エピソード19 秘匿された力と品評会
父が新たにわたしの魔術の教師として選んだのは、ナタリア女史と呼ばれる人物だ。
幼い頃からイリーナを指導してきた女性で、慇懃な挨拶の裏に、服装を靴先まで値踏みするような視線を隠さない人だった。
改めて紹介すると呼ばれた書斎の扉前で、漏れ聞こえた会話から、わたしを指導することに不満なようだった。
「正直申しまして……最近になって多少の魔力が芽生えた程度の令嬢を、うまく導ける自信はありませんわ」
わたしの魔力を測りもしないうちから、投げ出すような口調だった。
「まあ、そう言わず。魔術の素養があると思わせるだけでも、婚姻市場での価値は上がるのだ」
「魔水晶では魔力量の数値化まではされませんからね。子に魔力を引き継がせたい貴族家は魔術を使える令嬢を嫁に望むでしょうね」
その翌日、屋敷近くの教会の魔水晶でわたしの魔力量が再測定された。
「やはりイリーナ嬢と比べると……、あっ、いえ——ジュディリス嬢も一応は……並の令嬢ほどの魔力は芽生えたのですから、侯爵閣下もご満足でしょう?」
「ふむ……。もう少し期待していたのだがな。
……まあ、こんなものだろう」
実は再検査の際、祖父に習った認識阻害魔術で、意図的に魔力量を抑えて見せたのだ。
そんなわたしにナタリア女史は初歩的なことを教えれば十分と判断したようで、理論書などの書籍を読むよう指示されただけだった。
質問すれば、面倒そうに眉を顰められ、答えに納得できずに問い返すと「何回目ですか?」と詰問調で返された。
けれど父には、わたしのことを利用価値がないほど低く評価してもらっていた方が自由でいられるし、ナタリア女史の授業がそんなものでも困らない。
教会ではお祖父様から本格的に魔術を学ぶ日々が続いたのだから。
ロイほどではなくても、わたしの魔力量はかなり大きいらしい。
実地訓練の方が机上の学びより身につくし、大家であるお祖父様から直接教われる幸運を、わたしは決して無駄にしない。
いつか父の元を離れたい。だからこそ一人でも生きていける力を身につけたい。
魔術や聖力を身につければ、それなりの職種を選べるはずだ。
※※※
今、わたしはロイと二人、教会の裏山の近くで魔術の戦闘訓練をしている。
祖父母にも、少し目を離したくらいでは大きな怪我はしないだろうと認められたようで、内心誇らしい。
「ロイ、次は氷属性の魔術を使うわ!」
「よし、来い!」
無詠唱で頭の中に描いた水を、冷却して氷に固める。集中すればするほど、その速度は上がる。
氷には鋭利な突起を付けず、滑らかな表面を意識する。あ、でも重量もあるから、これをまともにロイに当てたら怪我をさせるかもしれない……。
ついそんな風に考えて、できかけていた氷があっという間に氷解してしまう。
氷解した水を、頭からかぶらないように物理防御結界で塞いだロイが、やれやれと呆れたようなジェスチャーをする。
「駄目じゃないか! どんな攻撃でも僕なら防いでみせるのに。本気でこないと……。せっかくそんなに魔力量があるのに、君は優しすぎるんだ……」
ロイに呆れられてしまった。だけど、いくら後で治癒できるとしても……。
「だって……、あなたに痛い思いなんてさせたくないんだもの」
肩を落としてしゅんとしていると、ロイが諦めたように歩いてきて、頭をわしゃっと乱暴に掻き回した。
「あ、やめて! 髪がもつれるじゃないの!」
抗議しても反省するどころか、くすっと笑ったロイが言う。
「手加減した罰だよ! 怒ったジュディーを見るのも、ちょっと楽しいし」
うぬぬ……、怒らせたわね。じゃあ怒ったらどんなに怖くなるかわからせてあげようじゃないの!
