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太陽を継ぐ者

 夏の夕刻。

 涼しい風が吹く。かつて人々が“地球沸騰化”と呼んだ異常気象は終息し、数年の氷期を経て、世界にはようやく安定した四季が戻ってきた。以前の文明は崩壊し、グレートリセット後の世界である。

 少年は1人、一度終わった世界に立っていた。

 目の前には人の暮らす都市がある。

 屋根という屋根にはソーラーパネルがびっしりと並び、都市全体が巨大な蓄電装置となっている。夜になれば、家々も道路も防壁もLEDが点灯し、野生の侵入を拒む光の壁となる。

 人類は衰退し、植物や虫、動物がかつての人間の生活圏を浸食していた。人々は彼らに抗うほどの力やインフラを失っていた。今や、熊だけでなく、野犬の集団すら命を脅かす存在である。


 少年の名は、ヒナル・ヒムカ・カグヤ。

 彼は、放射能に適応した人類――ラディアントの血を引いていた。その中でも、人格と知性に優れたラディアント同士の交配によって生まれた者を、男ならモンジュ、女ならフゲンと呼ぶ。

 モンジュは、太陽の力をその身に宿す“光の子”であり、世界の中でもごく少数しか存在しない。


 現在、この星に残された人類は、一億人ほど。紀元前500年ごろ、ギリシャ・ペルシャ戦争や孔子の時代と同じ人口である。

 大半は旧都市圏かその周辺に暮らす一般人類であり、ごく一部がラディアントとして原子力由来の耐性を持ち、**旧原子炉圏プロト・ゾーン**と呼ばれる放棄された地に適応して暮らしている。

 その場所には、ミュータント化した植物や動物、そして変異した“人間のような何か(ゾンビと呼ばれる)”が徘徊している。


 地球を現在支配しているのは、ごく少数の支配種族――デモノクラットである。

 彼らは太陽光を忌避し、極夜の支配する地・アラスカに築いた王国でひそかに統治を行っている。かつてのディープステートの末裔であり、もはや人類とは異なる存在だ。

 モンジュやフゲンのような“光を帯びた者たち”を、彼らは敵とみなし、発見次第、抹消を命じている。


 都市や村を支配しているのは、彼らの手下であるクグツビト。

 人心を操る術に長けた者たちであり、催眠的な支配によって住民を縛りつけている。さらにその下には、スケイルズと呼ばれる爬虫類型の存在がいて、自警団や治安維持機関に潜り込み、監視と粛清を担っている。


 こうした異形たちの顔立ちは、もはや隠しようもない。

 デモノクラットは悪魔のような人相を持ち、クグツビトは妖怪めいた異形に、スケイルズはその名の通り、鱗の浮いた肌と爬虫類の目を備えている。

 “人の見た目には、その本質がにじみ出る”――そんな時代において、デモノクラットは「ルッキズム(見た目で判断する差別)」という偽りの概念を大衆に流布し、自らの外見から目を逸らさせようとしてきた。

 だが、それらの偽りも、文明の崩壊とともに崩れ落ちた。


 舗装が剥がれ、雑草に覆われた道。

 少年は、LEDの看板が瞬く歓楽街に足を踏み入れる。今はまだ夕暮れ、だが日が落ちれば、都市の灯りが一斉に点灯する。

 彼が原子炉圏を出てから、ちょうど一週間が経っていた。


 旅の目的はただひとつ――自分と同じ“光”を宿す存在、フゲンに出逢うこと。


 モンジュとフゲンは、この世界で最も美しいとさえ言われる。

 事実、褐色の肌を持つその少年は、ひと目でそれとわかるほどの美貌だった。

 艶のある長い手足はしなやかで、それでいて隠しきれぬ筋肉の厚みを帯びている。


 その姿を見とめた売春婦の少女が、声をかけてきた。


  少女は、まるで光に誘われる蛾のように、ヒナルに近づいてきた。


 まだ若い。十六か、もしかするとそれより下かもしれない。

 だが目の奥には、老いた蛇のような警戒と、都市に染まりきった諦念があった。


「――ねえ、旅人さん。ひとり?」


 ヒナルは立ち止まり、無言のままその問いを受け取った。

 彼女の服装は粗末だったが、脚に巻かれた薄い布と安物の合金アクセサリーが都市の底辺でもそれなりに“選ばれてきた”ことを語っている。


「……あんた、すごく綺麗な顔だね。どこか遠くの血が混じってる」


 彼女はじっとヒナルを見つめながら言った。

 警戒というより、観察に近い視線。商品を見る目だ。


 ヒナルは目を伏せた。肯定も否定もせず、ただ歩き出そうとする。

 だが少女は、その腕をすっと掴んだ。


「ねえ、ここじゃ目立つよ。……危ないって意味、わかる?」


 ヒナルはようやく振り向き、問い返した。


「どういうことだ?」


 少女は答えなかった。けれど、ひとつの方向をちらりと見る。

 そこには自警団の制服を着たトカゲ人間たち――スケイルズが二人、建物の影からコオロギを食べながら通行人を見張っていた。

 遠目でも、光を反射するような肌の質感と、静かすぎるその立ち姿は、人間とは違う。


「あなた、ラディアントね。トカゲ人間たちはラディアントをなぜか嫌ってる。私もラディアントの血を引いてるの。名前はミナト……連れてってあげる。裏路地、光の届かないほう。うちのボスなら、うまく隠してくれる」


