第25節 新たなる冒険者
同じような枝葉をよけて進む内に、どこから来たのかも分からなくなってしまった。
想像以上に過酷で危険な冒険。見知った思い出や家族が残る村が今更恋しくなる。
「――もう帰りたい、だなんて思ってないでしょうね」
意地悪そうな言い方をしたメイユイの言葉に、カイは本心を隠しながら鼻を鳴らし答えた。
「ま、まさか。及び腰なのはお前の方じゃないのか?」
似た者同士、村を出たことを後悔しているのはカイだけではなかった。
メイユイは言い返す。
「うっさいわね、はぁ……ほんとに、もう……」
軽口を言い合う気力はあったが、本気で罵倒しあうほどの体力はなかった。
先を行くコウクは見通しのいい場所を探し求めた。
だが、深く生い茂る森の鬱屈さに眉間の皺をさらに刻み込む。
「だめだな、方角は間違ってねぇと思うが、山向こうの地形までは俺も詳しくねぇ」
霊峰に住む彼らの生活圏はそれほど広くなかった。村の周辺とそこから見える稜線がわずかな頼りだ。毎日見飽きるほど見てきた山々の風景は、超えてしまえば途端に未知の領域となってしまう。
日が暮れる前に安全を確保したいのは旅の定石だが、こうも辺りを森に囲まれてしまうと身動きが取れない。
「多分、こっちだよ」
シュエが真っすぐに指をさす。
三人がその言動に思わず顔を見合わせた。
木の洞にまで手を突っ込んで、珍しい虫を探していた彼女はどこへ行ったのか。
颯爽と歩き出す迷いのない彼女の足跡に、カイたちは半信半疑の思いでついていく。
「どうしちゃったの、シュエ……まるで人が変わったみたいよ……」
メイユイがカイに耳打ちする。
「俺にもさっぱりだ。見たことないはずの場所なのに、何故か道順を知ってるみたいだ」
カイの真面目な顔に、思い切りメイユイはつっこむ。
「バカ! そうじゃないでしょ! あの子は人を先導するようなタイプじゃなかったってこと!」
カイはメイユイの主張に身を引きながら、考え込むようにシュエの過去の言動を照らし合わせる。
「なんで分かんないのかしら……」
その様子に呆れたような溜め息をつくメイユイは、シュエの後姿を見つめながら思う。
……兄の死は無駄なんかじゃなかった。
村のため、あの子のため、限りある命を燃やした。
他人を犠牲に選ぶという不正義もあったかもしれない。だが、守りたいもののために必死で抗った。
そして今、シュエの中で兄は生き続けている。私の兄は、その身をもって彼女の心を奪ったのだ。
ショウフウ様の呪いが解けた村人たちには、二つの選択肢が与えられた。
一つは故郷に残り、魔物から身を守るため、今よりも大きく村を発展させていくこと。
二つ目は、危険な霊峰に位置する村から去り、新たな居住地を求めて移民すること。
神事を捨てた彼らが採る決は、各自が判断することとなった。もう誰も自分たちを導いてくれる存在はいないのだ。
父親である村長は生け贄選定の事実を悔やみ、この地を守ることを決意した。私には母親の記憶はなかったけど、それでも、生け贄に自分の妻を選ぶような男とはいたくなかった。
兄は母親と出会えただろうか。時折遠い目をしていた彼は、気にしないふりをしながらも母親を求めていたに違いない。その気持ちは私にだって痛いほど分かる。
移民とは別のルートで村を出ることにした私たち。それは珍しく、シュエ達ての願いでもあった。
「あそこ、村が見えてきた」
シュエの言う通り、故郷よりも少し規模の大きな村落が、森林の隙間、丘の下に見える。
「ほんとにあった。……シュエ、どうなってんの?」
シュエの言動を不審がり、体のあちこちを触るメイユイ。
不満げなシュエが、大げさなその行為に猛反発する。
「ちょっと! わたしだってたまには役に立つの! ……ハッ! たまにって何!?」
