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背徳聖女は今日も魔獣を討つ。皇子妃にはなりません  作者: 麦色 ろっこ


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エピソード90 凍てつく背を、守るために

「……クラウス卿!!」


 目の前でその全身が氷に覆われていくのを、なすすべもなく見守ることしかできなかった……。


 彼は、わたしを守るために立ち尽くし、その姿のまま時を止めた——。


「クラウス、卿……。返事、して……」


 呼びかけた声が虚しく耳に残り、返事はない。

 胸が苦しい。息が上手く吸えない……。


 自己犠牲をも厭わない、騎士の鑑のように誇り高い姿のまま、物言わぬ氷像と化してしまった彼の姿——。


 凍りついたその背中が、涙のせいでぼやけて見える。


「うっ……嫌です。い……やっ——。元に戻って……下さい……」


 なんとかしないと……。

 早く、早く……氷の中でもきっと……彼は生きているはず……早く助けないと——。     

 焦る気持ちが胸を締め付け、頭の中はそのことばかりに支配される——。


 それなのに、思考がまとまらない。

 どうすれば、いい——?

 どうやって助ければ?


 何もできない自分がもどかしい……。


 体内の魔力は……マナの気配はやはり……少しも感じられない。

 少しでいいのに。少しでも魔力が戻れば……。

 彼を覆う氷を、溶かす火魔術でも使えたら——。


 悲しみ、不安、それに焦燥感が全身を覆い尽くした。


 だけど、そのお陰だろうか?

 この……魔獣を前にして、我を失うほどだった恐怖が、いつの間にか薄らいでいた。


 よくもクラウス卿を……。

 怒りを掻き立て、震えていた足を叱咤して踏ん張った。


 クラウス卿を氷漬けにした——巨大な魔獣は、凄まじい冷気の中、チロチロと黒い舌を覗かせていた……。

 退化した目に殺気を漲らせ、まるで蘇った魔神のようだ。


 黒くぬらぬらした鱗に全身を覆われた、蛇のような魔獣、ソルカリス……。


 噴気音を響かせながら、鎌首をもたげるその姿は、少し前に味わった命の危機の記憶を彷彿とさせた。


 あれ以来、何度もこのネームド魔獣の悪夢に苛まれた。

 ソルカリスの個体が他にもまだ——ここに存在していたなんて……。

 

 歌さえ……、歌えたら——。

「ひか……よ、ふ……りそ……そけ、き……ずを、い……っはぁっ、はぁっ……」


 他の言葉なら紡ぎ出せるのに……。

 あの歌を歌おうとすると、魔力が尽きているせいで喉が燃え上がるほど熱く、息が途切れる。

 舌も回らない……。


 どうして——こんな時に発声できないの?

 苛立ちが募った。


 守らないといけないのに、わたしが——。

 あの人、を——。


 ソルカリスがすぐに襲いかかってこないのは、こちらを見くびって、どう甚振ってやろうかと考えているのかもしれない。


 そう考えていると、ソルカリスは大きくその口を開いた。

 ——こめかみにじわりと汗をかいた。


 ソルカリスの喉奥から、灼熱の炎玉が発現した。

 途端に周囲の空気が揺れて見えた。

 熱い……。


 氷の次は炎だなんて……。

 両極端なものを——。


 それをクラウス卿にぶつけられたら……?

 確かに氷を溶かすための火を求めたけれど、この炎はそんな生優しいものではない——。


 彼を……守らないと——。

 その一心でソルカリスの前に身を投げ出した。


 クラウス卿の氷像の前に立ち塞がる。

 凄まじい熱気——。


 今度はわたしがあなたを守る。


 そう決意するわたしを嘲笑うように、ソルカリスが目を眇め、口元をひくつかせた。


 痛いくらい熱い——。

 頬が、頭が——燃えるようだ。


 炎玉にくるりと背を向けて、氷像にしがみつく。

 熱かった顔は氷で冷えたけれど、代わりに背中は炎玉の熱をもろに浴びた。

 焼け爛れていくようだ——。


「……雷撃!」


 その時、苦痛を切り裂くように、詠唱の声が聞こえた。

 直後に暗雲の気配が広がり、——ドォンという轟音がして、ソルカリスの片目がグシャリと音を立てて潰れた。


 ソルカリスは痛みに首を振り回し、わたしを飲み込もうとしていた炎玉は、空に向かって放たれた。


 声が聞こえた方向を振り返ると、頭以外は石化したままの殿下が意識を取り戻し、横たわったまま魔術を発動したようだ。


「殿下、……ご無事ですか?」

「……なんとかな——。これを無事、というなら……だが——」


 返答はあったものの、動かない手足に力が籠ることはなく、声音に無念さが籠っていた。


「ソルカリスは怪我を負わせても、すぐに再生します」

「ソルカリス、ではない……。あいつはバジリスクというネームドだ。よく見てみろ、頭に小さな鶏冠がある」


 そう言われて、目の前のネームド魔獣を注視した。

 どう見てもソルカリスに見える……。

 だけど、確かに頭に何か鶏冠のようなものがついている……?


