第18節 暗い閃き
魔力の粒となって風にさらわれていく少女の姿。
僕は脱力してその場に倒れ込んだ。
死力を尽くして戦い抜いた今までとは違う。
魂が疲れきったような、力の根源が絶えていく喪失感。
魔王を倒すことだけを考えてきたはずなのに、余計なことばかり考えてしまって全く前に進めていない。
自分が幼く、経験が足りていないからだろうか。今まで大事なことをすっ飛ばしてきたツケだろうか。
ぐつぐつ煮えたぎるような心の中身。理性と本能の間で左右に引き裂かれる青二才。
自分で言うのもなんだが、この双肩に世界の命運がかかっているとはとても思えなかった。
静かになった僕の周りに、光の魔力がうっすらと消えていく。
魔力の探知が思ったよりも阻害される。慣れない土地勘がこうも牙を剥くとは。
ルリたちが僕らを見つけるのに時間がかかりそうだ。
そんなことを考えていたところ、
「ほら、やっぱりここにいた!」
頭上から声が飛び込んできた。
横に伏せたまま、僕は目線を向ける。
「魔道士君、大丈夫か?」
駆け寄るルリたちの言葉を聞いて、少しだけ安心した僕がいる。
「ええ、なんとか。……いてて」
思い出したように貫かれた肩を庇いながら立ち上がる。
興奮が冷めてきて、痛みがじんじんと押し寄せてくる。
幸い、孰湖の方は無事に倒せたみたいだ。
彼女たちは存外傷ついた様子も見受けられない。
「あなたたちは、何者なんですか……?」
僕は改めて"エルフの耳"、もといカグヤとカノンに尋ねた。
二人は顔を見合わせず落ち着いて答える。
「……実は私たち、冒険者をする傍らで、魔神たちを倒す旅をしているの」
カグヤの放った言葉に頭が痺れた。
魔神を倒す旅だって?
荒唐無稽に思えるような響きだったが、彼女の実力なら有り得る話だと思った。
「今回は、お二人を巻き込んでしまった上に、助けられてしまいましたね」
「いーや! あんなの私たちが揃っていれば余裕だったわよ!」
「お姉ちゃん、あんなの見せられた後に強がっても仕方ないでしょ」
カノンはちらりとルリのほうを見た。
ルリはルリでいそいそと僕の身なりを整えている。
甲斐甲斐しい彼女の手をどけて僕は睨む。
『あんなの』とは、えらく驚かれているじゃないか。一体どんな魔法を使ったんだルリは。
僕の頭に旅の道中で魔物を殲滅していく百戦錬磨の姿が想起された。
……思い当たる節が多すぎる。
後ろ髪を払ってカグヤは言う。
「ま、確かに。あなたたち二人がいなかったら、ほんのちょっぴり危なかったかもしれないわね」
顔も見ずに言う彼女の言い方は高慢に思われるだろう。
しかし無礼を働いたのはこっちからだ。
今更態度云々でケチをつけるつもりはなかった。それにカグヤが言っていることも的外れというわけでもないのだから。
ルリは二人に向けて告げる。
「礼はいい、あれと戦って無事だっただけでも奇跡に近い。それよりも……」
言葉を濁したルリが珍しくて、僕は眉間に皺を寄せる。
忖度を気にしない彼女が躊躇うなんて、何事だろう。
彼女は突然、僕に目を合わせ尋ねてきた。
爛々と輝いた青の瞳が揺れる。
「君は何も感じないのか?」
びっくりした僕はルリとカグヤたちを交互に見まわす。
困惑する二人は先ほどから首を傾げていた。
その様子を一瞥した彼女は、息をすっと吐き出して、僕にゆっくりと喋った。
「彼女たちは御言葉だ―――」
晴天の霹靂とはこのことか。晴れ間がさしていた空に突如雷が鳴り響く。
声を遮られたルリが咄嗟に呪文を唱えたが、それよりも早く半透明の結界が僕たちを覆う。
「二人とも! 私から離れないで!」
叫んだのはカノンだった。
