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星の屑から  作者: えすてい
第三章 流れ星に祈りを
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第24節 祈り手

 

「惜しくも、私たちは政争に破れてしまいました。多くの命は犠牲となり、残された者は皆こちらへ……」

 アトレアは俯くと寂しげな雰囲気を出す。

 外からは苦し気な呻きが聞こえてきた。

「失礼な言葉だったら謝罪する。二人はどうして彼らと違い、正気でいられるんだ?」

 今まで沈黙を貫いてきたルリが、核心をつくような言葉を、選ばずに告げる。

 僕は内心ヒヤリとしたが、それは同じ疑問だった。

 日光の届かない谷底は今が昼夜どちらかも分からない。

「……申し訳ありません、それが、原因は不明なのです。しばらくは普通だった者も、やがてあの姿に……」

 教会の外をうろつく人影。あれは人間ではない。意識を失い彷徨い歩く、生物の成れの果てだ。

 手を組み教会を向いて拝む者や、柱に背を預けたまま座り呆けたままの者もいる。髪や歯は抜け落ち、痩せこけた頬と骨ばった体。恐ろしい異形の姿をした者たちが、祈りの都の住人たちだった。

「手は尽くしましたが、歯がゆいばかりです。どうすることも、できなかったのです……」

 それ以上はルリも口を挟まなかった。

 慕ってきた者が一様に朽ち果てていく様子。想像しただけでも身の毛のよだつ思いがする。

 取れかけた眼球を動かす哀れな咎人たちが沼を歩く。

 教王国の教皇派は保守的な思考を持ち、今までの戒律や階級を維持する姿勢を続けた。国内では下の階級であればあるほど搾取され、彼らは上級司祭たちの奴隷となっていた。

 司教の元へ貢いだ金銭の量を比較したり、若い修道女を競って送り合うなど、日常茶飯事であった。

 教会に響くは祈りの声より囚女の叫び。階級主義を皮肉った文言が巷ではいくつも飛び交う。

 腐敗した政治から脱却するため、または真の祖竜信仰を再び立ち上がらせるため、聖女派は奇跡を信じ教会内部から教皇派に反対し始めた。アトレアはまさに彼らの救世主だったのだ。

