エピソード30 望まぬ帰宅
ナビエ聖女様が退出後しばらくして、お祖母様が天幕に戻ってきた。
そしてロイの左上腕部にほとんど分からなくなっている傷痕を診て、安心したように息を吐いた。
「ジュディー、よくやったわ」
お祖母様は第一皇子の治癒で聖力を消耗したのか、少し疲れた顔をしていた。
「レティシア、疲れただろう。さあ、こっちで休んで。お茶を用意させよう」
お祖父様の言葉に微笑むお祖母様にロイが訊ねた。
「第一皇子殿下の状態はどうでしたか?」
「それは大丈夫よ。あなたと同じで、傷痕は殆ど残っていないわ」
ロイはそれを聞いてほっとした様子だった。
「ただ……殿下はあのご気性でしょう? 魔術の能力には相当自信がおありだったのに、あなたに引き分けた。それも部が悪かったのは殿下のほう」
「それは……引き分けは引き分けですから」
ロイの勝利に拘らない潔さが好きだわ。
「殿下もあなたのように割り切れるかたならよかったんだけど、『みっともない姿を晒した』とおっしゃって、プライドがかなり傷ついたみたいだったわ。多分もっと実力をつけたら再戦を申し込むつもりでしょう」
「思った通り、テオドール卿に再戦を申し込んでくるわね」
わたしがそう言うと、ロイも頷く。
「そうだな……。やっぱり本物のテオドール卿に迷惑をかけてしまうな」
ロイは困ったというようにこめかみを掻いた。
「この顔は認識阻害魔術のせいで記憶に長くは留まらないはずだし、髪色は元々テオドール卿の色に合わせているけど……会えば違和感は感じるかもしれないな」
「えっ? 髪色はテオドール卿の色に合わせてるって言った? ロイってもとはその栗色の髪色じゃないってこと……?」
「……どうだろうね……?」
少し気まずげに誤魔化すように笑うロイに、なんだか自分が知っているロイが本当のロイじゃないんじゃないか——そんな不安な気持ちが胸に湧き起こった。
「ロイは……、わたしの知ってるロイの本当の姿は実は全く違うということ? ロイの顔——好きだったけど、それも造りものだったのね! そりゃあ姿形は違ってもロイはロイだけど。なんだか寂しいわ……」
ロイが今まで以上に掴みどころのない存在に思えてきて、捕まえても指をすり抜けていってしまうんじゃないか、という漠然とした心細さを感じた。
そんなわたしを心配するなり申し訳なさそうな顔でもすればいいのに、ロイは照れたように口元をひくつかせている。
「いや、顔はそのままだから……」
「へ……?」
顔はそのまま——その言葉を素直に信じていいのか分からない。
でも、胸の奥が少しだけ温かくなった。
わたしの見ているロイだけがロイじゃないにしても、全てが偽りというわけではない——。
あ、ど……どうしよう?
わたし今、ロイの顔が好きって言っちゃったよ。
「そ、そうなんだ……よかった。人違いする心配がなくなるし……」
わたしはそんなことを呟いて、ロイの顔を見れないまま、もじもじしていると、お祖父様がわざとらしい咳払いをした。
「いや、あっついなぁ——、この部屋は……」
そう言うお祖父様をお祖母様が諭した。
「あなた、……やめてあげて下さいな」
その時、天幕の外でお祖父様よりわざとらしくて、しかも偉そうな咳払いが聞こえた。
「こちらにうちの娘は来ていませんか?」
この声はお父様だわ。
目を大きく見開いてお祖母様を見る。
お祖母様はわたしに無言で頷いてから返事をした。
「来ていますよ!」
「……やはり、あなたがたでしたか。娘を連れ去ったのは。入らせてもらいますよ」
そう言って、許可もとらず、お父様は天幕をめくりずかずかと踏み込んできた。
「相変わらず、無作法ですこと」
お祖母様は威圧するように、鼻をつんとあげる。
「それはすみませんね。娘を連れ去られないか心配になりましたもので」
言いがかりにもほどがある。
「お父様、わたしが自分でこちらにお邪魔したのです。失礼なことをおっしゃるのはやめて!」
「はっ、早速飼い慣らされて、肩を持とうというのか?」
「聞き捨てならないなぁ……。飼い慣らされるっていう言葉は侮辱だろ? 大事な孫にどんな風に接していたら、そんな言葉が口から出てくるんだ?」
お祖父様が怒りのオーラを纏ったのを見て、お父様がわずかに後退りする。
「なんならジュディーの親権をめぐって決闘でもしようか?」
並の人物じゃないことは、帝国中が知っているお祖父様に決闘を仄めかされて、さすがのお父様も顔色が悪いようだ。
「なんでも力で解決できると思わないことですな。私はその娘の父ですよ? それに、元義父とはいえ、爵位だってこの私のほうが上だ。立場を弁えるべきでしょう?」
蒼白な顔で、足もわずかに震えている。
それなのにお父様がこうまで横柄な態度に出るのは、やっぱりお祖父様への憎しみのせいかもしれない。
「爵位? 爵位が同等ならそっちが立場を弁えるのか? 既にレティシアと身に余る名誉を授かった身だ。陞爵を断ってはいたが、そういうことなら陛下に奏上して、明日にでも陞爵を受け入れよう」
「な、なんにせよ……。この娘の将来を決める権限は、私にあるのです。連れて帰ります」
「権限の前に果たすべき義務があるだろう?」
そう言いながら、手袋を脱ぎ捨てようとするお祖父様に気付いた。
このままだと大事になりそうだ。
焦ったわたしはおとなしく父に従うことにした。
「帰ります。イリーナも待っているんでしょうし、また馬車を別に用意して頂くのも申し訳ないですし」
「でも……」と言いかけたお祖母様を制して「大事にしたくないの」と耳打ちした。
お祖父様は承服しかねるような顔つきをしたけれど、溜め息を吐いて肩を落とした。
「お会いできて、嬉しかったです」
そう大きな声で挨拶してから口の動きで「またね」と伝えて背を向ける。
父に連れられて天幕を出てすぐ、わたしを探してくれていたらしいアリアナを見つけた。
「ジュディー! 凄かったわね。応援してたのよ」
「ありがとう、アリアナ」
「また手紙を書くわね!」
「うん。わたしも絶対書く」




