真実の告白
日曜日の朝、唐突に三木弁当屋の店長から電話が来た。バイトが突然休みになったので、空いていたらいつものバイトの時間にきてほしいとのことだった。
父親と日常の食品を買いに行くのにそんなに時間はかからないので、灯里は了承した。父親が送り迎えしてくれるというので、遠慮なく送ってもらった。
「悪いね、灯里ちゃん」
「大丈夫ですよ」
灯里のバイトを一緒にするのは、山辺だった。知っている人でよかったと思いながら、灯里はいつもどおり仕事を始める。
「灯里ちゃんが来てくれてよかった。いつもこの時間、須藤っていう子なんだけど、なんか急に予定入ったらしくて、休むって店長に電話してきたらしいのよ」
山辺が弁当の仕込みをしながら不満げに言った。
「そうなんですね。でもバイト代もらえるから大丈夫ですよ」
「ならいいけど。そういえば、期末テスト近いんじゃなかったっけ?」
「はい。明日からです」
「大丈夫? …って言っても、灯里ちゃんはなんか余裕そうよね」
「全然そんなことないですけど…。昨日も颯太くんと図書館で勉強してました」
「ああ、あの金髪くんね。仲良くていいわね。私の彼氏なんて、颯太くんに比べると全然頼りないし…」
山辺はため息を吐いた。おそらくあの金曜日にきた中年男性を相手にした、颯太のことを言っているのだろう。
「でも灯里ちゃんと正反対な感じよね。それがいいのかもしれないけど」
「…そうですね」
灯里にも不思議だった。
何故颯太が灯里とつきあってくれるのか。畑中のほうがよほど気が合いそうな気もするけど、颯太は灯里を選んでくれた。
畑中の言うように、浮気しているような様子もない。灯里が気づいていないだけ、どいう可能性も無きにしも非ずだけど。
そろそろバイトの時間も終わりだという頃、颯太が店に入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「あれ? 灯里」
店に入ってきた颯太は目をぱちくりさせて、嬉しそうに店のメニュー台に駆け寄った。
「どうしたの? 今日シフト入ってたっけ?」
「えっとね」
「いらっしゃい。いつもいる須藤くんて子が休みで、ピンチヒッター頼んだんだって。店長が」
山辺が笑いながら話に入ってきた。
「えー、そうなんだあ。俺も呼んでくれればよかったのに」
「二人いれば十分だもん。颯太くんはまた今度ね」
山辺はそう言うと、店の作業台へ戻って行った。気を使ってくれたのかな、と灯里は思った。
「今日もお弁当?」
「そう。でも今日は灯里に会えると思ってなかったから嬉しい」
颯太はにかっと笑った。灯里もつられて笑って、笑った自分が恥ずかしくてうつむいた。
「今日はロースカツ弁当とチキン南蛮弁当よろしく」
「ありがとうございます。お会計は…円になります。少々お待ちください」
灯里は注文を山辺に言って一緒に弁当の用意をする。山辺はそのまま下ごしらえをするというので、灯里が颯太に弁当を渡した。
「お待たせしました」
「ありがとう。今日は7時まで? 送って行こうか?」
颯太の問いに、灯里は首を横に振る。
「今日はおとうさんに送ってきてもらったから、自転車じゃないの。帰りにも迎えに来てくれるって言うから」
「そっか。じゃ、また明日」
「ありがとうございました」
灯里がそう言って見送ろうとすると、弁当を持って店を出ようとした颯太がレジまで戻ってきた。
「どうしたの? 忘れ物?」
「ん…あのさ」
颯太ははにかんだように頬を指でかいてから、灯里をみつめた。
「俺、昨日のはなんていうか…ちょっと、焦っちゃってごめん」
「え? いいよ、そんな。悪いのは私のほう…」
「いや、俺のほう。俺、灯里のペースでいいから」
「颯太くん…」
「ゆっくりいこう。それでいい?」
「…うん」
「じゃ、また明日な。後でメールする」
颯太は笑顔で手を振って店を出て行った。
「何? 何かあったの?」
山辺が興味津々で聞いてくる。
「私…」
嬉しかった。颯太が灯里のペースでいいと言ってくれたことが嬉しかった。
「灯里ちゃん? どうしたの?」
「ご、ごめんなさい…」
涙があふれてきた。灯里は眼鏡を押し上げて、こぼれる涙をぬぐうがなかなか止まらない。
「無理しないで。お客さんいないから、ロッカーいって落ち着いたら戻ってきていいよ。こっちは大丈夫だから」
「はい…すみません」
山辺のやさしさに甘えて、灯里は必死で涙をこらえようとして、ティッシュを何枚も使って涙と鼻水を拭いた。
もう無理だ、と灯里は思った。これ以上颯太にやさしくされることはできない。
『…朝陽』
バイトから帰ってくると、灯里は久しぶりに朝陽に電話をかけた。
『なんだよ。珍しいな』
朝陽は少し驚いた様子で電話に出た。
