第17節 飛びたつ小鳥
「どうかなさいましたか?」
視線の先を遮るようにしてドーラが声をかけた。
生垣に囲われた貴族御用達の自然豊かな園庭。もちろん貴族でなくても入園は自由だ。
たくさんの領地を持つ貴族たちにとって、その広大さを披露することは社交界で必要不可欠だった。
王族や位の高い爵位の貴族からの信頼、支配力と権力を示す目に見える物差しとして、豪華な庭や屋敷を見せびらかすように所有する。
自身の名声を轟かせることばかり考え、富や栄誉こそが世の理と信じて止まない。それが貴族。
一定の貴族だけの話ではあるのだが、民衆から評される噂というものは、悪いものの方が広まりやすい。それにどうしたって領地から収入を得る都合上、領民とぶつかり合うことは必然と言わざるを得なかった。
全員が全員、自治領の統治を思うように行うことができないのが実情として挙げられる。
だが、学院の中に作られた優雅な雰囲気を出す庭園は、そんな貴族社会とは無縁のものだった。
元々絵画の中で描かれてきた古代や神話時代の情景を、目で見ることに満足しない領主が再現し始めたことに始まる。
アンティークな建造物や家具、そこで行われる催し物。神話性を具現化した庭園は、時代を超える芸術作品となって流行り出した。
作り込まれた世界観と宗教的な意味合いも混ざり、貴族の館の近くには、古風な庭園の設置が嗜まれた。
淹れたての紅茶から風味豊かな香りが漂う。茶器の持ち手が、利き手に向けられたまま置かれている。
邸宅から運び入れた茶葉はすでになくなり、首都ヤミレスで新たに仕入れた異国の茶だ。
普段の紅茶よりも随分赤みが強く、蜂蜜を少しだけ入れて飲むのがここらの流行りらしい。
私は訊かれたはずの声を聞き落としそうになりながら、目線を下げた後でそぞろに言葉を紡いだ。
「……いえ、少し考え事をしていただけです」
二つ結びにしたドーラが顔色一つ変えず、私をじっと見つめていた。
「学院も、色々慌ただしいようですからね」
ドーラの視線が私の背後に送られる。
そこには、鎧を身につけた衛兵が生垣を背に立っていた。
元学院長を殺害した御言葉を名乗る二人組は、依然として逃亡を続けている。
その報せはヤミレス中に轟き、彼らの存在は瞬く間に広まっていった。
中央都市国家ロキは彼らを重犯罪人として認定し、軍を挙げて追跡を行っているそうだ。
軍部に精通していたモーガンスの影響もあってか、ペンタギアノまで出動しているとか。
部外者の侵入を許し、剰え長まで殺された学院は、その非難を一身に受けなければならなかった。
軍部はもとより、生徒を預けている貴族、有力な商会からもその信用の下落を招いた。
モーガンスの非道も少しずつ巷に溢れだし、すべてを収めるには相応の時間と労力がかかるだろう。
半数以上の生徒が学院から去り、風評被害を恐れた教授たちもいなくなってしまった。
さらに管理体制を指摘された学院は、軍部の指導という名目で、敷地内に衛兵を配置することを義務付けられた。
管理局がそれをよく思っていないこともあって、現在の学院は穏やかじゃない雰囲気に包まれている。
講義は教授陣の数が不足し間に合っておらず、以前までのような賑わいは失われていた。
モーガンスに代わって学院長に抜擢されたのは、理事長であり学院内で最も勢力の強かったマーシャだ。
失墜していく学院を任されることになった彼女は、軍部と学院内の軋轢によって苦しい立場となっている。
誰もこんな状況下で責任をとる立場にはなりたくない。そんな思惑に担ぎ上げられてしまったのだろう。復讐を終えた彼女がここに残る理由なんてもうないはずなのに。
寂しさが漂う庭園の中から、山脈を見上げた。
ついさっき報せを受けた父親から、伝書鳩にて今後の方針についての手紙を受け取った。
学院に通い続けることもできるし、故郷ルールエに帰ることもできる。
学院に通うことが父親の命だったとはいえ、学院長の殺害はその想定を超える事態だった。
ふと気配を感じて顔を向ける。初老の男がこちらに歩いてきていた。
髪の毛の生えていない艶のある頭。浅黒い肌をした彼は気さくに声をかける。
「お待たせしたな」
クィーラは立ち上がって返事をした。
「忙しいところすみません、マテウスさん」
見慣れない服で登場したのは、マギで一回戦を戦った白金位の魔法使い、マテウスだった。
「教師どもが学院の仕事を放って国に帰ったからな。本当に、度し難い連中だ……」
学生の中には学院から離れず留まる生徒も多かった。
学位が高いほど、その傾向は顕著に見られる。
