エピソード13 妄執が生んだ檻
「今日は教会に出かけていて遅くなったのですって? 私たちはお先に頂いたけれど、あなたはお腹がすいているでしょうし、まずは料理を召し上がりなさい」
侯爵夫人がそう言ってくれたので、前菜のキノコのマリネを食べた。
わたしのために新たに運ばれたスープは冷え切っていて、パンは硬くなっていた。
部屋に運んでおいたものをそのまま、こちらに持ってきたのだろう。
いつも使っている古びた陶製の、欠けた食器だった。それを見やって目配せし合う侯爵夫妻に、体裁を気にした父は、給仕のメイドを怒鳴りつけた。
「なんでジュディリスには鴨のコンフィや牛ほほ肉の煮込みの皿がないんだ? 相応しい皿で早く持ってきなさい」
冷え切ったスープやパンは、いつものように手を翳して無詠唱魔術で温め直すと、途端にスープからは湯気が立ち上り、パンからは香ばしい匂いがする。
スープを匙で少し口に含んだけれど、温め過ぎたようで、すぐに匙を置いた。
先にパンを食べようとしていると、皆に視線を向けられていることに気付いた。無作法なことをしたりしてないわよね……?
「あなたからは聖力は感じないけど、魔力に恵まれたのね」
侯爵夫人にそう言われた時には、どきりと胸が音をたてた。
聖力を隠すのに気を取られて、魔力のことを忘れていた。
「お前、——いつの間にそんなに魔術を使いこなせるようになったんだ?」
父は驚いたように目を見開いていた。
無詠唱で魔術を使ったのだから、驚かせたはずだ。
「少し前からです」
澄ました顔でそう言うと、父は苛立ったような顔をする。
「どうしてすぐに言いに来ないんだ……?」
「お話しする機会もなかったので」
「なんだと! ……大事なことだろう? 魔術を使えるということは、腐っても私の血統だという証じゃないか。すぐに伝えに来るべきだった」
腐っても?
——カチンとくる。
血統の証?
そんなもの、不要です。
腹が立つ要素しかない父の言いぶんに、反論したくなる。
「わたしなどのことに、ご興味がおありだとは、みじんも思わなかったので」
もはや、娘として認めて貰わなくていいという気持ちを声に乗せた。
父はそんなわたしの気持ちに頓着することなく、魔力についてのみ語った。
「我がラヴォイエール一族の魔力の話だぞ。その力がシェスタビア家の聖力を凌駕したからこそ、お前に魔力が発現した——そういうことだろう」
既に聖女の力にも覚醒しているけれど、この場で得意げに明かす気はない。
わたしの聖力を父に報告する必要はないと釘を刺した継母が、後ろめたそうな顔をした。
「……そうでしょうか?」
他に言うべき感想も思いつかない。
そう答えると、父は興奮したように唾を飛ばしながら言う。
「そうだ! しかし、この歳になって魔力に目覚めるとは驚いた。考えてみると、今までは忌々しいシェスタビアの聖力が邪魔をしていたのかもしれないな」
……忌々しい?
あわよくば——自分の子に聖力を授かりたいと思って、お母様との婚姻を願い出たんじゃないの?
父の勝手な言いぶんには呆れるし、怒りが沸々と湧いてくる。
「侯爵様はローレン様を随分疎んでいらしたんですのね? シェスタビア家の聖力のことを忌々しいだとか……聞くに堪えませんわ」
侯爵夫人が冷水を浴びせるような一言を挟んだ時、父はしまった、という顔をした。
「いや、天下のシェスタビア家を悪く言うつもりは……」
「だって……、ご自分の魔力が聖力のせいで奪われた、とも思っていらっしゃるんでしょう?」
苦虫を噛み潰したような父の顔は滑稽だ。
「それは……、確かにそうだ。しかし、今言いたいのは、ラヴォイエール一族の魔力についてで——」
父の話を遮るように、ノルテモア侯爵が咳払いをした。
「確かに……、先代のヘルムート卿は高い魔力を誇ったかただったし、トルエンデ伯爵の前任の魔術騎士団の団長でもあった」
ノルテモア侯爵夫人も頷く。
「そうね。当時、帝国の両翼と呼ばれたお二人のご活躍は素晴らしかったわ」
祖父二人の名前が出て、話に引き込まれるように耳を傾ける。
「だからこそ、レティシア様を射止められるのは、二人のうちどちらかと、全ての帝国民が騒いだものですわ」
懐かしそうに語るノルテモア侯爵夫人の言葉に、侯爵の言葉が重ねられる。
「一人がネームドの魔獣を一体倒せば、もう一人も負けじと二体倒したこともあったな」
肖像画に見る祖父の在りし日の勇姿を思い浮かべた。
「しかし決定的だったのは、イザークの森での大規模なスタンピードの時だ。二人が重傷を負い、同行していたレティシア様は聖力を使い果たす寸前だった……」
思い返すのも苦痛だというように、そこで言葉を区切ったノルテモア侯爵の眉間に皺が寄る。
「レティシア様が最後の力を振り絞ってトルエンデ伯爵を癒し、彼はその後目覚ましい活躍で魔獣を殲滅した。彼とレティシア様との婚姻が決まったのも、その功績によってだ」
そんなことがあったなんて、母からは聞いたことがなかった。
お祖母様がその時聖力を使い切ってしまったのなら、ヘルムートお祖父様の方は……?
