エピソード4 ささやかな報復
会場のあちこちで楽しげな笑い声が湧き上がっていて、一人サロンチェアに座るわたしの胸に孤独が押し寄せた。
こんな時に話しかけてくれる人が、誰か一人でもいたらいいのにな……。
そんな無駄な期待はやめて、後で小言を言われるにしても、もう退席してしまおうか?
イリーナと違い、わたしの誕生日は、母が亡くなってからというもの祝ってくれる人はいない。
貴族令嬢らしからず、よく厨房に出入りしていた母は、誕生日にはお手製のケーキで祝ってくれたものだ。
薬も手ずから調合して、孤児院や救貧院に届けさせていて、そのレシピノートは、今となっては大切な形見だ。
いつの間にか、わたしは現実から逃れるように、胸の奥を母の思い出で温めていた。
その時、ヴァイオリンの曲調が変わり、わたしは現実に引き戻された。
ふくよかな青年が、菓子や飲み物の載った銀の盆を抱えて近づいてくるのが視界に入る。
青年は名乗りもせずに、気安い感じで声をかけてきた。
「やあ、この家の令嬢なんだってね。なんでこんな所に一人でいるの? 一緒に菓子でもどう?」
無作法だけれど、悪意はなさそうだ。
「賑やかなところは、居心地が悪くて……」
「僕と同じだね。賑やかなところといえばダルフォード公爵家のセドリック卿の周りだけど、彼目当ての令嬢達にとって、僕なんかお邪魔虫もいいところだからね」
「セドリック卿って、そんなに人気なの?」
「公爵家嫡男で顔もいいときてる。僕みたいな男爵家の次男坊じゃあ、太刀打ちできやしないよ」
ちょっと卑屈な言い方が気になるけれど、気に病んではいないようだ。
「そんなの、わからないじゃない?」
「わかるよ。父上から婚約者を見つけるように言われたけど、無駄なことに労力を使うより、菓子でも食べてる方がましだろ?」
悟ったように笑う彼の様子が、どこか憎めなくて、わたしはしばらく彼とのお喋りを楽しむことにした。
ふと令嬢達の黄色い声が響き、視線を向けると、さっきイリーナが紹介を受けていた紺髪の令息だった。
よろめいた令嬢を支えて、称賛されているようだ。
「あれがセドリック卿だよ」
そう言ってウォレスは肩を竦め、あっという間に空になった盆の上の食べ物を補充してくると言って席を立った。
彼の場合、色気より食欲が圧倒的に勝っているようだ。
ウォレスの様子を遠目に見ていると、数人の青年達が彼を小突いたり、何ごとか耳打ちして笑ったりしていた。
しばらくして、マカロンとレモネードを盆に載せて戻ってきたウォレスは、なぜか一瞬躊躇う素振りを見せてから、それをわたしに手渡した。
手が震えていたように見えたけれど、重かったのだろうか?
「ありがとう。あの人達は友達?」
「う、うん……まあ、そうだけど……」
わたしはマカロンを一つ手に取ると、そのまま口に入れた。
が、咀嚼した瞬間“ジャリッ”と砂利を噛むような音がして、硬くザラついた食感がした。
慌てて口の中のものを手巾に吐き出した。
「なに、これ……砂? どうして……?」
口直しにレモネードのグラスを手に取る。果汁の澱がシャンデリアの光を反射して輝いている。
なぜかスパイスの香りが一瞬鼻を掠めたけれど、そのまま口に含んだ。
その瞬間、今度は喉奥に強いえぐみが刺さり、咳き込んだ。
眉を顰めながら、ウォレスを見ると、彼の手が微かに震えている。
これは……二度も続けばおのずと答えは導かれる。
「レモネードも変な味がしたわ……。何か混ぜられていたの?」
「ごっ、ごめん……。さっきの奴らにこれを持っていくように言われて……」
ウォレスは視線を落とし、声を震わせながら言う。
「あいつらイリーナ嬢とお近づきになりたいらしくて、彼女の気を引くために、悪い姉に仕返しするって。僕も……協力しないと爪弾きにするぞと言われて……」
「彼らはこんな汚いやりかたをしておいて、正義の味方気取りってこと? 笑っちゃう。あなたも……一人でも泰然としていられる人だと思ったけど違ったみたいね」
「僕はそんな……立派な奴じゃないさ。一人では何もできないただの臆病者だ」
申し訳なさげに俯きながら、低い自己評価を言い訳にするウォレスに軽蔑の眼差しを向けた。
「……僕は反対したんだ。どう考えてもやり過ぎだって。でも言うことをきかないと……仲間はずれにされる」
「呆れたわ。だからって、こんなことをするなんて。マカロンに入っていたのは砂として、レモネードには何が入っていたの?」
ウォレスの言い訳を遮り、憤然と訊ねる。
「知らない……。あいつらが毒ではないって言ってた」
毒ではなくても、下剤が入っていたりして、わたしが大恥をかいたらどうするつもりだったんだろう?
