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背徳と呼ばれた令嬢ジュディリスは、聖力と魔力を併せ持つ大聖女の器でした  作者: 麦色 ろっこ


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エピソード2 家族と決別した夜

 十五歳の時のある夜、日記を書いていると、珍しくイリーナが部屋を訪ねてきた。


 新しく買ってもらったというナイトガウンを自慢したかったらしい。


 淡い薔薇色のサテン地にユニコーンや草花が銀糸で刺繍されたそれは、確かに素敵だった。


「綺麗な色ね。素敵な刺繍だし、よく似合っているわ」


 そう褒めると、イリーナは得意そうに胸を逸らした。


「そうでしょう?」


 そしてせっかくだから何か話題を、と考えた。

 思い浮かんだのは、先日訪れた、母の墓所のある教会についての話だった。


「リンデハイムの教会の尖頂屋根の先にはね、小さくて可愛いリスがついていてね、バラ窓のステンドグラスは……」


 イリーナは特に興味を示さず、無言で新しいガウンの肌触りを楽しむように撫でていた。


「そんな片田舎の鄙びた教会なんて、大聖堂に比べたら取るに足らないわ」


 イリーナは鼻で笑い、わたしの言葉を切り捨てた。

 わたしは大聖堂なんて、遠目にも見たことがない。


「もちろん大聖堂は素晴らしいんでしょうけど、リンデハイムの教会のエリタス神はとっても美形で——」


 わたしが好きな教会のことも認めてほしくて、言葉を続けたけれど、イリーナは冷ややかに遮った。


「本当に美しいものを知らないなんて……哀れね。どうしてそういう人目につく場所に、連れていってもらえないのか——わかる?」


「……さあ」


「聖女の子のくせに聖力もない。魔力もない出来損ない。『みっともなくて人前に出せない』って、お父様が言ってたわ」


 その言葉に胸がずきりと痛んだ。


 その後もイリーナの針で刺すような言葉は続いた。


「身の程を知った方がいい」

「実の父親にすら愛されていない」


 それでも、我慢していたけれど——。

 

「似非聖女。大聖女様の威を借りただけの無能者」


 母を貶すその言葉を聞いた時、頭に血が上った。


「似非……?」


「あら、誤解しないでね。母親が世間でそう言われているのを知らないまま恥をかくのも可哀想だと思って教えてあげただけよ?」


 そう言いながら、歪んだ笑みを浮かべたイリーナを憎らしいと思った。


「そんなこと……嘘よ! お母様は歴とした聖女だったし、誰よりも優しかったわ」


「嫁いでからは大聖堂でのお務めだってないがしろにしていたのでしょう? 体調が悪いとか言って、度重なる召喚にも応じなかった話は、有名よ?」


 違う……。胸の奥が軋むように不快な感情で満たされていく。


「それは……、お父様が行かせなかっただけよ。監禁していたんだから!」


 理不尽さに、喉の奥が詰まった。


 何度か審問官が母に面談しに来たこともあったけれど、その度に、わたしは別室に閉じ込められた。


「どうしても大聖堂に行くと言うなら、離縁だ。もちろんジュディリスは渡さないぞ。あの子とは二度と会えないものと思え……」


 そう、母を脅しているのを聞いたことがある。

 あの当時はイリーナ母娘はこの屋敷にいなかったけれど……。


「なんのためにお父様がそんなことをしたと言うの?」


 イリーナは答えられるものなら答えてみなさい、と挑むように顎を上げて言う。


「それは……」


 父が母を監禁したり、教会への務めまで怠らせた理由はわからない。


 それでも、わたしの目の前で亡くなった母を貶し、笑みさえ浮かべるイリーナには怒りを感じる。


 それに彼女に言い返せないもどかしさに苛立つ。


「お姉様は怠惰な母親と同じように——、いえ能力がないだけで、怠惰ではなかったかしら? どちらにしても役立たずよね。だから誰からも必要とされないお荷物なの」


 母は怠惰な役立たずなんかじゃない。

 何も知らないくせに……。


「やめて! お母様のことをこれ以上悪く言うのは許さないわ」


 怒りで身体が震えた。


「立場を弁えた方がいいって言ってあげてるのよ、母親がそんなじゃね……。まあ可哀想な人よね? お姉様みたいな聖力のない子しか産めず、お父様には捨てられたようなものでしょう?」


 そう嘲笑うイリーナの顔を見て、頭の中で何かが切れる音がした。


 ——だから叩いてしまった。


 頬を押さえてわたしを睨んでいたイリーナは、次の瞬間屋敷に響き渡るような大絶叫をあげた。


 嫌な予感に足が震える。


 にやりと笑ったイリーナはナイトガウンの布地を自ら引きちぎった。

 

「これはお姉様にやられたのよ?」


 挑戦的にわたしを見つめるイリーナを前に、なすすべもなく立ち尽くす。


 何人かのメイドが駆けつけた時には、イリーナは大号泣していた。


「まあ、イリーナお嬢様……。どうなさったんですか?」


 目に涙まで浮かべたイリーナは、メイドの一人にしがみつき、わたしを指差す。


「お姉様にやられたのよ……」


「まあ、ジュディリス様が? なんてこと……」


 メイドの一人が非難を込めた眼差しでわたしを見つめる。


「違う……」


 ほどなくして継母と父が部屋に現れ、入れ替わりにメイドたちが出ていった。

 

