エピソード71 指と視線
慣れないトマーレス邸で寝つけないかと思ったけれど、昨日の討伐戦ではかなり疲れていたせいか熟睡できた。
お陰で今朝は魔力も回復している。
試したいこともあって、ささっと身支度を終えて、庭園に出てみた。
多くの天幕からはイビキが漏れ聞こえてくる。
どこかにいないかな〜?
天幕を張るほどのスペースもない、茂みの向こうの隅っこの空いた場所から、風を切る音が連続して聞こえてきた。
覗いてみると、あら感心。早朝から一人こんなところで、剣の素振りをしている人がいる。
しばらく黙って観察しようと思ったのに、その人はすぐにわたしの存在に気付いていたみたいで、振り返る。
——クラウス卿だ。
呼吸を整えながら、胸元から手巾を取り出して首筋の汗を拭う。
「お邪魔してしまって、すみません」
「いえ……こんな早朝から何をしているのですか?」
「探しものをしてまして」
「探しもの? 一緒に探しましょうか?」
「いえ、ここにあるかな? と思いまして」
ずんずん、彼に近づいて、まじまじと顔や手足を観察すると、クラウス卿の翠色の瞳に問うような色が浮かぶ。
「……いったい、何を探しているんですか?」
「あ……ちょっと見せてください」
「えっ——?」
ガシッと彼の左手首を掴むと、目の前に引き寄せる。
クラウス卿は驚いたのか、目を見開いた。
「見つけました、探しもの」
「……いきなり、なんなんですか?
君は——昨夜も思いましたが、男との距離が近すぎるんじゃありませんか?」
「距離……?」
なんのことを言われているのか、分からない。
「昨日も、ギルベアト皇子殿下と……。彼には婚約者もいるというのに」
なるほど……。
批判されているのは理解した。
「わたしが庭園に誘ったわけではありませんよ?」
「だが……、イリーナ聖女候補様に不快感を与えるほどの距離感だったことは認めるでしょう?」
そうだっただろうか……?
それにしても、この人はイリーナ聖女候補に好意を持っているのだろうか?
それで、イリーナに不快感を与えたわたしに対して敵対心を持ったのかもしれない。
「わたしは人の婚約者に言い寄るつもりなんてありませんよ」
「だったら——、こんな風に近寄って、気のある素振りなんて……やめた方がいい」
「き、気のある素振り? わたしが……?」
「…………」
そう言われて自分達を客観的に見れば、わたしは彼の手首を掴まえている、わけだけど。
そんな風に思われるなんて、心外だ。
「わたしはただ——、怪我をしている人を探していたんです」
「怪我——?」
「そう、昨日の歌を歌って、治癒ができるかどうか確かめたかっただけなのに」
「あ、それで——この指の怪我を?」
「ええ、そうです。それだけなんです。他意はありません」
ムッとした顔で答えると、彼は気まずそうに言った。
「すみません、誤解しました。しかし、それならそうと言ってくれれば——」
「言おうとしたところでした」
睨みつけるように言う。
クラウス卿は、わたしの怒りに気付いたようで、「すみません」と謝った。
わたしは「いえ」とだけ答える。
命の恩人でなかなかの好青年だという、クラウス卿に対するわたしの第一印象は、既に塗り替えられていた。
イリーナの隠れファン……。
それはともかく、よく知りもしないのに、人のことを男好き呼ばわりする人……。
さっさと、治癒を試したら立ち去ろう。
「歌うので、怪我の様子を観察してて下さいね」
そう言って一つ大きく息を吐くと、歌い始めた。
できるだけ集中できるように目を瞑る。
「光よ、降りそそげ。傷を癒し、心を満たせ。
風よ、吹き渡れ…………
…………惜しみなく、この手に宿れ」
風が吹き、髪をふわりとそよがせた。
クラウス卿の怪我は治癒されただろうか?
目を開けて彼を見ると、彼は指ではなく——歌うわたしの顔を、どこか複雑な感情の籠った眼差しで、ぼうっと見つめていた。
「怪我は?」
言われてから思い出したかのように指を確認するクラウス卿を見てイラッとした。
わたしにとっては大事なことなのに。
「え? ——ああ、よくなってます」
「ほんとに? よかった……。すっかりよくなってますか?」
「ええ、全く痕が残ってない」
わたしが視線で追っているのに気づくと、クラウス卿が指を差し出してくれた。
確かに傷は綺麗に消えているようだ。
指で確認するように擦ってみたけど、長く少し節くれだった指の表面はでこぼこした感じもない。
全身の力が緩んだ。よかった……。また歌の力を使うことができるんだわ!
嬉しくて、口角が上がる。
頬に手をぽんぽんと当てながら、喜びを噛み締める。
「どの辺の歌詞で、よくなりましたか?」
「えっ——? 最後、まで歌ってもらって、見たら、完全に治ってました」
「怪我の様子を観察してて下さいって、お願いしましたよね?」
この人……、ポンコツなの?
「あ、すみません。歌に聞き惚れてました……」
「それはどうも……。
じゃあ、失礼しますね。色目を使ってると思われたら困りますから」
ふんっ、と背を向けて立ち去る。
少しでも彼に気があるなんて思われたくない。
それにしても、歌で、また皆を助けることができる、そのことが、なにより嬉しかった……。