そう思うと、怒りが増してくる。
首謀者はあの青年達だけなのか、イリーナも絡んでいるのか……?
「……なんだか、吐き気がしてきたわ……」
胸を押さえて、苦しげにそう言うと、ウォレスは狼狽した。
「……えっ? だ、……大丈夫?」
「大丈夫じゃなかったら……絶対に許さないわ」
正体もわからないものを飲まされた恨みを込めて、彼をじとりと睨む。
「ええっ! ……ご、ごめんよ、悪かった」
ウォレスはすっかり青くなって、気分の悪そうなわたしの顔を見守る。
その時、絨毯を踏み締める複数の足音が聞こえた。
「あらっ、……ふふ、お姉様もとうとうお似合いの相手を見つけられたの? 随分と——恰幅の良いかたね」
イリーナが含み笑いを浮かべながら薄桃色のドレスの裾を翻して歩み寄ってくる。ウォレスに菓子を渡した青年達も一緒だ。
まんまと酷い目に遭ったわたしを、嘲笑うために来たのだろう。やっぱりイリーナも一枚噛んでいたようだ。
やられっぱなしだと思わないで。思い知らせてあげる……。
「鬱陶しい前髪だな。目はついているのか? イリーナ嬢の姉君とは思えない……ぱっとしない見た目だ」
ニキビ顔の青年が鼻を鳴らして、色褪せたドレスをじろじろと見る。
「君は図々しくも、イリーナ嬢の物を勝手に奪ったり、嫌がらせをするそうだね。品性を疑うよ」
これは眼鏡の縁を触りながら、軽蔑の眼差しを向けてくる青年の発言だ。
「さっきもイリーナ嬢を転ばせたそうじゃないか。魔力も満足に扱えない癖に」
ごつい体格の青年が胸を張り、拳を打ち鳴らして威圧的に言い放った。
ここでウォレスがひと言でも言い返してくれたら、彼を見直してもいいと思ったけれど、ウォレスは俯いたまま黙っていて、わたしは落胆に肩を落とす。
わたしを見るイリーナの目は優越感に満ちていて、「皆が私の味方よ」とでも言いたげだ。
「ごめんなさいお姉様、怒らないで! 皆様……私の代わりにお姉様が行いを改めるよう、注意して下さるとおっしゃって……」
「優しすぎるんだよ、イリーナ嬢は。こんなやつには、口で言うだけでは生温いんだ」
そう言ったニキビ顔の青年が、持っていた葡萄ジュースのグラスを掲げ持ったと思うと、頭からピシャッと浴びせてきた。
「——何するの……?」
睨み付けると、やり過ぎた自覚はあったのかその青年は、一歩後退りした。が、それでも強気に言ってきた。
「……ふん、少しは頭が冷えただろう?」
冷たい液体が髪から滴り落ちて、頬や首筋を濡らし、ドレスに紫の染みが広がる。
「まあ……、どうしましょう! トビアス卿、やり過ぎだわ……!」
イリーナは手で口元を隠しているけれど、目は輝いていて楽しげだ。
「——君達、何してるんだ……?」
騒ぎに気付いて止めに入ってくれたのはセドリック卿だ。
「これは……酷いな。ジュースをかけられたのかい?」
そう言って、手巾で頭を拭いてくれた。
「ええ、ありがとうございます」
セドリック卿を見て、イリーナも慌てたように手巾を取り出し、わたしににじり寄る。
「違うんです。お友達のトビアス卿がお姉様の意地悪を諌めてくれたんです……。でも、さすがにやり過ぎだと私も話していたところで——」
「トビアス卿と言ったかな? ……諌めるにしても、少し行き過ぎな行為じゃないかな?」
「でも……、そのジュディリス令嬢はいつもイリーナ嬢を虐めているんですよ」
「証拠はあるのかい?」
「いや……、でもイリーナ嬢が悩んでいるのを放っておけないでしょう?」
トビアス卿は納得のいかない様子で、イリーナに視線を向けたが、彼女はひとまずトビアス卿を擁護する発言を控えたようだ。
「ジュディリス嬢、君には虐めた心当たりはあるかい?」
「ありません。虐めたりしていません」
「そんなの嘘……」
