彼氏と彼女(偽)
翌朝教室へ行くと、いつも一緒にいる3人に冷やかされた。そして颯太がやってくると、早く席に戻れと急かされた。
「おはよう、灯里」
「おはよう。…颯太くん」
相変わらず遅刻すれすれで教室へ入ってきた颯太に、お互い名前呼びで挨拶をする。灯里は恥ずかしくて顔が赤くなり、颯太はにかっと笑った。
「あはは、照れてる」
「う、だって…は、初めてだし」
「確かに。なんか俺も照れるな」
にこにこと笑いながらも、颯太も少し照れがあるらしい。すぐに担任が教室へ入ってきて、颯太は前を向いて、それからもう一度後ろの席の灯里を振り返って笑った。灯里は恥ずかしくて思わず下を向いてしまった。だからそのとき颯太がどんな顔をしたのか、灯里にはわからなかった。
1時間目が終わるとすぐに、隣のクラスの岸田というやはり茶髪の男子が灯里のいる教室へ入ってきた。
「颯太―」
「おう、おはよ」
「おっす。池田って…」
「俺の後ろ」
席を立とうとしていた灯里を颯太が指す。灯里が困惑していると、岸田はじろじろと灯里を見てから「ふうん」ともらした。
「おまえ、好みわかりやすいよな」
「うるせーよ。かわいいだろ?」
颯太は灯里の頭を撫でた。灯里は下を向いてされるがままになっている。またしても顔が赤くなるのを感じていた。
「顔、真っ赤」
「そういうところがいいんだよ。なあ?」
「もう、からかわないで…」
灯里は精いっぱいの抵抗で、颯太の手をやんわりと押し返した。
「颯太って、昔からあんたみたいな真面目ちゃんが好みなんだよな」
「そうなの?」
かなり意外な気がして、灯里は岸田を見上げる。
「そうそう。おかんがあんなだからその反動というか…」
「おかんは関係ねえだろ!」
颯太は岸田に腹パンして追い出そうとしたが、余裕でかわされた。
「颯太くんのおかあさんて…?」
「いいから、うちの親のことは」
「はは、あんたとは正反対だと思ってればいいよ」
「うるせえっての、もう教室戻れ!」
今度は颯太の蹴りが岸田に当たった。「わかったわかった」と岸田はよろけて颯太の机に手をついた。
「今日は池田の顔見に来ただけだから。俺、こいつと同中だから付き合い長いのよ。今度の彼女はどんなか見に来たってわけ」
「そ、そう…」
「見て満足しただろ。帰れよ」
「はいはい。じゃあな、池田。颯太のことよろしく」
「あ、うん…」
岸田は飄々として教室を出て行った。
「あいつのことは気にしなくていいから」
「うん…。ずっと仲良いんだ?」
「仲いいっつーか腐れ縁つーか。隣のクラスなのに、あいつ池田の顔覚えてないって言うんだ。失礼だろ?」
「私、印象薄いから…」
「そんなことないよ」
言いながら颯太はカバンから小さな箱を出して包みを取り出した。
「はい」
灯里にソフトキャンディのようなそれを渡す。
「何? 今度は酸っぱいの? 辛いの?」
「甘いよ」
「ホントに…?」
疑惑の目を颯太に向けつつ、灯里はその包みを開けると、中身は茶色い四角のものだった。
「チョコ?」
「そう。甘いって言ったでしょ」
「本当に甘いのかどうか…」
「疑り深いなあ」
灯里は口にチョコレートを含む。確かに変な味はしない。でも思ったより甘くなかった。
「ビターだね」
「俺、チョコはビター派なの。酸っぱくなかったでしょ?」
「…そうだね」
颯太の笑みにつられて、灯里も笑った。
放課後になって、いつものように畑中が隣のクラスから灯里のいる教室へ入ってきた。
「颯太」
「よう。杏」
颯太が彼女を杏と呼ぶのを聞いて、畑中さんの名前は杏だったんだ、と灯里は今更知った。
「本当なの? 颯太と池田さんとつきあうって」
朝の根元と同じように、畑中はしげしげと灯里と颯太をみつめる。
「そう。お似合いだろ?」
「ううーん…。まあ、そうね」
まったくそう思っていないところが丸わかりだが、畑中は一応うなずいた。
「ねえ、今日は一緒に帰れる?」
「今日は無理」
灯里と颯太がつきあっても、一緒に帰るつもりなんだ。と灯里は内心驚いたが、できるだけ顔には出さないようにした。
「俺、今日は灯里のバイト先行くんだ。な?」
「え? あ、えっと、うん、そう…」
