朝陽の笑み
土曜日の朝、灯里は何を着て行こうか一所懸命悩んだ挙句、普段着ているようなデニムにシャツにパーカーにした。バイトの面接のつきあいにあまり女子的な服を着るのもどうかと思ったし、灯里はフェミニンな服はあまり持っていないのだ。
「お待たせ!」
「大丈夫だよ」
三木弁当屋で颯太は2時10分前に約束したが、来たのは1分前だった。いつもの行動からして、予想通りだなと灯里は思った。
「へえ、灯里の私服初めて見た」颯太はうんうんとうなずいて「いいな」と笑った。
「全然普段着だし…。颯太くんのも初めて見た」
かっこいい? と颯太が笑うので、灯里はそうだねと笑った。颯太もデニムにTシャツだった。
「じゃあ、中入っていいんだよね?」
「うん。履歴書持ってきた?」
「きたきた。初めて書くから、緊張したわ。見る?」
「個人情報だからいいよ」
灯里は苦笑して颯太を中へ入るよう促した。颯太は「こんにちは」と言って中へ入った。
「おう、君が颯太くんか。見事に金髪だなあ」
「あはは、昨日は弁当ごちそうさまでした。おいしかったです」
おじさんはすでにおばさんから話を聞いているようで、颯太から履歴書を受け取り、簡単な質問をしてからすぐに「来週の月曜日から来て」ということで話はまとまった。
「やった、ありがとうございます」
颯太は嬉しそうに言って、横で待っていた灯里と店を後にした。
「よかったね、颯太くん」
「うん。新聞配達のバイトだけじゃ心もとなかったし、助かったよ」
これから二人でお茶でも飲もうということになり、颯太は駅前のカフェに行こうと自転車で向かっている。
「でも、それは颯太くんが命がけでハッピーを助けたからだよ」
「あはは、だからあれは本当に体が勝手に動いたんだって。ほっとけないじゃん」
「でも、二人とも…あ、ひとりと一匹か。無事でよかった」
「へへ。名誉の負傷」
颯太は昨日擦りむいた腕をあげて見せる。もうかさぶたになっていた。
「これで灯里と一緒にバイトできるんだから、安いもんだ」
「そ…そんなに私と一緒にいたいの?」
「え? 何?」
自動車が通り過ぎて、颯太は灯里の声がよく聞こえなかったようだ。颯太に聞き返され、「犬好きなんだね!」と灯里は質問を変えた。
「ああ、犬も猫も好き。俺、動物全般好きだし。もちろん、人間も好き」
「…颯太くんは、嫌いな人っていないの?」
独り言のように灯里がつぶやくと、「苦手なのは紅ショウガかな」と颯太が笑った。
「もう…あ、あそこ? 駅前のカフェって」
灯里は自転車をこぐ足を緩める。チェーン店で全国的にあるカフェだ。
「そうそう。店の前だと自転車止めて悪いから、こっち置くんだ」
颯太に言われるまま、灯里は店のわき道に自転車を置いて鍵をかけた。店内に入ると、中はブラウンが基調となっていて、老若男女の客がいる。灯里はカフェオレとフルーツサンド、颯太はコーヒーとドーナツを頼んだ。セルフなので頼んだものをもらうと、二人は開いている席に座った。
「つきあってくれてありがとな」
颯太はコーヒーにミルクと砂糖を入れながら灯里に礼を言う。
「いいよ、そんなの。でも本当にあのお弁当屋さんでいいの?」
「いいのって…なんで?」
「だって、あそこ時給高くないし…颯太くんなら、もっと割のいいバイトがありそうだなって」
灯里と違って愛想もいいし、接客業ならどこでもこなせそうだなと灯里は思っていた。
「だって俺、灯里と一緒にいたいんだもん」
「え、あ…う、そ、そうですか」
灯里は顔を赤くしてカフェオレをすする。砂糖は確かに入れたけど、なんだか妙に甘くなった気がした。
「でも週3日もいれてもらえて助かったよ。シフト、灯里と一緒だといいんだけど」
「私のシフトいつも根本さんが一緒だから、どうなるかな。でも…」
「でも?」
「い、一緒だったら…嬉しい、かも」
灯里が自分の言葉に照れて下を向いてから言うと、颯太は吹き出した。
「お、おかしい?」
「いや、灯里ってホント恥ずかしがり屋さんだよな。すぐ真っ赤になるし」
「う、そ、そんな…」
灯里は両手で自分の頬をさすった。
「そういうところがかわいい」
「も、もう…からかわないで」
灯里はそっぽを向いてフルールサンドを口に運ぶ。イチゴのサンドは甘酸っぱくておいしかった。
「そういえば、颯太くんは新聞配達のバイトしてるんだよね。朝、大変じゃない?」
ふと灯里は疑問を口にする。
「ああ…だからいつも遅刻すれすれで来るんだよな。中学からやってんだ」
「中学から? すごいね」
灯里が感心したように言うと、「うちはほら、片親だから小遣いは自分で稼げっておかんから言われてるんだ」と颯太は笑った。
「だからスマホ代金も自分持ち出し、ゲームとかも自分で買った」
「すごい…」
灯里は心底感心してつぶやいた。自分は中学の時は何をやっていただろうと灯里は思い出す。のうのうと親に小遣いをもらい、スマホの代金も払ってもらっていた。それは今もだけど。
「まあ俺頭悪いから、大学とかにも行けないし。というかうち、金もないから無理だしさ。今のうちから貯めとこうと思って」