逃げ出した教師陣が足りない今、マテウスが教授の代わりに教鞭を持つこともあった。
教授としての権限も扱えるようにはなるが、白金位の彼にはそこまで代わり映えのない報酬だ。
マテウスが気になっているのはそこではなく、
「クィーラ、どうして君が教鞭を振るわない?」
まず口をついて出たのはその言葉だ。
認めてくれていることに嬉しく思う反面、人にものを教えるほど自分ができた人間だとは思っていなかった。大会で優秀な成績を収めたのも束の間、私には人の理解を柔軟に追っていけるだけの熱量もなければ、それに付き従う慈愛も持ち合わせてはいない。
マテウスに苦笑しながら、私は返事をする。
「私はまだ未熟も未熟ですから、講義なんてそんな……。ところで、例の件はどうなりましたか?」
うっすらと頭にかいた汗を拭いながら深い溜め息をつき、マテウスは懐から一冊の本を取り出した。
「教授の権限であっても発禁処分の本を持ち出すのは骨が折れるぞ。あの小僧にでも任せればよかったのだ」
小僧とは、パレッタのことだろう。
私が盗みをお願いするはずなんてないのに。
恨み言を呟くマテウスから本を受け取り、その表紙に記載された題名を目で追う。
『ジョルムの大迷宮』
硬い羊皮紙に細かく書かれた文字の多さと、材質、紙漉きの技術からその古さが窺えた。
本物で間違いなさそうだ。
「ありがとうございます!」
礼を受け取ったマテウスは告げる。
「何度も言うが、本当に行くのか? 墓荒らしなぞ、碌な死に方をせんぞ」
手に持った本から目に目を向けたまま、私はそっと話す。
「私の目標は、偉大なる魔法使いを目指すことなのです。ここで立ち止まっているわけにはいきません」
遥か遠くに聳える霊峰。
大事なものを失ってでも、彼らは進み続けているのだ。
私だけ、泣いてばかりではいられない。
―――とある炭鉱の町で、採掘中の洞窟に大穴が発見された。
当時、燃える石として、魔法の使えない者たちが重宝した、生活を豊かにさせるための石炭。その鉱脈付近に住まう者たちで寄り集まった集落があった。彼らは採掘業で日銭を稼ぎ、そこで生活をしていた。
炭鉱夫たちが見つけた大きな穴は、自然にできた洞窟というよりも、人工物に近かった。
ロキより遥か北の地、ジョルム地方にあったその大穴は、古代の遺跡として国の指定する調査区域となった。
地下に繋がる空間は歪な形に下へ下へと繋がっており、奥深くに眠る何かを守るように魔物が中で息を潜めていた。誰が何のために作ったのか分からないその地下迷宮は、未だに解明されていない謎だらけの遺跡だった。
かつて、その実地調査に赴いた北方連合の冒険者たちは、勇んで大迷宮に挑み探索を行った。中から発見される古代の遺物は非常に精工で芸術的、考古学的に価値のあるものだったため、希少な価値がつけられ地上で人気を博した。宝物が掘り出されると耳にした冒険者たちは、こぞって探索を申し出るようになった。
集落は次第に大きくなり街へと発展を遂げる。炭鉱夫たちの仕事は国営の下働きに変わった。
迷宮の中に眠る財宝を求めた彼らは、一攫千金を夢見て中へ中へと下っていく。
それこそが、大迷宮の罠だとも知らずに。
ジョルムの大迷宮と呼ばれたその遺跡は、後に起こった大きな悲劇を繰り返さないために、いつしか封鎖されてしまった。
今ではどこにあるのか、そもそもまだ存在しているのか。怪しい歴史上の戯言となり果てて彼らの夢は人々から忘れ去られていく。これが禁書となった理由は言うまでもなく、危険性が高いことと、情報統制のためだろう。
だが、私が求めているのは眉唾なゴシップが好きだからとか、ジョルムの隠された国家機密を暴きたいとかではない。
当時の調査書は北方連合の崩壊によりその殆どが失われてしまっていた。記録を模写したものなのか、或いは捏造されたものなのかの判断は、今では正確にできない。
しかし、共通して書かれることの多い表現の中に、信憑性の高い言葉も存在していた。とりわけ明示されていたのは大迷宮が何のために作り出されたかということだ。
解釈の一致。通説になっている大迷宮の別名は、"神の霊廟"だった。
ダルク教の信徒たちはこれをどう解釈するのだろうか。
クィーラの胸の内にはある一つの希望的観測があった。
『光の導きを信じよ』
カップに残った紅茶をぐいと飲み干すと、肩を竦ませたマテウスにこう言う。
「学院のことは頼みました」
早足に庭園を出ていく若い魔術師に、腰に手をあてた中年のマテウスは吐き出すように言った。
「若いってのはいいよなぁ……」




