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星の屑から  作者: えすてい
第3章 流れ星に祈りを
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第13節 魂の覚醒

 

 獣たちが皆地に伏せ、苦しむ様子を見せる。

 私が何かしたわけではない。

 逆立つ毛並みを震わせて倒れ込む姿は、まるで突然の病に罹患したかのような不気味さがあった。

 雑草や木製の建造物に変化は見られない。毒や腐食が広がっているわけではなさそうだ。

 村人たちに一体どんな異変が起きたのか。私は耳を澄ませて彼らの声を聞いた。

 呻き声の中に紛れ込んだ言葉の端々を繋げていくと、ある一つの名前が浮かび上がってくる。

 ショウフウサマ。

 聞き覚えのない、彼らが崇める神の名。いわゆる土地神と呼ばれる土着の宗教だ。

 地元民の信仰を集めて集団の統率力向上を図る、大方の宗教というのはその手の方便として創造される。

 私は神の生まれ故郷など知りもしないが、信仰対象の作り方ならいくらでも目にしてきた。

 だがこの土地神は機能論としての神ではない。人間へ獣化を可能にさせた、純然たる真の神。

 その業は計り知れず、農作業に打ち込むただの村人を五級難度ほどの魔獣に変えてしまう恐ろしい所業だった。

 動かなくなった彼らの体を素通りして、私は探知しづらい魔力の根源を探って走る。

 この村を見つけること自体、割と難儀したものだ。旅人を寄せ付けない地形と、魔力を阻害する気候。

 魔法の扱えない姉だからこそ、この場所を特定できたといっても過言ではない。まさに私たちの故郷と同じ、秘境と呼ばれた地域。

 その雁字搦(がんじがら)めの崇高な風習と文化は、余所者から見れば呪いのようにも映るだろう。

 獣となり(うずくま)った村人たちがまさにいい証拠だ。彼らは望んでこんな生き方を選んだわけではない。

 風車小屋が軋んだ音を立てる。

 私は流れてくる目に見えない魔力と風を感じ取った。

 霊峰から吹き降ろす風と季節風。天気と温度を照らし合わせて風上を推測する。

 細かい気圧の変化までは流石に分からないが、風の吹いてくる方角を大雑把に予想していく。

 姉には野生の勘を信じるなと言っていたが、こればっかりは自分の感覚に頼るしかない。

 流れ着いた魔力の中から、微かに村人たちと同じものを見出す。

 ……感じる、別の強い魔力。

 あの少年たちもここへ近付いてきている。

 お姉ちゃんの帰りが遅い、獣化した村人、訪れた彼ら、異様な魔力。

 私は限られた手がかりの中から、邪悪な気配を辿り、姉の元へと急いだ。




 ■■◇■■




 僕は湖に飛び込み水中で必死にもがいた。

 シュエを取り戻す手立てはこれしかない。

 僕の馬鹿な行いの所為で、みんな死んでしまう。

 雑な思いつきが、裏目に出て仇となった。

 ただがむしゃらにみんなのこと救おうとした。

 シュエの命の代替を差し出すには、これしかなかったのだ。

 ショウフウという名の邪神は村人に呪いをかけた。

 自らの命と村人の命を一つにする、"魂の共有"。

 そうすることで、村人との間に共生関係を築き、いつまでも信仰の中心に居座り続けた。

 怒りに震えた体を無理やり動かし、湖の底へ泳ぐ。

 暗い水の中。何もない。何も沈んでいない。

 遥か昔、この村に来た邪神は、村人を眷属にしてこの湖に住み着いた。

 獣化は神の力の恩恵なのだと教わり、僕らは麓の人間が持ち合わせていない力を手にすることができた。

 邪神は年に一度収穫祭と称し儀式を執り行わせ、連綿と信仰心を紡いでいった。

 そして若い女性を十数年に一度、生贄として欲したのだ。

 新たな依代を求めて適合する肉体を得るために。

 この状況を打開するには、外の世界を巻き込む必要があると悟った。

 だから冒険者に依代を押付け、邪神の正体を暴こうと三人で動き出した。

 だけど実際は違っていたんだ。

 僕はまんまとそう()()()()()()()()()