本気になったわたしが、手のひらに火炎を纏った珠を作り出すのを見て、ロイが飛び退って逃げていく。火球は勢いよく膨らんでいき、どんどん巨大化していく。
「待ちなさい——! 逃がさないわよ!」
「おおっ! 恐い、恐い。えっ、いや——それ、大きいだろ……。下手したら焼け死ぬレベルだって」
舌を出して逃げていたロイが振り返って、少し焦った顔をして、ひょいと指で魔術を展開して素早く作り出した水球で火球を消す。
今日一歩前進したと思ったら、
ロイはいつの間にか、その先に立っている気がした。
「ロイはなんでそんなに一生懸命鍛錬するの?」
そう聞いてみたことがある。
「自分と自分が大切な人を守るため」
決意を秘めた真剣な目つきは、鍛錬に日々励むロイの姿勢そのもので、大人びて見えた。
「わたしも聖力と魔術、どちらも極めてもっと強くなりたい」
「聖力も使えるのにどうして? そこまで無理しなくても僕や師匠がいるじゃないか。僕は必ず君を護ってみせるよ?」
「護られるだけなんて嫌だわ。自分の身は自分で護りたいし、それに……わたしだって護りたい人を護りたい」
もし、わたしに護る力があったら……。母を思い出すと、胸がきゅっと締め付けられる。護られるだけで大切な人を失うのは、もう嫌だ。
だから——どんな形であれ、力をつける。
意気込みを見せるつもりで力瘤を作ろうとしたけど、上腕二頭筋は全く膨らまなかった。
ちーん……。
「腕力はなさそうだけど、意気込みはいいね! 僕達の目的は同じってことだな」
そう言って笑うロイが、輝いて見えた。
※※※
ミュゲルが護衛についてから五週目の日曜日。
ロイとお祖父様の武術の鍛錬を見つめるミュゲルの目が、輝いているのに気付いて、参加したいのか訊ねたところ、前のめりに「是非参加したいです。英雄に直に教えを乞えるなんて!」と答えた。
その日から武術訓練に加わったミュゲルは、ロイやお祖父様に木刀で滅多打ちにされることもあったけれど、叱咤されてもめげずに、めきめきと強くなっていった。
その精神力と人柄に感心し、わたしはいつの間にかすっかりミュゲルを信頼していた。
ある日、彼の怪我を、わたしは自分の聖力で癒した。
「い、……痛くない。聖力じゃないですか! 使えるんですか?」
「内緒にしてね」
驚いたミュゲルに事情を話すと、彼は迷いなく頷いた。
「お嬢様は偉いです。屋敷であんな扱いをされてきたのに、一生懸命努力して、人の役に立とうとしている。これからはこのミュゲル、命に代えてもお嬢様を守ります」
ミュゲルの背後でそれとなく話を聞いていたロイが、彼の肩を叩いた。
「僕がいない時は、頼む」
侯爵邸の中に、心強い味方ができたようで嬉しかった。
お祖母様のもとでは、助手としてヴェールを被り、実際に患者を診るようになったことで聖力が磨かれた。
マナを上手く操れるようになり、患部や症状を瞬時に視分けられるようになったことで、治癒力も格段に上がった。
身体の中の澱みに手を翳し、必要な分の聖力をその部位に流し込む、そういう治癒を重ねている内に、余分な聖力を使わずに効率よく癒す術を会得した。
そして多くの患者が回復して喜ぶ姿を見て、自分が誰かの役に立てているという実感に興奮した。
そんなわたしをお祖母様がそばで微笑ましそうに見守ってくれていた。
母直伝の薬草を使った治癒薬のレシピも活用した。
水で煮出したり、乳鉢で生薬を粉砕したりといった地味な作業はラヴォイエールの屋敷でもできたので、
薬を作り置きしておき、教会に託した。
ロイと共に魔術を習得し、祖母と共に患者を癒す、その一日一日の積み重ねが、自分を確かに強い存在にしてくれた。
こうしてずっと、ここにいられたらいいのに——。
けれど、現実はそう甘くなかった。
※※※
「魔術競技祭に参加させる」
父の一言で、その日常は壊れた。
「イリーナと……ジュディリス。お前もだ」
帝国では、十七歳前後にデビュタントを迎える貴族令嬢が多いが、それに先駆けて魔術競技祭というものに参加することが慣例化されている。