「ソルカリス……では、ないんですか?」

「ああ、やつは再生はしない。だが、毒を吐くと聞く」


 毒は怖い。だけど、それでも再生よりはましだ。

 それなら……。ソルカリスではないなら、まだ望みはある。

 そう思った……。


「魔術——、まだ使えそうですか?」

「石化のせいか、すぐには発動が難しいようだ。時が必要だ」


 雷撃をくらって痛みにのたうっていたソルカリス、いやバジリスクが、頭を巣にぶつけた。

 その振動でクラウス卿の氷像が横転した。


 ゴロゴロと転がるそれを見て、割れやしないかとヒヤッとした。


「クラウス卿の氷像——軽い火魔術で溶かせませんか?」

「……魔術が使えたとしても、今は加減が難しい……」


「でも、このままでは……」


 その時、テオ副団長の声が聞こえた。


「——どうなっているんですか? 無事ですか?」


 テオ副団長が巣に辿り着いた……。

 救いの神の登場に、希望が湧いてきた。


「……副団長! クラウス卿を助けて下さい。氷を溶かして……」


「……すみません、そうしたいのですが、魔力切れなんです……」


 ——嘘でしょう……? これで助けられると思ったのに……。


「恨めしげに見ないで下さい。それより、こういう時こそ、試してみるべきかもしれません。もう後がない、という状況ですから」


「何を試すと言うんですか?」


「ここにゾンビダスの血があります」

「血?」


「そう、これを全身に浴びる……いえ、塗りたくってみて下さい」


「……どういうことですか? そんなものを、全身に塗れと……?」


「聖力が流れ出さないよう、あなたの体内に堰き止めるためです。穢れた血で遮断するのです」


「遮断……そんなことが、血なんかで——できるんですか?」


「本当は鏡も利用するつもりだったんですが……」


 どちらにしても、適当な思いつきのようにしか思えない。


「そんな怪しげな方法で聖力が戻るんでしょうか?」


「……わかりません。ですが他に策はない。やってみるだけの価値はあると思います」


 確かに他に、皆が助かる方法を思い浮かべられない。

 それに、もう後がないのだ。


 有り得ないとも限らないことなら、試してみる価値は——あるのかもしれない。


 それでクラウス卿が、皆が——生きて帰れるなら。

 その可能性があるのなら……。


「やってみます、貸して下さい」


 テオ副団長はすかさず皮袋を放り投げてきた。

 中は泥々した青色の液で、赤色よりはマシかもしれない。それでも、独特の臭気があるし、なにより気持ち悪い。


 とにかくやってみるしかない。

 息を止め、目を瞑り、頭からかぶった。


 服の上や頭皮、あらゆるところにベタベタとそれを塗り広げていく。


 その間、テオ副団長は剣を握り直し、果敢にもまだのたうっているバジリスクに飛びかかっていった。

 しかし鱗状の皮膚は硬く、刃では傷をつけられなかった。


 それを確認すると、テオ副団長はバジリスクに背を向け、クラウス卿の氷像の前に座るわたしの周りに、背後を気にしながら複雑な魔術陣を描き出した。

 

 わたしはそれを息を詰めて見守っていた。

 魔術陣は完成した。


 ——何も、起きない……。

 わたしの聖力が戻る様子もなく、魔力も戻らない。


 テオ副団長の顔に、静かに失望の色が広がっていった。

 どうやら、失敗らしい……。

 胸に落胆が広がる……。


 だけど、テオ副団長もまだ全てを諦めたわけではなない。


 痛みに耐性がつき、動きが落ち着いてきたバジリスクを警戒するように、立ち上がってその正面に向き直ると剣を構えた。


 殿下もきっと魔力が戻るのを忍耐強く待っているはずだ。


 だけど目の前のクラウス卿は……変わらず凍ったままだ。

 そうっと、彼の凍った頬に触れてみた。

 この中で、まだ彼は息づいているのだろうか?


 触れた手指まで凍り付きそうなほど冷たい氷の中で……。


 ——どんなに寒いだろう?

 いつも強気な彼も、今は動くこともできず、きっと不安に感じているだろう。


 いつも先頭に立って皆を守ることに必死で。

 自分の身を顧みなかった彼の痛みを思うと胸が締め付けられた。


 わたしに——もっと力があればよかったのに。

 あなたを守れる力があれば——。


 目頭が熱い……。

 頬を涙が伝った——。

 

 エリタス神に祈りを捧げる。


「慈愛の光よ、真理と幸福に導かれんことを! この者の 命の灯火が絶えぬよう 熱き血潮を凍てつかさぬよう 護りたまえ!」


 初めてお祖母様の聖力を回復させることができた時のように、胸の奥から熱波のような熱い感情が湧き、それが出口を求めて荒れ狂うようで、苦しい。


 身体に何か漲ってくるような感覚がある。

 空気に光の粒子が舞うのが見えた。


 この力で彼を癒したい。わたしが、彼を——。

 想像する——。

 彼が熱と呼吸を取り戻し、勇ましく闘う姿を。 

 優しく微笑む姿を——。


 その時——胸の中に魔力のマナとは違う、聖力のマナが満ち溢れてきた気がした。

 それが手足の先の隅々まで行き渡っていくのを——静かに待つ。


 胸の前で手を組み合わせ、ただその時を待つのだ——。


 空気の震えが止まった。

 ——音が、消えた。


 身体の内側が清らかなものに満たされる。

 今だ——。

 そう感じた時、ありったけの力を胸に乗せて口を開いた。


 あれほどもがいても紡ぎ出せなかった言葉が、溢れ始める。


「———光よ、降りそそげ。傷を癒し、心を満たせ……」


 闇を祓うかのような清浄な光が身体から放たれていく。


「風よ、吹き渡れ。木々を揺らし、希望で満たせ……」


 空気が清められ、呼吸が楽になる。


「水よ、流れゆけ。澱みを払い、求めを満たせ……」


 爛れた背中が癒えていく。


「炎よ、照らし出せ。闇を払え——母の祈りよ、我が手に宿れ!」

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