エピソード38 柱の影から
ギルベアト皇子は魔術競技祭でロイと引き分けた後どうしていたのだろう。
お祖父様によれば、今のところはロイが扮していたテオドール卿に再戦の申し込みはきていないらしいけれど、プライドの高そうなあの皇子がこのままでいるとも思えない。
今のわたしは認識阻害魔術で姿を変えているとはいえ、皇子にあの鋭い眼差しで見つめられたら、その綻びを一瞬で嗅ぎ取られ、素の顔まで見破られそうな気がする。
考えたら胃がきりきりするので、見られないように皇子と距離をとりつつ、柱の影からお祖母様が彼を癒す姿を覗き見る。
皇子である彼が祭壇前のお祖母様の足元に片膝をつき、頭を垂れる。日頃の傲然とした態度を知らなければ、敬虔な信徒に見える姿だ。
お祖母様は聖句の一節を厳かな声で語ってから、魔力暴発抑制の祈りを捧げる。
「慈愛深きエリタス神よ、汝の子を守護し、荒ぶる力を調和へ導きたまえ。求めるは静謐と安寧。十二の星々の輝きをもって、力の奔流を鎮めたまわんことを」
お祖母様が静かに紡いだ言葉は、静まり返った大聖堂の聖儀の間に、波紋が広がるように浸透していく。
祈願者たちは皆、祈りの恩恵に預かろうとするかのように、頭を垂れたまま身じろぎ一つしなかった。
少し表情が固いギルベアト皇子の頭に、お祖母様が両掌を添えると、清浄な白い光がふわりと揺らめき、瞬く間に大きく膨れ上がった。眩しさに目を細めた時には光が消え、皇子が長く吐息を吐いて立ち上がった。
その肩の強張りが解けていくのを見て、お祖母様も力を抜いて呼吸を整える。
皇子のすぐ後ろに跪いた壮年の貴族にはアンネローゼ聖女様、その次の初老の男性にはナビエ聖女様がと、順番に各聖女が聖力を注いでいく。
交代することで、魔力抑制のため聖力の消耗をなるべく皆で均等に負担できるようにと考えられているのだろう。
近くで司祭服を着た男性二人が名簿を照合しながら、ひそめた声で会話していた。
「……二ヶ月も祈願に訪れていないから、司祭を派遣しなければ」
「……伯爵はもう三ヶ月も参拝を拒んでいる。強制連行に切り替えるしかないな」
意図せず耳に入ってきたのは、そんな会話だった。
「令息の魔力量なら魔力抑制は不要だが、当主の魔力量は警戒レベルだ」
「百年前の魔力暴発の際には隣屋敷にまで被害が及んだというからな」
百年前の小規模な暴発事故の件を過去最大の被害として司祭達が話しているようだ。
やはり、三百人もの犠牲者を出した『プラーナ・マルドゥークの血の大災厄』——あれがヘルムートお祖父様の魔力暴発だという事実は、聖職者の間でさえ秘匿されているということね。
あの時代も全貴族の魔力登録は義務づけられていたけど、今のように、大聖堂への参拝を強制することは難しかったようだ。
そんなことを考えていたら、不意に声をかけられた。
「ジェマ嬢といったわね、大聖女様がいつもと違う侍女を連れていらっしゃることは珍しいけど、トルエンデ公爵家には前から奉公していたの?」
先ほど紹介されたノルテモア侯爵家のナビエ聖女様の侍女、サラエだ。
「いえ、わたしは遠縁の者で、行儀見習いも兼ねてつい最近お仕えすることになったばかりなんです」
「まあ! 遠縁って、大聖女様の?」
「は、はい……」
「私もナビエ様の生家の分家筋の者なのよ。これでも、幼い頃は聖力が芽生えないかと期待された一人でね。まあ、少しばかりの魔力が発現した時には、周囲にがっかりされてしまって」
「そうなんですね……。魔力が発現して残念がられる血筋っていうのも、なんだか……複雑ですよね」
魔力だって貴重な能力なのに……。
「そうなのよ、わかってくれる? でもまあ……一応は“聖女の血筋”だからって、両親が婚姻相手を高望みし過ぎて、この通り適齢期を過ぎてしまったのよ」
サラエは少しやらせなさそうな表情を浮かべて溜め息を吐いた。
「でも、実家にいるよりはナビエ様のお側にいた方が良縁に恵まれるかもしれないから、と親に言われて奉公しているの。実際、侯爵家のほうが気楽よ。“早く嫁げ”って急かされないもの」
「……わかります。きっと、そのほうが気が楽ですよね」
「そうなのよ! 境遇が似てるからかしら? あなたとは色々わかり合える気がするわ」
手をがしっと握られて、思わずこくんと頷く。
侍女というのは仮の姿だけど、聖力を期待されていたのに、魔力が芽生えてがっかりされたという同じ経験がわたしにもある。
「そういえば、あなたも大聖女様の遠縁ってことは聖力はあるの?」
「え、ええ……まあ」
「そうなの? じゃあ、もしかして聖職者になるの? 今は侯爵家のヒルステッド様みたいに、帝都の神学大学を卒業するのがエリートコースって言われてるわよね」
「え、ええ……。そうらしいですね」
ヒルステッド卿の名前が出て、したためてきた手紙をサラエに託せないかと考える。
「けど男性はともかく、女性なら聖女様に直にご指導頂けるに越したことはないものね」
サラエが羨ましげな表情になる。
「そ、そうなんです。でも神学大学にも憧れがあって、迷ってるんです。それで図々しいお願いなんですけど、ノルテモア侯爵家のご令息は実際に大学に通われていたんですよね? いくつか教えて頂きたいことがあって……」
そうサラエに言って、用意してきた手紙をヒルステッド卿に届けてもらう段取りをつけた。
「恋文とかではないのよね? ヒルステッド様には既に婚約者がいらしてね。ご存知かもしれないけど、巷では“背徳の令嬢”なんて言われて評判のよろしくない方なんだけど。だから恋の橋渡しとかはできないわよ?」
背徳の令嬢かぁ……。
やっぱりわたしの噂はもう帝都中に広がっているのね。
気分がどんよりしそうになったけど、ちょっと不審そうな顔つきになったサラエを安心させるために、微笑んでみせた。
「もちろんです。大学のことでいくつか知りたいことを書いただけで」
「わかったわ、それなら……。ただお忙しいかただし、お返事が頂けるかどうかは保証できないわよ?」
「それで大丈夫です」




