エピソード32 値踏みされた令嬢
「えっ、いきなり……公爵位?」
驚き過ぎて、椅子からずり落ちそうになった。
トルエンデのお祖父様は魔術競技祭の時にお父様から喧嘩を売られた。いや——お祖父様から売ったと言うべきだろうか?
お父様が爵位を嵩にきる発言をしたせいで、お祖父様がそれなら今まで断っていた陞爵を受け入れると宣言した。
成り行きとはいえ、そんなに簡単に陞爵されるとは思ってもいなかったのに、伯爵位から一つ上の身分である侯爵位どころか、更に上位階級である公爵位を叙爵されたというのだ。
トルエンデ騎士団は私設とはいえ軍属のような位置付けだし、戦力も正規騎士団と並ぶので、総帥たるお祖父様にも相応の爵位をということだろうか?
「お父様との喧嘩に勝つためだけに、陞爵を受けたわけではないということ?」
「それはまあ……。最近は軍部のいざこざに巻き込まれたりすることも多くてな。そういう時にはそれなりの発言権が必要だ。ちょうどいいタイミングだったというところだな」
ちょうどいいタイミングだったからといって、公爵閣下になど、簡単になれるものではない。
お祖父様が特にありがたがる様子も見せないことに、半ば呆れるような気持ちになった。
わたしの婚約の方はというと、先週になってなぜかまたサザークレン伯爵との話も破談になった。
けれどほっとしたのも束の間、今度はエルファスル子爵という人が婚約者になった。
なんでも貿易で成功を収めた貴族らしく、年齢は五十だという。
お父様よりも年嵩の、その子爵とはまだ顔合わせも済んでいないので、名ばかりの婚約者ではあるけれど、今週顔合わせ予定だ。
婚約に関する悩みは尽きず、心の奥底に澱のように溜まっていき、ふとした時に胸を締めつけられる。
リンデハイムでのくつろぎの時間だけが、そのことを忘れていられる唯一の時間だと感じられる。
そこでいつものようにロイとお茶を共にしていた時、ロイが巷で噂になっている話を語った。
ある貴族の青年が失恋の哀しみのため、命を絶とうとした、という話だ。
「なにも、命を絶たなくても。世の中には長生きしたくてもできない人だっているのに……。でも無事だったのなら、ちゃんと気力を取り戻してほしいわね」
「そうだね。実はその話……僕の友人の弟の話なんだ……。友人も、失恋につける薬はないって困り果てていてさ」
「まだ未練があるのかもしれないけど、早く吹っ切れるといいのに……」
そうは言ったものの、彼はそこまで強く想える相手に気持ちを伝えることができたのだ。
結果は失恋だったとしても、気持ちを伝えられる自由を羨ましく感じる。
わたしも、自分の素直な気持ちをありのままに伝えたい。なんの躊躇いもなく伝えられたらどんなにいいだろう——。
自分の婚約もままならない立場がもどかしい。
そしてまたしても、わたしは婚姻の話に振り回されることになった。
エルファスル子爵と対面するやいなや、またしても婚約の話は破談になったからだ。
エルファスル子爵も横柄で、生理的にも決して好きになれそうな相手ではなかったけれど、もはや次から次へと移ろうように婚約者が変わっていき、わたしの心はそれをどう捉えていいのかも分からなくなっていた。
そんな時、新たにノルテモア侯爵家の次男との婚約が成立したと父に言われた。
お相手が、まさかあのナビエ聖女様のご子息とは……。
縁があると考えるべきなのだろうか?
正直どう考えたらいいのか分からない。
「ジュディリス嬢、元気にしていたかしら?」
ナビエ様は相変わらずだった。
相変わらず凛としていて、全身から気品が立ち昇っているようだ。
「先日の魔術競技祭の折には、大変お世話になりました。ご助言も感謝致します」
感謝の笑みを浮かべる。
「こちらが我が息子、次男のヒルステッドよ。帝国エリタス神学大学を卒業後、グランドツアーを終えて、司祭としてカデラ地方に赴任しているわ」
ヒルステッド卿は神官として、エリートコースを極めていらっしゃるということらしい。
目鼻立ちの整ったかたで、銀色の髪の毛先は肩の上でさらりと揺れる。
「はじめまして。今回、君の婚約者という立場になったヒルステッドだ。よろしく」
「は、……はじめまして。ジュディリス・フォン・ラヴォイエールと申します」
ヒルステッド卿は興味深そうにわたしの様子を観察している。
「では、我々はあちらでお茶でもして、ジュディリスには息子さんを庭園に案内させましょう」
いつぞやはかなり心に刺さることを言われた父は激昂して、見苦しい姿を晒していた。
それなのにノルテモア侯爵家の人間を再び屋敷に招くことがあるとは思わなかった。
しかも婚約者としてだなんて。お父様もナビエ聖女様も何を考えていらっしゃるの?
「腑に落ちないという顔をしているね。頭の中はきっと疑問符だらけだろう……。歩きながら話そうか?」
この状況の説明が得られるならいくらでも、と思いながら、エスコートされて庭に出る。
赤紫色の花弁を揺らすゲラニウムの花を微笑ましげに見やって本題を切り出したヒルステッド卿の話は私を唖然とさせるものだった。
「まずは……世間での君の評判が芳しくないものになっていることについて、説明しておいた方がいいよね?」
「評判ですか……? もしかして、繰り返し婚約を解消されていることと関係ありますか?」
「ある。まずお父上は君の魔力量なら、持参金など用意しなくても、子に魔力が引き継がれることを考えるとお釣りがくると公言している。それでも求婚者が殺到すると見込んでいたようだ」
……!?
なんて恥ずかしいことを……。
わたしがいつからそんな超優良物件だったというの?
「持参金もなしに……?」
貴族家で持参金なしに娘を嫁がせるというのは、異例だ。余程困窮している家ならあるかもしれないけれど……。
ラヴォイエール侯爵家は婚家での娘の立場がどうなろうと構わないと表明したようなものだ。
つまり娘にかける愛情は一欠片もないと言っている……。
いっそ修道院に放り込んでくれたら、持参金はいらないのに。
「持参金はなしで、さらに高額な支度金とラヴォイエールの領地への財政支援如何によって、嫁ぎ先を選定すると公言している」
要するに、どれだけ金銭と支援を引き出せるかで婚家を決めるということだ。
ヒルステッド卿に現実を知らされて、目の前が真っ暗になるような気持ちだった……。