自問自答を叫ぶ彼女の横で笑いながらカイは言う。
「ほら見ろ、なんにも変わっちゃいない。道草でも本当に食べて幻覚が見えたんだろ」
厚手のブーツを鳴らしながら楽しげに歩く三人の後ろで、腕組みのまま仁王立ちしたコウクは告げた。
「それじゃあお前ら、俺はここまでだ」
寒風が吹きつけ木々がざわめく。乾いた風にのって、夜の闇がゆっくりと香った。
振り返ったカイが尋ねる。
「ここまでって……一緒にあの村まで行かないのか?」
日も暮れ始めて既に暗くなってきた。そんな森の中を一人で行くなんてコウクでも危険すぎる。
「シュエがめちゃくちゃに歩き回ったせいで、道順が覚えられねぇからな。まだ足元が見えるうちに戻る」
コウクはカイの言葉を突っぱねた。
今度はメイユイが言う。
「本当に、危険よ。コウク、もう獣化できないんだから」
「うるせぇ、自分の身くらい自分で守れらぁ。おめぇらもやっぱり帰ってきましたなんてほざくなよ」
一喝するコウクは続けた。
「俺らが見られない分、世界のことをよーく見てこい。それが育てられた恩を返すってことだ」
幼気な瞳に映った鬼のような面の自分の顔。
さらさらな黒い髪の上に手を乗せると、彼は娘に告げる。
「シュエ、村での掟はもう捨てて生きなさい。お前を縛る大人たちは、もういねぇ」
大切な人を失った悲しみを誰より強く抱いたシュエ。その凹みを埋めてあげられるのは、悲しいかな時間だけだ。
「カイやメイユイを信じ、己を信じろ。そして、ハオのことを絶対に忘れるんじゃねぇぞ」
村で過ごすことは彼女にとって善良ではない。
シュエに償わせる罪なんてものは、ないのだから。
優しく置かれた頭の上の手をシュエは握り返す。農作業で豆だらけの硬い手のひらに、感触を伝える。
「お父さん、ありがとう。いつか必ず戻ってくるから、どんなことがあったか、わたしの話、聞いてね」
シュエは声を震わせて告げた。
それにつられてコウクも目元を赤くする。
「あぁ、楽しみに待ってる」
胸に抱いた我が子の温もりをしっかりと感じながら、暮れていく夕日とともに、村の希望と別れを告げた。
季節は巡り、冬の足音がそこまで迫っている。カイたちが集めた薪がその役目を果たすことはなかった。
数日後、魔神の村の人々は忽然と姿を消した。
手入れのなくなった畑に細長い雑草が茂る。紅葉は散り、葉のない枝が目立ち始めた。
風車が頼りない音を立てながら回る。それを憂いながら眺める者は誰もいない。
モーターの駆動音を唸らせながら、鋼の足が地面を踏み固めた。機械仕掛けの瞳が無機質な視線を周囲に向ける。人型のソレは、大きな黒い鎧のようにも見えた。
ノイズ混じりの声が無人の村に響く。
「任務完了しました。……了解。続けて、湖の調査を行います」
黒い鎧が歩き始めたその後ろで、数十個はあろうか、同色の黒の球体が地面に転がっていた。
不規則な電子音を鳴らしながら、人の腰まである巨大な玉が無秩序に動き回る。
まるで何かを探しているかのように闊歩し、瞳に似た丸いくぼみを鈍く光らせた。
黒い人型の装甲は上を向くと、空中に飛び上がり形を変え、両翼を伸ばし一息に飛翔していく。
風を切る音さえ振り切って、大空を舞う姿はすぐに見えなくなった。
揺れる風の中で色付いた葉が、弧を描くように空中を揺蕩う。
後に残されたのは風化していく村と家屋、田畑。
そして、蠢く球体と、散乱する血みどろの肉片だけだった。
■■◇■■
「なあ結局俺らってどこへ向かってるんだ?」
「それも分かってないのについてきたの?! ほんっとあんたバカじゃないかしら」
「はぁ? 仕方ねぇだろ。俺は何も聞かされず、シュエに来いって言われたんだからよ!」
