別れたって
「灯里、知ってた?」
「何を?」
教室に行くなり、美奈に強張った顔で聞かれた。灯里は昨日の一件に何か関わりのあることだろうかと内心ドキドキする。
「昨日、颯太くん隣のクラスの森くんに暴力振るって、今週いっぱい停学だって」
「え…」
灯里はさっと血の気が引いた。
朝陽がここまで考えていたのかはわからないが、おそらく朝陽の望むべく結果となったのだろう。
「おまけに、あの頭だもんね」
「灯里、何も聞いてないの?」
「わ、私は何も…」
言いながら、灯里はショックだった。
昨日メールをくれても。そう思ったけど、灯里に今更そう伝えて、颯太はどうするというのだろう。
「灯里、顔色悪いよ。大丈夫?」
「そりゃショックだよね」
夏樹や香も慰めてくれるが、灯里の頭にはあまり入ってこなかった。今週いっぱいということは、あと2日颯太には会えない。どうすればいい。どうしたらいい。
朝陽がわざと颯太を怒らせて…そんなことを言って、信じられるだろうか。朝陽はきっといきなり暴力を振られたというだけだろう。朝陽はそういうやつだ。
灯里は授業中にさんざん考えを巡らせて、担任のもとへ休み時間に走った。
「先生」
「どうした? 池田」
担任は職員室の椅子に座って授業の準備をしていたようだった。
「あの、青山くんのことなんですけど」
「ああ、聞いたよ。池田も災難だったな。巻き込まれて」
「違うんです、あれは隣のクラスの森くんが青山くんのことを挑発して、わざと殴らせたんです。私、見てたから知ってるんです、青山くんは悪くないんです」
灯里は一気にまくしたててしゃべった。そうでないと、言えなくなってしまいそうで怖かったから。
「…池田」
担任はふう、とため息を吐いた。
「青山は自分が森を気に入らないから殴ったと、自分で証言してるんだ。森も話をしていて、いきなり殴られたと言っている。本人がそう言っているのに、池田は違うというのか?」
「え…で、でも、本当に青山くんは」
「仮に池田の言うことが本当でも、挑発に乗って暴力を振るうのは許されないことだ。わかるだろう?」
「それは…でも…」
「おまけにあの頭もどうにかしないとって話になっていた。もう処分は決まって、青山も納得してるんだ。授業が始まるころだ、戻りなさい」
「…はい」
灯里にはもうそれ以上言い返すことができなかった。
すごすごと教室を戻る自分が灯里は情けなかった。
昼休みに颯太に、停学なんて知らなかった、ごめんなさい、と灯里はメールしたが返事はなかった。
放課後になって畑中が教室にやってきた。
「池田さん」
「…畑中さん」
畑中は颯太に椅子に座り、灯里に向いて真剣な顔つきで話す。
「颯太の件、知ってる?」
「…うん」
停学のことだろう。灯里はうなずいた。
「どうして、こんなことになったの? 池田さん、何か知ってる? 森に聞いてもあいつが勝手に殴ってきたって言って、理由がさっぱりわからないの。颯太は理由もなくそんなことするやつじゃないし…」
畑中は頬杖をついた。
「池田さん、何か知らない?」
畑中はじっと灯里をみつめる。灯里はうつむいた。
「颯太にメールしても、なんでもないとしか返信来ないし」
「…そう」
灯里は神妙な面持ちで答えた。
「具合悪い? なんか、顔色悪いよ」
「ううん。大丈夫…」
灯里はできるだけ平静を装って答えた。
「私…その」
灯里は畑中に本当のことを言おうと思ったが、「…よくわからないの。ごめん」とようやくそれだけ口にした。
灯里には事実を言うだけの勇気もなかった。きっと畑中も灯里を軽蔑するだろうと思ったからだ。
「そっか。ならしょーがない。あたし、これから颯太の家行ってくるわ」
「え…」
灯里は立ち上がった畑中を見上げる。