「いったいどうしたっていうの? メイドたちがイリーナが泣いていると報告に来たけど。まあ……、見せて、頬が赤くなっているじゃないの」


 継母はイリーナの肩を抱きよせる。


「服が破れているじゃないか。どうしたんだ?」


 父が心配そうに声をかけると、イリーナが嗚咽混じりに悲しげに訴える。


「新しいガウンを見てもらいに……来たんだけど……とりあげられそうになって……それでっ、やめてって言ったら……ぶたれて……破られたの……」


 父の眉がぴくりと動いて顔が強張る。


「なんだと! それは本当か、イリーナ?」


「……はい。ガウンがこんなことになって。お母様、せっかく下さったのにごめんなさい」


 涙を浮かべて項垂れるイリーナの姿からは、悪意の欠片も見出せない。


「あなたのせいじゃないわ。イリーナ」


 継母はイリーナの頬をいたわるように優しく撫でさすり、鋭い視線でわたしを睨みつけた。


「ち、違うわ……」


 否定しようとしたけれど、どう考えても劣勢なのは否めない。

 継母が問答無用と言いたげに怒鳴りつけた。


「ガウンが破けてるじゃないの! 頬だって赤くなってるし……。それなのに認めないの?」


「叩いたのは本当だけど、破いてなんていないわ」


「妹を嘘つき呼ばわりする気か? それでもお前は姉か?」


 父の眉間の青筋が深く刻まれ、目に侮蔑の色を滲ませる。


「本当のことだから……」


「黙れ! 証拠が揃っているのに、まだ認めないとは。

お前は……自分が正しいと譲らないあの傲慢な女にそっくりだな」


 父はいつだって、わたしの言動のすべてを母に結びつける。


 その目には、いつの間にか、わたしではなく母の幻影を睨みつけるような憎悪が宿っていた。


「……それに、お前はいつもイリーナの服や物をくすねるらしいな。罰として当分服は買わせないからな!」


 そんなのは、まったくの嘘だ。

 イリーナには着古した服を押し付けられ、お母様がわたしに残してくれた服やアクセサリーのめぼしいものは全てとりあげられた。


 そう言いたいけれど、鬼のような形相になっている父が聞く耳を持つとも思えない。


「あなた、生ぬるいですわ! その子は反省どころか謝りもしてないじゃないですか! ジュディリス、イリーナに謝りなさい!」


 継母が横から尖った口調で命じてきた。


 が、してもいないことで謝りたくない。謝ったら、わたしがしたと認めたことになる。


 悔し涙が零れないように、歯を食いしばって黙り込むわたしに、継母が甲高い声で「謝りなさいよ」と繰り返し言い募る。


 その金切り声が父の怒りに油を注ぎ、いっこうに口を開かないわたしに業を煮やしたのだろう。


 父の眉が吊り上がっていき、ついに堪忍袋が切れたように、父は肩を怒りに震わせ手を振り上げた。


「——っ!」


 父の手が頬を打つ鋭い音が響き、視界が揺らぐ。

 勢いと痺れによろめき、傾いだ身体は後ろに倒れ、机に頭を打ちつけた。


 目の前に光が弾け、床に転がる。


 頭も頬も、燃えるように痛み、声を出そうとして息だけが漏れた。


 視界が暗く狭まり耳鳴りがして、二人の怒鳴り声が遠ざかっていく。


 冷たい石床の上で心も冷え冷えとしていくようだった。


 翌日目が覚めた時には、頬が腫れあがり、頭にたんこぶができていた。けれど、身体よりも心の痛みの方が強かった。


 この二年は継母に「お父様はあなたがいると不機嫌になるの。家族の和を乱さないでほしい」と言われ、食事も部屋で一人摂らされている。


 そうして、元々酷薄だった関係の溝は深まり、今に至っては、わたしとあの人たちとの間には分厚い壁がそびえ立っていたようだ。


 心のどこかにイリーナとは、いつか仲良くできる日がくるかもしれないという期待が残っていた。


 それすらも失われた今、胸に残るのはひやりとした冷たさだけ。


 期待なんて持つだけ無駄なのだと、改めて思い知らされたこの時、気持ちの上で家族と完全に決別することができて、よかったのかもしれない。


 わたしは皮肉にも、以前より傷つきにくくなったから。


 もう、こんな人達にどう思われても構わないと思った。


 わたしにとって重要じゃない人達に、親不孝だとか、虚言癖があるとか、強欲、素行不良——何を言われても痛くも痒くもない。


 見たいように見るのが彼らなのだ。


 この人たちに否定されても、わたしの価値が消えるわけじゃない。


 ——いつか必ず。


 誰にも否定できない自分の価値を、証明してみせる。

 その日が来たとき、きっと彼らは後悔する。


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