エピソード97 声なき悲鳴に耳を傾けて
「早くしろよ……」
「そうだぞ、人が来たらどうするんだ?」
「待てよ。少しくらい楽しんだっていいだろう?」
聴き覚えのある声の男は、そう言ってわたしの腕を上から鷲掴みにした。
痛い……。
それは冷たい手枷の縛めと共に、恐怖を胸の奥に突き立てた。
ありったけの力で抗っても、男の腕はびくともしない。
闇の中で男の荒く熱い息が耳にかかる。
懸命に身体を捩って抵抗の意志を示したけれど、湿った手が脚に触れたのを感じた。
全身から熱が奪われ、冷や汗が滲む。
嫌だ——。
触らないで——。
「——戦乙女だなんのと……こうして見ると可愛いものじゃないか……?」
耳元でくぐもった声が聞こえた。
ぞっとするような寒気が背筋を這う。
助けて! クラウス卿……。
その時、焦ったようにガチャガチャとドアノブを回す音がした。
男達の間に緊張が走った。
「クソッ、誰か来たぞ……」
「早く片をつけろ」
「お、おい……待てよ」
「ジェマ——いるのか?」
——クラウス卿の声だ!
助かった……!
その瞬間、胸の奥に溜まっていたものが解けていくような安堵が広がった。
わたしの上にのっかっていた男の身体の重みが不意になくなり、舌打ちの音が聞こえた。
「……とにかくずらかろうぜ!」
「そうだな——」
けれど、男が言い終わる前に、閃光とともにドアが木っ端微塵に吹き飛び、室内を光が満たした。
「お前達……! ジェマ、大丈夫か——?」
クラウス卿は言いながら発現させた光魔術でわたしの無事を確認した。
猿轡で何も言えないけど、無事だと伝えたくて、こくこくと頷く。
だけど、そんなわたしを見て、クラウス卿は普段の理知的な顔をかなぐり捨て、怒気を孕んだ形相になった。
剣を強く握りしめた手に血が滲んでいる。
無事、なんだけど……そう口に出そうものなら、なぜか余計に火に油を注ぐ気もして押し黙ることにした。
大人しく降参すればよかったのに、往生際の悪い侵入者達三人は、火魔術を放とうとした瞬間、無詠唱の雷撃魔術に焼かれ、悲鳴を上げた。
痙攣しながら床を転げ回っている。
クラウス卿は彼らを横目に歩み寄ってくると、わたしの猿轡を取り去った。
ようやく口から息を吸うことができた。
「ふうっ……はあっ……、はっ……。助かり……ました。もう、駄目かと……思って——」
彼は手枷も、魔術を纏わせた剣であっという間に破壊した。
解き放たれたものの、手足の震えは、どうしても止まらない。
肩にも力が入らない……。
「なにか……されたのか——?」
「だ、大丈夫……です」
脚に触れられはしたけれど、正直にその話をすると、襲撃者の命はなくなるんじゃないかと思ったので黙っておいた。
「よかった……」
クラウス卿は深く息を吐いた。
「怖かったな……。もう大丈夫だ」
そう言って彼がそっと肩に触れた瞬間、張り詰めていたものが切れた。
——もう、大丈夫なんだ。
そう思った途端、力が抜けて、思わず彼の胸に縋っていた。
目の奥から涙が込み上げてきて、頬を濡らす。
——あのまま、もしクラウス卿が来てくれなかったら。
想像しただけで、胸の奥が凍りつく。
けれど、今は明るい部屋の中で、クラウス卿が隣にいてくれる。
自分を委ねられる彼の胸を借りて、助かったという事実を噛み締めていられる。
その後、騒ぎを聞きつけたのか、階下から大勢の人が集まってくる足音が聞こえ、慌ててクラウス卿と離れた。
「クラウス卿、本当にありがとうございました」
「いや、——もっと早く来れればよかったんだが……」
「あの、でも……そういえばどうしてわたしが襲撃されたことに気付いたんですか?」
「この部屋には以前……警戒魔術を施していたんだ。部屋の振動を拾う感知式のもので、さっきは複数人と思われる揺れを感知したんだが、君の隣人達も晩餐の席に残っていたからな」
クラウス卿は左耳の上の黒髪を少し掻き上げ、そこに光る金のピアスを見せた。
「部屋の四隅に魔術陣を描いていて、この魔道具が感知する仕組みだ」
「そんな魔術……初めて知りました。いつの間に……。騎士達全ての部屋にかけてあるんですか?」
「——いや、いくら私でもそれだと身体がいくつあっても足りない。君の部屋だけだ」
「わたし、だけ……?」
特別……ということ?
頬に熱が集まった。
心なしかクラウス卿の耳も赤いような……?
「戦乙女! ご無事ですか?」
「団長、さすがです! 駆けつけるのが素早い」
「こいつら、狼藉者ですか?」
騎士達が集まり、急に騒がしくなった。
——そうだ。犯人の中に、わたしの太腿を撫でた、聞き覚えのある声の人がいたんだ。
足元に気絶して転がる犯人達の顔を確認していくと——。
見知った顔がいた。
「この人……ラヴォイエール侯爵家の従僕だわ。イリーナ……様のお気に入りのフットマン」
わたしがそう言ったのを聞いて、騒めきが広がった。
「……なんてことだ。それじゃあ、この襲撃はあの聖女候補の仕業か?」
犯人はやはりイリーナの可能性が濃厚だ。
——だけど、捕えるには証拠が足りない。
「吐かせろ」
クラウス卿は部下の一人に厳しい顔で命じた。
「なんとしても——証拠を押さえる」