この競技祭の参加者は十五歳から二十歳までの若年層の貴族で構成されるのだ。
優勝者は高魔力保持者として貴族社会で認識され、聖女の配偶者としても有望視される、そう社交界ではまことしやかに囁かれているらしい。
父に参加するよう言われた時には驚いた。
「わたしも……ですか? 恥をかくだけだと思いますけど」
「そんなことはどうでもいい。貴族令嬢として顔を売るチャンスだと思え」
「それでは……恥をかいても、なるべく目立たないように、できるだけ地味に装っていって、失敗したら早々に帰ってまいります」
なるべく父を満足させるように答えたつもりだったのに、父はギロリとわたしを睨め付けたまま、唾を飛ばしそうな勢いで怒鳴りつけてくる。
「お前は馬鹿か? 逆だ! できるだけ派手に飾り立てて行って、目立て! どこぞの金持ちに気に入られるように媚びを振り撒いてこい」
予想もしていなかったので、驚いてぽかんと口が開く。
「お前の魔術になど、はなから期待もしていない。ただ私と母親の血は引いているから見てくれは悪くない。金持ちのジジイでも誑し込んでこいと言ってるんだ」
指示されたことの、あまりの醜悪さに吐き気を催す。
デビュタント前にそんな場で派手な衣装で媚びを売り歩くなどと、まともな令嬢のすることではない。
そんな令嬢に寄ってくるのは……ろくな男性ではないだろう。
「お前の母の一族のせいで、父がしでかしたこと……。その賠償金として、いくら毟り取られたか。少しくらい肩代わりするんだな」
プラーナ・マルドゥークはヘルムートお祖父様が引き起こした事件だ。父に事実の欠片をちらつかされても、もう騙されない。トルエンデの祖父母のせいではないことも知っている。
けれど、三百人もの犠牲を出したのだ。表向きはただのスタンピードとされてはいても、内々にそれなりの見舞金を求められるのは当然だろう。
侯爵家の財政状況はよく知らないけれど、父たちは贅を凝らした日々を送って散財している。この先もそういう生活を続けるほどのゆとりはないのかもしれない。
「嫌だと言ったらどうするんですか?」
一応訊ねてみたけれど、直後に後悔した。
「知りたいのか?」
にやりと笑う父の顔は俗物的で醜悪だ。
「いいえ」と答えるしかなかった。
魔術競技祭当日、伸ばし放題だった髪をバッサリ切られた。
長い前髪はラヴォイエール邸では不満顔を隠すのにちょうどよく、読書する時や、教会で鍛錬する時だけ、邪魔なので結んでいた。
これからは、不満を顔に出せないのは残念だ。
着ていくドレスは、父の宣言通り派手な光沢のあるワイン色のドレスだった。
競技祭は動きやすさが重視されるので、形はバッスルスタイルではなくトレーンのないプロムナードドレスだ。
そこまではともかく、昼間のドレスとは思えないほど胸元の露出が大きい。
大きく溜め息を吐くわたしを見て、着付け担当メイドのフレアが慰めるように声をかける。
「一応共布のフィシュ(スカーフ)もあるので、胸元を隠せますよ」
服装も気に入らないけれど、化粧も気に入らない。 唇にはドレスと同色の紅が塗られ、眉は実際より吊り上がり気味に描かれている。
「凄くお綺麗ですわ」
確かに鏡に映る姿は、自分でも見たことないほど美しいかもしれないけれど、派手であざとくも見える。
全然いつもの自分らしさがない。十七歳に見えるかしら?
デビュタント・ボールでデビュタントが着用するのは純白のドレスと決まっている。
競技祭だって同じようなものだから、他のデビュタント前の令嬢達は純白か、それに準ずるような淡い色合いのドレスばかりだろう。
白いドレスを着た令嬢達の姿を想像し、彼女達の冷ややかな眼差しを想像すると、心が折れそうだ。
そういえば、今日の魔術競技祭にはトルエンデの祖父母やロイも来るのかしら?
この姿を皆に見られるのは、恥ずかしいな……。
品評会に出される馬にでもなった気分。
馬なら知らずにすむだろうに。




