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星の屑から  作者: えすてい
第三章 流れ星に祈りを
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第14節 呪われた力


 鎖の先には魔神に体を明け渡したハオがいる。もう意識が残っているのかさえ怪しい。

 霧のせいで分身体を切らされた私は、魔法による罠を踏まされた。

 戦い方ががらりと変わった。今あそこに立っているのは、覚醒した魔神だ。

 喉を鳴らす不気味な音が、再びカグヤの耳に届く。

「ヤット、つカマえタ。ミエナい、マリょく」

 私の特異性にこの魔神は今頃気付いたようだ。

 切れない鎖が軋んで音を立てる。

 望む望まないに関わらず、私はまた危ない橋を渡っていた。カノンには三日三晩文句を重ねられるだろう。

 だが、こうするしか方法はなかったのだ。

 依代となった村の子ども。彼も決死の覚悟だったに違いない。あの倒れた少女を救うために、自らの命を魔神へと差し出した。

 憎むべき魔神への反抗を歯を食いしばって受け入れ、村が存続する道を選んだのだ。

 私は高潔なる彼の魂を馬鹿にしたりはしない。

 魔神は青年の体を立ち上がらせて声を出す。

「落陽ノ雫、穿つミナもの踊躍、シタたルは冠すイの星々……」

 不協和音織りなす呪言の響き。重なり合う音の波が雑音に似て不気味に蠢く。

 引き寄せられていく水の粒が、宙で細く伸ばされ線を作る。

「……無名のセキ日ヨ、ワがモとへ参れ!!」

 水を纏った体が大きく揺れ動くと、内包されていた姿がゆっくりと(あらわ)になる。青年の体は取り込まれ、再び女性の上半身に成り代わった。

 下半身は四足歩行動物、尾は胴の長い爬虫類。背中からは鳥の翼が生えたその姿は、神々しささえ宿る、まさに神そのものだ。

 先ほどまでとは違う、肉の体を得た完全変幻。水っぽさを失った代わりに、現実的な艶がのった美しさ。

 馬蹄を踏みしめながら乳房が揺れることも厭わず、私に向かって孰湖は突撃してきた。

祇水嶷(ウンディーネ)!!」

 巨大な水の円環を背中に作り出しながら、体の数倍はある翼をさらに広げ、孰湖は魔法を唱える。

 立体的な軌道を描きながら殺意纏う魔力の塊が、人智を超えた速度でカグヤに向かう。

 常人であれば、追いつくことのできない高速の世界。

 死を誘う水線の先で、カグヤの瞳が薄紫に光った。

 支配空間(コントラウム)で推進力を得た魔法の一撃を、さらに加速した彼女がそれを躱す。

 圧倒的な魔力を帯びた祇水嶷は地面に着弾し、激震の後、水煙と土煙を同時に発生させた。

 思い一撃の余韻を待たず、カグヤは一瞬で間を詰める。返す刀、水の流れを断ち切るようにして剣を切り上げた。

 肉体を取り戻した孰湖の翼がそれを受ける。剣と交わり、せめぎ合った。

 色のない瞳孔。輝く薄紫。

 水刃纏った孰湖の右腕が、カグヤを横から切りつける。魔神の翼を蹴り、彼女はこれを躱す。

 空中で一回転したカグヤは、再び魔神に近付くために足場を見る。だが、その致命的な過ちに気付いた。

 軋む音、繋がれた鎖が牙を剥く。

 孰湖の瞳がカグヤを捉え、強い力で鎖を引き寄せ、小さな体の自由を奪った。

 右手に絡む鎖に引かれ、バランスを失う。

 水刃の先がカグヤの右肩を直撃した。

 鮮血の飛沫が舞う。

 ……あぁ、もう、最悪。

 そのまま鎖を引かれ、魔神の前に引きずりだされる。

 水の滴った、千切れそうな腕の痛みにもがく。

「――ッぐ!!」

 鈍い音と同時に背中に大きな馬蹄が食い込んだ。衝撃で全身が震え、骨と臓器が圧迫される。

