてもライアネットー様は、お母様のことを大袈裟とか或いはお母様の呪いのような話とか、そんなことを仰ったかもしれません。
もちろん、お母様と私の気持ちを汲んで愛してると言わなくても良い、と言ってくれたかもしれない。
でも、それ以前で話を聞いてもらえなかった。
それが全てなのだと今は思います。
ベルノは言わない、言えない、私の気持ちを知っていてくれていますから、その言葉を言わなくても想いは伝わっていることでしょう。
尚、我儘いっぱいの王女殿下と婚約し、結婚されたお母様の元婚約者は、王女に一目惚れされた俺と有頂天になってしまったらしく、元王女と結婚した頃には結構傲慢になっていて、周囲から距離を置かれることになり、当然ながら第一王子、現在の国王陛下からもさっさと見限られて側近にはなれず、今は、兄の公爵当主に頭を下げて公爵家の領地を守っているそう。
元王女は王都から出て領地に引っ込むなんて嫌だとゴネたみたいですが、既に国王の座は兄に代わり、国王の妹という肩書きを使わせてもらえていません。
今の国王陛下は、お母様と側近候補だった元婚約者の婚約に割り込んだ妹も、それを認めた前国王も嫌っているので、味方してないのだそう。だから、元王女はお母様の元婚約者と共に領地へ引っ込んでいるそうです。嫌なら離縁すれば良い、と兄の国王陛下から言われて渋々だそうですが。
離縁しないのは、それだけお母様の元婚約者が好きなのか、離縁しても肩身が狭い現状ではどうしようもない、と理解しているのか、それは分かりません。
まぁ結局のところ、誠意の無い付き合いは、それなりの末路を辿る、ということでしょう。
お母様と私、二代続けて一度目の婚約が壊れていることは辛いですが、でも親子揃って幸せを掴みましたから、それで良いとしましょう。
「ベルノ。私、あなたに対しても多分、言えないと思うわ。でもその言葉の代わりにたくさん、大好きを伝えさせてね」
「いいよ。義父様と義母様のように、どちらかが死ぬときにミルアに言ってもらうから」
愛してるって言わなくても想いは理解してもらえるようです。
(了)
お読みいただきまして、ありがとうございました。
六年くらいぶりに続編というか番外編で、「愛してる」と言わなかったパールミルアの心情を執筆させてもらいました。




