エピソード92 聖女という枷と沈黙
「殿下、お願いします。わたしが実はラヴォイエール侯爵家の娘、ジュディリスだということは、皆には黙っていて下さい」
もうまもなく、他の仲間達がここに集まってくる。
それまでの短い時間で、わたしの正体について話さないようにお願いしなければ、と気が焦る。
殿下は怪訝そうに僅かに眉を顰めた。
「なんのために隠す? 侯爵家の令嬢なら、皇妃になるのにも支障はない。それに……君の力は——歌だけではなく……。
あの結界は聖力によるものだろう?
聖力が戻った、ということだな?」
殿下の質問に頷きながらも、わたしの意志については誤解のないように、はっきり伝えておきたいところだ。
「わたしには、他に好きな人がいます。だから殿下との婚姻なんてできません」
「…………」
殿下は唇を噛んで考えるように黙り込んだ。
理解してくれただろうか……?
「君は聖女だろう?」
まさか……、聖女の婚姻は皇室の裁可で決められることを、殿下はここで持ち出す気なのだろうか?
なんと言い逃れたものかと、不安と混乱が胸を締め付ける。
「……聖力は一応取り戻せました。でも……わたしはただの、トルエンデ騎士団の聖務官です。
少しばかりの聖力が使える……というだけの。
聖女というのは、大聖堂で大司教様が任命されるものですよね?」
「それだけの聖力を持ちながら、聖女ではない——などと言うのは、苦し紛れにもほどがある。
ましてや……君はシェスタビア家の直系じゃないか」
自分の迂闊さには、心底ため息を吐きたくなる。
どうして殿下の前で、歌だけでは足りずに結界まで張ってしまったんだろう?
「……わたしは、自分が聖女だと……認めたくありません。幼少期には本当に……聖力は全く発現していませんでしたし。今更……」
考え込んでいた殿下が何かに思い当たった顔をした。
「待て……。さっき……聖力は『取り戻せた』と言ったな? 消えていたのではないということか? 何者かに奪われていたと?」
「それは……その。証拠はないですけど、……たぶん」
「もしそうだとすれば……君が聖力を失った、まさに同時期に——新たに聖力を得た者がいたな……」
殿下は気付いてしまったようだ。
わたしから聖力を奪った者に……。
その時、テオ副団長が注意を促した。
「団員達が来ました。会話には注意して下さい」
直後に騎士達が駆けつけた。
見たところ、大半の者が衣服は薄汚れていても、目立つ怪我はないようだ。
歌の効果が及んだのかもしれない。
「大丈夫ですか、戦乙女!」
「殿下、助けにきましたぞ」
「団長、なにか不首尾でもありましたか?」
「コカトリスの他に、バジリスクがいた。ネームドが二体いたため、思いのほか手間取った……」
そう説明したのはクラウス卿だった。
彼には、面と向かって『黙っていてほしい』と言えていないけど、殿下との会話を黙って聞いてくれてはいたので、きっと伝わったはずだ……。
「不覚を取ったが、それだけだ。皆ご苦労だった。魔獣は全て掃討したか?」
部下達に余計な不安を与えないためか、クラウス卿は簡潔に話すと、副隊長達と負傷者や戦果などの状況確認、報告のために歩み去った。
去り際、クラウス卿は一瞬わたしの手を握りしめていった。
——どういう意図が込められていたのだろう?
彼の気持ちを推し量ると、胸に波紋が広がった。
黙っていてくれるということ?
君の味方だ、ということ?
軽く握られた手指がまだじんわりと温かく、胸にも同じような熱が残った。
そんなわたしに、殿下が振り返って声をかけた。
「ジュ——、ジェマ……。今はまだ……口を閉ざせと言うならそうしておこう。だが絶対に、僕は君を諦めるつもりはない」
反論は認めない——とばかりにそう言い置いて、殿下も副官達のところにいった。
こうと決めたら、わたしの気持ちにお構いなく動くということだろうか?
殿下は……強引過ぎる。
物分かりがいいように感じた時もあるけれど、やはり彼は……生まれながらの皇族だ。
これまでに意志が通らなかったことなど、ないのかもしれない……。
聖女の婚姻は、皇室が決めるもの。
それは皇子の意志が尊重されるということだ。
もしわたしが——正式に聖女と認定されてしまったら。
望まぬ婚姻を、拒むことはできるのだろうか?
殿下がこのまま気持ちを変えなければ、わたしは……殿下に嫁がされることになる……?
悩むわたしのところへ、ミュゲルやトルエンデの団員達が駆け寄ってきた。
「お嬢様、お怪我はないですか?」
「ジェマ、大丈夫だったか?」
皆、心配そうな表情で口々に問いかけてくる。
わたしのことを気遣ってくれる仲間の気持ちが嬉しくて、ほっこりした。
「みんな〜!! 心配してくれてありがとう!」
わたしも感極まって駆け寄った、のに……。
「ん、なんか臭うぞ」
「なんだ? その青い泥みたいのは……」
わたしを間近で見て——そう言うと、皆は急に立ち止まった。
——と思ったら、今度はささっと後退りした。
「——酷い……」
臭いからって……。汚いからって……。
距離を置いたわね……。
——薄情者達め!
「この青いのはね——、実は……ゾンビダスの血よ。これに触れると、段々とゾンビダスになっていくらしいのよ〜」
ちょっと脅かしてやろうと言っただけなのに、皆は恐ろしげな顔をして、一目散に逃げていった……。
——ふん!
あ、それでもミュゲルだけは残っていてくれた。
優しい……。さすが腹心のミュゲルだわ!
やっぱり……心から頼りにできる護衛は、あなただけね!
そう思って一歩近づくと、ミュゲルも一歩後退り、二歩近づくと、二歩後退り。
「ミュゲル〜! あなただけは見捨てないわよね? わたしのこと」
「み、見捨てはしないですよ。でも……ゾンビダスになるのは嫌です。ご勘弁を……」
恨みがましい目でじとっとミュゲルを睨んでいると、先ほど逃げていった団員達が別の団員達を連れてきた。
それをキョトンと見守っていたら、皆が一斉に水魔術の詠唱を始めた。
——えっ……?
不吉な予感に身体が強張る。
「ちょっ、ちょっと——、ゾンビダス化するって言ったのは……嘘だか……」
言い終わらないうちに、頭の上から大放水された。
「………」
——冷たいよ〜……。
——寒いよ〜……。
ずぶ濡れで震えるわたしを前に、今度は問答無用で風魔術が展開されて、即乾燥……。
「皆、戦闘後なのに、魔力ありあまっちゃってるみたいね……」
「じゃんじゃん、歌で回復してくれたんすよね? お陰で全回復です」
ぐすん……こんなことのために歌ったわけじゃないのに。
脱力感で一気に足取りが重くなったわたしを、ミュゲルが颯爽とお姫様抱っこしてくれた。
「結界を抜けて馬のとこまで、お連れしますよ」
にっこり言われると、恨み言を言うわけにもいかず……。
その後は魔窟の最終確認をして、残っていた死骸の焼却や魔石回収などをなるべく速やかに済ませた。
——そうして日の落ちる寸前に辺境伯邸に戻ると、新たな来訪者がいた。
手巾を握りしめ、華麗なドレスを纏った聖女、イリーナ様だ。