 獣化できる村人は命の繋がりを持つ奴隷だ。

 そんな彼らに依代が務まるはずがない。

 収穫祭で選ばれる生贄には、もっと別の理由があったんだ。

 湖の底、黒い塊がはっきりと見えた。

 呼んでいる。僕には分かる、あれが何なのか。

 そう、シュエは依代なんかじゃなかった。

 違う、違うんだ。

 新しい依代は、この僕だ。

 何故みんなと同じような獣化ができず、シュエと同じように事切れないのか。

 母親の話は村では禁忌だったに違いない。

 村長の妻でありながら他の男の赤子を産んだのだから。

 母親は邪神に依代を身篭らされた。

 そして生まれたのが、この僕だ。

 だから眷属としての獣化ができない。

 自死すらできない、腐った肉体。

 僕に対する父親からのあたりが強いのは、僕が生まれたことに対する軽蔑が含まれていた。

 僕の存在が父親にとって生き恥となる。その事実があの男は許せなかったんだと思う。

 母親に続き、今度はシュエが選ばれた。

 僕は今になって全てを理解する。

 そう、白羽の矢を握っていたのは、生贄を選別していたのは、あの父親だ。

 僕から大切なものを奪っていく。そうすることでしか、あいつは幸福を感じられない。

 激情が、苦しくなった呼吸をさらに圧迫していく。動悸が湖の底全体を震わせるように強くなった。

 否、いつの間にか底に沈んでいた黒い物体。それが脈動している。降り注ぐ光を飲み込むような、純然たる漆黒。

 急に強い力で引き込まれていく僕は、肺にあった最後の空気を使い果たした。

 村の人たちを救うため、僕は邪神になる。

 心地よい風を感じながら瞼を閉じた。

 暗闇の中、まとまって浮遊し飛び回る光が弾ける。

 あの日みんなで見に行った、光の粒によく似ていた。




 ■■◇■■




 湖の水が一瞬で水蒸気となり、森一杯に満ちていく。

 一瞬で辺りを魔力が包み込み、支配空間(コントラウム)が広がった。

 夜の闇で覆うように、日光を遮る分厚い雲が、森を飲み込んで乳白色で空間を濃く満たす。

 僕とカグヤは走り去った青年の後を追いかけ、湖が存在したであろう窪地を目前に立ち尽くしていた。

 青年は水のなくなった湖の底で、ゆっくりと自身の身体を眺めている。

 さっきの怪物とは違う、異様な雰囲気。

 カグヤは目線を変えず僕に告げた。

「気を引き締めなさい、ここからが本番よ」

 僕は霞む彼を見つめながら思った。

 これが、魔神本来の姿。

 佇むだけのその後ろ姿に、恐怖を感じた。

 生物として滑稽なほどの差を思い知らされる。

 まずい……。

 一歩も動けず冷や汗が止まらない。動けば、濃すぎる魔力に押しつぶされそうだった。

 "孰湖"、そう呼ばれる魔物が姿を現したのは、今から三百年ほど前のことだった。

 滅ぼした魔王の溢れ出た魔力が飛散し、その余波から生み出されたと言われる魔物たち。

 ヒト族は次世代の魔王が復活する懸念を断ち切るため、北の大地へと進軍し、魔族たちの支配を計画した。

 だが新たに生まれたこれらの魔物たちによって、その計画が遂行されることはなかった。

 統率力を持たないはずの個々の魔物が魔王領に巣食い、人間側の戦力は国境線を維持するだけで精一杯となったのだ。

 人々は魔王領で相対したその魔物たちに、魔王と連なる呼び名として"魔神"と名を付けた。

 その内の一体がアルディア地方の霊峰に顕現し、住み着いたという言い伝えがある。

 彼らについて記載された書籍が少ないのは、その多くが魔王領に生息していたためだ。

 人間の生活圏に直接被害をもたらしたのは、この孰湖という魔神が初めてだった。孰湖は霊峰を根城として居座り、山に住む人間たちを蹂躙していく。

 この魔神の影響からか、霊峰には強力な魔物が生息し始め、山への道は封鎖され次第に人間は住めなくなった。

 魔力が輝き、水となって現れる。