「停学だから家にいるだろうし。池田さんも一緒に行く?」
「私、は…」
灯里は少しの間迷ってから「ごめんなさい、行けない」と答えた。
「そっか。じゃあ颯太に伝えとくわ、池田さんが心配してたって」
「あ…」
「あはは、でもメールとかしてるか。じゃあね」
「うん…」
さっさと教室を出て行く畑中を見送って、灯里は上げかけた手を下ろした。颯太に会いたい、という思いと会えない、という思いがせめぎあっていた。
今日ひどく暑いな、と灯里は教室の窓の外に視線を向ける。青空に入道雲が立ち上っていた。
バイトをして帰ってきてからも、颯太からのメールはなかった。朝陽からのメールももうない。あれで晶ちゃんに対する復讐は終わったということなんだろうか。そして灯里への復讐も。そう思うと、なんだか朝陽がかわいそうに思えてきた。こんなふうにすることしか憂さを晴らせないなんて。
灯里は朝陽に、先生に本当のことを話して、とメールしたがスルーされた。何度か送っても、返事は来なかった。仕方なく電話すると、今度は電源を切られた。なんてやつだ、と思ったがこれが朝陽だ。
颯太にメールしてみようかと思った。でも、なんて? 謝ればいいのか、いいわけすればいいのか。
畑中は颯太の家に行くと言っていた。二人で何を話したんだろう。灯里はそれを考えて、夜もよく眠れなかった。
スマホのアラームで目を覚まして、灯里はいつ寝たのかよく分からない状態で、目をこすった。かなり眠かった。それなのに、寝付けなかった。
ぼんやりしながら朝食を食べ始めると、父親が「大丈夫か?」と聞いてきた。
「…何が?」
「おまえ、ここのところちょっと調子が悪いみたいだから。体調不良か?」
すごい、と灯里は思った。父親はちゃんと自分を見てくれているのだ。見ていないようで見ているのが親なのかもしれない。気づいてくれたことが嬉しかった。
「ううん。大丈夫だよ。ちゃんと学校行けるから。おとうさん、行かないと遅刻しちゃうよ」
「そうか。そうだな。じゃ、行くよ」
時計を確認して、父親はあたふたと出て行った。その背中を目で追って、灯里は朝ご飯を食べる。こんなときでも人間はお腹が空くんだな、と思った。
灯里は朝は時間をずらして、朝陽の学校に行く時間を見計らって家を出ると、嫌そうな顔で玄関から出てきた朝陽がこっちを見た。
「朝陽」
「…何」
「お願い、颯太くんのこと…」
「お断りだ」
「本当のこと言ってくれればいいの。お願い」
「本当のことを最初に言わなかったのは誰だよ」
見下すように笑われ、灯里は固まった。朝陽は灯里を置いてさっさと歩き出す。
灯里は悔しさを情けなさで、ぎゅっと握りこぶしを作って奥歯を噛み締めた。なんとか颯太を助けようとしても、自分の無力さを思い知っただけだった。
教室へ行って美奈たちのところへ行こうとすると、「池田さん」と畑中が教室へ入ってきた。
「おはよう、畑中さん」
「おはよう。ねえ、颯太と別れたって本当?」
「え…」
朝から何を言っているんだこの人は、と灯里は思った。
けれど頭の冷静な部分が、それはそうだと納得した。
「颯太くんがそう言ったの?」
「うん。昨日うち行ったら言ってたよ。池田さんに振られたって」
そういうことにしてくれたんだな、と灯里は察した。颯太は灯里に気を使って畑中にはそう説明したんだろう。
本当になんで颯太はこんな自分にそんなにやさしいんだろう。灯里は鼻の奥がつんとした。
「…颯太くんがそういうなら、そういうことだよ」
「どうして? 颯太の何がダメ? 颯太、池田さんの時は全然浮気してないよ」
畑中に詰め寄られ、灯里はたじろぐ。
「浮気って…」
