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星の屑から  作者: えすてい
第三章 流れ星に祈りを
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第22節 光あれ

 

 家族と離れ離れになったのは二回目だった。

 朝、目が覚めた私は虚ろな目を向ける。

 もぬけの殻となった毛布を見つめて、私の心は遠く小さく、離れていく。

 ずっと一緒だった姉は少し変わった気質を持ち、落ち着きがなく歩き回ったり、独り言をよく呟いた。激しく怒ったり泣いたりしたと思えば、心を閉ざしたように何も喋らなくなる。注意してもやめない自傷行為を頻繁に繰り返し、まともな人間だとは誰もが思えなかっただろう。

 だけど姉は、私には優しかったんだ。

 彼女が私を傷つけることは絶対になかったし、私が落ち込んでいる時は姉がすぐに慰めてくれた。

『いつも、ごめんね』

 そう言った彼女は軽く頭を抑え、小さな囁きに似た祈りを続け出す。

『天より降り注ぐ光よ。天空より参り、私の中にある闇を浄化したまえ……』

 自分の中の妄言と戦う姉を、私は隣で見ていた。

 落ちぶれた家族を助けるために、私たちは遠方の貴族に身売りを強要された。

 金額は分からなかったが、ここにいる以上、両親が満足するだけの額で取引されたことを祈る以外ないだろう。もう会うことはできないのかな。

 いずれにしても、この過酷な環境であの姉がまともにいられるなんて想像つかなかった。

 夜逃げでもしたのではないかと疑ったが、主人は探す素振りさえ見せなかった。十中八九どこかに売り飛ばされたか、或いは彼女を気味悪がって探す気も失せたのか。

 何ごともなかったかのように振る舞われる日常の中で、姉について詮索する余裕も私にはなかった。

 厳しい躾や教王国の習わしに従うよう調教され、私は近い将来ここの貴族に下女として仕えるのだ。

 貴族の次男の子を孕んだ従者が、私に向けて言う。

『彼らに愛されることを幸福と思いなさい。……下僕のままが嫌ならね』

 横柄だった彼女が主人たちに見せる笑み。篭絡するためなら媚びたような声を出す彼女の器用さに、私は舌を巻いた。その後、流産を理由にあの従者は姿を見せなくなり、別の人間が次の夜伽を果たすこととなった。

 あんなことを押し付けられるなんて、絶対に嫌だった。

 床と寝具の軋み、喘ぎ声、体のぶつかる音。

 あのどれもが私の体の中心から嫌悪感を吐き出させる。醜い顔の男と、醜悪な精神が心の底から拒否反応を示していた。

 十四になった年、私は生きた心地がしなかった。のらりくらり躱してきた次男からの誘い。ついにその歳を迎え、成人になった私は逃げ場を失う。元より私のような身分では、抗えるはずもなかった。

 震える体を引きずられ、あの男の前に立たされる。同じ従者見習いが私を押さえつけ、衣服を引き裂いた。

 涙を流して懇願したのに、暴力でねじ伏せられた私は、ハサミで切り刻まれるような激痛に襲われた。

 荒々しい吐息をかけられ、汚らしい恥辱を飲まされ、体の芯まで汚物に染まっていくようだった。

『お前は顔がいいから、絶対に俺の子を産めよ』

 吐き捨てられた台詞まで、醜い。

 血だらけの床とシーツを自分で片付けていると、止まっていた震えが強まった。

 次男の気まぐれに付き合わされる生活が半年も続いて、私はようやく、自分もまともじゃないことに気が付いた。

 両手の爪をいつのまにか自分で噛み砕き、あばらが見えるほどやせ細った肉体が眼下に広がる。独り言を呟き、訪れない明るい未来を想って剥がれ落ちていく自分自身を遠くに見ていた。