「私は祖竜神の瞳と感応し、膨大な知覚能力を得ました。目に映る全てが、私の中で真理と結びついたのです」

 アトレア自身からあふれ出る聖なる魔力。これが聖遺物の影響なのだとしたら、正気なのも納得だ。

 灰色の仮面に付けられたガラス玉の瞳。それは外を歩く亡者よりも不自然で不気味に思えた。

「ですが私は聖女とはほど遠い……。ここに落ちてきた者たちを、私は救うことができませんでした……」

 沼地で水飛沫が上がる。誰かが飛び込んだのだろう。

 彼女はそれに怯えるように身を震わせながら続ける。

「私には……もう、何も見えないのです……」

 顔を上げたアトレアは僕らの方を向く。

 そして意を決したように告げた。

「皆様は教王国に行かれるのと存じます。どうか、お伝えしてはいただけないでしょうか……?」

 竜の寝床に咲く一凛の花。儚げな彼女はそう見える。

 ここで毎日彼らと過ごすということがどういうことなのか。悲運を呪わず、祈り続けるとはどういうことなのか。

 アトレアの長い銀髪が沈むように色を落とす。

「我らのことはもう放っておいて下さい……ここは私たちだけの、聖域でございますから、と………」

 顔の半分が隠されているというのに、アトレアの憂いが手に取るように分かった。

 この地に堕ちてきてなお、神を崇めることを止めない。高潔といってもいい信仰心と精神力。

 僕は彼女と会ってから、何故だか胸の内に言い知れない切なさが込み上げていた。


 沼地の向こう岸までつくと、アトレアはペンダントを僕らに手渡した。

「この壁沿いを進んでいけば、洞窟が見えてきます。古い転送陣がありますので、これをお使いください」

 銀に光るペンダントには、先端に丸い輪が付き、祖龍教国の国章が象られている。

「元はフリート様の聖騎士章でしたが、私たちにはもう必要ございません」

 銀甲冑に包まれた大きな騎士。彼は遂に一言も喋らなかった。

「あの塔は使えなくなったの?」

 カグヤがアトレアに尋ねた。

 祖龍教国が罪人を流罪地区へ送る際、彼らは"虜囚の柱"を使って谷底へ降りてきていた。

 "虜囚の柱"とは、教王国と流罪地区を結ぶ唯一の架け橋であり、流された者の犯した罪過の象徴でもある。

「随分前のことでございますね。老朽して今は使っていない様子です」

 以前ここに来た際は、その塔を使っていたのだろう。

 カグヤたちは納得してアトレアに別れを告げた。

「どうか、どうか彼らに祖龍神の導きを……」

 彼女は別れ際、小さな声で祝詞を捧げる。異教徒とはいえ、僕はそれを妨げるほど信心深くはなかった。

 沼地溜りはサンクチュール周辺だけに見られたようだ。浅くなった水辺を踏みしめながら一行は進む。

 毒気が抜かれた谷の底は、暗いだけの歪な山道のように感じた。

 黒い外套を翻したルリが口を開く。

「カグヤ、祈りの都でアトレアは何に祈っているんだ?」

 神の助けは彼女の祈りに応えるのか。そうでなければ、祈りとは何なのだろう。

「アトレアは救いなんて求めてはいないのよ」

 カグヤが流し目に僕らに向いた後、木立の幹に手を置いて上を仰いだ。

 その続きを、カノンが伏せ目がちになりながら告げる。

「あの場所に留まること、信者たちを庇護すること。アトレアさんはそれを贖罪だと思っているんです」

 教皇に歯向かった罪でここに落とされた彼女たち。ずっと前から、それは変わらないのだろう。

 再び歩き出したルリは言う。

「祈りの都は、彼女たちが許しを乞う為の場所。ここはあくまで、流罪地区ということか……」

 納得しかけたルリは、そこで新たな疑問を続ける。

「仮にも聖女だったアトレアが、教王国に許しを乞うだろうか。彼女が冒涜し畏れ、従順に罪を贖おうとするもの……」

 そこで僕はルリの言わんとしていることが分かった。

 政争まで引き起こした彼女が異様に慎ましく思えた理由。彼女の楚々とした印象があったのもそうだが、あの教会の中でアトレアはまとも過ぎた。

 彼女は聖女という地位の下落や、支えてきた者の変容をその目で見てきたはずだった。だのに、後悔や怒りをおくびにも出さない。長い年月で感情をすり減らした狂気性もない。

 純真な心で、罪滅ぼしをしている。

 僕はその対象を悟った。

「……祖龍神を裏切ったんだ」

 アトレアが敗北しこの地に落ちた理由は、おそらく背信的な行為があったからではないだろうか。

 聖女が犯す律とは。

 深い谷底で、彼女とその瞳だけが抱える真実。

 それを理解するには、まず教王国に向かわなければ。

 断崖の先、光を受けたその側面が、明るく反射していた。




 ■■◇■■




 船を繋ぎ止め、岸に上がる。

 いつもの場所で待っていた騎士に声をかけた。

「フリート様、ありがとうございました。彼の者たちは無事に教王国へ辿り着けるでしょう」

 照らし出された盾が無秩序な光で龍紋の陰影を作り出す。磨き上げられた斧槍が、銀の艶を明暗で区切った。

「何故、復讐を望まぬ……」

 兜の奥に漂うフリートの忠誠心が、洞穴から流れ出る風の音のように低く轟く。

「貴方には、成し遂げるだけの力があろうに」

 一人、また一人と暗い沼の底に沈んでいく。生きているのかどうかも分からない同志たち。

 潔白の彼女を守り切れるだけの力が、あの頃の自分には足らなかった。

 だが今なら、この場所、祈りの都でなら。もう一度彼女を聖女にすることができる。

「お止め下さい、フリート様。私を置いていくことだけは、絶対に許しません」

 無表情に見つめるアトレアの瞳に、銀の光沢が重なり合った。

 聖騎士は願ってなれるものではない。祖竜教国の本軍といっても差し支えない精鋭部隊だ。

 神の祈りを信じ、その恩恵を授かった者だけが冠する称号。フリートの聖騎士二位は大司教と同格の聖職であった。

 若かりし時から体が人一倍大きかった彼は、武人としての才覚にも恵まれていた。北の地から渡ってきた傭兵集団の生き残りが、彼の最後の友であり家族だった。

 祖竜信仰に触れ、尖兵として活躍したフリートは、いつしか部隊を率いる聖騎士となる。

 権力を持ち崇高なる教皇の元に膝を屈した時、腐敗した祖竜信仰の実情を垣間見ることができた。彼らの中で既に祖龍神は死んだのだ。朽ちて骸になった、この地の底に眠る聖なる遺体と同じ。守るべきものはとうにこの世にないのかもしれない。つま先から壊死していく感覚が常に付きまとった。

 そんな折に反政府組織が活動を開始し、教皇に迎合する教会の逆鱗に触れた。

 祈りの君子として、歪みは正さねばならなかった。弾圧を繰り返し、同じ神を崇拝する者たちを押し潰す。それが聖騎士となった己への神の祝福だと思っていた。聖遺物を擁する、聖女と呼ばれた彼女を見るまでは。

 アトレアは権力闘争に敗れ、聖遺物と半身を失った。これが祈りの応酬だとでもいうのだろうか。

 すべてを与えられてきた者たちが、我らから何もかもを奪っていく。

 彼らから身を守り、蔑まれ虐げられてきた者たちが、祈りを捧げる意味とは何だ。

 可逆性を拒まれた祈りと恩恵の間に、朽ちていく無惨な祖龍神の姿を透かし見た。

 フリートは光のない兜の奥から告げる。

「私は、ただ貴方に仕えるだけだ。いつか蒼天に、竜を仰ぐその日が来るまで」

 アトレアが黙ったまま頷き、歩みを進める。

 彼女の元には半狂乱の人々が寄り集まってきていた。

 美しい銀の頭髪が、暗い都の唯一の道標だった。


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