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背徳と呼ばれた令嬢ジュディリスは、聖力と魔力を併せ持つ大聖女の器でした  作者: 麦色 ろっこ


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エピソード59 力を持つ者

 イリーナは呻いている負傷兵に目もくれず、ギルベアト皇子に駆け寄って抱きついた。


「お会いしたかったです。いくら大事な任務のためとはいえ、婚約者の私を一人帝都に残していかれて寂しかったですわ」


 イリーナの媚を含んだ声音に、背筋がぞくっと冷える。


「だからといって、こんなところまで何をしに来たのだ?」


 ギルベアト皇子は無表情で問う。


「それは——、大切な殿下が負傷でもされたら一大事だからですわ! 私がそばにいればすぐに癒して差し上げられますもの」


 きゅるんと瞳を潤ませ、皇子を見つめる。


「——だったら、あなたを守るために負傷した者を先に治癒してあげたらどうなの?」


 わたしは声に責める響きが混じるのを隠せないままイリーナに言った。


「まあ、なんて失礼な言い方なの! ジェマ……と言ったかしら? わたしが、たった今どれだけ怖い思いをしたことか、少しは思いやったらどうなの?」

  

 自分こそ……。


 そう言いたいのは山々だけど、キツく注意すると気分を損ねて、兵の治療が後回しにされるだけだ。


 この場で聖力を使えるのはイリーナだけだ。


「配慮が足りず申し訳ありませんでした。でも、この者は今も苦しんでいます。お力で治癒されればこの者もいつかご恩に報いようとするでしょう」


「そうね……まあ力不足だったけどね。いいわ、私の聖力で癒してあげましょう」


 イリーナはそう言うと、呻いている兵士に近づき、惨たらしい患部から厭わしげに目を逸らしたまま祈りの文言を唱えた。


「慈愛の光よ、痛みを取り去り、安らぎを与え給え——」


 目の前で、イリーナが聖力を使い、呻いていた兵士が苦痛から解放されて安らかな顔になっていく。


 失くした片足は戻らないけれど、彼が苦痛から解放されたことはよかった。

 溜めていた息を吐く。


 だけど、この胸にわだかまる、言葉にしがたい気持ちのやり場に困る。


 イリーナが持つはずのない力を使った。

 今のわたしには使えない癒しの力を。


 その時、イリーナの視線を感じて顔を見れば、そこには勝ち誇った笑みがあった。

 握りしめた拳に力が籠る。


「さすがだな。あそこまで酷い傷を一瞬で治すとは」


 ギルベアト皇子の一言に、イリーナははにかむように笑って見せた。


「大したことではありませんわ。私は聖女候補ですもの」


「そうか。だがまだ魔獣が二体残っている。危ないから湖から離れているように」


「まあ、私のことを気遣って下さっているのですね? 嬉しいですわ」


 皇子は一瞬上を向いて黙り込んだ。


「ここは戦場だ。とにかく話は後にして下がっていてくれ」


「私、戦場でもお役に立てると思いますの」


「ほう、どう役に立つと?」


「見てて下さいね」


 イリーナはそう言うと、騎士団員達が集まっているところに向かって悠然と歩いていった。


 団員が集まっているということは、目の前の湖面から視認できるところに鮫魔獣がいるということだ。


 周りの者達は呆気にとられたように、その姿を見守っている。いったい何をするつもりなんだろう?


 イリーナは湖の手前で両手を胸の前に突き出して叫んだ。


「じゃーじゃーいくわよ!」


 しかし何も変わったことは起こらず、一泊置いてまた同じことを繰り返した。


「じゃー、じゃー、死んで!」


 たぶんこの光景を見守っている者は全員、今のわたしと同じ顔をしているに違いない。

 目が点……。


「あれは——何をやっているんだ?」


 いや、皇子。それわたしに聞きますか?

 仮にもあなたの婚約者でしょうに。


 でも、心当たりがないこともない。

 あれは……わたし、戦乙女のオハコ。

『じゃんじゃん』のつもりではないだろうか?


「おかしいですわね。もう一度、じゃー、じゃー、……きゃあっ!」


 イリーナの奇怪な行動に、鮫魔獣のほうも苛立ったのか、湖面から飛び出して大口で齧りつこうと襲いかかってきた。


 瞬間、ギルベアト皇子はイリーナの前に飛び出していって、彼女を突き飛ばした。


 だけど、あまりに唖然としていて出遅れたせいで、鮫の歯に肩を抉られ血が噴き出した。


「きゃあっ、皇子殿下! ギルベアト様! ちっ、血がっ……、ひいっ……」


 狼狽えたイリーナは鮫を間近に見た恐怖から、腰でも抜けたのか、尻餅をついたまま後ろにもじもじと下がる。


 先に皇子の怪我を癒すくらいできないの?