「えらいねえ…」
灯里に褒められ、颯太は嬉しそうに笑った。
「俺、将来会社起こしたいんだよね」
「会社?」
灯里は唐突な話に目を瞬かせる。
「そう。そのために金が要るわけ。俺が社長になったら、灯里を社長秘書に雇ってもいいよ」
「ふふ。そのときはよろしくね」
灯里は笑ってカフェオレを飲んだ。
颯太といると楽しいな、と灯里は思う。こんなに長い時間男子と一緒にいたのは朝陽以外で颯太が初めてだからよくわからないけど、颯太は一緒にいて楽しい人だと思う。子供の頃の朝陽と一緒にいるのも楽しかった。二人でゲームをしたりすると、あっという間に時間が過ぎた。
でも、もうそんなときは2度とこないだろうけど。
二人で夕方まで話してカフェを出た。あたりは薄暗くなっていた。
「遅くなっちゃったな」
「颯太くんといると、時間がたつの早いね」
灯里が率直に言うと、颯太はきょとんとしてから「へへ」と嬉しそうに笑った。
「送っていくよ」
「え? いいよ。颯太くんの方向と真逆だし。遠回りになるよ」
「いいから。もうちょっと一緒にいたい」
「あ…う、うん」
「灯里、顔赤い」
「そ、それは…夕日のせいです」
「そうかな?」
「もう…行こう」
灯里は颯太から顔をそらして自転車に乗ってこぎだす。颯太も一緒に自転車を走らせた。
道すがら、化学の先生がいつも同じ汚れた白衣を着ていることや、地理の先生はヅラっぽという噂を灯里は聞かされ、灯里は笑いながら自転車をこいだ。
「ここがうち」
「へえ。大きなうちだなあ」
家へ到着してから、灯里は家の前で自転車を止めた。
「うち、ちっちゃいアパートだから、こういう大きい家うらやましいよ」
「そう?」
「じゃあ、俺帰るよ」
「う、うん。送ってくれてありがとう」
家にあげるべきなのか迷っていた灯里だったが、颯太から帰ると言ってくれたので内心ほっとしていた。そのとき、向かいの家の玄関のドアが開いて人が出てきた。
「あれ」
「…朝陽」
家から出てきた朝陽は、灯里と颯太を見てにやりと笑った。
「ご近所さん? …て、あれ? おまえって…」
「森朝陽。おまえの隣のクラスだよ」
朝陽に自己紹介され、ああ、と颯太は納得した。
「そうだったな。え、もしかして灯里とは…」
「幼馴染ってやつ。幼稚園から一緒なんだ。おまえら、つきあってるんだろ?」
「そうだけど」
灯里は颯太と朝陽を交互に見ながら、内心どきどきしていた。朝陽が何を言い出すかわからないからだ。
「仲が良くていいな」
「まあな」
颯太は一人でうなずいてから、「じゃ、帰る。後でメールするから」と手を振って自転車をこぎだした
「あ、うん。気を付けて」
灯里も手を振って颯太を見送る。朝陽は颯太が見えなくなったのを確認してから「うまくやってるじゃん」と見下すような目で笑った。
「…言われた通りにしてるよ。今日、私と同じバイトの面接に行ったの。来週から同じバイトで働くから」
灯里は朝陽を見ずに自転車を引いて家へ入ろうとする。
「そりゃよかった。もっとうまくやれよ」
「…わかってるよ」
灯里は振り返らずにそう答えて、自転車を軒下に置いた。朝陽はそのまま歩いて出かけて行った。近所のコンビニへでも行ったのかもしれない。
朝陽とはメールのやり取りをする以外、めったにこうして話すことはない。お互いの顔を見たくないからだ。いやでも昔のことを思い出してしまうから、灯里は特にできるだけ顔を合わせないようにしていた。朝陽のいつも灯里を責めるような目を、見たくなかったから。
夜になって颯太からメールが来た。灯里は火木金とバイトなので月曜日からバイトの颯太とは今のところかぶらないから、デビューの時一緒じゃなくて残念だということだった。月曜日はおそらく週5で入る根本が一緒のはずなので、親切な人だから大丈夫だと返した。日曜日は友達と出かけるから会えないけど、月曜日バイトに一緒に来てほしいとのことだった。灯里がOKすると、颯太は喜んでいつものようにおやすみといってメールは終わった。
日曜日はいつもどおり父と買い物に行き、いつも一緒にいる美奈たちとメールのやり取りをして過ごした。放課後颯太とばかりいるので、そのうちカラオケに行こうという話になった。
夜には習慣となっている颯太からのメールが来た。友達と一緒にゲーセンに行って無駄金をつかった。ゲームでも課金したし、どうしようという内容だった。そのままだと、お金たまらないんじゃと返したら、なんとかなると返ってきた。
彼氏と彼女って、こうやって毎日スマホをするのが普通なのだろうか。来るのが嬉しいのと同時に、緊張してしまう。
これが本当の彼氏彼女だったらいいのに。いや、颯太はそのつもりでいるのだろう。そうでないと朝陽の思い通りにならない。
胸が苦しかった。灯里はぎゅっと服の胸元を握りしめる。
こんなふうになる前に颯太と普通につきあえていたら、どんなによかったか。でも、それはもう「もし」の話だ。もし、なんてことは起こらないから願うことなんだと、灯里はよくわかっていた。