 孰湖は高い位置から喉を鳴らし音を出す。

「きミョう、きミョうだ、キサマは、ナンなノダ」

 何度も何度も蹄に蹴られ押しつぶされ、私は息も絶え絶えになりながら、浸る水面を見つめた。

 濁ったような鏡。乱れる自らの姿。広がる赤い血液。

 (いなな)くように高く振り上げた二つの前足が、勢いよくカグヤの体に叩き落された。

 その衝撃によって地面に溜まっていた水が跳ね上がる。固形物になった水が重力に従って落ちてきた。

 カラカラと転がる光る結晶。湿り気が消え失せ、水の動きが鈍くなった。

 カグヤは溜まった苦痛を押し出すように咳き込む。刺すような痛みに、鼻の頭がツンとした。

 気温がぐっと下がったような気がする。冷たくなった地面。

 頭上にはうっすらと半透明な膜。孰湖からの一撃を防ぎ、カグヤを包み込む。

 霧が次第に晴れて、地面の霜を広げていく。

 魔神の支配空間(コントラウム)が終わりを告げる。

 次第に開けていく視界、薄氷が見え始めた。

 肩の血は凍って止血され、氷に覆われた体を捻り上を向く。

「ご機嫌よう、エルフの冒険者。今言うのもなんだが、先日の無礼は許してほしい」

 青い瞳の魔法使いが、その身に纏った氷の甲冑と些か大きすぎる戦斧で孰湖の前足を受け止めていた。




 ■■◇■■




 露払いするように辺り一面を氷の世界に変えた。

 警戒した怪物は後ろに飛び退く。

 砕かれた氷の粉塵が空に舞う。

 魔力探知が働かない森の中、少年の軌跡を辿ってきた。

 (ようや)く爆音が聞こえて駆けつけたと思えば、彼はいない。

 さっきの魔力の根源はこの魔物で間違いなさそうだ。

 氷の杖を握る力を強める。

 支配空間(コントラウム)による妨害と、氷の召喚魔法に時間を割きすぎてしまった。

 私はカグヤと名乗っていたうつ伏せのエルフを支え、魔法による治癒を施しながら尋ねた。

「私の連れの少年は見たか?」

 カグヤは胸を抑えながら苦しそうに言う。

「ええ、霧でどこかにはぐれてしまったけど……まだ近くにいると思うわ」

 私たちの会話を待つ気はさらさらないのだろう。

 水の魔法が前方より放たれる。

 カグヤは目でそれを合図していたが、私は気にせず回復魔法に注力した。

 高出力を誇った攻撃が氷の鎧に直撃する。湾曲した表面を反射するかのように水が散っていった。

 ぶつけられた衝撃を尽く弾く頑丈さに、魔物の顔が一瞬だけ曇ったように見えた。

 私は氷の魔法でカグヤを覆い隠して振り返ると、杖を片手で持って魔物の方へ歩き出す。

 背後を覆うような氷の召喚獣もそれに倣い、雪の結晶を撒き散らしながら歩む。

 背後でカグヤが呟いた。

凍土の騎士(アルプトラウム)……最初の竜殺し………」

 学院の闘技大会で召喚したのは装甲のみだった。

 即効性と強度を引き換えに、一瞬で瓦解していた召喚獣。

 だけど今回は違う。詠唱も魔力も完全なもの。顕現するに相応しい精霊を召喚した。

 半透明の巨人が兜の隙間から魔物を見下ろす。

 両手に携えたバトルアクスを振り上げて私に追従する。

 魔物が雄たけびを上げ魔法を唱えた。

 水の輪を、広げた翼の後ろに拡散していく。

 溜め込まれた魔力が水となり、湖の体積を凌駕していく。恐らく今までとは比べ物にならない強力な魔法がくる。

「原初は水だと嘯く者も多いようだが、あれはペテンだ」

 私はそっと独りごちてから、巨人に囁く。

「氷こそが生命の始まりだ。屠れ、竜殺し」

 魔物が放った数十発の水線が結晶の鎧に激突した。

 再び水煙がもうもうと立ち込めていく。

 轟音が響く森の中で、それでも前進を続ける凍土の騎士(アルプトラウム)。水圧を高める魔物に対して、巨大な戦斧を振り下ろした。