『私、もう無理』
『何が』
『颯太くんとはもうつきあえない。朝陽のことも言う』
『はあ? 何勝手に…』
朝陽はいらだった声をあげた。そして少しの沈黙の後、『わかった』と言った。
『じゃあ、明日…』
『勝手に決めるなよ。期末の最終日に、放課後青山のこと中庭に呼び出せよ。俺が一緒に話するから』
『なんで…』
『俺がそう決めたんだからそうするんだよ』
『朝陽…』
灯里が呼んでも、電話は一方的に切られていた。朝陽は一体何を考えているんだろう。嫌な予感がするが、何をするのかわからない限りは止めようがない。
灯里は手が痛くなるほど、スマホを握りしめた。無力な自分が嫌になった。
月曜日からの期末テストは、灯里はあまり集中できなかったがなんとか乗り切った。颯太は灯里と勉強したところが出たと喜んでいた。
期末テストは午前中で終わるので、午後からは美奈たちと勉強した。颯太とは期末テスト期間中は一緒に勉強しないことにした。
朝陽に言われたことが気にかかり、灯里は彼と一緒にいることができなかった。
期末テストの最終日、放課後になってみんなは解放された雰囲気で教室を出て行く。灯里は覚悟を決めて息を吐いた。
「なあ、灯里…」
「颯太くん」
颯太が振り返るのと灯里が声をかけるのが同時だった。二人は思わず笑いあう。
「今日、どっか寄ってかない? やっと期末終わったし」
「う、うん。その前に、今ちょっと中庭に来てほしいの。いいかな?」
「いいけど」
颯太は首をかしげる。
「どうして?」
「その…ちょっと、話があって」
「わかった。なんか大事な話?」
「うん…」
「灯里」
朝陽の声に灯里ははっと顔をあげた。隣のクラスから灯里と颯太を呼びに来たようだ。颯太は不思議そうに朝陽を見る。
「あれ? おまえ…」
「灯里から聞いた?」
「? 話があるってことか?」
「俺も一緒にあるんだ。来いよ」
「? 灯里? どういうこと?」
「ご、ごめん、一緒に行こう…」
灯里は暗い気持ちで中庭へ向かった。颯太はなんだかよくわからないまま、朝陽についていって中庭に着いた。
「話って…」
「悪いな。実は灯里と俺、つきあってるんだよ」
「は?」
「ちょ、ちょっと朝陽…」
いきなり朝陽に肩を抱かれ、灯里はぎょっとして朝陽から離れる。颯太は露骨に顔をゆがめた。
「なんの冗談?」
「冗談じゃねえよ。俺に言われて灯里はおまえと遊びでつきあっただけ。そうだよな? 灯里」
「………」
朝陽がそんなことを言い出すとは思わなかったが、灯里はどうしたらいいか分からず黙り込んだ。
「灯里、嘘だろ。つーかさ、信じるわけねえじゃん。そんなの」
颯太は肩をすくめた。
「本当だよ。俺に言われて、おまえに告っただけ」
「…やめて」
灯里は朝陽に腕をつかまれ、嫌がって振り払った。
「嫌がってるじゃん。やめろよ」
「ちぇ。おまえ、本当に馬鹿正直だよな。まあいいけど。…俺に言われておまえとつきあったってのは本当だよ」
「…何言ってんの?」
「そうだよな、灯里」
「………ごめんなさい」
朝陽に確認され、灯里は謝るのが精いっぱいだった。颯太はわけがわからないという様子だ。
「何、どういうこと?」
「森晶。おまえ、覚えてるか?」
唐突に名前を出され、颯太ははっとした。
「森、あきら? って…」
颯太ははっとしたように目を見開いた。
「森…おまえ、晶の?」
「そ。弟だよ。おまえに遊ばれて捨てられて、引きニートに陥った森晶の」
「晶…今、学校行ってないのか?」
「そんなことも知らねえのかよ。マジでおまえ、最低だな。年下の中坊に入れあげた挙句、二股三股かけられて捨てられたって一時期ネットで有名人だったんだよ。まあ振った女のことなんて、どうでもいいだろうけどな。もう部屋から出ないで、立派な引きこもりだよ」
朝陽は吐き捨てるように言って笑った。嘲るような笑みだった。
「おまえのせいなのに、本人は全然知らないでのほほんとしてんのおかしくね? だから、灯里に協力してもらったんだよ。な? 灯里」
「………」
灯里は黙ってうつむいた。握りこぶしをつくって痛いほど握る。
「なんだよそれ…」
「灯里に青山とつきあえって言って、おまえが本当に灯里とつきあったのも結構意外だったけど…そのあとこっぴどく振らせてやろうと思ってた。でも本人がもう限界だって言うから、これでこのゲームはジ・エンドってわけ」
「…そうなの? 灯里」
「…ごめんなさい」
灯里はぎゅっと目をつぶって絞り出すようにそう言った。颯太は一瞬悲しそうな顔をしたが、灯里は見ていなかった。
「あー…そっか。うん。そうだよな。灯里みたいな子が、俺のこと好きとかないよなあ」
自嘲するように言う颯太に、灯里は顔を上げる。そうではない。そういうことではない、と灯里は否定しようとした。