うなずきながら、そういえばそうだっけ、と灯里は昨日のメールのやり取りを思い出した。
「そうなの? だったら、あたしも一緒に行ってもいい?」
「い…いい?」
畑中のお願いに颯太は一瞬困った顔をして、灯里に許可を求める。灯里はここでだめだというのもおかしい気がして「いいよ」と言った。
「ありがとう。じゃ、いこいこ。どこにあるの?」
「自転車で2、30分くらいのところなんだけど…」
「あたし、チャリじゃないんだよね。颯太、後ろのせてよ」
畑中は颯太を腕を取った。
「だめ。ケーサツに捕まったらどうすんだよ。灯里、悪いけど歩いて行ってもいい?」
「いいけど…」
歩くと結構時間がかかるな、と思いながら灯里はうなずいた。
「ごめんな」
「ううん。大丈夫」
申し訳なさそうに言う颯太に、灯里はかぶりを振る。
「じゃ、行こうよ。遅れちゃうと大変だもんね」
畑中は颯太の腕を引いて教室を出る。颯太は「はいはい」と言いながら灯里を待って教室へを出た。
灯里と颯太は自転車を引いて、畑中は歩いて灯里のバイト先へ向かう。灯里はカバンを颯太の自転車に入れて楽しそうに歩く。
「あたし、颯太と同中なんだけど、こいつって前つきあってたのも、池田さんみたいな真面目ちゃんなんだよね」
「真面目ちゃん…」
灯里の印象は誰に聞いてもそんなところだ。真面目って、あんまりいい意味で使われないよね、と灯里は胸のうちでつぶやく。
真面目って、結局はそれ以外とりえがなくて、つまらないやつという意味ではないだろうか。
「やめろって。いや、たまたま真面目そうな子とつきあっただけ」
颯太が自分でもよくわかっていないフォローをする。
「でも結局ふられてんの。颯太は誰にでもやさしいから、信用できないんだって」
「いや、だからやめろってば」
「やさしいのは颯太くんのいいところだよ」
灯里がとりあえずそう言うと、颯太は驚いたような表情をしてから、嬉しそうに笑った。
「だよなー。それが俺のいいところ」
「単純。でも、こいつとつきあってくの大変だよ。平気で彼女以外の女の子に誘われると…」
「うわあ! 違う違う、なんでもない!」
颯太は片手で自転車を押えて、片手で畑中の口をふさいだ。
「うぐう…」
畑中はもごもごと何かしゃべっているが、口をふさがれているので何を言っているのか灯里にはわからない。
「余計なこと言うなら、おまえもう帰れよ!」
「ふぐ…」畑中はうんうんとうなずいた。颯太が手を離すと「わかったわよ」と答えた。
「颯太くんが何?」
「なんでもないから!」
颯太が大声でかぶりを振るので、「…なんだって」と畑中は肩をすくめた。それ以上は教えてもらえなそうなので、灯里はそれ以上追及しなかった。
「で、池田さんはどんなとこでバイトしてるの?」
「お弁当屋さん」
「へえ! 弁当屋かあ」颯太は一人でうんうんとうなずいた。「弁当とか作ったりするんだ? 池田ってそういうの得意そうだよな」
「得意ってわけじゃ…。まだ慣れないから、あんまり作業も早くないし…」
「まあ池田さんてあんまり要領よさそうじゃないもんね」
ぐさりと突き刺さるようなことを言われて、灯里は「…そうだね」と愛想笑いを浮かべた。
「別にいいじゃん。要領悪くたって一所懸命なんだから。慣れれば早くなるもんだろ、そういうのって」
颯太の言葉に、灯里はやっぱり要領悪いと思われてるんだな…と内心落ち込んだが、またもや「そうだね」と力なく笑った。
「それ池田って家庭的なこと得意そうだって意味だよ」
「え…そうかな」
確かに母がいないせいでうちのことはそれなりにはやっている。だから得意とまではいかなくても、それなりにはできるかもしれない。
「そうそう。家庭科の時とかも結構よくやってたじゃん」
「…見てたの?」
見られていると思うと灯里急に恥ずかしくなった。颯太とは班が違うので、見られているなんて思わなかったのだ。
「見てたよ。まあ…それなりに」
颯太が照れたように視線をそらす。
「あーあついあつい」
畑中はわざとらしく片手をうちわのようにあおいだ。
「ほっとけ。俺と池田は実はずっと前から両思いだったの!」
「う、うん…」