濃い魔力で満たされた結界の中、僕らは空を見上げる。
一瞬の出来事だった。
落雷が頭上から降り注ぎ、音と衝撃が叩きつけられた。鼓膜を震わせる振動さえくぐもったように聞こえる。
木の上にいた軍服を着た魔法使いが、僕らに狙いを定めて攻撃を仕掛けてきていた。
「頭上に一人、後方に二人いるわ、気を付けて!」
カグヤは気配を察知して周囲を警戒する。
相変わらず探知の効かない僕の魔力は、情けないことに何の役にも立っていなかった。
「お姉ちゃん!!」
「分かってるわよ! 多分この子たちじゃないかしら。……あなたたち、何か訳ありなんでしょ?」
カグヤとカノンの視線が僕らに向けられた。
僕とルリも顔を見合わせることなく頷く。
それを見たカグヤは、にやりと笑った。
「事情は後で説明してもらうわよ。カノン、笛、使っていいわ!」
言われたカノンは、首からぶら下げていた白い手のひらほどの笛を握りしめ、吹口に息を送る。
笛を媒介とする触媒魔法。息を吹きかけると、不思議な音色がカノンを中心に広がっていった。
奏でられた音は繊細で荒々しさはない。優しく染みわたるようなそれでいて力強い聞き心地。それと同時に魔力が発せられ、否応なしに森の中に木霊する。
追手の魔法使いの体の周囲に、白い魔法陣が浮かび上がった。
薄い結界の幕を取り払いカノンは叫ぶ。
「さあ、早く!」
走り出したカグヤに続くように、僕らは一目散に深い森へと消えていった。
■■◇■■
翼竜に乗った兵士の一人が丘の上に降り立つ。
オオトカゲと呼ばれる、人の手で飼える最大規模の魔物。
軍事運用し始めたのは別の国だったが、今ではどこの国でも躍起になって魔物を使役していた。
獰猛な目の下から透明なひだがちらちらと動く。自身の吐き出す熱から角膜を保護するための瞬膜。
翼竜兵は空中を自在に飛び回れる利点から、斥候としての側面が強い。
偵察や視察を目的とした少数精鋭で組織され、その迅速さや魔法の痕跡を残さないところも優れていた。
兵士は告げる。
「ヘルメル団長、森林部の奥地で雷鳴が確認されました。副長の魔法だと思われます」
丘の上にはもう一人、第五師団長ヘルメルが佇んでいた。
北地での任務を早々に切り上げ、本国へと戻ってきた。
彼の今の第一目標は、師であるモーガンスの仇。罪人の打倒、ただそれだけであった。
"欺きの森"と呼ばれる一帯。
軍部でも霊峰に関する知識はあまり多くない。
とりわけ森林部の奥地には神獣が住まうと恐れられていた。魔力が乱れ、入ったものは二度と出てこられないような、まさしく樹海という表現が適切、そんな場所だ。
逃亡者たちはこの場所の特質を知っていたのだろうか。強力な魔物が待ち伏せしている厄介な森だ。
捜索が難航するのは時間の問題だった。
ヘルメルは苛立ちを募らせていく。
こんなところに人海戦術で人手を割けば、必ず犠牲者が出るのは容易に想像ができた。
わずかな魔力の痕跡を辿り、地道に進むしか方法はなかった。
ペンタギアノのといえど、霊峰の地形には逆らえない。
そんな時だ。
邪悪な魔力が湧き上がり、森の奥が燃え上がった。欺きの森の淀んだ魔力が引き裂かれ、一瞬だけ全容が現れる。
邪悪さに紛れた、見知った二つの魔力。
先生の仇、彼らはこの森にいる。
すぐに速度に優れた部隊を現地に向かわせ、目標の居場所を突き止めさせた。
本隊は山岳で駐屯し知らせを待つ。
霞がかった逃走劇に待ちわびていた光明が差した。
おぞましい魔力の持ち主については気にならなくもないが、今は学院長殺しを捕まえることが最優先だ。
先行させた副官が魔法を使ったということは、事態が好転しているという兆しに他ならない。