 青年は立ち上らせた水の柱の上に立つと、窪地の底から飛び上がった。

 僕らの頭上を軽々と飛び越え地に足をつける。

 先ほど倒れた少女の傍に寄り、そっと抱き起こす。

 彼女に意識が戻らないことを悟ると小さくこぼした。

「そうか……眷属との結びつき……そのために生贄が必要だったのか……」

 青年の目つきが変わり、ギロりと横を向く。

 焦点が合わなかった瞳孔に、暗い光が灯る。

 花火を散らすような彼の迫真とした態度。

 青年は僕らに向けて言葉を放った。

「順番が前後してしまったが、問題ないよ。生贄は滞りなく、君たちの誰かに担ってもらう」

 少女の周りに水の膜が張られる。それと同時に、青年の背後に水の輪が三つ作られた。

 全身の肌が粟立つ。霧の中でも分かるほどの絶大な魔力。研ぎ澄まされた刃物のような鋭利な殺気。

「シュエ、僕らはまだ、みんなと生きられるんだ……」

 ――――来る!!

 僕は体に付与させた光魔法を使い、全力で前に駆け出した。

 水の円環を操り、青年は魔法を唱える。

 充満していた魔力が激しく震え上がった。

 霧の中を縦横無尽に飛び回る高圧水の矢が飛び交う。空気中に散りばめられた魔力に反射して、方向を変える。

 暴風雨の如く全方位から繰り出された攻撃が、走り出した僕に襲いかかった。

 さっきまでの攻撃とはまるで違う。

 この魔神は依代を得て、完全顕現を果たしたようだ。

 紙一重で躱したはずの魔法が頬を薄く切り裂く。

 熱した油のように、滲んだ血がパチパチと弾けた。

 速度が足りない。ギリギリ躱せないスピード。慣性に引っ張られているようじゃ、ダメだ。

 魔力の強度を高め、地面スレスレの低さで体を滑らせる。後ろのめりになった体で地面を蹴り、真横に体をずらす。

 速度の上がった体移動に感覚が追いつかず、脳内を揺さぶられるような痛みが走った。

 余裕はまるでない。

 青年の背後の輪から放たれる水魔法は苛烈さを増していき、飛び交う水の軌跡が吹き荒れる嵐を思わせる。

 この激しい攻撃の中、魔神へ反撃に転じる隙なんてありはしない。

 だが僕が果たすべき役割は、決定打を加えることじゃない。

 僕を捉えていた青年の目が不意に横を向く。

 すぐに片手を広げて水の刃を作り上げた。

 ぶつかり合う殺気。

 刃と刃の交錯する甲高い音。

 横から霧に紛れたカグヤが姿を現した。

「……君、おかしいね。全く居場所が分からない」

 呟いた青年のかざした腕が弾け飛んだ。

 水の塊が散乱し周りに落ちる。

 水の勢いに押されたカグヤは身を翻して着地する。

 恨み言を言いつつ、再び霧の中に気配を隠した。

「勘がいいわね! 真っ二つにしたつもりだったのよ……!」

 青年は肩から生え直した新たな腕を見つめる。

 独り言を誰に聞かせるでもなく言う。

「これが再生か。なんだ……この体も、案外不便なものだね……」

 再構築された腕は握るたびに強度を保てなくなる。魔法による治癒には、まだ慣れていない様子だった。僕に対する魔法も少し弱まったような気がする。

 魔神といえど、並行して複数の魔法を唱えることはできない。

 水の嵐からの被害を最小限にしつつ、距離をつめた僕は、脳を揺らしながら限界の速度で攻撃を振り切った。

 付与の魔力を右足に集中させ、低い姿勢で敵前に躍り出る。

 両手を地に付けたまま、大振りに脚を振り上げた。

 渾身の上段蹴りを背中に叩き込む。

 体勢を崩され、青年は前のめりになった。

「ッが!!」

 背後からの強襲に呻く魔神の背中、水の輪が三様に光る。

 振り切った脚を戻す間もなく水線の攻撃が放たれた。

 瞬時に防護魔法を張り、押しつぶされそうな衝撃を防ぐ。しかし、思ったよりも早い反撃に退避が遅れてしまった。

 三点が収束し、より強烈な水線が防護を削り取る。

 巻き上がる水の粒で、防護壁を局所に集約できない。

 防護が、破られる……!