「はあ——! もうっ……」


 仮にも聖女を名乗るなら、最低限のことはしてほしいところだ。


 苛立ちを堪えて皇子とイリーナの前まで飛んでいった。


 魔力を集束させ、特大級の魔術を発動できるまでに練り上げていく。

 湖面から飛び出す瞬間を狙いすます。今度こそ外さない。

 来た——!


「じゃんじゃん、雷撃——!」


 直後に大きな水音がして鮫魔獣の巨体が湖の底に沈んでいった。


 魔力の源の生体反応が消えた。

 じきに死体は湖岸にうち上がるだろう。


 イリーナは振り返ったわたしを指差した。


「なっ、なんなの……? あの力は……どうして——」


 イリーナの指先が小刻みに震え、唇を噛み締める。


「第一皇子殿下を早く癒して差し上げて下さい」


 今度は責める気持ちを隠して言うことができた。

 皇子の怪我なら言われるまでもなく治すだろうけど。


「言われなくてもわかっているわよ」


 そう言うと、イリーナは座り込んだままの第一皇子の血に染まった肩に手を翳し、治癒の力を発揮した。


「ギルベアト様、もう大丈夫ですわ。私が完璧に治して差し上げましたわ」

「……ありがとう」


 ともかく皇子の顔色に血の気が戻り、胸を撫で下ろした。


 目が合うと皇子は面目なさそうに目を伏せた。


「すまない。油断した……」

 

 離れたところからテオ副団長とシリカ副団長がこちらに駆け寄ってきた。最後の一頭を討伐したようだ。


 簡単に討伐が完了したことや経緯について報告を終えた。


 尻餅をついていたイリーナは、醜態を晒したことなど忘れたように取り繕うと、すました顔をしている。


「まったく、ちゃんと殿下をお守りすることもできないなんて、無能の集まりなんですの? トルエンデ騎士団は……」


 吐き捨てられた言葉は、団員達の神経を逆立て、険悪なムードが広がった。


「自分の行動のせいで皇子が危険な目に遭った、とは思われませんの?」


 シリカ副団長の微笑みながら吐く言葉の恐ろしさよ……。


「言いがかりはよして。私には聖女としての使命があるから、恐れをおして立ち上がったのですわ! それなのに、私や殿下を危険な目に遭わせたのはあなた達でしょう。自分達の無能を棚に上げて、なんて仰りようなの?」


「無能……? このクソガキが」


 にっこり微笑んだままの冷徹美女様の口から今信じられない言葉を聞いたような?


 気のせい……よね?


「か弱いわたしを責めるなんてお門違いというものですわ。ねえ、ギルベアト様。なんとか仰ってやって下さい」


「彼らは魔獣討伐の命を受けて任務を果たしていたのだ。僕や君の護衛の任に当たっていたわけではない。君の行動のせいで皆に迷惑をかけたのだ。謝罪すべきなのは君の方では?」


 皇子は独裁的な人だと思っていたけど、イリーナの保護者として振る舞っていると、まともに見えるのはなぜだろう? 

 案外二人は相性が良いのかもしれない。


「えっ、そんなぁ……。でもギル様がそう仰るなら従いますわ! ご・め・ん・あ・そ・ば・せ!」


 ——どうするの? このシラッとした空気……。


 収めてくれたのは皇子の咳払いだった。


「ここエフロアールの領主から、今夜は屋敷で労をねぎらうと言われている。共にどうだろう?」


「確かに我々も疲労しています。そうさせてもらえるなら、助かります」


 テオ副団長は皇子の誘いを受け入れた。

 だけど、テオ副団長は皇子にとっては魔術競技祭で引き分けた因縁の相手、ということになっている。


 実際にはその因縁の相手の正体はロイだけど。


 ややこしい事態にならなければいいけど……。


「私はトルエンデ騎士団副団長、テオドールです。お久しぶりですね、第一皇子殿下」


 さすがテオ副団長、初対面なのに、ちゃんとかつての対戦相手を装うことができている。


「君が……テオドール?」


 一瞬、皇子の瞳が細まり、記憶を探るように、遠い目をした。けど我に返ったように頭を振る。


 そうですよね、まったくの別人ですもんね。顔も違うし、違和感ありまくりですよね?


「そ……そうか。そうだったな……。

今回の討伐で会えたら、必ず再戦を挑もうと思っていたのに、なぜ今まで忘れていたんだろうか……?」


 今ひとつ腑に落ちない顔をしている皇子殿下、その勘、大当たりですよ!


 心の中で褒めてあげた。


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