合図したヘルメルが翼竜隊とともに浮かび上がる。両腕につけた手甲が電撃を帯び始めた。
「行くぞ」
轟音とともに飛び出した彼に続いて、翼竜兵たちが吠えながら空に羽ばたいていく。
森に潜んだ魔物たちは魔神の魔力を恐れ身を隠した。彼らが上を通り過ぎる人間を襲う余裕などない。
静かな森の上空で、ヘルメルは片腕を真っ直ぐ前に向ける。
特殊な形状をした手甲が、一気に弾け飛んだ。
細い電気の帯がもう片方の手甲と繋がり、引っ張るようにヘルメルの体を持ち上げた。
そのまま高速で飛び去る彼に負けないよう、大きな翼を揺らす翼竜たちが後を追う。
副官による雷の追撃が続けて行われることはなかった。戦闘は終了したようだ。
ヘルメルは背の高い木立の上に留まった。
魔力を込めた左腕で梢を掴み直すと、魔力の残滓を感覚で探した。
電気は時に互いを引き寄せ合う性質を持つ。
魔力に頼らず副官の放った雷の痕跡を辿る。
翼竜兵が追いつく頃には、ヘルメルは手甲を飛ばしていた。
「様子がおかしい。周辺を警戒しろ。バルデスのいる森には絶対に降りるんじゃないぞ」
指示を出すと、すぐに手甲の元へと発つ。
引き寄せ合う磁力の力を利用し体を宙に飛ばす。
戦闘があったのは違いない。だが、その痕跡が少なすぎた。
あの阿呆は何をやっているんだ。
降り立った森の中、ヘルメルは残留する魔力にあてられ、久しぶりに背筋が伸びる思いがした。
古臭いが洗練された魔法。その余波だけで優れた魔法使いであることが分かった。
……だが疑問に思うことがある。
背の高い木の根元、座り込んでいた副官を見つけた。
負傷していないのがどうにも解せない。
ヘルメルの姿に気付いた彼らは、急ぎ立ち上がると敬礼して告げる。
「団長! 申し訳ありません! 捕らえ損ねました!」
「そんなもの見れば解る。状況を伝えろ」
冷徹な言葉を浴びせられた副団長は、言われた通りすぐさま口を開ける。
「罪人の魔導具の使用により、一時的な禁呪状態であります。雷撃を凌ぐ防護魔法も確認できました!」
忌々しい。苦虫を潰したような顔でヘルメルは副官を睨む。
魔物に見つかることも気にせず大声で怒鳴りつけた。
「奴らは先生を殺した相手だ! 奇襲程度でどうにかなるとでも思っているのか!」
見つけた時点で報告を怠ったこいつの責任だ。
功を焦ったばかりに大きなチャンスを逃した。
御言葉を名乗った傲慢な罪人を捕らえた後、痴れ者であるこいつの処遇を決めるとしよう。
雷で丸焦げにしたい気持ちを抑えていると、震えながら副官はさらに告げた。
「恐れながら、人数が四人に増えておりまして……さらに内二人は、エルフであります!」
ヘルメルは衝動を忘れ目を細める。
そして低い唸り声のような声で問いただした。
「……おい、それは本当か」
冷や汗にまみれた副団長は必死に叫んだ。
「は、はい! 女魔法使いと、鎧の少女! 二人とも長い耳と薄紫の髪の毛で……」
言葉に詰まった彼はそこで思い出した。
「団長、彼らって―――」
途中まで語っていた副官は、ヘルメルの鋭い拳に叩き伏せられる。
まとわりつく雷撃に痙攣する様を見て、彼の部隊の兵士が悲鳴を上げて後ずさった。
翳りを見せたヘルメルの表情は、継ぎ接ぎの布のように不気味な陰影を浮かべる。
彼は笑っていた。
あれほど邪悪で愉しそうな笑顔を、兵士たちは金輪際見ることはないだろう。
「―――撤退だ」
「は?」
突然言われた命令に、思わず兵士たちは聞き返す。
だが空に上がったヘルメルはそれ以上何も言わなかった。
赤く染まりつつある天窮の下、昂った感情を抑えられないほどの速度で駆けていく。
……エルフと、御言葉。