 生きてきた中で、これ以上に匹敵する物理的な力の爆撃を知らない。

 戦斧が水の魔法を跳ね返しながら魔神に直撃する。

 大地が揺れ動き、地面が裂かれる。強烈な破壊音と地響きが、暴風を呼び周りの木々を吹き飛ばした。

 その余波に巻き込まれないように私は片膝をつく。飛んでくる木々に当たれば、即死は免れない。

 神々しく光る戦斧と、失われた時代を生きた巨人。

 その力の所以はどこから来ているのか。

 水の輪を全て消滅させ地表に穴をあけた一閃は、直撃した魔物の歴史、その全てに終止符をうつ。

 砕けてめくれ上がった地面から、大岩の破片ががらがらと中心に向けて転がり落ちていく。

 土埃が風になびき、重々しい痕跡を明らかにした。

 竜を屠った一撃。想像を超えた破壊力。

 割れた断面には底が見えないほどの深い地割れが覗き見える。ただの森が一瞬にして断崖と化す。

 ヒビ割れた痕の残る崖下に、弱々しい魔力の欠片が漂う。

 ルリはその直上から真下を覗き込んだ。

 魔法による再生が追いつかず、ぷるぷると身体を震わせ潰れた魔物が見える。足りない魔力を注ぎこみ、機能しなくなった部位を小刻みに動かす。

 力の差は歴然、勝つ見込みのない戦い。

 たがこの怪物は未だに諦めようとはしていない。

 そうまでして食らいつく理由は何だというのだ。

「あなた……何者なの……?」

 呟くカグヤに視線を向け、私は逆に尋ねた。

「その前に、少し状況を整理したい。あの魔物はなんだ?」




 ■■◇■■




 動けない、気の遠くなりそうな痛み。

 意識の混濁が僕の脳を八つ裂きにしていく。

 シュエ………。

 いつも傍で笑ってくれた君のことがずっと気がかりで、自分の人生を邪神の中に放り投げた。

 後悔はしていない。

 どうせ、未来があるとは到底思えなかった。

 一人の犠牲であの笑顔が守れるのなら、安いものだろう。

 深い深い水の中に打ち捨てられ沈んでいく。

 光の届かない水の底以外に、僕の帰る場所はなかった。

 意識は飲まれ、あの体も僕のものではなくなった。漂う自我は、最後に残った消えゆく残滓なのだろう。

 去年、がむしゃらに走り出して湖を目指した夜、僕は心に誓ったはずなのに。

 初めて言葉を交わした母親は、取り込まれていてもなお、僕のことだけを考えていた。

『この村から………去りなさい………』

 ごめんね、お母さん。

 気付いていたはずなのに、何もできなかった。

 僕らの村はとっくの昔に魔物に滅ぼされ、眷属となることで形を保っていたにすぎない。

 依代となるために生まれ、そして死んでいく。無価値に等しい泡沫のようなこの生命。

 朽ち果てた葡萄が熟成の機会を失い、醜く歪んでいく様を儚いと言えるだろうか。

 液体のように広がっていく思念を止めどなく垂れ流し、後に残るのは悲運を呪った情けない死骸だけ。

 僕が願ってきたことは全て無駄な事だったのだろうか。もがきあがき苦しむことが、生への帰還ではないだろうか。

 瞼の奥に駆け巡った光の粒。

 焼けるような頭の痛みを鎮めていく。

 ……まだだ、まだ終わりじゃない。

 ショウフウの命はその終端を迎えようとしている。魔力は十分にある。僕は肉体を預けただけで、まだ意志は生きていた。

 抗う術は、残されている。

 共に生きよう、この身が腐るまで。

 統合されていく意識の中、みんなの声が聞こえた。

 生命の繋がりを強要された、村人たちみんなの声が。

 水の底で見つけた、僕らの光。


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