 亀裂の入った隙間から激しい水の飛沫が散った。

 両手を伸ばす僕の手に水滴がこびり付く。

「はああああああッ!!」

 雄叫びを上げるぼやけた薄紫の髪色が、結界の外に見えた。

 水の輪の一つが両断され、衝撃波とともに水が弾ける。

 青年がそれに呼応するように叫ぶ。

「邪魔を……すルなッ!!」

 再び交えた刃が音を鳴らす。

 カグヤが一つの輪を断ち切り、引き付けてくれたおかげで余裕ができた。

 魔法の扱い方にかなりムラがある。

 戦いのほとんどを自身の魔力量に依存しているんだ。

 戦闘経験もなければ、魔法も使ったことがないのだろう。

 これなら、勝てるかもしれない。

 弱まった水線の威力をいなした僕は、防護魔法を解くと同時に、素早く駆け出す。

 水線が二本に減れば、それだけで動きやすくなる。

 僕は青年の視線がカグヤに向いていることを確認した。

 付与魔法がなくなる。水の輪がカグヤを向く。

 その刹那の隙、両手に魔力を込めた。

 全身を巡る光魔法の力が、手のひらから強い衝撃波を伴いながら放出される。

 打ち出された光の魔法、残滓が辺りを舞った。

 光源に目を細めた青年は、水の輪から魔法を打ち出す。

 だが先ほどと威力は桁違いだ。

 水線を押し切って、光は水の輪を撃ち抜く。

 水刃を全て弾き返したカグヤの剣が、あっけにとられる青年の肩から腰を叩き切った。

 派手に水飛沫をとばし、青年の体から澄んだ色の液体が流れ出る。

 形を保てない再生途中の右腕を振り回し、青年は水刃の魔法をカグヤに向けて飛ばした。

 追撃を諦めたカグヤはその攻撃を防ぎつつ、もう一度距離を取る。

 ぽたぽたと地面に広がる水滴が粘性を失い溶けだす。

 再生を許してしまうことにはなるが、もはや彼にとってあの傷は致命傷だろう。

 片膝をついた青年が低く呻いた。

「うぅ……なんだこの体ハ、全然、だめだ……! 頼ムから……僕の邪魔をシないでくレ……!」

 最後の一つだった水の輪が砕け散る。

 再生できない右腕と失った左肩が、グズグズに崩れ落ちた。

 骨と骨を細かくぶつけるような連打音。

 不愉快な振動に僕は眉根を寄せる。

 透明な液体の行き着く先は一体どこなのだろう。

 水紋を徐々に巡らせる体に違和感を覚えた。

 剣の柄の上から親指をあてがい息を大きく吐き出す。

 カグヤが右足を半歩前に出し構えをとる。

 ……なんだ、何なんだ。何かがおかしい。

 両腕が使えなくなって頭を垂れた青年。

 その姿が濃い霧によって部分的に影を落とす。

 彼の一挙手一投足がゆっくりと動作するところが見える。

 ……違う。さっきから、敵の姿が()()()()()()()()()

 どうして、霧に紛れて分身体を作らないのか。

 違和感の正体は、僕たちに牙を剥く。

「―――カグヤッ!!」

 僕の声より先に水が跳ねた。

 彼女が飛び出したとの同じタイミングで、背後からの一撃。

 僕の左肩が水線で射抜かれ、血を噴き出す。

 僕は水が滴った地面を転がりながら、肩を抑える。

 霧に紛れて魔力探知がきかなかった。青年の姿のみを追ってしまっていた。

 戦闘技術が身についていないのは僕の方だ。

 片膝をつきながら魔力の根源を見つめる。

 (もや)がかかった向こう側に大きな影が浮かび上がった。

 僕を覆い隠すほどの巨体、不定形なその輪郭。

 液体を思わせる透き通る見た目とは裏腹に、その流体は丸みを帯びて体を震わせながら自立している。

 ゲル状の体組織はあらゆる物理攻撃の衝撃を緩和、無力化し、水を操る魔法はどんな魔物であっても右に出る者はいない。

 僕の目の前にいるのは、絶滅したとされる古代生物。

 本で読んだ名前は確か、粘液複合体(ゲルハゴス)、俗称スライム。

 付与魔法が僕の体にかかると同時に、古代の怪物が水魔法と共に悪臭を放った。

 肩から流れ出た血液が、動く体を追って尾を引いた。


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