颯太の言葉に、灯里は気まずくて視線を下にそらしてうなずいた。
「颯太はおかあさんがまったく家庭的じゃないからね。そういう女子に憧れてるのよね」
「ち、ちげーよ、馬鹿」
「畑中さん、颯太くんのおかあさんのこと知ってるんだ…」
一瞬、颯太はぎくりとした顔をしたが「昔からの友達だから。ほら、朝来た岸田とかも知っているし」とまくしたてた。
「まあそうね。友達ね」
「そうそう。そうだ、そのうち灯里もうちくる?」
「えっ…う、うん。そのうち…」
言いながら、灯里は視線をそらす。颯太の家へ行ってみるなんて、考えもしないところだった。
「颯太のおかあさんて、色っぽい人なのよね。彼氏もいつも途切れないし」
「…彼氏?」
「ああ、うち親父いないんだよ」
颯太がなんでもないことのように答えた。
「そうなんだ…」灯里は言おうかどうか迷って「うちも、おかあさんいないの」と言った。
「へーそうなんだ。俺ら、意外なところで共通点あるんだな」
颯太はうなずいて笑った。共通点か。でもきっと颯太の父親がいないのと、灯里の母親がいないのは事情が違うと灯里は思ったが、口には出さなかった。
「うちのクラスにもシングルマザーとかシングルファーザーとかいるし。多いよね、最近。あたしは離婚とかしたくないなあ」
「おまえ、3回くらい離婚しそう…」
「失礼ね! それは颯太でしょ!」
畑中はじゃれるように颯太の肩をたたいた。颯太が笑っているので、灯里も笑った。でも本当のところはあまり面白くなかった。なんでだろう。なんだか、もやもやする。
「俺はしねーよ。結婚したら、奥さん大事にするし」
「どうだか…。池田さん、こいつの言うこと信用しないほうがいいよ」
「あはは…」
灯里は苦笑いを浮かべた。颯太と灯里が結婚するなんてありえないし、灯里は笑うしかなかった。
「ちぇ、信用ねーの。…あれ、もしかしてこの先行ったところにある弁当やって、三木弁当?」
「うん、そう。知ってるの?」
「知ってるも何も…。うちの近くだよ」
「そうなの?」
初めて知る事実に灯里は目を丸くした。
「そう。なんだ、言ってくれたら俺、行ってたのに。うちのおかんがそこの弁当よく夕飯に買ってくるんだよ」
「…知らなかった」
「それこそ意外な共通点じゃない。私、行ったことないけどおいしいの?」
「おいしい…と思うんだけど」
「うまいよ」
灯里が同意を求めるように颯太を見ると、颯太はうなずいた。
「安くてうまいってうちの家では評判」
「青山家調べね。じゃあ、あたしも帰りに買ってこーかな。…あ、あそこのお店?」
畑中が指さしたところに、古い弁当屋が建っている。三木弁当屋と消えかかった看板が屋根にかかっていた。住宅地の中に違和感なく存在している。
「アンティークな店ね」
言葉を選んだらしい畑中がそう言った。
「中に入る?」
「もちろん、ここまで来たんだから。あ、灯里が嫌じゃなかったらだけど」
「嫌じゃないよ。でも、私バイトだからあんまりおかまいできないけど…」
「いいよ。お弁当買ったらすぐ行くし。ね?」
畑中が颯太の腕を取った。颯太は手をするりとほどいて「俺、終わるまで待っててもいい?」と聞いてきた。
「え? でも私がバイト終わるのって7時ころなんだけど…」
「そうなんだ。じゃ、俺も一緒にバイトしようかな」
「はあ?」
「ええ?」
畑中と灯里が同時に声をあげた。
「なんでそんな驚くの」
逆に颯太が戸惑った。
「えー…だって颯太、放課後は遊びたい派でしょ?」
「それに、お弁当屋さんてそんな面白くないよ?」
「いいじゃん。俺、灯里といたいもんだもん」
「えっ…え、えっ」
颯太に急にそう言われ、灯里は真っ赤になった。
「あはは、池田さん赤くなってる。かーわいーい」
「や、そ、そんなこと…」
灯里は顔を隠すように両手で頬を覆った。
「そういうところが灯里のかわいいところだよな。ね、俺も今から面接とかしてもらえる?」
「今から…はどうかな。おじさん、店にいるかどうか…」
言いながら、灯里は颯太がバイトするのは内心困ると思っていた。教室でも目の前の席だし、バイトまで同じなんてそんなに一緒にいるのは窮屈だ。好きな人でもないのに。
好きな人でもない?