「その後、ヘルムートお祖父様はどうなったのですか?」
そこで卓を叩きつける大きな音がして、振り返ると父が血が滲むほど唇を噛み締めていた。
「すぐに聖力で治癒されなかったために、片脚を失ったんだ。魔術騎士として華々しく活躍していたのに……」
「そんな……、きっとお辛かったでしょうね」
想像すると胸が痛む。
「……惚れた女に見捨てられ、名声も、未来も奪われたんだ。辛かった、なんてものじゃないさ」
その一言に、父が幼少期に目にした祖父の姿が偲ばれると同時に、胸の奥に冷たいものが入り込む。
この人は、ずっと過去だけを見て生きてきたのだと感じた。
父は降り積もった恨みが込み上げてきたように、肩を震わせる。
「脚を失うまで国に尽くしたのに、大聖堂に魔力抑制に通わなければならないことも、父にとって屈辱的なことだったに違いない……。だから、あんなことになったんだ」
父の目尻からは涙が溢れている。その口から迸るように怨嗟の声が溢れる。
「全ての元凶は……トルエンデ伯爵夫妻だ。それなのに、父だけが責めを負った。失意のどん底の父に嫁いだ母も不幸だった」
父の様子からは妄執のようなものが感じとれた。
「それでも、あの大災厄さえ起きなければ……父もあんな最期を迎えなくてすんだものを」
大災厄といえば、二十七年前の『プラーナ・マルドゥークの血の大災厄』のことだろう。
聖エリタス豊穣祭で賑わう帝都マルドゥークの広場で、大規模な魔獣のスタンピードが起こったのだ。
その日、英雄の名を手にしたのがお祖父様。バーソロクス・フォン・トルエンデ魔術騎士団団長だ。
鎮痛な顔をしたノルテモア侯爵が口を開いた。
「私たち夫婦は、三百人もが犠牲になったあの事件の全貌を知っている。皇室以外、殆どの貴族に秘匿されている真相をな」
「それで、何が言いたいんだ? 人の傷口に塩を擦り込んでまで、話したいことがまだあるとでも?」
じろりとノルテモア侯爵を睨む父は理性を失っているようだ。
全貌? 何かが隠されているということ?
単純なスタンピードではなかった……?
広く知られると、皇室や貴族の威信が揺らぎかねない出来事だったとか……?
「大災厄から数年後、そのような因縁のあるトルエンデ伯爵家から妻を迎えた、あなたの心情は私には理解できなかった」
「……それで?」
何が言いたいのかと問う父の硬質な返答にも、言い淀むことなくノルテモア侯爵は話を続けた。
「伯爵家に迎えたローレン様を体調の悪化だの、聖力がなくなっただの、御託を並べて大聖堂に行かせず、事実上の監禁をしたのでは?」
そう、あれは監禁と言える暮らしだった……。
苦い思い出に唇を噛み締める。
ノルテモア侯爵の言葉に、場の空気が凍りつき、父の顔は無表情に固まる。
「……だとしたら?」
重く沈んだ声が、静まり返った食堂に響いた。
「憎んでいたのではないのか? トルエンデ伯爵夫妻を。だから会わせなかったのだろう? ローレン様のことも、ジュディリス嬢のことも」
そういうことだったの……?
母もわたしも、トルエンデの祖父母を苦しめるために利用されていた……?
頭の中は混乱していて、すぐには整理がつかない。
けれど、怒りと悔しさ、哀しみと、色んな感情が徐々に湧いてくる。
父の憎悪の心情は理解できても、なぜ母とわたしがその犠牲にならなければならなかったんだろう?
死ぬまで自分を憎む男にこの屋敷に監禁された母の気持ちを思うと、やりきれない。
親に会うこともできない孤独な日々の中……。それでも、わたしには愛情を伝え続けてくれた。
「そういうことだったのですね……。やっぱりお父様はお母様とわたしを憎んでいたのですね」
わたしの言葉などには耳を傾ける価値もないと思っているのか、無表情にこちらを見る。
「だったらどうだと言うのだ? お前が私の娘であることは変わらない、そうだろう?」
理不尽さに怒りが抑えられない。
父にとっては、わたしたち母娘を憎む正当な理由があったとしても、わたしたちの方には憎まれていい理由はない。
こんなところには、もういたくない……。
お母様を閉じ込めた檻のようなところには。
「お母様と同じく、わたしにだって出て行く権利があると思いませんか?」
おどおどしていた継母が、顔面に隠しきれない喜色を浮かべたのが視界の端に映り込む。
「それで、屋敷を出てどこへ行くと言うのだ?」
答えに窮するとでも、思っているのだろうか?
「トルエンデ伯爵家」とわたしの口から言葉が出る前に、ノルテモア侯爵が口を挟む。
「我々が話したいのはそのことだ」
どういうこと? 話したいってわたしのこと?
「あなたにとって、血を分けた実の子とはいえ、ジュディリス令嬢との間にそういった確執があることは事実。私たち夫婦には息子が三人いるが、娘は生まれなかった」
「つまり……養女に欲しいということか? それとも息子の嫁にくれと?」
父の嘲るような声が響いた。