 錯乱しかけた私が客観性を保てていたのは、やはり姉のことが頭に引っかかっていたからだろう。

 今になって、姉に会いたいという想いが溢れていた。もう出会えない彼女と、熱を持たない後悔。

 あの日、あの毛布に残った温もりを、もう少しだけ感じていればよかった。

『私が、連れていくから』

 体調が優れない日が続いていたが、教会へ足を運ぶことだけは止めなかった。

 いつかこの現実が報われる日がくること、同じ空の下で姉が生き続けられること。

 それだけを私は祈り続けていた。

 それだけが私の心のよすがだった。

 ある日、私が暇をもらい教会へ赴いた時だ。朝から気分が悪く、体が重い。限界に近付いていく体と精神は、徐々に日常生活に支障をきたしていた。

 月経がもう二か月はきていない。あの男の子どもを孕むなんて、考えたくもなかった。

 命を絶とうとも思ったが、姉のことを考えるとどうしても実行に移すことができなかった。

 一心不乱に祈ることで、私は不安を忘れるように振り払う。自分の肉体に別の精神が宿る。そんなの、恐怖でしかない。

 祝詞をあげる若い神官に頭を下げて、ひたすらに願った。

 私はただ、安心できる場所が欲しいだけなのに。


 目を覚ますと、私は白い部屋の中で横たわっていた。

 襖に四方を仕切られた小さな空間。

 どうしてしまったのだろう。

 朧げになっていた意識を揺り動かす。

 ―――突然、右目に強い違和感を覚えた。

 鈍化していた感覚が一斉に覚醒を始め、目に入るあらゆるものが脳内で細かく認識されていく。

 必要のない情報まで頭の中を駆け巡り、加速し続ける脳の回転が焼けるように痛みを発した。

「うぅ……あぁッ……!!」

 呻き声を上げた私に反応し、引き戸の一角が開かれる。

 先ほどの神官が現れ、私の隣に膝をつく。

「大丈夫か? 頭が痛いのか?」

 彼は私がどこかの女中であると分かってはいても、どこに知らせればよいか分からなかったのだろう。

 教会で祈りを捧げている最中に倒れた私は、納屋のような場所で寝かされていた。

 加熱を極める頭の中。先ほどまで見ていた部屋の景色が、目を瞑っていても脳の中で何度も繰り返される。

 私は薄く開けた瞼の隙間から神官の顔を見た。

 戸惑う表情、瞳孔の動き、汗の量、装いの汚れ、言葉遣い。

 知りたくもない、分かりたくもない情報が、次々と脳内を席巻していく。

「はぁっ………はぁっ……!!」

 息を荒げる私の様子を慌てた神官が見つめる。

 私は次第に追いついてきた思考で正気を保った。

 右目が溶けそうだ。熱くて熱くてたまらないはずなのに、全世界の理を紐解くまで終わらない昂りが巡り続ける。

 家族と離れることも、失うことも、したくない。

 もうこんな生活は、人生は、たくさんだ。

 現実からの脱却、私自身が掴み取る青い大空。優しかった姉は、空が大好きだった。

「……神官様、お恥ずかしながら、厠の場所を聞いても?」

 私の突然の言葉に驚いた神官は、一拍おいて声を出した。

「この襖の奥の突き当りを……!? に、女官に案内させよう!」

 神官は私の血が付いた袴をちらと見て態度を変える。

 取り乱すように言いながら部屋を出ていった。

 爪の剥がれた指先から血が滲む。股下と敷かれた布団に、べったりと血を付けておいた。

 神官の出ていった反対の襖を開けて、小さな部屋の外へ足早で出ていく。

 ここは教王国でも一番大きな教会だ。厠の位置も把握していた。重要なのは、この部屋の位置と本堂までの経路。

 病かもしれない私を隔離するとしたら、どこにする?

 教会が作られた際に重要な、定められた方角、建物の配置。外から見た時の敷地内にある景色、奥行きと様式。

 重なる知識と記憶の断片を繋ぎ合わせ、必要な情報を一つずつ埋めていく。

 引き戸を開け放ち、外への階段を下る。袴に手をかけ紐を緩め、帯を外して衣類を脱ぎ捨てた。

 小さな教会ならいざ知らず、この教会においてあんな若い神官に祈祷を務めさせることはあまりない。

 相応の役職についている神官が、本堂に出てこられなかったのには理由があるはずだ。

 生垣をよじ登り屋根に上った私は、方角と建物の配置を把握した。

 瞳に映る全ての景色が網膜に焼き付いた瞬間、理解を超える情報の渦が流れ込んでくる。

 目を覆いたくなるような忌避すべき感覚を無視し、私はすべてを受け入れるように大空を仰いだ。

 右目が光り輝いたのと同時に、私には"それ"がどこにあるのかが分かった。

 この地で発見された神の遺体の一部である、祖竜の瞳。

 身勝手な妄想かもしれないが、私はその瞳に呼ばれている気がした。

 理由も根拠もない衝動で、私をここまで突き動かせた。

 もう既に、私はまともではないのかもしれない。

 滅多にお目にかかれない聖遺物のお披露目に、高位の神官がたくさん集められているのが目に入った。

 年に一回そういう催しが開かれているというのは、奴隷であっても耳にしたことがある。

 感じる、近くにある。

 私は屋根伝いに走りながら下着を取り払った。

 司教の格好は遠目でもよくわかる。権威をそのまま重ね着しているような衣装だ。

 そうでなくても本堂からくる魔力が高まっているのが、否が応でもこの瞳には視えてしまう。

 どよめき、ざわめき、聞こえてくる騒々しい声。瞳の本体に何かが起きているのは事実だ。

 それがいつもは起こらない事ならなおさら、重なる事柄でさえも奇跡だと錯覚してしまう。

 私は屋根を蹴り高く跳んだ。身に纏うものは何もない。服装で身分が明らかになるのが煩わしかった。頭がおかしいならおかしいで、もうそれでいい。

 高位の神官が集まる中を私は戸を蹴り破り、本殿に侵入した。

 気付いた何人かが振り返って私を睨みつける。

 だが、激しく非難する物は誰一人としていなかった。

 私は勝利を確信する。

 この残酷な現実を、ひっくり返してやった。

「お、おい、あれ……!!」

 伝播していく私を見つめる瞳。異形の怪物でも見たかのような面食らった顔。

 部屋の隅から隅まで光で満たされ、眩しさに目を背ける者までいる。

「これは……一体……?!」

 本殿の最奥に位置する台座の上には、輝く大きな石玉が存在感を放っていた。

 あれが、祖竜の瞳。

 私の右目には何の力もないはずなのに、どうしてここへ導かれたのだろう。

 聖遺物の発光と同時に登場した一糸纏わぬ姿の女性。

 その女の右目が、同様に光を帯びている。

 こんな不可思議な光景を目の当たりにして、誰がこの奇跡を否定することができるだろうか。

 信心深い者たちだからこそ、認めざるを得ない。我らこそが敬虔なる信徒であると誇りたいがために。

「お初にお目にかかります。私が祖竜神のご神体を受け継ぐ者、アトレアにございます」

 両目に映る青い空と、輝く瞳の意志を前にして、私はどうしようもなく、濡れてしまった。


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