 そう言って少女は微笑んだ――その瞬間だった。


 建物の輪郭が淡く浮かび上がった。

 次に、通りの縁、電線の筋、看板の縁、歩道の縁石、車道のセンターライン。

 それらすべてが、一斉に点灯したのだ。


 白、青、赤、緑――蛍光色の光が複雑に編み込まれ、都市は巨大な発光体と化していく。

 建物の外壁は走査線のように順に点滅し、アパートの外壁が虹色の波に包まれてゆく。

 無数の看板、光ファイバーの縄、屋上の風見鶏までもが発光し、夜に力を強める天敵を拒絶する結界を街全体が張る。


 初めて都市に来たヒナルは思わず圧倒される。


「早く、こっち!」


 少女が手を引く。

 その指先の向こう、街の隙間のような小さな路地は、光が届かず、まだ“夜のまま”だった。


 ヒナルはひと息だけ迷い、そして駆けた。

 影に身を潜めていた野良猫が走り去る。


 ミナトは、細い通路を抜けた先にある古い雑居ビルへヒナルを案内した。

 娼館メゾン・シャトゥイユ。壁紙は剥がれ、床には靴のままの足跡が重なっていた。


 ヒナルが部屋に通されたとき、そこにはひとりの女がいた。

 赤黒い口紅と、まばたきしない瞳。机の上には旧式の端末と、都市の地図が拡げられていた。

 彼女がこの地下の情報屋を仕切っている“ボス”――クロハだ。


「……ほう。なかなかの顔立ちじゃないの。名は?」


「ヒナル」


「で、何を求めてるんだい? あいにく、私は慈善家じゃないよ」


 クロハは、じろりとヒナルを見据えてから、唇の端をゆがめた。

 それは笑みというには冷たく、値踏みというには露骨すぎた。


 だが、ヒナルは微動だにしなかった。

 椅子にも腰かけず、真っすぐに立ったまま、凛とした声で言った。


「俺は……イカタに行きたい」


「イカタね」

 クロハは軽く鼻で笑い、古いライターで煙草に火を点ける。

 灰皿には目もくれず、最初の一吸いを深く吐き出した。

「あそこは旧原子炉圏――プロト・ゾーン。……見た目からして、あんたもミナトと同じね。ラディアントの匂いがするわ」


 ミナトが、心配そうにヒナルを振り返った。

 ヒナルは、黙って一度だけ頷いた。


 クロハは目を細めると、煙を横に流しながら言った。


「一番の稼ぎ頭の紹介とはいえ、厄介事はお断り。

 ――フェリー乗り場まで、タクシーは手配してやる。夜が明ける前に街を出な」


 ヒナルが視線を落とすと、ミナトがそっと手を引いて廊下を歩いていき、階段を上がって扉に手をかけた。


 ガチャリ。


 扉の向こうから、ぷんと香水のにおい。数人の少女たちがこちらをのぞき込んだ。

 年齢はまちまちだが、皆十代に見える。

 彼女たちの目が、ヒナルを見て――揃って、息を呑んだ。


「お客じゃないよ。……旅人。しばらく居させてあげて」


 そう言ってミナトがヒナルを紹介すると、少女たちは一瞬ぽかんとしたあと、ざわりと空気が動いた。


「……なに、この子……」


「顔、やば……。モデル?」


 ヒナルの褐色の肌は、薄暗い部屋の中でも艶を放っていた。

 しなやかな肢体、整った顔立ちは絵の中から出てきたようだった。

 しかし、ある少女がふと顔をしかめた。


「……なんか……臭くない?」


 別の子が鼻をすんすんと動かし、肩をすくめた。


「足だわ。たぶん。男の足のにおい……」


 少女たちの視線が集中する。ヒナルは困惑した表情のまま、自分の足元を見た。

 砂埃と汗が乾いた痕が、革のサンダルにしっかりと染みている。ミナトが言う。


「……シャワー、使う?」


 ミナトは黙ってシャワー室へ向かった。


 古びたシャワー室の扉が閉まると、少女たちが一斉に色めき立った。


 シャワーの音が鳴り始める。

 ヒナルは服を脱ぎ、汗と埃にまみれた体を水で流す。

 褐色の肌は水を弾き、湯気に濡れた光沢が肩から胸へと滑っていく。

 なだらかで小高い胸板、腹は引き締まり、しなやかな筋が腰へとつながっている。

 骨ばってもおらず、脂肪もない。

 ヒナルの肉体は、まるで陽の光で鍛えられたようだった。


 一方、別室ではクロハが、椅子にふんぞり返っていた。

 タクシーを手配する気はさらさら無かった。男娼専門の娼館のボス、巨漢のドン・マッシモにヒナルのデータを見せている。ドン・マッシモが顎をさすりながら言った。