…そう。今はそう。
「おじさん? 店長じゃないの?」
「あ、おじさんていうか、店長なんだけど、おとうさんのいとこが店長なの。だから私にとってはおじさんていうか…。バイト中は店長って呼んでるけど」
「ああ、そういうこと。だったら、池田さんが頼めば、颯太余裕で受かりそうじゃん」
「わ、わからないけど…とりあえず、店の中に入って。私、裏口から入るから…」
言いながら、灯里は店の入り口を開けて二人を中へ入れる。
「いらっしゃいませー…あら、灯里ちゃん、お友達?」
今日もパートの根本がいた。お客さんは今はいなようだった。
「はい、友達が来たいって…」
「彼氏でーす」
「彼氏の友達でーす」
灯里の紹介の途中で颯太と畑中が出張ってきた。
「あら、灯里ちゃんの彼氏! 見事な頭してるわねえ」
根本は感心した様子で颯太の金髪をまじまじと見た。
「でしょー! 灯里はこれが好きだって言ってくれたんで、このままでいきます!」
「へえ~そうなんだあ。意外」
「灯里ちゃんがそういうのが好みだったとはねえ」
根本とあっという間に打ち解けた二人に、灯里は半ば感心し、半ば妬ましく思った。自分が彼女と打ち解けるには、1週間はかかった気がする。
「じゃ、私着替えてくるから…」
「灯里ちゃん、こっちから入りなよ。裏から行かなくていいから」
表から入れる板をあげて根本が催促してくれたので、灯里は遠慮せずそこから中へ入った。
「そうだおばさん、店長っている?」
「店長は今出かけてるけど…何か用なの?」
「俺、ここでバイトしたいんだけど…」
灯里は横目で颯太たちを見ながら、奥へ入ってロッカールームで着替える。エプロンをして帽子をかぶり、タイムカードを押して手を消毒した。店内へ戻ると、まだ3人はレジのそばで話していた。ほかにお客さんがいないので大丈夫らしい。
「ほー、それが灯里のバイト姿かあ」
灯里に気づいた颯太が目を細めた。
「この弁当屋さんらしい姿よね」
畑中は妙に納得している。
「おばさんも同じ格好なのよ。ほらほら」
根本がエプロンをひらひらさせる。3人が苦笑いになった。そこへ中年の男性客がやってきたので、灯里は準備に、根本は接客にまわる。颯太と畑中は弁当を選んでいる。
中年の男性客が帰ってから、畑中はとんかつ弁当と唐揚げ弁当2つを、颯太は唐揚げ弁当とカツどんを注文した。灯里と根本がそれを作り、根本が会計した。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
二人が頭を下げると、弁当を受け取った颯太は「店長に言っといて。明日、面接に来るって」と言った。
「面接ねえ…。でも、うち今人足りてるから、採らないかもしれないわよ」と根本が言った。
「えー! そうなの?」
颯太はあからさまにがっかりしたようだった。
「人いるときは、表に求人出すし。今のところ出てないしねえ…」
「あ、そう…」
颯太は顔を下に向けてから、すぐに上を向いた。
「でもいいや! 灯里、明日もバイト?」
「明日…うん。シフト入ってる」
「よし、決まり。じゃあ明日また来るから」
「また? 颯太ってば、暇ねえ…」
呆れたように言う畑中に「いいんだよ」と颯太は口を尖らせた。
「じゃあ、今日は帰る。また明日…あ、夜メールするから。バイト、7時までだっけ?」
「うん。そう…」
「おっけ。バイト頑張れよ」
「じゃあね」
颯太と畑中は手を振って店を出て行った。灯里はそれを見送ってため息を吐いた。
「灯里ちゃんの彼氏って、なんだか灯里ちゃんとは正反対って感じね」
「え? あ、…そうですね」
否定するところがないので灯里はうなずく。社交的で明るくて、積極的で。確かに私とは正反対だなと灯里は思った。
「でも、灯里ちゃんのことすごく好きなのね。ラブラブでうらやましいわあ」
「あはは…」
灯里は乾いた笑いで返すしかなかった。本当は私、彼のことが好きじゃないんですよ。ただ事情があってつきあってるだけで。朝陽に言われた通りにしてるだけ。だから、今胸が苦しいのもそのせいなんです。罪悪感で苦しいだけなんです。本当に。
灯里はエプロンの胸元をぎゅっと握りしめて、言葉を飲み込んだ。喉がひどくつっかえるような変な気分だった。