「なにそれ、まったく。結局他人任せで適当で、無責任な頑固ヤローよね、あんたって」
「……そういうお前はどこに行くか知ってんのかよ」
「………あーー、シュエが知ってるわよ」
「あのなぁ! 散々人のことバカにしやがって!!」
「私はシュエについて来たかっただけなんだから別にいいでしょ! なんか文句ある?」
「……はぁ、もう好きにしろ。疲れた。なぁシュエ、俺たちはどこに向かってんだ?」
「……シュエ? 何してるの?」
「村にそんな舞があったか? いや、それにもうやめろよ、祈祷の舞なんて」
「……違うよ、感じてるんだ。わたし、分かるの」
「やっぱり変な物食べたんじゃないか―――っておい!?」
「ちょっと、シュエ! なにこの嫌な空気……?! あんたがやってるの?」
「"魂の共有"でわたしたちが死にそうになった時、ハオの胸の中で、できるようになったの」
「それ、何なんだよ!?」
「……シュエ、もしかしてショウフウ様の……!!」
「わたし、魔法が使えるようになったんだ」
「……魔法……す、すげぇな」
「ごめんね、驚かせて」
「……シュエ……」
「それで、わたしたちの行先だったよね。この村の人たちが言ってたこと、覚えてる?」
「あ、あぁ。北にずっといけば、ここよりももっと大きな街が見えてくるって話だろ?」
「……仕事を見つけるならそこがいいと思うわ。私たち、お金全然持ってないんだし」
「なんとか村の葡萄酒と交換してこの宿は取れたが、次からはそう簡単にいかないぞ」
「わたし、冒険者もいいかなって……」
「シュエ、あんたそれ本気で言ってんの?」
「うん、本気だよ。知識も人脈もない私たちが、世界を見て回るならそれしかない」
「魔法が使えるようになったんならいいんじゃないか? 俺は大戦士のように武器の腕でも磨こうかな」
「ちょっと、カイまでやめてよ! シュエ! 冒険者なんて、すごく危険なのよ?!」
「分かってる。でも、わたしたちはハオの分まで世界を見て回らなくちゃいけない。そうでしょ?」
「っ!……それは……」
「危険なことは分かってるよ、だけど、やってみたいの。どうしても、ダメ?」
「お前にはちょっと荷が重いかもしれないからな。メイユイは留守番しててもいいぞ」
「はぁ………もうあんたたちときたら……分かったわよ、一緒に行くわよぉ……」
「ありがと、メイユイ。せっかく旅するんだから、そうこなくっちゃ」
「決まりだな。ってことは次の街まで行って、冒険者登録をしないとだな」
「獣化できないってのに……私はどう戦うのよ……」
「それと、あと……」
「なんだシュエ? まだ何かしたいことがあるのか?」
「――――流罪地区って、聞いた?」
「流罪……物騒な名前ね」
「そこに何かあるのか?」
「罪を犯した人たちを送る場所なんだけど……そこから偶に、罪人が逃げ出してくるらしいの」
「檻に入ってるわけじゃないの?」
「うん。魔物も多くて逃げるのも大変らしい」
「恐ろしい場所ね。……それでそこがどうしたの?」
「なんでもそこには、神を名乗る存在がいて、おかしな宗教を築き上げているらしいの」
「………」
「おい、それって……」
「偽物の聖女が教会なんか建てて、罪を犯した人々をおかしな形に変えてるって」
「……」
「逃げ出した罪人は、長く生きられず死んでしまったみたい」
「シュエ……その話……」
「……魔神の手先だった、私たちとそっくりね」
「おい、メイユイ!」
「……許せないの。咎人だろうが何だろうが、人を唆して命を弄ぶなんて」
「……」
「わたしはその"聖女"を放ってはおけない、絶対に……」
「……」
「シュエ……」
「同じことを繰り返させたりなんかしない。悲劇は、一度だってたくさんなんだから」