「だって、前の彼女の時は平気でそういうことしてたけど、池田さんが彼女になったらさっぱりだったよ。本当に好きなんだよ、池田さんのこと」
「………」
灯里は唇を噛んだ。今そんなことを言われると、逆に責められている気がした。
「おまえが言うことじゃないだろ」
いつの間に現れたのか、隣のクラスの岸田が来て畑中の頭を小突いた。
「何よお。颯太、かわいそうじゃん」
「だとしても、これは2人の問題なんだから俺らが口出すことじゃないだろ。じゃあな」
岸田は畑中を引っ張って行った。灯里は呆然としていなくなった二人の教室の扉のほうを見ていた。
「池田さん」
「え?」
声を掛けられ振り返ると、颯太にいつも話しかけてきていた女子二人が灯里のそばにいた。
「颯太くんと別れたの?」
「どうして?」
彼女らはかなり嬉しそうだ。まあ、そうだろうなと灯里は思った。彼女たちは颯太のことをかなり意識していたみたいだから。
「いろいろ…」
「そうなんだあ。何かあったら、話聞くよ」
「颯太くん、どうしてるかなあ」
「………」
彼女たちは言いたい事だけ言って自分の席へ戻った。灯里はため息を吐いた。そこへ担任が入ってきた。もうそんな時間か、と灯里は思った。
普段通り授業を受けながらも、灯里にとって颯太のいない一日はひどくつまらなかった。
振り返って笑いかけてくれる人がいない。それがどれだけ大事なことだったのか、いなくなって思い知るなんて。
「灯里、別れたの? 青山くんと」
「うん…」
お昼休みにいつもの4人で弁当を食べていると、美奈が切り出した。灯里はうなずく。
「そっか。停学したから?」
「それは…それとは関係ないんだけど」
「ええー、でもお似合いだったのに」
「灯里、青山くんとつきあってから明るくなってたのに」
「え…」灯里は思わず自分の顔を触った。「…そう?」
「前、あんまり笑わなかったし。結構はなしづらいところあったよ」
結構な言われようだな、と灯里は苦笑いを浮かべる・
「そうだよ。よく笑うようになってたし。どうして別れたの?」
「…いろいろ、あって」
灯里は言葉を濁した。詳しいことは話したくないし、話せなかった。
「つきあってるんだから、いろいろあるでしょ」
興味津々の夏樹と香に美奈がぴしゃりと言った。
「でもあの金髪と灯里がよくつきあってるなあとも思ってたんだよ」
フォローするように夏樹が言った。
「そうそう。灯里にはもっと合う人がいるって」
「…そうかな」
灯里は曖昧に笑ってお弁当のミートボールを口に運んだ。
「池田」
「はい」
放課後担任に呼ばれ、灯里は駆け寄った。
「おまえ、青山の家知ってるか?」
「…はい」
「青山に昨日今日のプリント届けてくれないか?」
「え…」
灯里は一瞬躊躇したが、すぐに「行きます」と答えた。おそらく担任は、灯里と颯太がまだつきあっていると思っているのだろう。
「悪いな。頼んだぞ」
「いえ、大丈夫です」
ちょうどよかった、と灯里は思った。颯太には会いたいと思っていたけれど、会いに行ける勇気がなかった。これを口実に会いに行ける。今すぐ行こうかと思ったが、今日はバイトだ。バイトに颯太が来るかどうかはわからなかったが、とりあえず灯里はいつもどおりバイトに出た。
颯太が来ないので店長に聞くと、今日は休み、とのことだった。考えてみれば停学中なのだから、バイトに出ていてはまずいのかもしれない。
バイトが終わってからでは遅いから迷惑だろうし、灯里は明日の土曜日に行くことにした。灯里は颯太に「明日プリント届けに行きます」とメールした。返事はこなかった。
土曜日に自転車を走らせて颯太の家へ向かう。暑さだけでなく、緊張で変な汗をかいた。
出かける前にもう一度「今から行きます」とメールしたが、颯太から返事は来なかった。