「ねえよ。こいつ、俺の言うことならなんでも聞くんだよ。何しろ、ビッチの娘だからな」
「やめて」
灯里は朝陽をにらみつけた。
「本当のことだろ?」
「やめてよ、おかあさんのことは今は関係ないでしょ!」
灯里が叫ぶと颯太は朝陽に近寄った。
「おまえがどうにかしたいのは俺だろ。灯里は関係ないだろ」
颯太がそう言うと、朝陽は馬鹿にしたように笑った。
「おまえ、本気で灯里に落ちたの? ウケるわ、こんな根暗女とよく本気でつきあえた…」
その瞬間、颯太が朝陽をひっぱたいた。朝陽はかっとなって颯太を殴りつけた。
「やめて、やめて! だ、誰かっ…」
颯太は朝陽に殴りかかる。灯里の声など聞こえないようだ。灯里は周りを見て慌てて廊下に戻ると、こっちへ向かってくる男性教師を大声で呼んだ。
「先生、助けてください!」
「どうした?」
「喧嘩です、早く早く止めてください!」
男性教師は駆け出して中庭に入り、朝陽を殴る颯太を羽交い絞めにして止めた。朝陽は抵抗する様子は見せなかった。
「青山、おまえ何してるんだ! 一方的に殴りかかって…」
「………」
一方的に? そんなわけはない。何かおかしい。灯里が違和感を抱いた瞬間、気づいた。
これは朝陽の策略だ。わざと颯太に殴られて、自分が被害者だといって颯太に罪を着せるつもりなんだ。
「一体何があったんだ?」
「青山くんが一方的に俺を殴ってきたんです。見たでしょ?」
「ち、違います、先生…」
「いいから」
颯太はかぶりを振って灯里を制した。朝陽は口の端から出た血をぬぐいながら、笑いをこらえきれない様子だ。
「とにかく、保健室に行って手当てしてもらいなさい。青山、おまえはこっちだ。職員室に来なさい。森も後で職員室に来なさい。保健室で手当てしてからでいいから」
「はいはい…」
颯太は特に反抗することもなく、教師についていく。
「先生、私の話を…」
「大丈夫だよ」
颯太はいつものように微笑んで、灯里に片手をあげて来ないように指した。灯里はそれ以上何も言えず、その場に立ち尽くした。
「あいつ、馬鹿で助かったわ」
朝陽は笑いながら中庭を出て行く。朝陽は灯里が先生を呼びに行くことを計算して、先生が来たときわざと颯太に抵抗しなかったのだろう。やり方が汚い。灯里は奥歯を噛み締めた。
「…朝陽」
「なんだよ」
朝陽は面倒くさそうに振り返る。
「…最低」
「その最低な奴の言うこと聞いてるやつはどうなんだよ」
朝陽は侮蔑するように言って保健室へ向かった。灯里はぎゅっと握りこぶしをつくって、空を見上げた。嫌になるくらいの青空だった。
灯里はようやく息を吐くと、のろのろと教室へ向かった。
教室にはほとんど人はいなかった。ぽつんと颯太と灯里のカバンが置いてある。灯里は颯太の机に触れて颯太の椅子に座った。
初めてだ。颯太の椅子に座るなんて。灯里はそっと机を撫でる。
…ごめんなさい。
そんなことを言える義理も権利もないけど、ごめんなさい。
灯里は胸の内でつぶやいた。もう颯太は灯里のことを軽蔑して、顔も見たくないかもしれない。それでも灯里は颯太に会いたかった。
どれくらいそうしていたのか、灯里はよく覚えていない。ただ時計とスマホを見て、小1時間ほどたったころ、颯太が教室へ戻ってきた。
「…颯太くん」
「…灯里」
颯太は灯里から顔をそらして、自分の席からカバンをとって歩き出す。
「颯太くん、あの…」
「ごめん」
颯太は振り向かずに言う。
「ちょっとパニクってて…一人にして」
灯里は引き留めようとしたが、声が出なかった。何度も手を伸ばしては戻して、颯太が見えなくなるのを黙って見送った。
家に帰った灯里は、昨日の残りのカレーを食べることにした。お腹は空いていないが、何か食べないと落ち着かない気がした。
一口二口食べて、結局残した。残りは夕食の時に食べようと思い、ラップをして冷蔵庫にしまった。
颯太に対する言い訳は、いくらでも浮かんできた。でもそれを言ったところでなんになるのだろう。
灯里は自分の意思で朝陽の言うことを聞いて、それに従ったのだ。いや、もうそれ以前に、颯太は灯里の顔なんて見たいと思わないかもしれない。
灯里は時間になるとバイトへ向かった。今日は颯太と一緒に日ではない。顔を合わせないことにほっとしながら、根本と灯里は弁当屋の仕事をした。颯太も弁当を買いには来なかった。
明日になったら、どんな顔をして颯太に会えばいいんだろう。
灯里は夜になってもいつものメールが来ないスマホをにらんだ。
私から連絡すればいいんだろうか。でも何を言ったらいいの。朝陽に命令されたんだと言って、それから、それから…。
結局颯太にメールすることはできず、灯里はベッドに入った。なかなか眠りは訪れてくれなかった。