「もしかしてこの子、モンジュ、かもしれないわねぇ。売春なんかより、もっと上があるかもしれない」


「ミナトと同じ種族だから高く売れると思ったけど、ただのラディアントじゃない。太陽の子・モンジュの可能性が高いってこと? だったらクグツのやつらに通報すれば売春で稼ぐ何百倍もの金が手に入るわね」


 クロハがねっとりと笑った。


「分け前は一割でいいかしら?」


「ほざけ。三割よ」


「はあ? ふざけんな!」


 怒号が飛ぶ。机が蹴られ、椅子が倒れる。

 その声を扉の外で聞いたミナトの顔から血の気が引いた。

 彼女は即座に踵を返し、走った。


 ――バンッ!


 シャワー室の扉を勢いよく開ける。


「ヒナル、逃げて――!」


 視界に飛び込んできたのは、ヒナルの裸体。

 濡れた髪がうなじに沿い、頬を濡らし、滴に濡れた長いまつげの目が驚いた顔でミナトを見る。


「っ……~~~~っ!!」


 ミナトの顔が真っ赤に染まった。


「ごめん! 緊急事態だからッ!!」


 彼女は後ろ向きに叫びながら、手探りでタオルをヒナルに渡した。

 他の少女たちがキャーと叫ぶ。


「ボスが裏切ったわ! あなた、クグツの連中に売られるわ! トカゲ人間たちが来るから急いで!」


 ヒナルは濡れた肌に少女たちが用意した女性用の制服を着る。ボーイッシュな黒髪の褐色の美少女に見えた。

「似合ってるわ」とミナトが笑う。

 少女たちはすでに動いていた。荷物をまとめていた子が、裏口の鉄扉を開け放つ。


「ここ、屋上に通じる非常階段!」


 ミナトがヒナルの手を引いた。


 通報を受けた2匹のトカゲ人間が夜食のコオロギスナックをポケットにねじ込み、急いで娼館へ向かう。


 クロハの部屋の扉が、バタンと乱暴に開け放たれた。

 異様な姿が、音もなく2体、足を踏み入れる。


 ――スケイルズ。


 灰がかった爬虫類の肌。細長く、異様にしなやかな四肢。

 黒い制服の背中は盛り上がるように湾曲し、肩口までせり出している。

 顔は、ほとんどトカゲそのもの。

 裂けた口、縦長の瞳孔を持つ無機質な目。頬にはひび割れた鱗が刻まれていた。


 クロハはソファにどっかりと腰を沈めたまま、グラスを揺らしていた。

 片手には色鮮やかなパッケージのコオロギスナックの袋。

 袋の中央には笑顔の幼い子どもがコオロギを摘まんだイラスト。

「お出ましね」

 唇の端を吊り上げ、クロハは酒をひと口含んだ。

 スケイルズの一体がぎょろりと目を動かした。

 そして――ふと、尻ポケットに手を差し込む。

 空だった。

 もう一体が首をひねる。

 どうやら路上でスナックの袋を落としていたらしい。

 彼らの視線がクロハのコオロギスナックに吸い寄せられる。

 偶然にも、同じメーカーのものだった。


 ――次の瞬間。

 一体が、袋に無造作に手を伸ばした。


「はあっ!? ちょっとなにしてんの! これ、あたしが買った酒のつまみよ!」


 クロハはその腕をはたいた。


 ――それが引き金だった。


 スケイルズの喉の奥から濁った咆哮のような音が漏れる。

 もう一体がしゃがみ込み四足で床をかきながら臨戦態勢をとる。


「……ちょ、ちょっと待って。あたし、戦う気なんて――」


 言い終える暇もなかった。

 片方のスケイルズがクロハのドレスの襟元を鷲掴みにする。


「やめ――」


 ドガッ。


 悲鳴が終わる前に巨体が宙を舞った。

 ガラスの割れる音が響きクロハの体は窓を突き破る。

 彼女はゴミ袋の山へと叩きつけられた。


 スケイルズたちはわずかな間もおかずコオロギスナックにむしゃぶりついた。

 そして――ぴたりと手を止め、互いに視線を交わす。

 何かを思い出したように、2匹は同時に動き出した。


「キャアアア!!」


 廊下に響く悲鳴。少女たちが逃げ惑う。


 2匹は目で合図を送り合い、手分けする。

 ひとりはドアをひとつひとつ蹴破って中を探り、もうひとりは非常階段を踏み鳴らして屋上を目指した。

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