イリーナは、か細い声で訴えた。
「イリーナ嬢、いつ、どのように虐められたと言うんだい?」
常にないことに、面と向かって事実確認をされて、イリーナもたじろいだ様子だ。
「それは……さっきも、わざと転ばされたんです」
「なぜわざとだと思ったのかな?」
「なぜ……? だって足を引っ掛けられたんですよ?」
「それは単にジュディリス嬢の足が前に出ていただけで、わざとだと決めつける根拠にはならないんじゃないのかな?」
イリーナはセドリック卿を面倒な相手だと判断したのか、黙りこんだ。
今こそ「本当は、わたしの方が虐められているんです」と報復がなければ、声を大にして叫びたい。
「ただの誤解かもしれない、ということだよね。トビアス卿、それでも君の暴力的な行為は正しかったと言えるのかな?」
セドリック卿は場を荒立てない言葉を選ぶ人のようだった。
「す、……すみませんでした。ジュディリス令嬢」
不本意そうに唇を尖らせたトビアス卿に、形だけ謝罪されても、許す気になんてなれない。
だけどセドリック卿は正義感に溢れていて、杓子行儀な解決を目指す人に見える。
わたしが謝罪を受け入れるまで見守るつもりかもしれない。
親切には感謝するけれど、だからといって、このまま彼らを許す気にはなれない。
砂入りマカロンを食べさせられたお返しをしなくては。
いいわ、……やり返すならまさに“今”よ。遠慮はしない——。
わたしは口元を押さえ、苦しげに身を折った。
「うっ……胸が……気持ち悪い。さっき、この人たちに——砂の混じった菓子と、よく分からないものを……食べさせられたんです」
そう囁いて、脚から力が抜けたように見せかけて、床に崩れ落ちる。セドリック卿は驚いて傍に膝をついた。
「大丈夫かい? 食べさせられたって……何を?」
セドリック卿の問いに答えたのは、青くなって震えるウォレスだった。
「知らない……。わ、わからないんです。僕はただ言われた通りに……。でも、さっきから彼女、吐き気がするって、苦しそうに言ってた……」
それを聞いてセドリック卿の顔色が変わった。
「医者を呼んだ方がいいな。誰か——」
セドリック卿が叫び、蹲っているわたしに視線が集まった。徐々に広間に騒めきが広がっていき、人々が駆け寄ってくる。
わたしは苦痛を訴えるように、顔を歪め、身をよじった。呼吸を浅くする。
「……く、苦しい……です」
わたしの姿は誰の目にも、まるで毒を飲んだかのように映るだろう。
「なんて酷いことを! 君たちは彼女に何を口にさせたんだい? どういうつもりでそんなことをしたんだ?」
セドリック卿の非難とわたしの迫真の演技に、青年達は蒼白になっていた。
その様子を見て、何があったのか状況を理解し始めた周りの人々が声高に彼らを非難し始める。
彼らは、駆け寄ってきた人達に「本当なのか?」と怒鳴りつけられ、茫然としている。
間違いなく、帰宅後も親に酷く叱責されることになるだろう。
これに懲りて、彼らが行いを改めたら世のためにもなるだろう。
そんな騒ぎの中でもイリーナだけは、そそくさと逃げ去り、その姿を取り巻きたちが恨めしげな顔で見ていた。
とりあえず、継母に鞭打たれるはずだったわたしの脹脛は、今日のところは無事に済みそうだ。
ウォレスも父親とおぼしき男性に首根っこを掴まれて情けない顔をしてこちらを見ていた。
根は悪くない人なんだろうけれど、脅されたとはいえ、裏切られてわたしは傷付いたし、今後の行動を見直してほしいので、彼にもちゃんと反省してもらいたい。
……ただセドリック卿を欺いて善意を利用してしまったのは気が咎めた。
ごめんなさい、いつか機会があればお詫びを……。
後で知ったところでは、レモネードに混入されていたのは身体に害のないカルダモンの粉だった。




